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期待の中に隠れる


 確かコルツ山の麓にダンカン先生が居を構えていたはずだ。もし彼の助力を請えるならば心強い味方となるだろう。そう、思っていたのだが……生憎と小屋はもぬけの殻だった。どうも数日の間どこかへ出かけているらしく庭の周辺は廃墟のような有り様だ。
 伸び放題になっている草に足をとられながらロックが不機嫌そうに呟いた。
「こんな辺鄙なところに誰か住んでるのか?」
「隠居老人か修行僧くらいなら生活できそうですね」
「ミズキ、隠居老人って何?」
「優秀な跡継ぎが見つかったおかげで自分の仕事もなくなり趣味も交友関係もないので後はひたすら残る人生を浪費するしかない人のことだよ」
「それは極端に言いすぎだろ……」
 好き勝手なことを言い合っている三人を無視して小屋の中へ足を踏み入れる。途端に嗅ぎなれた花の香りが広がった。家人が帰らないのに咲き続けているこの花は……?
 誘い込まれるように部屋の奥へと進み、テーブルの上にあいつの愛用していた食器を見つけた。フィガロを出る時に持ち出したもの、数少ない母親の形見の茶器だ。それにティーポットの底に残っているのはあいつの好きなお茶ではないか。よほどの急用だったのか飲みかけのまま放置されている。
 まさか、マッシュがここに? いや、確かに城を出たあいつが師であるダンカン先生を頼っていたとしてもおかしな話ではない。ほんの数日前まであいつがここにいたのだ。
 戦火はフィガロにも広がりつつある。国のことも、私自身もどうなるか分からない。もし本当にあいつが近くにいるなら、もしマッシュが……。
 知らず知らず浮き足立っていたようで、ふと我に返るとミズキが真顔で私を見ていた。慌てて表情を取り繕えば「今さらカッコつけられても」などとぼやかれてしまう。いかんな、今は私情に構っている時ではない。

 小屋の外に出ると、見知らぬ老人が胡散臭そうにこちらの様子を窺っていた。ダンカン先生の知り合いだろうか。何か事情を知っているかもしれない。
「ちょっと失礼。この辺で私にそっくりな男を見なかったか?」
「ほいほい、マッシュのことなら知っとるよ。三日ほど前にお師匠のダンカン様が殺されてねえ。その直後に山に登ったのさ。バルガスも行方知れずで、ここもこんなに荒れちまって」
「そうか……ありがとう」
 ダンカン先生が殺されただと? まさか、あの大地の裂け目に挟まれても死なないであろう頑丈な先生が簡単に死ぬわけがない。それにバルガスといえば先生の一人息子の名ではなかったか。
 師が殺されその息子も行方不明。マッシュは彼を探しに出かけたのか。どうやらよほどの厄介事に巻き込まれているらしい。
「ねえティナ、マッシュって、フィガロで聞いた名前だよね?」
 老人の言葉を聞いてミズキは何やら期待に満ちた目でティナを窺うが、ティナの方では城で聞いた話を覚えていないらしく首を傾げていた。周りへの無関心は相変わらずのようだ。ミズキは少し肩を落としている。

 小屋を眺めて立ち尽くす私に背を向けて、ロックは先に歩き出した。
「悪いが、戻るのを待ってる時間はないぜ」
「……分かっているさ」
 帝国が今後どのような動きを見せるにしろ、我々は急いでティナをリターナーのもとへ連れて行かなければならない。戦争に加わるなら尚更、私事に囚われている場合ではないのだ。
「エドガー?」
 呼ばれて我に返ると、ミズキが心配そうにこちらを見上げていた。呆けてしまっていたかな。いつものように微笑んではみたが彼女の表情を見る限りまったく誤魔化せていないだろう。
「ダンカン先生に助力を願うつもりだった。……亡くなっていたとは」
「マッシュには頼めないんですか」
「城であいつの話を聞かされたかい? 本当のことを言うと、フィガロの弟王子は家出したんじゃない。兄貴に追い出されたのさ」
 もちろん、あの時から先生に弟子入りしていたのならマッシュも我々の有力な味方となり得るだろう。しかしいつ戻ってくるかも分からないのであれば待つ余裕は……いや、そもそもあいつに合わせる顔などないじゃないか、私には。
 一人で背負うと決めたくせに国を守ることもできず、帝国に尻尾を振り続けて拾った表向きの平穏さえもはや失いつつある。今度はいたいけな少女を手土産代わりにしてまでリターナーのご機嫌伺いだ。
 不甲斐ない。今さらどんな顔をしてあいつに会えばいいのだろう。
 騙して城を追い出し、その後なにひとつ手助けもしてやらなかった俺のことを、あいつは今でも兄だと思ってくれるのか。

