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金色の砂に溺れながら


 まだ酔うほどじゃない。しかしゆっくりと酒が回り、心地いい気分だった。
 束の間の休息というやつだな。休んでおけばその分だけ明日はしっかりと働けるはずだ。
 始めは酒なんて飲んでる場合じゃないだろうになどと言っていたマッシュも、何杯か飲み干した今はぼんやりと遠くを見つめている。
 あちらもまだ酔ってはいない。昔は親父に一口飲まされただけで目を回していたのにな。本当に、強くなったもんだ。

「ところで……」
 俺が改まって声をかけると、マッシュは杯を置いて姿勢を正した。
「明日には城をコーリンゲンに移動させる。今日のうちに、お前に確認しておくべきことがある。何だか分かるか?」
 キョトンとしながらマッシュが出した答えは、想像通り、まったく頓珍漢なものだった。
「ティナの居場所なら全然見当もつかないけど」
 思わずため息を吐いてしまう。……そりゃあ俺もティナの居場所は気になるが、今ここで俺たちが相談しても仕方ないだろう。コーリンゲンに渡ってから地道に情報を集めるしかない。
 捜索に打ち込むより先にマッシュが考えるべきは、ナルシェに残してきた彼女についてだ。
「サクラのことだ。ナルシェを発つ前、彼女が悲しそうにしてたのはなぜだろうな」

 ようやくマッシュが帰ってきて喜びを噛み締める暇もなく帝国軍が攻め寄せ、サクラはナルシェの老人や子供と共に避難するはめになった。
 あれほど待ち焦がれていたのにまたしても引き離されて、彼女はどれほど不安だっただろう。そしてティナを探すこの旅にも同行を許されず、サクラはナルシェで留守番だ。
 気をつけて、ティナをよろしくと言って笑った彼女は明らかに無理をしていたが、マッシュはいまひとつ理解できていないようだった。

「彼女が置いていかれることを本心から納得してると思うのか?」
 お前だって昔はよく、同じ気分を味わったはずじゃないか。
 自分だけどこへも一緒に行けない。皆が当たり前にできることが、自分だけできない。そばにいて助けたいのに自分にはそんな力がない。
 一人の部屋に籠ってただ待つことしかできない無力さと、その苦しさを知ってるはずだろう?
 彼女は王族でも軍人でもない、戦いを知らない普通の女の子だから、そんな淋しさは無縁とでも思っているのか。
「留守番続きだから、あいつがもどかしい気持ちを味わってるのは分かるけど……」
「分かってるならどうしてまた留守番させたんだ」

 西の大陸に渡ってティナを探す。兵士と戦うわけじゃないんだ、サクラを連れていく余裕はあった。
「戦えなくても人探しはできる」
「だけどナルシェにいる方が安全だ」
「分からないな。俺もお前もいるんだ。充分守ってやれるじゃないか」
 レテ川ではぐれて以来サクラがどんなに落ち込んでいたか、マッシュは知らない。淋しさを実感したくないがために無理して笑う彼女がどんなに痛々しかったか。
 ……コルツの修練小屋からは連れて来たじゃないか。それは彼女を一人にしておくのが心配だったからだろう。ではなぜナルシェに置いてきたのかと言えば、今回はカイエンたちがついているからだ。
 自分と共に連れ歩くよりもナルシェに残っていた方が、確かに身の安全は保たれるかもしれない。しかしサクラの心はどうだろうな。

「お前なりに彼女を気遣ってるのは分かるさ」
 サクラはどこか別の世界からやって来た娘だという。この世界のことを何も知らないのだと。だから彼女は、初めて出会った時に自分を受け入れてくれたマッシュにどうしようもなく惹かれたんだ。
 ナルシェに向かう時にティナとそんな話をしていた。……盗み聞きしたわけではないが。
「だが、どんなに気遣っても伝わらなければ意味はないんだぞ。彼女になんて言って留守番させたんだ?」
「普通に『お前は残れ』って言っただけだって」
「怒らないから、サクラに言った通りのことを教えなさい」
「もう怒ってるように見えるんだけど」

