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人間のためのプログラム


 誇り高き我らがフィガロの城を遥々訪ねてくるのは旧友か余程の用がある者だけだった。砂の海に囲まれた孤城は確かに交通の便が悪く、客足は自然と遠ざけられる。
 客人に訪問を嫌がられ、なぜこんなところに住むのかと呆れられるのが常だが、実のところ自分ではこの不便な立地を気に入っていた。拡大し続ける帝国の領土に飲まれず我が国が今も自らの足で立っていられるのは、砂漠という名の鎧を纏っているからなのだ。
 砂漠の真ん中に居を構えた先祖を誇りに思う。照りつける日差しは母の慈愛、流砂の音は子守唄。我々は砂漠の民だ。どれほど敬遠されようともこの暑い砂の上こそが愛しき我が家なのだから。
 しかし故郷への愛着を他人に押しつけるわけにもいかない。砂漠の旅がつらいという他国人たちのため、使者との謁見や商談等大抵の仕事はサウスフィガロかコーリンゲンで済ませることにしている。そうしてまた我が家を訪れる者は減少の一途を辿るのだが。外へ出る機会の多い私はともかく城に勤める者たちは刺激のない日々に飽々していた。
 そこへきて昨夜、監視塔から来客の報せがあった。久々の客人たちが城に到着したのは今日の昼前だ。すでに馴染みとなっているロックと、そして方々から注目を集めている魔導の力を持つ娘、加えて予定外にもう一人のレディ。
 城内は水を浴びたような活気に満ちている。うちの者たちはいつでも客人を待ち望んでいた。ロックはともかく二人もの麗しき女性を迎え、歓待の腕を振るえると侍女から厨房係からいやにはりきっている。
 皆の顔が生き生きとしているのを微笑ましく眺める時、やはり外界から隔絶されていることによる安全性を捨てても人の出入りを増やしたいと考えてしまう。

 簡単な打ち合わせを済ませて戻るとレディ二人はそれぞれ別行動をとっていた。心細さから離れたがらないだろうと思っていたので少々意外だ。
 魔導の力を持つ少女は一人で城内を探索しているらしい。操りの輪をつけていた影響で記憶がないと聞いたが、無気力になっていないのは良いことだろう。対して彼女の世話係を勤めていたというミズキは、歩き疲れたからと先に部屋で休んでいるようだ。
 ロックの話によれば、ミズキは帝国首都ベクタにほぼ監禁状態でティナの世話をしながら暮らしており、戦闘はおろか街の外を歩いた経験もろくにないのだという。それでナルシェからここまでの旅はさぞや辛かったに違いない。できる限りのもてなしをしてあげなくては名が廃る。
 そして休息をとった後には、あのティナという娘をバナンのもとへ連れて行く。我がフィガロの重鎮たちと腰の重いナルシェ長老を動かすためには彼女の力が必要だ。そしてその話を円滑に進めるためには、ティナの保護者であるミズキをきちんと味方につけておかなければいけない。
 ミズキの素性は概ねロックに聞かされたが、同行させるべきかの判断はこちらでしてほしいとも頼まれていた。あいつの勘は意外と頼りになる。敵ではないと認めたにもかかわらず、ロックを迷わせる何かがミズキにはあるらしい。
 休息を邪魔するのは気が引けるがミズキと話をしようと思う。彼女をどうするべきか、その人となりで決めなくては。

 部屋を訪ねてみるとミズキは開きっぱなしの本を前に頭を抱えて唸っていた。いろいろと心配になる光景だ。もちろん事前にノックはした。声もかけたが、よほど熱中しているのか彼女はこちらに気づいていない。
「……大丈夫かい?」
 すぐそばまで寄って軽く肩を叩くと椅子から落ちんばかりの勢いで驚かれてしまった。正直、こういう反応は不慣れだ。ミズキには先ほども無視されてしまったし、ティナの無反応ぶりを見てもどうやら今日は調子が出ないらしい。それとも私は嫌われているのか?
 声をかけられてわたわたと慌てふためいていたミズキはひとまず読んでいた本を閉じて立ち上がり、私に向かって思い切り頭を下げた。
「あ〜〜、あの、さっきは話聞いてなくてごめんなさい。今もだけど、ちょっとボーッとしてたみたいで、悪気はなかったんです!」
「気にすることはない。疲れているところを邪魔してすまないね」
 警戒されていたのかと思ったが、無視されたのは単に聞こえていなかっただけらしく安心した。しかしボーッとするにも程があるんじゃないか。もしや熱中症になりかけているのでは……。
 もうじきに侍女が冷たいものを持ってきてくれるはずだ。砂漠での疲れが癒されるといいのだが。

