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がらんどうの鎧


 吐き出した汚い言葉が腹の底にいつまでも澱んでいる気がしてムカムカしている。
 目の前にレテ川の激しい流れがあった。あまり綺麗とは言えないが、岩をも砕く勢いが清々しい。この水に晒してやれば少しは清浄になるだろうか。ここから飛び込んで濁流に身を任せれば……なんてくだらないことを考えてみる。
 もうじきティナは決断を下すだろう。リターナーの今後について会議が開かれる。私はしばらく放っておいてもらえるはずだ。帝国寄りと見られているであろう私が姿を消したとしても誰にも気づかれないかもしれないな。
「飛び込んでさよならってのもなくはないよな」
「いや、ないだろ」
 思いがけず返事があって、驚いた拍子に川へと転落しそうになる。傾いた私の体を寸前で掴まえたのは力強いマッシュの腕だった。
 なんでここにいるんだ。というか、今の聞かれた? みたいだな……ものすごく真剣な顔で私を見つめている。自殺ダメ、ゼッタイ、という顔で。
「や、今のは冗談というか、まったく本気で言ってないので、そんな睨まなくても」
「今どう見ても飛び降りようとしたじゃないか」
「違いますー急に声がしたからビックリしたんですー!」
「へー、そりゃ悪かった」
 マジで死ぬかと思ったわ。いや……まあ、死のうかと思わなかったというのは嘘になるんだろうけれども。だって解決しようのない苦悩を抱えている時にはそれが最も手っ取り早く簡単な解決法だからね。
 でも単なる思いつき、衝動的な気持ちでしかない。実行しようなんて気はまったくないのだ。そう主張してみたものの疑わしげな顔をやめないマッシュは、私の襟首を掴んでずるずると崖っぷちから引き離した。助け方が優しくない!

 もうすぐ会議があるだろうに戻らなくていいのかと尋ねたらマッシュは「聞いたって難しい話は分からん」とあっさりしたものだ。分からなくても仲間の一員として一応は参加すべきだと思うのだけれども。
「そういうお前はどうして他人事なんだ?」
「えっ? まあ、私は部外者みたいなもんですから」
 非戦闘員だし、何より物語の登場人物ではない。ティナを助けようとは思うけれどもリターナーという組織に加わるつもりは更々ないのだった。
「俺もリターナーについてはどっちでもいいけどな」
 ただ兄貴の手助けをしたいだけだと言うマッシュは確かに私と立場が似ているかもしれない。どうでもいいが話しながらそこらの岩に腰を落ち着けてしまった彼は私を一人にしてくれるつもりなど更々なさそうだ。空気読めないのか空気読まないのかどっちなんだ。
「あの、何か用事ですか?」
「うん? ちょっと話がしたくなっただけだ。さっきのは驚いたぜ。ミズキはバナン様に個人的な恨みでもあるのか?」
 口が悪すぎてビックリしたと豪快に笑われてしまった。……実のところマッシュがパーティーに加わった辺りからバナンの言動を思い出してはフラストレーションを溜めていたせいで、予期した以上の大爆発を起こしてしまったのだ。本当はあそこまで言うつもりはなかった。怒りが怒りを呼んで収拾つかなくなったのです。
「私は博愛主義者だから、この世界の生きとし生けるものすべて大好きですよ。人も動物も植物もモンスターも何もかも。……ガストラとバナン以外は」
「どうしてそこまで嫌ってるんだ」
「嫌ってはいないけど、好きじゃないだけです」
「はぁ〜、その程度であそこまで悪意を向けられるなら大したもんだよ」
 言えた義理じゃないのは分かっていた。バナンは現状でやれるだけのことをやっている。それが「ティナを傷つけてる」なんて責めるのはお門違いだろう。やつの一番はティナではないのだ。それに私だって、彼女に叩きつけられる酷い言葉を予め知っていながら止めもせず無視したじゃないか。