 怪訝そうにしつつもマッシュは素直にナルシェでのことを思い出している。
「えっと……確か『土地勘もないし、別行動になっても一人で戦えないからサクラは人探しには向かない』みたいなことだったかな」
「つまり『ティナを探す役には立たないからついて来るな』と言い捨ててきたわけだ」
「そ、そうは言ってないだろ!」
「同じことだろう? 自分が言われたらその言葉をどう受け止めるんだ」
「自慢じゃないけど俺は役に立つと思うよ」
 まあ、そうだな。でもそういうことじゃないんだ、マッシュよ。

 マッシュが強くて一人でも身軽に行動できるのはサクラだって分かっている。だからこそ“自分は役に立たないから置いていかれるのだ”と彼女は思っている。
「言い方の問題だ。危ないところに連れて行くのは心配だから君は安全なところで待っていてほしい、どうしてそれくらいのことが言えないんだ」
「そんなクサいこと言えるかよ!」
 何? これくらいで“クサい”のか? 今のはべつに普通だったと思うが……。

 まあ、とにかくだ。
 始めはダンカン殿の仇を探しに出かけたマッシュに置いていかれ、レテ川ではぐれたマッシュを探すこともできず、ようやく再会しても幻獣防衛戦から外され、今また留守番を命じられて。
 サクラは間違いなく、己自身に役立たずの烙印を押している。それが問題なんだ。
「もし俺がお前に、足手まといになりかねないから留守番してろと言ったらどう思う? 悲しくないのか?」
「うーん。不満には思うけど、兄貴がそう言うならそうなんだろうって納得するよ。だったらもっと修行して強くなるしかない」
「……」
 とてつもなく前向きな考え方だな。というか、心が強くなりすぎだ。自分が役に立てない事実に落ち込む隙すらないとは。
 ダンカン殿はマッシュをよく育ててくださったようだ。

「うん、まあ、分かった。でもな、サクラはお前とは違うんだ」
 自分に劣るところが見つかった時にすぐさま向上心を燃やせればいいのだが、精神修養をしていない人間がそうも容易く心を入れ換えるのは不可能だ。
 彼女はマッシュのそばにいられない自分の弱さに傷ついている。
「そりゃあいつは戦いの基礎も知らないし俺と違うのは分かるよ。……じゃあ、この機会に鍛えた方がいいかもな。自分で戦えれば俺がいなくてもいちいち怯えなくていいだろうし」
 彼女が強くなるべきだという意見には反対しないが、続く言葉に不安を覚えた。まさか、こいつ……。
「ちょ、ちょっと待て、まさかサクラがお前のそばにいたがるのは守ってもらうためだと思ってるんじゃ、ないよな」
「違うのか?」
 思わず力が抜けて、肘掛けに突っ伏してしまった。
「大丈夫かよ兄貴。飲みすぎか?」
 ……大丈夫じゃないのはお前だ!

「あのな、マッシュ。彼女はお前に惚れてる」
「は?」
「気づかなかったのか? 好きだと言われたことがあるだろう?」
「そんなの……」
 あるに決まっている。コルツ山からこっち、俺の前でだって彼女は何度もそう言っていたのだから。
 弟を慕ってくれる娘がいて喜んでいる俺ですら「もういいやめてくれ」と軽く傷つけられるほどには、彼女はマッシュに惚れ抜いている。
 だが女性にいい思い出のない我が弟君は、自分に向けられる純粋な好意というものに鈍感らしい。

「いや、でもあれはあいつの冗談で」
「冗談だってサクラが言ってたのか?」
「……」
「サクラはお前以外にそんなことを言ってるか?」
 どう考えても真剣で切実な想いだ。それくらいは、彼女の事情を知らない俺にだって分かる。
「サクラはお前に守ってほしくてそばにいたいと思ってるわけじゃない」
「じゃあなんでだ?」
「お前を好きだからに決まってるだろ!」
 病で死ぬならばせめて子を成してから、結婚して王家の役に立ってから。幼少期にそんな扱いを受け続けてマッシュが女性を苦手とするようになったのは理解している。
 しかしだからこそ、ただの男として慕ってくれるサクラの存在は貴重じゃないか。

