YES & NO
酸欠状態に陥っていた城内の人たちも、軽度の人は城が浮上すると同時に復活し、重度の人も手分けして回復魔法を唱えることでなんとか治療できた。
念のために一晩様子を見てから明日の朝になっても異常がなければコーリンゲンに出発することになる。
ショックなのは、ケアルで意識を取り戻した神官長さんがエドガーの顔を見た途端にまた卒倒してしまったこと。
「あ〜もう、どうしよう……まさかこんなことになるなんて……」
原因は私だった。エドガーの髪がくすんだ銀色に染まっている、彼女はその衝撃で倒れたらしい。それで私はベッドに座ったまま頭を抱えるはめになっている。
ぐずぐず悩んでたらエドガーが隣に腰かけて頭を撫でてくれた。傍目に見て思わず子供扱いしたくなるほどへこんでるんだ、私。情けない。
「サクラが気に病む必要はないよ。ばあやは俺が昔なんとなく髪を切った時も『フィガロの至宝をなんとなくで傷つけるなんて!』と嘆いて寝込んだからね」
「うぅ……フィガロの至宝を勝手に染色しちゃった……」
「変装の役に立っただろう? さっきのはただタイミングが悪かっただけなんだ」
命に別状はないし、酸欠で倒れたのとは事情が違う、気にするなとエドガーは言う。
普段だったら私も髪を染めたくらいで倒れる過保護っぷりに苦笑するだけで終わったとは思う。ただタイミングが悪かっただけってのは本当だ。
でもそれだけじゃない。神官長さんの体が心配なのとは別に、エドガーの髪を染めたことに私自身が罪悪感を抱いてるんだ。
銀色はもう薄くなって元の金色に近づいてきたけど、まだ完全にきれいな金髪とはいかない。
あっちの世界だとシャンプーで洗ってるから色落ちが早いのかな。変装中は長持ちしてありがたかったけど今となってはそれが煩わしい。
「元の髪色に戻るまで結構かかっちゃうかもね……」
「君はこの色が気に入ってるのかと思っていたが」
「そりゃ銀髪のジェフもかっこいいけど、エドガーはやっぱ金髪の方が好き! だってそれがエドガーの色だもん」
早く戻ってほしいと言ったらエドガーはなぜか重くため息を吐いた。
「俺には気障な口説き文句をやめろと言っておいて、君は気軽にそんなことを言うのか」
「えっ? な、なんでそういう話になるの」
私はただ本来の姿の方がいいって言っただけでそんなの口説き文句には……なるか。
レディ扱いされて口説かれたくない理由なんて簡単なことだった。
だってエドガーにとっては“目の前にレディがいたら口説くのは礼儀”なんだ。どんな言葉をかけられてもそれはエドガーが“私”を好きだってことにはならない。
なのに私だけが意味のない言葉にいちいち舞い上がってしまう。そんなの……悔しいもん。
この世界に戻ってきて、エドガーが気障ったらしい台詞をぶつけてこなくなったのは嬉しかった。ううん、嬉しいと思ってた。
だって無闇にドキドキさせられなくて済むし、恥ずかしい思いもしなくていいんだから。
でも嬉しくない事態が起きたんだ。
当然なんだけど、男装してる私をエドガーは男扱いした。そのくせ酒場のお姉さんや宿のお姉さんや道具屋のお姉さんは相変わらず“美しいレディ”で。
無性にムカついて堪らなかった。
私は結局、エドガーにレディ扱いされるのが嫌だったんじゃないんだ。
誰にでも言う口説き文句じゃなくて、レディとしてじゃなくて、私のことだけを本気で好きになってほしかった。
それは私が、馬鹿みたいなヤキモチ焼いちゃうくらいエドガーのことを好きになったから。
そして……私のことをべつになんとも思ってないなら、勘違いさせるようなこと言わないでほしかった。
「……エドガーって、結婚してもナンパはやめないの?」
ふと聞いてみるとエドガーはいきなりの質問にビックリしていた。
なんかもうライフワークになってるんじゃないかって気がするんだけど。
たっぷり考えてからエドガーは重々しく首を振る。
「妻として女性として愛するのは一人だけだよ。しかし他のレディにわざと冷たく当たるような真似はしたくないね。愛を捧げるのと紳士的に優しくするのは別のことだろう?」
「それはそうかもしれないけど、きっとエドガーの奥さんになる人はいい気がしないと思う」
「本当のところは俺の奥さんになる人に聞いてみなければ分からないな」
続く言葉は、なんだか悲しげだった。
「尤も、結婚すべき相手は未だ見つかっていないがね」
結婚すべき相手。結婚したい相手じゃなくて。エドガーは、ただ好きな相手とは結婚しないのかな。だから結婚した後でも変わらずいろんな女の人に優しくするの?
