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覗き込んだ水底


 災厄の詰まった箱が開かれ、最後に残されたのは“予兆”だという。それが真の希望になるのかどうかは取り出してみなけりゃ分からない。もっと言うなら、それを使う人次第だとも言える。
 とにかく、ミズキがバナン様に言い放った「ティナは希望なんかじゃない」という言葉には深く同意する。彼女は仲間だ。そして仲間とは苦難を等しく分かち合うべきもの。
 魔導の力だの帝国の秘密兵器だの、どうだっていいじゃないか。ティナは災厄に満ちた世界を共に生きる俺たちと同じ人間だ。なにひとつ一人で背負う必要はない。
 そしてそれはミズキに対しても同じことが言えるはずだ。彼女の中に詰まった災厄をできることなら一緒に引き受けてやりたいと思っている。

「自分の人生が知らない誰かの書いた物語だと言われたら信じますか?」
「へ?」
 先程のミズキとそっくりの間抜けな返事をしてしまった。彼女の表情はあくまでも真剣だ。唐突ではあるが、その質問は人知れず抱え込んでいる苦悩と関わりがあるらしい。言葉を噛み砕くようにゆっくりとミズキは続ける。
「私はこことは別の世界の人間です。たぶん以前ティナが氷漬けの幻獣と反応した時の力が干渉して、世界を転移してしまったんじゃないかと」
「……魔法で……ってことは、じゃあ、お前は、い、異世界から来た人? なのか?」
「そうなりますね」
 噂に聞いたところによると帝国には足を使わず遠くへ一瞬で移動する魔法もあるそうだ。それですら余程の実力を持つ人造魔導士の中でもごく一部だけが使える高度な技だってのに、世界を跨ぐ魔法なんて存在するのだろうか。
 でもまあ、現にミズキは目の前にいるんだから、そういうこともあるのかもな。ティナの魔法だってなんかいろいろと凄いんだ。よく分からんが、もっと凄いものも存在するということだろう。
 ティナへの好意が嘘だとは思えないのにどうして彼女を騙すような真似をしてまで世話係をしてたなんて言ってるのかと思ったら……、そりゃあいきなり「私は異世界人です」なんて言われても誰も信じないよな。
「本当のことを言えなかったのは、ティナがその転移とやらの責任を感じてしまわないようにか?」
「それもあるけど大部分は別の理由ですね。だいたい本当にアレが原因か確定したわけでもないし。ただの異世界人なら皆に言ってもよかったんだと思う。でも私は他人に知られてはいけない知識を抱えてる。だからボロを出さないためにティナの世話係という過去をでっち上げたんです」
 設定がある方が嘘を突き通しやすいと吐き捨てた表情は苦い。嘘が楽しかったわけではないようだ。そのことには素直に安堵する。そしてより強くミズキを助けてやりたいと思えた。

 知られてはいけない知識とは何なのか、尋ねてもミズキはなかなか話してくれなかったが、俺がその知識を活用しないと踏んだらしくやがてぽつりぽつりと話を始めた。
「この世界は、私のいた世界にあるゲームの舞台なんです。そして私はこの物語を知っている。ティナを始めとする登場人物も、彼女たちが紡ぐストーリーも、至る結末も」
「……な、なるほど?」
 曖昧に頷いたら、言ってる意味がよく分からないであろうことは重々承知だとミズキは苦笑した。いやもう、たぶんゆっくり説明されても分からないことに変わりはないだろうからと先を促した。
「オープニングはナルシェの雪景色を魔導アーマーが歩いているシーン。魔大戦や魔法の滅亡、蒸気機関の隆盛とか簡単な世界観説明のあとプレイヤーは緑の髪の少女を操作して先へ進む。魔導の力を持つ少女……ティナは炭坑の奥で氷漬けの幻獣と反応し、その衝撃で気を失ったところをリターナーの老人に保護された。街から逃げ出すことになり、ロックに導かれ、フィガロ城でエドガーを仲間にして、コルツ山でマッシュと出会い、リターナーの本部へやってきた彼女は自分の持つ力の正体を見極めるためにも帝国との戦いに身を投じる決心をする」
 それが今までの粗筋だ、なんて無感情に淡々と語られ奇妙な違和感を抱いた。ミズキは今までの経緯をかいつまんで説明している、ただそれだけなんだが……本当に芝居の筋書きでも諳じているみたいだ。まさに物語を誰かに読み聞かせているような突き放した言い方。
 他人行儀で、やけに俯瞰的な目線で見られている気分になる。居心地が悪い。そんな俺をよそにミズキは更に続けた。
「このあとリターナーでの作戦会議中、サウスフィガロ陥落の報せが入る。ロックは街の様子を探りに潜入することになり、ティナたちは帝国の目を逃れるためレテ川をくだってナルシェを目指す。そこで物語はティナ、ロック、マッシュの視点にそれぞれ分岐する。それぞれのシナリオを終えた仲間たちはナルシェで再び合流し、攻め寄せる帝国兵から氷漬けの幻獣ヴァリガルマンダを守りきったところで前回のように共鳴反応を起こしたティナの力が暴走して、」
「ちょ、ちょっと待った! それは……今から起こることなのか? 予知能力がある、みたいな話じゃないんだよな?」
「違います。私は“先のことが分かる”んじゃなくてただ“起こることを知ってる”だけ。これくらいの粗筋ならゲームをプレイした人は誰でもスラスラ言えると思う。私はもう少し覚えてるから詳しい話もできますけど」
 ミズキの世界にある一つのゲームの舞台。俺たちの身に起こる出来事すべて、いや、この世界と俺たち自身がミズキの世界で作られた創造物だと……?

