三秒で変わる世界
川に浮かんだ筏は杭にくくりつけて停められてはいるけれども、今にもロープを引きちぎって流されてしまいそうなくらいに激しく揺れまくっていた。これに乗って川下りなんて船酔いしないか激しく不安だ。
複数人で乗るものなので想像していたよりも大型ではあった。横幅は狭く、二つの筏を縦に連結したような細長い形をしている。柵というか手摺のようなものも備わっているから気をつけていれば落ちないだろう。たぶん。
でも、筏だ。伐り倒した丸太をロープで縛っただけの板状の物体だ。緊急脱出用であろうにどうしてもっとまともな船の形をしているものを用意しておけなかったのだろうかと腹が立つ。
とりあえず戦闘時のゴタゴタで荷物が川に投げ出されてしまわないよう鞄を手摺に縛りつけておくことにした。私の体もそうして固定させておきたかったがマッシュの「転覆した時に悲惨だよな」という恐ろしい一言によって断念する。ひっくり返った筏にくくりつけられて溺死なんて嫌だ。
そんなこんなでマッシュと二人、激流下りの準備を整えているうちに洞窟からティナとエドガーそしておまけのジジイが慌てて飛び出してくる。私たちの姿を見留めてエドガーが訝しげに首を傾げた。
「ミズキ……どうしてここに」
「べつにティナを連れ出そうと思って筏をかっぱらったんじゃないですよ？」
「そう念を押されると逆に怪しいんだが」
怪しんでいただいて結構だ。ティナをこっそり逃がそうとしてたんじゃないかと疑わせておけば用意周到すぎると怪しまれることもないだろう。
「まあまあ、緊急事態なんだろ？ 事情は後で聞くよ」
「……分かった。ナルシェに向かおう」
なおも不審そうにしているエドガーをマッシュが手早く納得させて全員が筏に乗り込んだ。櫂を持ってエドガーが先頭に、ティナと私とおまけが続いて最後尾はマッシュだ。
ジェットコースターは一番後ろが一番怖いというけど筏の場合は関係あるんだろうか。
心配していた雑魚戦は意外と手こずらなかった。というか、川から飛び出してきたモンスターが次々と筏に乗り込んでくるのだけれどもティナとマッシュが雑に蹴っ飛ばして追い払えばそれで終わりなのだ。戦闘にならない。
私はといえば流れに乗って岩を避けながら揺れまくる筏の上で右往左往。手摺に縋りついていないと一瞬でどっかに飛んでいってしまいそうだ。
エドガーは巧みに筏を操っている。ティナとマッシュは身軽に動き回って敵を排除する。バナンは戦闘にこそ参加していないものの危なげなく立っていて、たまに雑魚の体当たりを食らったティナたちにポーションを配る余裕すらあった。
なんてこった、私だけ役に立ってない……！
私の精神的ショックと同時にガツンと衝撃を受けた筏が急停止する。慣性の法則によって放り出されそうになったティナの体を必死で掴まえたものの、鎧の重さに負けて一緒に吹っ飛びそうになった私をマッシュが支えてくれた。くそう、私もそろそろ装備を整えるべきかもしれないな。せめて重石としてでも役立ちたかった。
筏は川のド真ん中で停止している。本部を発ってからまだ十分くらいしか経過していないが、思ったよりも早かったな。
「どうしたんだ？」
「岩にでもぶつかったのか……」
様子を見に先頭へやってきたマッシュが勢いよく振り向いて身構える。筏の縁から二本のタコ足がうねうねと伸びてきた。流れに乗った筏を足、いや手？ の力だけで押さえて止めたのか、馬鹿力なタコめ。
川面から飛沫をあげて顔色の悪いタコが飛び出してくる。もう二本のタコ足が顔の横で揺れているから、筏を押さえてる分も除くと四本がフリーか。結構な脅威になりそうだ。
「うひょひょ！ ここは通さないよ〜。いじわる？ いじわる？」
「ティナ、ファイアをお願い。ミディアムで」
「分かった。……ミディアム？」
条件反射で言われるままに魔法を放ったものの一拍遅れてミディアムとは何かと気になったらしく、ティナは首を傾げている。何にでも疑問を抱くのは好奇心のある証拠。私は嬉しいぞ、ティナ。
「ど、動じないな、ミズキ。タコが話してるのに」
横からエドガーに言われてちょっと固まった。この世界でタコが人語を話すのは不自然なことなのか？ しゃべる人外ならモグとか幻獣とかもいるし、気にしてなかった。普段からファンタジー要素が溢れていると日常と非日常の境界がよく分からなくなって困る。