「私がエドガーの結婚相手を選ぶなら誰? とか前に聞かれたよね」
「ああ。俺が誰を好きかによると君は言っていた」
「そのことだけど、わ、私とか、わりとおすすめ……です」
言ってみてからあまりの恥ずかしさに思わず俯いた。おすすめできる要素なんか、ない。そうじゃなくて私は。
なけなしの勇気を振り絞って顔を上げる。エドガーはなんだか強張った表情で私を見ていた。
「私はエドガーのこと好き。結婚とか考えたことないけど、ずっと一緒にいられたら嬉しいって思うよ」
向こうの世界に戻された時、次に飛ばされるとしたらエドガーのところだって確信があった。
会話の半端なところで離れちゃったせいだと思ってたけど、改めて考えれば単純に“次に飛ばされるとしたらエドガーのところがいい”と思ってたんだ。
硬直したみたいに私を見つめていたエドガーが、不意に目を逸らした。
「俺はずっと、好きな人とだけは結婚するまいと思っていたよ」
「ど……どうして? 好きなのに結婚したくないって変じゃない?」
「俺の妻になれば嫌でも政に巻き込まれる。本当に愛している相手には、背負わずともいい責任を負わせたくない」
なんだそれ。なんだ、そのひねくれた考え方は。
「じゃあ、そんなに好きじゃないんだよ」
「何だって?」
「そんなのは、本当に愛してないんだよ!」
真っ向から誰かを否定するのは初めてで、エドガーの困惑した顔を見ると心が挫けそうになる。でも今のは絶対に受け入れられない言葉だった。
「背負わなくていい責任ってなに? エドガーのこと本気で好きなら、責任とか身分とか地位とか、そんなの我慢できる……っていうか、そういうの全部含めて好きってことでしょ」
良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も。……好きだから、どんな時でも支えたいと思う人だから、結婚するんじゃないか。
「言い訳して抑えられるような気持ちなら本気で好きになったわけじゃないんだよ。だって私は、私はそんなことで抑えられない!」
呆然と私を見つめるエドガーに、無性に腹が立った。酒場のお姉さんに妬いた時とは比べ物にならないくらい。
この人は、いっつもレディを誉めまくって口説き倒すくせに、本当には人を信じてないんだ。
エドガーのためになら何だってできる人間がいるってこと、分かってない!
