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雪原に潜む黒


 春が近づいてもナルシェの雪は溶けなかった。草木が芽吹くどころか地面も見えないほどの積雪が続いているっていうのは異常だと思う。
 長老さんに聞いたところによると夏の始めにようやく春めいてきて、暑さを感じる間もなくまた雪に閉ざされるのがナルシェの常らしい。
 考えてみたら炭坑から発掘されたという氷漬けの幻獣だって一向に氷が溶け出す様子がない。それだけずっと気温が低いんだ。
 いくら極北の高山地帯とはいっても“常冬”なんて他の世界では聞いたことがない。それこそ、魔法とか呪いとかの力でも働いていない限りは。
 氷漬けの幻獣が発見されるくらいだし、魔大戦の時代に冷気の力を宿す何かがこの地で死んだとか封じられたとか、そういうことでもあって気候に影響してるんじゃないかな。

 そんなどうでもいいことばかり考えていた。私たちがナルシェに辿り着いてから三週間になる。
 この世界に落ちてきてからマッシュと過ごした時間よりも長い、そう自覚して泣きそうになった時だった。
「サクラ!」
 門の方から聞こえてきた声は、待ちくたびれすぎて聞き間違いかと思った。幻聴だったらどうしようかと顔を上げられないでいたら次は間近で同じ声が聞こえる。
「おい、サクラ。無視するなよ!」
「……マッシュ?」
「ああ。やっと追いついたぜ」
 マッシュだ。本当にマッシュだ。また髭がモジャモジャになってるけど、怪我してないし窶れてもいない、幻覚でも夢でもない本物のマッシュが目の前にいる。
「遅いよ……!!」
「悪かったって。こっちもいろいろあったんだ」
 待ってる間は泣かなかったのに、思い余って抱き着いて、マッシュが頭を撫でてくれた途端に涙が零れてしまった。

 温かくて力強い鼓動、マッシュに触れているだけで心が安らぐ。寒さが溶け出していく。最初に出会った時からどうしようもなく惹かれて、求めずにはいられない。
 この人のそばを離れたくなかった。もうどんな世界へも去りたくない。

「サクラ?」
「あ……、ごめん」
 抱き着いたまま放心していた。困惑したような声をかけられ慌ててマッシュから離れると、彼の後ろに同行者がいたのに気づく。
 立派な髭を蓄えた渋いおじさまと、毛皮を纏った野性味のある少年だ。
「マッシュ殿、こちらの方は?」
 髭の人に尋ねられてマッシュが私を見下ろす。
「ああ。こいつは俺の……俺の何だろう?」
「未来の妻です」
「えーっと、元居候のサクラっていうんだ。でも住んでた小屋は出ちまったから、今はただの仲間だな」
 ただの仲間という言葉が私の胸をグッサリ刺したのに気づきもせず、マッシュが髭の男性と野性的な少年を私に紹介してくれた。
「こっちはカイエンとガウ。レテ川で流されたあと道中で知り合ったんだ。……ま、詳しい話は兄貴たちと合流してからだな」
「うん……」
 やっぱり淋しくて死にそうだったのは私だけで、マッシュは会えなかったことを然して苦にもしてないみたい。私にとっては唯一の人だけれど、マッシュにとっての私はただの仲間なんだ。

 落ち込む私を取り成すようにカイエンさんが優しく笑ってくれた。
「サクラ殿、よろしくお頼み申す」
「はい、こちらこそ」
 そして何やら警戒するように私の匂いを嗅いでいたガウが、パッと表情を輝かせた。
「サクラ、ござるのツガイか!」
「えっ」
 番は分かるけど、ござるって何だろう。
「まったく、どこでそんな言葉覚えてくるんだよ」
「未来の妻ということは、婚約者ではござらんのか?」
「違うって!」
 ……そんなに力一杯否定しなくてもいいのに。

 エドガーさんたちは今日も長老の家でナルシェの人たちを説得中だ。
 ようやくマッシュが戻ってきて味方は増えたけれど、それで長老の心は動くだろうか。帝国よりもリターナーの味方になる利点、もしくは帝国につくことの欠点を探して提示しなければいけないけれど。
 そういえばサウスフィガロに潜入してるロックさんはどうしてるんだろう?