とりあえずここは私も驚いておく方がよい模様。
「うわー、タコがしゃべっているー！？ これは面妖な！」
「……」
「……」
そんなことを言ってる間に発動した強火のファイアが水面から露出しているタコ肌を舐め上げる。オルトロスは余裕の表情でそれを見ていたが。
「ははん、水中のワイに火なんて効かなアッチッチーー！！ ゆでだこ！？ ゆでだこ！？」
「ううん、レアだな。まあいいか」
湯気を噴き上げながらオルトロス周辺の水が一気に蒸発した。やっぱり魔法って強力だと改めて思う。基本のファイアでこれならガ系やフレアやアルテマなんてどうなってしまうのだろうか、おそろしや。
赤味を増したオルトロスが今の魔法をやったん誰や復讐したるとばかりに私たちを見回し、ティナのところで視線を止めると吊り上がっていた目尻がへにゃっと下がった。
「かわいい女の子……わいの好みや。ポッ」
「分かる。かわいいっつーのはティナみたいなのを言うんだよ」
「作ってない感じがええねんな。守ってあげたいわ」
「自称天然とは違うのだようちのティナさんは」
「あんたなかなか分かってるね」
「ふっ、そちらこそタコのわりには見る目がある」
「こういう時こそロックにいてほしいですね」
「あやつなら律儀に話の筋を戻してくれるからのう」
ツッコミ不在を嘆くエドガーとバナンをよそに意外と紳士なオルトロスはティナをターゲットから除外して、他の男連中だけを攻撃し始めた。
真っ先に狙われたのはバナンだ。なんだか私、気が合いすぎてオルトロスに肩入れしてしまいそう。
「お前の顔……こわーい！」
「ぐっ！？」
「こわーい、きたなーい、髪をとかせ〜！ 加齢臭がするしー、性格もわるーい！ 美形兄弟に囲まれてるから余計に悲惨に見えるー。まるで可燃ゴミだー」
「そこまで言うてませんけど」
「代弁しておきました！」
一目見た時から「思ったよりマッチョジジイ」という印象だったバナン、ゲームと違って一発食らった程度ならどうってことなさそうだ。脇腹を押さえて踞っているけれど問題はない。私としては戦闘不能にさえならなければやつが怪我をしようと知ったことではないのだ。
筏が水中に引きずり込まれないよう地味に櫂でタコ足を追っ払ってくれているエドガーの代わりに、盾を構えて彼への攻撃を警戒する。オルトロスの連続攻撃は止まらない。
「きんにくモリモリ……きらいだー」
「おっと！ 当たるかよ」
マッシュは狭い筏の上で器用に攻撃を避けている。それどころか避け様にカウンター攻撃を加えるほど余裕綽々だ。さすが格闘家、肉弾戦になると独壇場だな。
しかしマッシュに弾かれた腕が鞭のようにしなって思わぬところへ襲いかかるので私とティナは盾を構えて防御に徹することにした。一向にダメージを与えられずムキになったオルトロスは、筏にちょっかい出すのをやめてフリーの四本腕で一斉にマッシュを襲う。やはりタコから見ても一番の脅威らしい。
関係ないんだけどエドガーに対するオルちゃんのコメントってなかったんだっけ。色男は嫌いじゃないのだろうか。それはそれでちょっと嫌だけどな。
「ところで、私はどうよ？」
「……」
「……」
「コメントは差し控えさせていただきます」
「ええー、なんでやねん！」
かわいい女の子でも怖い顔でも筋肉モリモリでもないなら何と因縁をつけるのか知りたかったわ。
オルトロス本体は筏から少し離れたところにいて、こっちは伸ばしたタコ足の攻撃を防ぐのに手一杯でダメージを与えられない。集中攻撃を食らっているマッシュは相変わらず無傷ですべてかわしているけれどお互いに決め手がないのもまた事実だ。このままでは戦闘が終わらない。膠着状態が続けば先に疲弊するのはおそらく私たちだろう。
その時、ティナが微かな悲鳴をあげてしゃがみ込んだ。
「あ、足に何か……」
「シールドバッシュ！」
「いったぁーーーーー！！」
彼女の足に巻きつく紫色を視認した瞬間、盾の尖った部分で殴りつけてやる。すかさず引っ込んだタコ足は本体付近から再び姿をあらわし、涙目のオルトロスはぐんにゃりとへこんだ箇所にフーフーと息を吹きかけていた。あの仕草ってタコもやるんだね。
それはともかく、マッシュを攻撃しながら密かにティナへのセクハラも敢行するとは大したエロ根性だ。
「ティナ、バナンの近くにいると巻き込まれるかもしれないからこっちへ来てエドガーを盾にしときなさい」