 一冊の冒険小説があるとしよう。幼い頃から何度も読み耽り、たくさんの登場人物や数々の冒険をほとんど完璧に覚えている。ある日ふと気づくと見知らぬ場所に立っていたミズキは、主人公に出会った瞬間に自分がその小説の中に迷い込んでしまったのだと知った。
 それが彼女の素性、だそうだ。実際は全然違うものだけど本にたとえた方が分かりやすそうだとミズキは一人で頷いている。俺はちょっとばかり混乱中だ。
 さっきミズキは「自分の人生が知らない誰かの書いた物語だと言われたら信じるか?」と尋ねた。この世界には“作者”が存在する。主人公たちが悪しき帝国に立ち向かうところから始まり、やがては世界を救う物語を誰かが創った。そして俺もその本の登場人物なのだと。
「よ、よし、分かった」
「分かったの? すごい順応力ですね」
 皮肉じゃなく本気で感心している様子のミズキに脱力した。そりゃこんな突拍子もない話をいきなり理解して信じるのは難しいが、打ち明けろとせっついたのは俺なのに「途方もない話だからやっぱり信じられない」なんて言ってられないだろう。尤も、信じるのと理解するのは別の問題だが。
 信じるのが大前提だ。仮に彼女の話が嘘だとしても、ミズキが何かに苦悩しているという事実が同じなら俺の役目は彼女の重荷を一緒に抱えてやることだ。
「この世界が誰かの創作物だとかいうのは、とりあえずいいや」
「いいんだ……わりと衝撃的だと思うんですけど」
「俺が今ここに生きてるのは事実だろ。兄貴がいて仲間がいる。観客にとってはただの芝居かもしれんが、俺にとって現実だということには変わりない」
 現実という言葉でミズキの顔色がサッと青褪めた。俺はどうやらまずいことを言ったらしい。なんだっけか、さっきは途中で遮ってしまったが彼女の話は“まだ起こっていない未来”にも及んでいた。物語の結末まで知っているのなら当たり前だよな。
 ……そのゲームってやつ、結末はどうなるんだ? それが“知られてはいけない知識”なのか?

 もしこの世界の誰かが彼女の持つ知識に気づけば、定められし運命に干渉して自分に都合のいい未来が訪れるように動くだろう。大切なものを守るために情報は最大限に活用しなければならない。それが分かっているからミズキは誰にも話せなかった。
 ミズキは箱に残った最後の一粒を握っているんだ。そしてそれは使いようによって希望にも絶望にもなり得る。
「なあ。バナン様が言ってた箱の話、お前の世界にもあるのか」
「パンドラの箱のことなら、あっちの神話が元ネタなので。それにオープニングで流れるゲームの一曲目は『予兆』だし、三闘神の力に触れた人間が幻獣となったという設定やティナの正体からしても全編を通して神を巡る災厄がテーマなんだと思ってる」
「えっと、お前がこの“物語”をすごく好きなのはなんとなく分かった」
 何かのスイッチが入ったみたいに語り出したミズキはハッと我に返ると頬を染めて俯いた。顔色が戻ってなによりだ。
「こっちじゃ、箱の中に残されたのは希望ではなく最もな災厄だったって説もあるんだけどさ」
「ああ、向こうにもありますよ。真の災厄、予知だけが残されたって話。むしろそれが出てこなかったことが希望であるという説もありますね」
「すべてを知ってしまうのは未来への期待を失うってことだもんな。それで、未来を知ってしまってるお前から見てこの物語はハッピーエンドじゃないのか? 悲劇的な結末を迎えるから誰にも言えないのか」
「いいえ、ハッピーエンドですよ。やがては世界を救う物語なので」
「つまり救わなければならない状況に陥るってことでもあるよな」
「……」
「言ってみろよ。何が起こるんだ?」
 帝国が世界中に戦争を吹っ掛けている今現在よりも酷い状況なんてあるんだろうか。分からないが、重要なのはその時にミズキがどうしたいのか、だ。