 長老の家に入ると、やっぱり会議はいつも通り膠着中らしかった。エドガーさんがこっちを振り返り、安堵したように息を吐いた。
「兄貴!」
「マッシュ……無事だったか」
 口で何て言ったって、どんなに信頼してたって、心配なものは心配だよね。無事に戻ってきてくれて本当によかった。
 ナルシェ長老も含めて仲間全員にカイエンさんとガウの紹介を済ませ、マッシュは川を流されてからどうしていたかを話し始めた。
 それはカイエンさんが彼について来た経緯の説明でもあった。

「ドマは陥落した。帝国の魔導師ケフカが堀に毒を流したんだ」
「……生き残ったのは拙者一人。陛下も王族の皆様も、城に住んでいた者は皆……帝国の捕虜に到るまで、全員が息絶えておりました」
 あまりのことに誰も口を聞けなかった。帝国が残虐だとは聞いていたけれど、何年か前に占領されたっていうツェン国やアルブルグ国はそんなに酷い目に遭っていないって、長老が言ってたのに。
 なぜドマに対しては強行手段に出たのか。それは“占領”すれば兵士を残さなければいけないから。皇帝はドマとの戦いを早く終わらせたがっているようだったとマッシュが言う。
「軍を指揮していたレオ将軍は慎重派で、ドマが降伏するのを待っていたんだ。だが彼は途中で皇帝に呼び出され、ベクタに帰っていった」
「そこで代わりに指揮を任されたのが、よりによってあのケフカ、というわけか」
 苦々しげなエドガーさんの言葉に頷き、マッシュは更に続ける。
「東に駐留していた帝国軍は撤退した頃だ。次に向かうのはフィガロか、このナルシェか……」

 難しい顔で考え込んでいたエドガーさんは、やがてナルシェ長老を振り向いた。
「我がフィガロは未だ便宜上“帝国の同盟国”だ。攻めにくい条件は他にもある。先に狙われるのは、おそらくこの都市でしょう」
 それにナルシェには氷漬けの幻獣がある。ガストラ皇帝が何より欲しているものが。いよいよ追いつめられ、ガードの人たちも不安げに長老を見つめた。
「しかし……酷だが、攻め滅ぼされたのはドマがリターナーに与していたからではないか。中立国であるナルシェにまで無茶をするとは思えん……」
 たとえば幻獣を引き渡すことで今までの関係を保てるのではないか。そう言おうとした口が、乱暴に開かれた扉によって遮られる。
「ここが安全だという保証はないぞ!」
「ロック!」
 かなり急いで来たのだろう、息を切らしながらロックさんが部屋に入ってきた。その後ろには知らない女の人も続く。彼にも同行者が増えたらしい。

 素早く息を整えて、ロックさんはナルシェ長老に向き直る。いつも明るい彼らしくない深刻な顔だった。今から嫌な事実を告げる、という感じの。
「帝国軍はこのナルシェを目指して進軍中だ。おそらく、もう今日のうちにやって来る」
「馬鹿な!」
「どこでその情報を?」
 エドガーさんに聞かれて、ロックさんが背後の女性を振り向いた時だった。
「セリスが教えてくれたんだ。彼女は元帝国の将……」
「どこかで見た顔だと思えば! ガウ殿、どきなされ!」
 いきなりガウを押し退けてカイエンさんが刀を抜いた。さっきまで穏やかだったのが嘘みたいに怒り狂ってる。
「マランダ国を侵略した悪名高きセリス・シェール! この帝国の狗めが、成敗してくれる!」
「カイエン!」
 慌ててマッシュが引き留め、ロックさんはセリスと呼ばれた彼女を庇うように立つ。

 なんだかこんがらがってきた。セリスはマランダを攻めた帝国の将軍? でもって、帝国はカイエンさんの故郷の仇で……。
「待ってくれ、セリスはもう帝国を出て、リターナーに協力すると約束してくれたんだ」
 で、セリスは既にリターナーの一員だという。
「信用ならぬ! 宣戦布告もなく騙し討ちをするのが帝国であろう!」
「俺はこいつを守ると約束した。俺は、一度守ると言った女をもう決して見捨てたりしない!!」
 セリスがドマを滅ぼしたわけじゃない。ロックさんがわざわざナルシェに連れてきたなら彼女は味方ってことだ。でも、だからってカイエンさんに易々と受け入れろというのは……。
 ふと一触即発の空気に怯えるガウに気づいた。彼の手を握る。心許ない顔で見上げられると私も少しずつ冷静になってきた。しっかりしないと。