「確かに私は王妃に向いてないと思う。政治のこと知らないし礼儀作法もなってないし、何が足りないのか全然分からないくらい王妃に相応しくないよ。でも、」
息が苦しい。地上に出たけどまだ酸素が薄いのかもしれない。大きく息を吸わなきゃ次の言葉も出てこない。
「でも私は、王様を好きになったら大変なんて理由で諦めない。そんなの承知でエドガーが好きなんだよ! 一緒に苦労させてよ!!」
言い切った! って達成感と、叫んだから苦しいのとで息が荒くなる。
そして我に返った。いや、私がエドガーを好きなのはともかく私と一緒に苦労していいと思うかどうかはエドガー次第だし。
私じゃなくたって、エドガーのこと本気で好きな上にちゃんと王妃に相応しい人だってきっといるし。
「あの、えっと、でも他に好きな人がいるとかなら仕方な、」
慌てて弁解しようとしたところへ腕を引っ張られてエドガーの方に倒れ込む。
体を起こしたら整いすぎてる顔が間近にあって混乱した。
「俺はサクラが好きだよ」
「は……」
意味が頭に浸透するまで長くかかった。
だってエドガーは笑顔を浮かべてない。レディの気を良くするあの表情じゃない。それに歯の浮くような台詞もない。飾り気も素っ気もないシンプルな言葉だったから。
私を好きだって、ただそれだけの本音。
顔が爆発したかと思った。一気に染まった私の頬を見てエドガーは嬉しそうに微笑んだ。
「これからずっと俺のそばにいて支えてくれるかい? 手始めに今夜、ここで」
「え? え? 今夜って、エドガーも、ここで寝るの?」
「俺の部屋だからね」
普通に案内されたから前に泊まったのと同じような客室のひとつだと思ってたけど、よく見たら確かにめちゃくちゃ立派な内装だ。
これからずっとそばにいて。もちろんイエスだ。手始めに今夜、ここで? それは……。
「さ、最初のはいいけど後のは、そ、そういうのは、まだ早いと思います」
「結婚前だから?」
「えっ! そうじゃなくて……だってまだジェフなんだもん……」
しどろもどろになりながらなんとか答えたら、エドガーは失礼なことに噴き出した。
「な、なんで笑うの!?」
「すまない、予想外だったものだから。……しかし今のは“髪色が戻ればイエス”と聞こえるね」
そういうつもりで言ったんじゃないけどそういう意味じゃないとも言えなくて、もうなんだかいろいろ無理だから勢いよく立ち上がる。
「あ〜〜、今夜はセリスと同じ部屋で寝よっかなっと!」
「残念だな。それじゃあ“今夜は”ゆっくりおやすみ」
「ううぅう、おおお、お、おやすみなさい!!」
そんな意味深に言わないでよと心の中で叫びながら部屋を飛び出した。去り際、エドガーはベッドで笑い転げてた気がするけど振り返る余裕はなかった。
あれ……髪が金髪に戻ったらどうしよう。もうヘアカラーは残ってないのに。
潜行モードの機関室並みに爆音が鳴ってる気がする心臓を宥めながらセリスが泊まってる部屋のドアを開ける。
セリスは寝る準備を終えてベッドに入っていた。隣のベッドにマッシュが腰かけてた。瞬間的に「お邪魔しました!」とか思ってしまった。
「サクラ、どうしたの?」
「あ、私もこっちで寝ようかとっていうか二人とも同じ部屋って! いいのそれ、若い男女が!?」
そういえば孤島イベントがどうなったのか知らないけどまさかセリスはロックの生存を諦めてマッシュと!? なんて頭がぐるぐるし始めた。
でもとうの二人はキョトンとして顔を見合わせてる。
「考えたこともなかったわ。言われてみればそうよね」
「俺は若い男に入るのか? というか、ニケアまでずっと二人だったし、今さらだよなあ」
はっ、確かにツェンで再会してからセリスとマッシュって二人旅なんだ。ゲームではほとんど一瞬の出来事だけど、盗賊たちがニケアに来るまでの日数を考えたら少なくとも二週間くらいは二人きりだったはず。
……でもなんでかな。全然“男女”って感じがしない、この二人。
首を傾げつつ、セリスは当たり前のように言った。
「私もエドガーと同室はさすがに遠慮するけど、マッシュなら安心よね」
「な、なるほど!」
「俺が信用されてるのか、兄貴の信用がなさすぎるのか……」
そういえば私だって野宿の時はマッシュの隣で寝ても平気だった。ドアを開けた瞬間はビックリしたけどこうして見ててもセリスとマッシュに危うい雰囲気はない。
異性として見るかどうかってことなんだ。そして私は、自覚がなかっただけでもうずっと前からエドガーのことを意識してたみたいだ。ってことに気づいて、また心臓が暴れ始めた。
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