 ミズキは腰かけたまま岩に当たって砕け散るレテ川の激流をじっと睨んでいた。俺もボーッと同じものを見つめながら待っていたら、ミズキは散々迷った末になんとか答えを吐き出した。
「ゲームの設定上、この世界には地図が二枚あります。崩壊前と……崩壊後の二枚。遠からず大破壊が起きる。大地が裂けて、生命の力が弱まり、古の魔物が甦って……大勢の、人が……死ぬことになる」
 なんとなく、そんな予感はしていた。ミズキはティナがリターナーに加わることに熱心ではなかった。それが“物語”の結末を知っていたからだというなら、つまり帝国との戦争なんてどうでもよくなるほどの災厄が起きるってことだろう。
 世界の崩壊……あまりにも事が大きすぎて、驚きもしなかった。ミズキは自分の言葉に怯えて黙り込んでいる。
「その大破壊ってのは、自然災害なのか?」
 違うと半ば確信して聞いてみたものの、やはりミズキは首を振った。世界を崩壊へと導くのは一人の人間だ。先手を打ってそいつを排除してしまえ、と言うのは簡単だった。しかしミズキが自分の秘密を打ち明けなかったのは、まさにその言葉を恐れたが故なのだろう。
 やがては世界を救う“物語”……筋書きを変えて災厄を封じ込んだら、残されるはずだった希望も失ってしまうかもしれない。つまりはそういうことだ。ミズキはシナリオが変わるのを恐れている。いつか別の形で、別の崩壊が起こった時に、白紙の未来には災厄を乗り越えるすべがない。
 天秤に二つの命が乗っている。世界の崩壊で失われる命と、その先にある未来で救われる命。片方を救おうと取り上げれば代わりにもう片方が破滅に沈み込む。
「予定通り崩壊しなけりゃ、予定通りに救われない、ってわけだな」
 自分への確認のために呟いたんだが、どうも自責の念を刺激してしまったようでミズキが泣きそうな顔になっていた。どうしたもんかと頭を掻く。
 妙なやつだ。ただ未来を知ってるってだけで自分が世界を滅ぼすわけじゃないのに、そんなに思い詰めるなよ。

 沈黙が重たい。ちょっとばかり話を変えようか。
「なあ、俺もそのゲームってやつの登場人物なら、ひょっとすると俺のフルネームも知ってるのか?」
 唐突な俺の質問に、然して迷いもせずミズキはその名を口にした。
「マッシュ・レネ・フィガロ」
 実際そうあっさり呼ばれると面食らった。今となってはこの世でただ一人、兄貴だけが知っている名だ。そして兄貴が他人に漏らすことは絶対にない。だから、久しく聞いていない響きだった。急に子供時代を思い出して恥ずかしくなる。
「えっと、できればそれは……」
「誰にも言わない。秘密の名前なんでしょう」
「ああ、……つまり、先のことだけじゃなく過去の出来事も知ってるわけだな」
 予知能力ではない。ミズキが未来を言い当てているわけじゃなく、ただこの世界が、誰かの決めた設定をもとにシナリオ通り進んでいるだけなのだ。
「過去というか、魔大戦とか魔導士狩りみたいなゲーム中に触れられる設定ならある程度は知ってると言えるかな。あとは主人公たちのフルネーム、身長体重趣味好物得意武器と技を覚えるレベル、魔法や装備やアイテムの効果とか消費MPとか、入手場所とか、フェニックスの洞窟とラスダンの攻略法は今でも覚えてると思う。それから……」
「あのさ、その物語を知ってるやつは誰でもそんなに細かいところまで覚えてるのか?」
 怒濤の語りにびっくりして思わず遮ってしまったら、ミズキは「またやっちまった」って顔で恥ずかしそうに俯いた。やっぱりな。ミズキの世界にはこのゲームを知っているやつがたくさんいるようだが、中でもこいつはかなり詳しい部類なんだろう。
 機械のことを語る時の兄貴と同じ目をしている。聞き始めると長そうだからあんまり触れないでおこう。