 よくよく見るとミズキの服は変わっている。布も上質で細かな装飾や刺繍が多い。如何に帝国が裕福とはいえ一般人が着られるものとは思えなかった。上層部で秘匿されていた存在だというのは本当なのかもしれない。
 しかし気になるのは他のところだ。汗と砂にまみれる砂漠の旅を世の大半のレディは非常に嫌がるものだが、ミズキやティナが例外だとも考え難い。今回は突然の訪問だったのできっと彼女たちもまっとうな旅支度をする暇はなかっただろう。
 戦士であるティナはともかくミズキが早々に部屋へと引っ込んだのはこれも一つの理由ではないだろうか。
「着替えを用意させようと思うのだが、人を寄越しても構わないかな?」
 私の申し出に、ミズキは目を見開いた。
「あ、ありがとうございます。着の身着のままだからものすごく助かります」
 ロックのことだ、砂漠越えの装備は万全に整えていても同じ服を着続ける女性の苦痛にまでは気が回らなかったに違いない。これだけ早く到着したのだから街にも寄ってこなかったのだろう。
 私から見ればミズキもティナもまったく不潔だとは思わないが、女性というものは他人が思う以上に自身の清潔さを気に病むものだからな。

「必要なものがあれば何でも言ってほしい。私の城でレディに不自由な思いをさせるわけにはいかないからね」
「じゃあ風呂に入りたい」
 流れるように出てきた要望に今度は私が目を見開く番だった。風呂か。本来ならばロックから連絡が入り次第用意しておくつもりだったんだが、もう少しかかるものだと思っていたのでまだ水の用意もできていない。
 何でも言えと豪語したにもかかわらず言葉に詰まる私を見て、ミズキは焦ったように両手を振ってそれを撤回した。
「あああああい、今のは無意識の呟きで、要望とかじゃないから聞かなかったことに! 昨日は風呂入ってなかったなって思い出したらついポロっと……」
「昨日は、か」
 水は貴重だ。少なくとも我がフィガロでは何より得難い宝だ。入浴は至高の贅沢だった。しかし「昨日は」ということは帝国では毎日風呂に入っていたのだろうか? ……まさかな。仮にそうだとしてもそれはティナとその世話係であるミズキだけに許された特権だろう。
 いや、帝国が裕福だなどという問題ではない。レディに気を使わせるとは、とんだ失態だ。
「今すぐにと言いたいところなんだが、今日は無理なんだ。すまないね。明日の朝には用意をしておくよ」
「いやもうほんとお気遣いなく!」
 恐縮しきりのミズキだが、リターナー本部へ向かう前には二人とも身綺麗にさせてやれるだろう。出発の時には彼女らの着替えを多目に持って……そこまで考えてふと気づく。
 ミズキを連れて行くつもりなのか、私は。まだ決めてしまうには早いぞ。

「これからのことはロックに聞いたかい?」
 ロックはまだリターナーの名も出していないらしいが、彼女たちは先の予定をどこまで把握しているのだろう。自分の置かれた立場をどの程度理解しているかも分からないうちは迂闊なことは言えなかった。
 もしも彼女らがただ帝国から逃げて人目を逃れ、静かに生涯を過ごしたいと願っているとすれば、いきなり引っ張り出してバナンに会わせるような真似は避けたいと思う。
 ミズキは主人を待つ犬のように真摯な目で部屋の扉を見つめる。そこからまだ誰も戻ってこないと悟ると、微かに息を吐いて私の問いに答えた。
「私はティナのそばにいたい。だから、どうするかは彼女次第ですね」
「我々がどうするつもりかは知っている、という口振りだね」
「まあ、ある程度は想像つきますよ。フィガロに連れてきておいて同盟国である帝国に私たちを差し出す気がないなら、単純にその逆ってことじゃないかと思ったんですが?」
「なるほど」
 じわりと血が滲むようにミズキの声音に険しさが見えてくる。……なるほど。無垢な主人の代わりに彼女は理解している。我々が、あの娘を手土産にしようとしていることを。