 手持ち無沙汰に立ち尽くしていた私にも隣へ座るよう促して、マッシュは何やら言おうか言うまいか考え込んでいるようだった。なんか嫌な予感がする。
「なあミズキ」
「はい」
「お前は何を抱え込んでるんだ?」
「エッ? それはもう荷物持ちなので予備武器やらポーションやらいろいろ抱えてますけど」
 すごく冷静な瞳で見つめられて思わず口を引き結ぶ。マッシュ、普段はとくに愛想がいいだけに真顔がとても怖い。川に飛び込んで逃げたい。そんな願望を鋭く察したのか腕を思い切り掴まれてしまった。痛いです。
「お前の素性は大雑把に聞いてるけど、帝国の機密事項に関わってたようには見えないよな。緊張感がなさすぎる。陰謀や策略、危険とも無縁の平凡な生活を送ってきたって感じだ」
「私の役目はティナの身の回りの世話をするくらいで周りの人とも関わりがなかったですし、正直言って機密事項なんて何も知らされてないですよ」
「つまり、いくらでも替えの利く仕事だろ? 帝国にとっちゃお前は消耗品だ。でも、いつ殺されるかも分からないような状況に置かれたことなんてないよな。ミズキは危険に鈍感すぎるんだよ」
「……」
 やはりその辺りエドガーと兄弟なのだなと思ってしまう。ロックは干渉せずにいてくれた。エドガーは有耶無耶にしてくれた。でもマッシュは是が非でも聞き出すつもりでいるらしい。
 害のないものだとしても嘘は嘘。全員に放っといてもらいたいというのはさすがに身勝手だろうか。
 マッシュになら話してもいいのではという気持ちは正直、少しだけあった。エドガーはフィガロ国王でロックはリターナーの一員でと、それぞれ背負っているものがある。私が未来を知っていることがバレたらそのシナリオを自らの属する組織のために役立てようとするだろう。筋書きが変わってしまうのが怖いんだ。
 しかしマッシュにはその心配がない。

 たとえば、だ。人や物事を動かせるだけの人脈と権力を持つロックとエドガーに先の展開をネタバレしたとしよう。あの二人はどうするだろうか?
 帝国は現在サウスフィガロに結集してナルシェを目指している。残りはおそらくドマ王国を攻略中。私たちはナルシェを無視して直接ラムウに会い、無防備なベクタに飛んで幻獣たちを奪還することもできる。
 ナルシェの街とヴァリガルマンダは奪われるかもしれないが、多数の魔石を得られるなら逆転は充分に可能だ。ついでにシドを誘拐でもしてやれば帝国は幻獣を魔石化する技術を開発できないかもしれない。
 ドマを攻めていたケフカが幻獣奪取のためナルシェに向かっている隙に封魔壁を開いてしまうことさえ可能だ。その段階ならガストラに知られず幻獣の協力を得て皇帝とケフカを殺すのも容易。……それで、その先は?
 帝国が瓦解すれば世界は崩壊せずに済むのか。或いは第二のケフカともいうべき存在が生まれてきて結局は同じ轍を踏むのか。でなければ想像し得ないもっと悪いことが起きるのか。もしかしたら「みんな平和に暮らしました、めでたしめでたし」となるかもしれない。
 何も分からないのだ。規定のシナリオを逸れた世界がどうなってしまうのか。
 最悪の場合を想定する。もしもケフカではなく知らない誰かが三闘神の力に手を伸ばしたら、いつ何をするのか予想ができない。ケフカを倒してエンディングを迎えるように別の誰かを必ず倒せるという保証はない。またケフカが違うタイミングで神と化しても同じことが言える。
 不測の事態に対処できるのか? できなければ世界は本当に滅びかねない。
 定められたシナリオに沿っていれば悲劇を演じながらも必ずハッピーエンドに辿り着く。だが道を外れてしまったら、未来は白紙になる。そこに描かれる絵が世界の破滅だとしても私には避ける方法が分からない。
 私は世界が崩壊することを知っている。そして崩壊の後に世界を絶対に救いたければ、成り行きに身を任せるしかないことも知っている。……未来を救うために現在を見殺しにしろだなんて、“この世界の人”には言えないじゃないか。