「ミズキの優しさは過剰なうえに与える範囲が狭いな……」
素直に頷いたティナは私とエドガーの陰に隠れた。それを見てとり、単調な攻防に苛ついていたマッシュがタコ足を振り払うと手摺を乗り越えて筏の縁に立つ。
「もういい。あの野郎、水中でバラバラにしてやる！」
「待て、マッシュ！」
焦った様子のエドガーが制止するのも無視して水中に飛び込んだ。反動で筏が揺れ、私は慌てて手摺に掴まった。すぐにオルトロス本体と筏を押さえていない四本のタコ足が姿を消す。どうやら水中で戦闘が開始されたらしい。
筏の周辺は静かだが水面下ではどうなっているのか。マッシュの飛び込んだ辺りを見つめてティナが心配そうに眉をひそめる。
「おぬしの弟は水中戦もできるのか？」
「い、いえ、山籠りをしていたようなのでそんな修行はしていないかと」
いや、ダンカンの流派でなくても水中戦を専門とする格闘術なんて普通ないと思うよ。的外れな会話を繰り広げるエドガーとバナンを冷ややかに見つめる。
「まあとにかく戦況は動いたね。膠着を脱しただけ前に進んだとしよう」
「私がサンダーを習得していたらよかったのだけれど」
「いやそれマッシュも死ぬから」
それにティナは炎属性寄りだから魔石を使わないとサンダーは覚えられないのだ。父親は無属性だったんだけどな。でもそのおかげか自力でアルテマを覚えられるんだよ、と教えてあげたいけど今は黙っているしかない。
「まあ、そのうち元気よく飛び出してくるじゃろう」
バナンの呟きから程なくして筏が激しく揺れた。その直後に川からマッシュが「あーれー」と飛び出してくる。オルトロスがまだ顔を出さないところを見ると水中戦できっちりダメージを与えていたようだ。凄まじいな、マッシュ。
「元気よすぎたって感じかな……」
エドガーの声が虚しく響き、それに続いて遠くでビタンと水面に叩きつけられる音がした。うわぁ、腹からいったのか。
落下の衝撃で気を失ったっぽいマッシュは川の分岐点をナルシェへ行くのとは違う方へ流されていった。
「ど、どうすればいいの？」
「自力でどうにかするさ……たぶん」
どちらにせよオルトロスにまだ捕まっている私たちには何もしてやれない。タコ足は今も筏の両端をしっかり押さえているのだ。本当にしぶといタコめ。そして本体は水に潜っているのでこちらはさっき以上に打つ手なし。
オルトロスって、何戦もしておいて最終的には殺せないわけだから実は結構強いのかもしれないな。ここだって結局は倒せずに終わるくらいだからな。
とにかくこの状況をなんとかしないと。
「よし、そっちのタコ足をドリルで刺してください」
「え？ ……ああ、ミズキは容赦がないな」
「ここでじっとしてても仕方ないですし。いい？ せーのっ！」
エドガーはドリルで、私は盾の尖った部分で筏を掴んでいるタコ足をブッ刺した。声にならない悲鳴をあげるようにうねうねと暴れ狂った触手が離れ、筏が再び動き出すと同時に水面からオルトロスが現れる。
「くっそぉー、逃がさないもんね〜！」
「あ、顔出すと危ないよ」
「ふぁ？」
せっかくの忠告も間に合わず流れに乗って勢いのついた筏がオルトロスの無防備な顔面にガッツリとめり込んだ。舳先が尖ってたら殺れたかもしれない。
「ッびゃ〜〜〜〜〜！？」
筏に轢かれて謎の声をあげながらオルトロスは水中に没した。
エドガーが櫂を操り、改めてナルシェを目指して出発する。やれやれと一息ついて手摺にもたれかかったところで、ティナの悲鳴じみた声を聞いた。
「ミズキ！！」
横から衝撃を受け、視界がぐるんと一回転した。ティナもそんな顔をするようになったかというような必死の形相で、差し伸べられた腕を掴もうと伸ばしたけれど私の指は宙を掻く。それらすべて一瞬のうちに。
飛沫をあげて激流に叩き落とされ、オルトロスの最後っ屁で筏からブッ飛ばされたのだと理解して軽いパニックに陥る。上も下も分からず水中で足掻いた。
流れに揉まれ岩に激突して痛みを感じる余裕もないほど意識が掻き混ぜられていく。マッシュは大丈夫だ。それは私もよく知っている。ティナたちも無事にナルシェへ到着する。
しかし私が無傷でいられるという保証はどこにもないってことに、気づいたところで思考は途切れた。
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