 リターナーに加わることには同意しているのだが、正直言って“魔導の力を持つ娘”を連れていくのは気が進まないと考えていた。当人に会ってしまえば尚更だ。その能力を以て帝国の優位に立とうとするならば、ガストラのやっていることと同じではないか。
 しかし帝国から逃れるなら結局、リターナーに身を寄せるのが彼女にとっても安全だろうとも思うのだ。
「時に、あの娘はいくつなんだ?」
「ティナ? 18歳ですけど、精神的には生まれたても同然なのでむやみやたらと手を出すのはやめてくださいね」
「……」
 にこやかに牽制されてショックを受けた。今のはべつにそういう意味で尋ねたわけではないぞ。今のは、な。それにしてもロックめ、ミズキに何を吹き込んだんだ。これではまるで私が女性と見るや節操なしに誰でも口説く女誑しのようじゃないか。
 べつに否定はしないが。
「ティナは記憶喪失の影響で自分の感情がよく分からないんです。恋愛なんてまだ早すぎる」
「肝に銘じておくよ」
 もっとも単純な感情さえ理解していないティナは赤子に等しい。彼女に操りの輪がつけられたのはいつ頃だったのか、それ以前から彼女の周辺は人間性を育める環境ではなかったのだろうと想像する。
 ティナについて話す時ミズキは少し過保護なようだが、無理もないことだった。

 じっと私を観察していたミズキの目が不意に穏やかさを取り戻した。
「帝国と、戦うしかないんですか? もしフィガロが動かなければ他の国も……」
「……もしフィガロが動かなければ現時点で中立を保つ国々も動かないだろう。リターナーは戦力を拡大するための決定打をなくし、全面衝突は避けられる。そして世界は緩やかにガストラのものとなる」
 前線は徐々にここまで近づいてきており、我が国に対するガストラの態度も日に日に横柄になってきている。
 口約束の同盟が何の役に立つ。帝国が盤石の地位を築いてからではすべてが遅い。すでに三国が滅びている。東のドマ王国が敗北を喫するのも時間の問題だ。帝国の支配のもと、フィガロだけが自由を守れるなどという保証はどこにもないのだ。
 ミズキはそれ以上の言葉を継ぐことはせず、力なく頭を下げた。
「ごめんなさい、勝手なことを言いました」
「謝ることはないよ。君の気持ちも分かる」
 大切なものを守るためには戦わねばならない。だがその選択が正しいのかは、終わってみるまで分からない。本当に同盟を破棄してリターナーの手をとるべきなのか、私も未だに考えている。

「国と国のことなんて私には分からないし、口を出す権利もないけど、何も知らないティナを利用されるのは嫌なんです。帝国にも、他の誰にも」
 私にも……リターナーにも、か。
「自由に生きたければ自らの足で立たねばならない。だが、彼女にはその力がない。従うべき“自分の意思”が。君はそれが気がかりなのだね」
「せめて自分がどうしたいのか、考える時間があればいいんだけど」
 帝国ともリターナーとも関わりのない場所で自分自身を育み、そのうえで決断できたならよかった。
 私もロックも、おそらくはミズキも、すべての人がそうしているように、逃げるのか、戦うのか、諦めて他者の意のままになるか。自身の持つ力と望みを秤にかけて、自分の意思で道を決めることができたならば。
 だが強大な力のみを手にし、自らの望みを持たない娘は、ただ周囲の意のままに利用されるだけだ。
「無理強いはしない。彼女の意思を歪め、自由を奪うような真似はしないと約束するよ」
「……エドガーのことは信じてるけどね」
 ふと口調の変わったミズキに奇妙な感覚が芽生える。不敬と詰ってもよさそうなものだが、彼女の口から出てきた自分の名に違和感がなかった。まるで旧知の仲であるかのような錯覚が起きる、親しげな言葉。
 ドマの人間にも似た鋼の黒髪と切れ長の目……いや、やはり会ったことはないはずだ。女性の顔を忘れることなどあり得ない。
 ともかく、ミズキはティナの心を守る鎧になろうとしているようだ。未だ無垢で無防備な娘の未来が他人に操られることのないように、不届き者の行く手を阻む砂漠となって彼女の意思を育もうとしている。
 遠からずティナは決断を迫られるだろう。承諾以外の答えが用意されていない選択を突きつけられるはめになる。その時にせめてミズキが隣にいるべきだと思う。
 そうだな。二人とも連れて行くことにしよう。それが彼女の望みならば。




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