 私が神妙な顔で黙りこくっていると、マッシュは困り顔で頭を掻いて、やがてぽつりと呟いた。
「あのさ。バルガス……俺の兄弟子をどう思った?」
「……へ?」
 なぜ急にバルガスなのかと呆気にとられる。唐突な話題で油断させておき隙を見せたら核心をついて尋問する気なのでは、なんて身構えたが、マッシュは普通に亡き兄弟子の話を始めた。てっきりどうにかして私の嘘を暴こうとするものと思っていたのに意味が分からない。
「俺がダンカン師匠のもとに身を寄せたのは城を出てすぐだった。当時は今よりまだ体も弱かったし、頼りない同居人って扱いだったからバルガスは優しかったよ。飯の作り方やら掃除の仕方やら全部教えてくれて、稽古もつけてもらったし、サンドワーム狩りにも付き合ってくれた。ひねくれてたけど悪いやつじゃなかった」
「それはマッシュが修行を始めて、その……むさ苦しくなってからも同じように接してくれたんですか?」
「ひでぇ言い草だな。ま、いいや。お察しの通り、俺が武術を学び始めるまでの話さ。病が癒えた俺がやっとマトモな修行に入る頃、バルガスは父親に反抗し始めた。俺の体力作りも兼ねた稽古がまだるっこしくなったのかもしれん。師匠を無視して自分勝手に修行を始めて、普段の生活でも傲慢になってきたんだ」
「下剋上を恐れていたんでしょうね」
「でも彼が真面目に修行を続けていたら、俺は勝てなかったと思うぜ。……師匠を殺したと言われる前日まで俺は彼をもう一人の兄貴のように想っていた」
 うん? そうか、考えたことがなかったけれどダンカンを殺したというのはバルガス本人に聞かされたのか。マッシュが死体を見てたら生きてると気づいたはずだし、見ていなければ単なる行方不明だと思うはずだもの。わざわざ律儀に父親殺しを弟弟子に宣言したのはバルガスなりに自分の強さを示したんだろうか。
「お前たちにとっては、いきなり襲いかかってきた冷酷な卑劣漢でしかないだろう。でも俺は彼の違う側面を知っている。いいところも悪いところも。こうやって誰かに彼の記憶を話すこともできる。俺の中に彼の生きた足跡は残されている」
 確かに、友達が大勢いたとは思えないようなやつだから、バルガスがどんな人間だったかをちゃんと知っているのはダンカン夫妻とマッシュだけだろう。彼らがいなければ、そんな存在がいたことさえ誰も知らずにーー

 ……ぞくりと背筋が粟立った。それは私が“この世界にいる”という馬鹿げた現実を理解した時と同じ感覚だった。ティナに名前を呼ばれるまで自分の存在が、輪郭がひどくぼやけて、……私というものが本当に此処に在るのか、分からなくなっていた。
 世界との繋がりが無いのに気づいた瞬間。こうして思考している“私”を誰も認識していないなら、それは存在しないことと同義だ。ここには“ミズキ”を知る人はいない。
「たぶん俺たちはこれから戦争に加わる。もし何かが起きた時、ミズキという存在について誰も何も知らなくて……お前はそれでいいのか?」
 家族も友達もここには無い。生まれ育った故郷も懐かしき我が家もここには無い。私が誰なのか、どこから来たのか、誰も知らない。私の存在など何かの錯覚、夢幻ではないのかと疑った時、否定できるものがひとつもない。
 この世界で迂闊にも死んでしまったとしたら、私が生きていたことなんて、誰も知らない。
「わ……私は、それでも、」
「『言いたくない』と『言ってはいけない』は違うぜ。それとも誰かに脅されてるのか?」
「……いや」
 言うべきではない。これが物語だなんて。世界が崩壊するなんて。それも決められた通りのシナリオだから、見なかったことにしろなんて。だって私はエンディングまで行かなければいけない。でも……。
「吐き出せばいい。俺は誰にも言わない。もちろん兄貴にも、だ。聞いた言葉のすべてを胸の内に封じておくと誓う」
 崩壊を、止めようと思えば止められるのにそうしてはいけない。最後に必ず世界を救うために、大勢の人の死を見過ごさなければならない。そんな真実は私一人で抱えるには重すぎた。
 始めから私の手には余る途方もなく大きな荷物だったのだ。そんなことはずっと前から分かっていたのに。




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