「チラッと話題に出たから聞くが、お前は現代の人間が過去に飛んだら魔大戦を止められると思うか?」
「え……それは、そう単純な話じゃないのでは。仮に誰か一人から始まった戦争のように見えても実際にはいろんな事象が絡み合って影響して起こったのだろうから、一面的な原因を知ってるからって簡単には変えられないと、」
「だよな? それって、お前が抱えてる問題と同じだろ」
 過去の改変ってやつは未来どころか現在の在り方さえねじ曲げてしまうものだ。
 たとえば俺が昔に戻って親父が死ぬのを阻止したとする。先代が生きてれば現在のエドガー国王は存在しないことになる。俺たちは二人とも王子のままで、俺は城を出ていなくて、きっとフィガロは帝国と同盟なんて結んでおらず、ドマ辺りと共に戦争へと加わっていたかもしれない。悪くすると、無理やり担がれて本当に兄貴と継承権争いをやってた可能性すらある。
 過去を変えるのは未来の可能性をひとつ殺すに等しい。その手の問題について研究した本を見た記憶があるんだが、難しすぎて読むのを放棄したのが今更ながら悔やまれる。
「まだ迎えてない俺たちの物語の結末も、お前にとっては過去に等しいわけだ。筋書きを変えれば未来……つまりお前にとっての“現在”が破綻する。たぶん、手を出しちゃいけないってのは正しいと思うぜ」
「タイムパラドックス。そういう視点では考えてなかったけど、言われてみれば問題点は同じかも。……マッシュって意外と頭いいよね」
「俺も今はこんなだが、ガキの頃は病弱で本を読むくらいしかすることがなかったんだよ」
 だんだんと口調が砕けつつあったミズキは慌てて謝ってきたが、そっちが素ならそのまま話してくれた方が俺はありがたいと言って敬語をやめさせた。いつまでも他人行儀でいられるのもつまらないしな。

「……崩壊後にも希望はある。大破壊を乗り越えなければ生まれてこないものを私は知ってる。でも、そのために大勢の人を見殺しにするのかと思うと、どうすればいいか分からなくなる」
 ミズキが崩壊の事実を知っていてそれに抗わなかったからって、気に病む必要はない。絶望だけじゃない、ちゃんと救いがあるのも知ってるんだから。逆に言えば、大破壊を食い止めるために彼女が行動してそれが成功したら、本来のシナリオを殺すことにもなり得るんだろう?
「……俺だってさ、バルガスが何をするのか予め知ってたとしても、師匠を殺させないために兄弟子を殺すなんて御免だな。決められた悲劇を回避するために別の悲劇を起こして……そんなの結局は誰も救えてないじゃないか」
 確かに難しい問題だ。どっちを選んでもそれぞれの絶望と希望がある。……つまり、どっちでも同じだってことじゃないか。
「ミズキ。誰かのためとか世界のためとかじゃなくて、自分がどうしたいかで動けよ。その時になって崩壊を阻止したいと思うなら、俺が世界を壊すやつを倒してやる。やっぱり物語を変えるのが怖いとなれば、俺も一緒に見守っててやるからさ」
 崩壊の時に死ぬであろう大勢の人々を助けたいと思っても、そもそも規模が大きすぎて俺やミズキにどうこうできるもんじゃない。もちろん座して滅びの時を待っているつもりはないし、自分にできる精一杯の抵抗はするつもりだが。
 そう、できることだけやればいいんだ。彼女が残酷な選択を強いられるのは間違っていると思う。自分の意思で、自分のやりたいことをやるんだ。

 洞窟内が慌ただしくなってきた。ティナが加わって本格的な会議が始まろうとしているのかもしれない。それとも、もうサウスフィガロからの報せが来たのか?
「こっから逃げるとか言ってたな。じゃあ筏の準備でもしておくか」
 レテ川は筏で降るには荒々しすぎる気もするが、予め大丈夫だと分かっているのはありがたいな。安心して困難に飛び込んでいける。
 ミズキはなにやら呆然としていたが、俺が物置小屋から筏を引きずり出してくると立ち上がって手伝い始めた。座ってりゃいいのに。
「……誰が世界を滅ぼすのか、何をしたら崩壊を止められるのか、聞かないんだ」
「え? ああ、利用するために言わせたんじゃないしな。未来が決まってようがなんだろうが、俺はその時やろうと思ったことをやるだけさ。お前もそれくらい気楽に考えとけよ」
 耳に届くか届かないかの「聞いてくれてありがとう」と呟く小さな声が聞こえたような気がしたが、敢えて返事はしなかった。俺に話してちょっとは気が楽になってりゃいいんだけどな。




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