 寂しげな無人の小屋をもう一度だけ見上げ、先を行くロックたちを追って歩き始める。ミズキもその後に続いた。振り向いてはならない。しかし、ミズキが小さく囁く声につい足を止めてしまう。
「でも、ここにいるのがマッシュの答えじゃないのかな」
「何?」
「兄貴の役に立つために城を出ても近くにいたんだと思いますけどね」
「……それは」
 考えたこともなかったな。互いに連絡を取り合おうとはしなかったから、マッシュは俺を恨んでいるかもしれないと。しかしダンカン先生のもとで修行に励んでいたのは何のためだ?
 あいつの部屋に飾られていたのはフィガロの砂漠に咲く花だった。乾ききった大地で生きるため、地下深くの水脈から水を吸い上げて茎に溜め込む性質を持っている。これを見つければ水筒代わりになるとフィガロでは重宝されているものだ。
 だが、花の咲く近辺は水を求めてサンドワームが巣を作りやすいという難点もあった。群れになり旅人を襲うやつらを退治するのは我が国の武人の務めだ。
 あの花が飾られているということは、マッシュはおそらく折を見て砂漠に入ってはサンドワーム狩りを続けていたのだろう。俺たちの国を守るために。
 昔から、かつて追い出した弟への言い訳ばかり探していたが、考えてみるとあいつが俺の気持ちくらい分からないはずがない。恨まれているかもしれないと疑うのは弟への侮辱ではないのかとミズキの言葉を聞いて思う。
 もう継承争いが起きそうだったあの頃とは違う。あれから十年にもなるんだ。そろそろ……会うべき時期なのかもしれないな。

 コルツ山の中腹に差し掛かった辺りでミズキの歩く速度が明らかに落ちた。ここは武道家が修練に使うこともある険しい山だ。体力のない彼女には厳しいだろう。
 あまり急いでは山酔いしてしまう。一番遅いミズキを先頭にして彼女のペースに合わせたいところだが、行く手を阻むモンスターのことを考えるとそういうわけにもいかなかった。
 ロックが先行して道を警戒し、ティナはミズキの後ろを歩く。危険がありそうなら私とティナがミズキの前に出るという方法でゆっくりと進んでいる。……これもまた、彼女の負担になっているようではあるのだが。
 段々と口数が減っているのは疲れのせいだけとも思えない。自分が足手まといになっている事実をかなり苦々しく感じているのが手に取るように分かる。分かっているのに、どうしてやることもできないのがもどかしかった。
 本来なら山頂に着く前に一度休息をとっておく予定だったが、どうやらそれはできないようだ。道の先を偵察していたロックが戻ってきて私の隣に並び、少し前にいる二人には聞こえないよう声を潜めた。
「やっぱり、まだ近くにいるみたいだ」
「そうか。まあ、まさか帝国兵ではないだろう。単なる野生の獣ならいいんだが」
「人間のような気がする。でも動きが速くてよく見えないんだよな」
 少し前から我々の後をついてくる存在があったのだ。ティナもミズキもまだ気づいていない。始めは偶然かとも思ったが、これだけ頻繁に目撃するとなると何らかの意図をもってこちらの様子を窺っているのは間違いなかった。
 モンスターならすぐにも襲ってくるはず。帝国の追っ手があれほど俊敏だとは思えない。では一体、何者が、何のために? あれが危険かどうかも分からないまま足を止めてテントを張るわけにはいかなかった。
 ミズキに無理を強いることになるが、どうしても動けなくなったらティナの魔法で癒してもらい強行軍で山を越えるしかないだろう。
 そのためにというわけじゃないが、道すがら襲ってくる魔物との戦いではティナの魔法を温存してもらっている。あれは恐ろしいまでに強力だがその分ティナの消耗も凄まじいのだ。雑魚に無駄打ちするのはもったいないというのがミズキの意見だった。
 そういえばミズキはティナが魔法の火をあと何回放てるかをおおよそ把握しているようだ。世話係をしていたというのは嘘かもしれないと疑っていたのだが、そんなところをみるとやはり本当なのかとも思う。
 ミズキは妙なやつだ。世間知らずなようでいて妙に世慣れたことを言う。初対面なのにまるで旧知の仲であるかのような錯覚が起きるほど心が通い、かと思えば何を考えているのかさっぱり分からない時もある。
 彼女を判断してくれというロックの頼みは、実のところまだ果たせていなかった。




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