「カイエンさん……、ここで殺生沙汰は困ります」
 ナルシェの人々が見てる。彼がセリスを成敗してしまったら、もうリターナーに加わろうとは思ってくれないだろう。
 怒りを捨てろとは言わないけれど、今は争うべき時でも場所でもない。リターナーのアジトで「気持ちは分かるけど後にしろ」とマッシュが言った意味、ちょっとだけ理解できた。
 帝国と戦うなら、私たちは寛容でなければいけないんだ。

 刀を手にしたままセリスを睨み、それでも躊躇しているカイエンさんに向かって、ティナが前に出る。
「……私も……、帝国の兵士でした」
「な、なに!?」
「でも先輩は操られてただけです! 洗脳が解けて、リターナーに加わったんです」
「セリスも同じだ。自分の意思で帝国に反し、ここに来てくれたんだ」
「帝国は倒すべき悪……しかし、そこにいた者すべてが悪というわけでもあるまい」
 ロックさんとエドガーさんにも言われ、刀を持つカイエンさんの腕が少しずつ下がっていく。
「ここは抑えてくれ。恨むべきは彼女じゃない」
「……」
 マッシュに言われてようやく彼は刀を鞘に納めてくれた。……はあ、緊張した。隣を見ればガウもホッとしたように息を吐いている。
 ほんの子供に見えるのに私よりもずっと他人の心に敏感みたいだ。怖かっただろうな。

 ようやく話を元に戻せると思ったところでまた扉が開かれた。今度はナルシェのガード、門番をしていた人だ。
「長老! 麓に帝国軍が!」
「もう来たのか!?」
 ドマから撤退した帝国軍がまっすぐナルシェを目指してきたのだろうか。狼狽える長老とガードを見据え、今まで黙っていたバナンが口を開く。
「決断の時じゃぞ。わしらと共に戦うか、首を差し出して屈するか?」
 死ぬか、それとも死ぬか? って、聞いてるみたいだった。
「……戦うしかあるまい」
「長老!」
 今まで散々ぐずっていたナルシェの人たちは、一度決断がくだされると素早かった。

「敵将はケフカ・パラッツォ。死と破壊を厭わぬ残虐な男です。住民を避難させてください」
 セリスの忠告に頷いて、長老がガードに指示を出し始める。カイエンさんの故郷を破壊した人がここにやって来るんだ……。
「向こうの目的は幻獣だ。囮に使うこともできる」
「幻獣は谷の上に移してある」
「よし、我々はそこで死守するぞ!」
 各々の武器を手にガードの人たちが長老の家を出ていく。住民は坑道の奥へ避難して、町は空にする。あえて無抵抗で帝国軍を通すんだ。そして雪原の、こちらに有利な場所でそれを迎え撃つ。
 これから戦争が始まる。今になって実感して血の気が引いた。

 ナルシェのガードはもちろん、リターナーのみんなも戦いに加わることになる。
 まだ子供のガウでさえ参戦するっていうのは納得いかないけれど、彼はああ見えてマッシュも認めるほど強いらしいから引っ張り出されるのは仕方ないのかもしれない。
 セリスに向かって刀を抜いたカイエンさんに怯えていたけれど、戦いそのものが怖いわけではないらしく、はりきって雪原へと駆けていってしまった。
「サクラ、お前は留守番だ」
「……」
 マッシュに言われて口籠る。私が置いていかれるのも……当然だ。カイエンさんの怒りにさえ竦む私が帝国兵を相手に何もできるはずがなかった。

 知らず知らずのうちにマッシュの腕を掴んでいた。
「降伏とか、できないのかな」
「帝国に降伏した国がどんな扱いを受けるか知らないだろ? まあ、知らない方がいいんだけど」
「戦争して殺し合うより酷いの?」
 今さら彼に言ったって仕方がないのに。ただ、この手を離すのが怖くて時間を引き延ばしてるだけだ。
 マッシュはどこか遠くを見つめて答えた。
「少なくとも俺は、弱いやつは黙って死ぬしかない世界なんて嫌だ。そんなやり方を押し通す帝国は許せない」
「……そうだよね」
「大丈夫だって。すぐ片づけてくるから、大人しく待ってろよ」
「うん」
 また私は待ってるだけ。みんなが戦ってるのにぼんやり不安を抱えたまま、一人で黙って……。これじゃあ、私がここにいなくたって、何も変わらない。




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