 恋愛に興味が抱けなくてもいい。恋など一生したくないと思うならそれでもいい。しかしサクラの想いを真剣に捉えていないのだとすれば、その思い違いは正さねばならない。
 王の弟でもそうでなくても、強くてもそうでなくても、その隣が安全でもそうでなくても、サクラはただ、マッシュのことが好きなんだ。
「彼女はふざけて他人に好きだの結婚したいだの言うような人間に見えるか?」
「そうじゃないけど……大体、俺とサクラはべつに昔からの知り合いってわけじゃないんだ。あいつが小屋に来たのはついこの間で、」
「知っているよ。彼女から聞いたからね」
「会って何秒かで『結婚してください』って言ったんだぜ、あいつ」
「惚気か? 恋に落ちるのに時間なんて関係ないだろう」
 分かってほしい。お前がお前らしく生きている、それだけで純粋に愛してくれる人がいるのだということを。

「マッシュ、俺は彼女の想いに応えてやれと言ってるんじゃないぞ。どうするかはお前の自由だ。だが、自分のことを大切に想ってくれる人に優しくできないのは、どうかと思う」
「……それ、は」
「サクラはお前に置いていかれて傷ついてる」
「そんな風に見えなかったけどな。ナルシェに残るのはサクラだって納得してたんだ」
「お前に惚れてるのに、お前のせいで傷ついたなんて言えるわけないじゃないか」
 俺も言えたことじゃないが、さっきからマッシュの杯は空にならない。これでサクラのことを真剣に考えてくれたらいいんだが。
「そういうわけだから、お前は今夜中にナルシェに戻れ」
「なっ、なんでそうなるんだよ! ……兄貴の言いたいことは大体分かったけど、今はティナを探す方が先だろ」
 それは俺たちにもできる。だがサクラのことはマッシュにしかできないんだ。

「ナルシェの男連中は気が荒いからサクラが心配だな。リターナーの兵士だって彼女を快く思っていない。ふとした拍子に揉め事が起きたら何をされるか」
「変なこと言うなよ。カイエンもいるし、サクラも大人しくしてるから大丈夫だって」
「バナン様の護衛をしてガウの世話をしながら四六時中サクラを気遣えるのかな? サクラだって一人になりたい時間もあるだろう」
「う……」
「ナルシェは暗がりが多いからなあ。サクラなんて簡単に連れ込めてしまう」
「兄貴!」

 さすがに青褪めたマッシュは黙って考え込んでいた。
「サクラが気になるか?」
「……兄貴が変なこと言うから」
 その程度で気になって止まらなくなるのなら、俺が言わなくたってマッシュなりに彼女を大事に想っているということじゃないか。
 未だ恋ではないかもしれない。共に過ごした時間は短いかもしれない。だからこそ、もっと一緒にいるべきではないかと思うんだ。サクラもそれを望んでいる。
「ティナを探すのにどんな些細な情報も見逃せない。集中力を欠いたやつは足手まといだ」
「分かったよ。戻ってナルシェを守ってりゃいいんだろ」
「より重要なのは町ではない。そこにいる人だよ」
「……分かったってば!」

 本当のところを言うと、サクラはナルシェの住民とは打ち解けているから特に危険なことはない。だから置いていけば安全だというマッシュの言葉は正しい。
 だが……もし今、永遠の別れが訪れたら? きっと彼女と話しておかなかったことを後悔するだろう。
 せめて彼女の想いに向き合い、自分がどう思っているのかくらいは考えてやってほしいものだな。
 サクラはマッシュがフィガロの血を引いているから近づいてきたわけじゃない。互いに何も知らないというのに、ただマッシュがマッシュであるがゆえに、彼に惹かれたんだ。
 そんな娘を……俺はとても、大切に思うんだ。




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