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赤く揺らめく怒り


 リターナーの指導者は、思い描いていたような人物とは少し違っていた。なんとなくフィガロのじいやみたいなのを想像してたんだが、もっと凄味のある……戦士の趣がある人だった。
「氷漬けの幻獣と反応したというのはこの娘か」
 威圧的なバナン様の視線に晒されてティナが少し怯えている。
「幻獣……?」
「彼女は帝国に操られていて、記憶がないんです」
 ロックが助け船を出すように彼女の前に立とうとしたが、バナン様はそれを制した。
「伝書鳥の知らせでおおよそのことは聞いておる。帝国の訓練兵をたったの三分で皆殺しにしたとか?」

 一瞬、全身を刺し貫く緊張が辺りに満ちた。
「嫌!!」
「バナン様、あんまりなお言葉では!」
 叩きつけられた言葉の意味を遅れて理解して、ティナが鋭い悲鳴をあげて踞る。ロックが彼女の肩を抱き、兄貴が批難がましく見つめても、バナン様は揺らがなかった。
「逃げるな!」
 揺らいだのはこっち側だ。俺の後ろに隠れていたはずのサクラがティナを庇うように前へ出る。こんなに怒った顔を見るのは初めてで、思わず状況も忘れて感心してしまった。
「初対面の女の子をいきなり恫喝しなきゃ話もできないような人の言葉は聞く価値あるんですか?」
 ……いや、でも、手が震えてるな。そりゃあそうか。
「己の過去から目を背けてはならぬ」
「じゃあ、あなたが今まで妻も子もある帝国兵を何年間でどれだけ殺したのかも教えてくださいよ」
 怖いんだったら無理して立ち向かうなよ。そういうのはお前の役目じゃないだろう。

 俺が肩を掴むと彼女はあからさまに驚いて振り返り、俺の目を見て安堵の表情を浮かべた。
 こいつとバナン様とじゃ潜ってきた修羅場の数が違いすぎる。一言物申しただけでも立派なもんだ。でも、もういい。
「あいつの言い方フェアじゃない……協力すべき相手に対する態度があれなの!?」
「サクラ、気持ちは分かるけどやめとけ」
 周りのリターナー兵が殺気立っている。この緊張感はどっちにとってもいい影響を与えない。幸いにも、先に折れたのはバナン様だった。
「そうじゃな。無礼は詫びよう。おぬしの罪を責め立てるために招いたのではない」
 表情を変えないままティナに謝罪を述べると、バナン様は朗々と語り始めた。

「こんな話を知っておるか? まだ人々の中に邪悪な心が存在しない時代、禁忌の箱を開けた男がいた。箱の中からは、嫉妬、破壊、支配、あらゆる邪悪な欲が世界に溢れ出た」
 帝国の比喩なのか何なのか、こういう偉いさんの話し方ってのは勿体ぶってて俺にはよく分からない。単刀直入に「帝国と戦うために力を貸してくれ」でいいと思ってしまうんだが。
「だが、箱の中に一粒の光が残っていた。希望という名の光が……」
 たぶん彼が、ティナの意思をどこかへ誘導しようとしているのだけは理解できた。
「その力を呪われたものと考えるな。おぬしは世界に残された最後の一粒。希望と言う名の一粒の光じゃ」
 俺も昔、こういう人間に囲まれていたからな。

 ティナは呆然としてバナン様の言葉の意味を考えているようだ。サクラは何か言いたげだが耐えていた。
「少し疲れた。休ませてもらうよ」
 彼が退出すると、剣呑な視線を向けてくるリターナー兵を牽制するようにロックが言い放つ。
「奥の部屋を借りるぜ。俺たちだって休みたいからな」
 そうだなあ。バナン様よりもティナやサクラの方がずっと疲れてるだろう。ティナだって、ナルシェでロックに助けられる前からこれまでずっと怒濤のような日々を過ごしてきたっていうのに。
 俺はフィガロが帝国と手を切ってリターナーと同盟するのは賛成だけど、正直なところティナをここに連れてきた理由は分からなかった。
 フィガロ城で保護するか、どこかの田舎に隠してやるべきだったんじゃないかとも思う。
 彼女は戦士になりたくてなったわけじゃないんだ、帝国の都合で巻き込まれただけなのに、今度はリターナーの希望を背負わせるのか?

 ロックの案内のもと宿所へ向かう。サクラは未だに怒りがおさまらないらしかった。ティナの消沈しきった顔を見れば分からないでもないけど……。
「協力者がわざわざ訪ねてきてくれたのにあの態度? そりゃ今まで孤立してるはずだよ! リターナーとじゃ対等な立場で話なんてできません、って言ってるようなものじゃん!」
 わざと聞かせてるのかもしれないが、兵士の視線が冷たい。始めはティナを怖れていたやつらが段々とサクラに苛立ち始めている。こりゃちょっと危ないぞ。
「魔法の力が呪われてることにしたいのはああいう権力者の方でしょ。自分たちが使い方を間違えてるだけのくせに力のせいにするなっての!」
「サクラ、もう後にしろよ」
「魔法なんか、私だって使えるもん!」
「え?」
「は?」
 爆弾発言を聞いて呆気にとられる兄貴とロックを尻目にサクラの姿が掻き消えた。一瞬遅れて、コルツ山に現れた時と同じようにどこかへテレポートしたんだと気づく。
 あの馬鹿……リターナーの本部でやるやつがあるか。

「お、おい、マッシュ、どういうことだ?」
「まさかあいつ、本当に魔法を……」
「サクラは魔導の力が使えるの?」
「いや、あれは、魔法とは違うものだけどな」
 俺だってよく分からないのにどうやって弁解しろっていうんだよ。
「ティナみたいに攻撃や回復の魔法が使えるわけでもないし、ちょっとした手品っていうか」
「……で、サクラはどこに消えたんだ?」
「あー、俺が探してくるよ! みんなは休んでてくれ!」
 まだ聞きたいことがたくさんあるって顔の三人に背を向けてその場から逃げ出した。とにかく、リターナーの兵士に見られていなくてよかった。

 宿所に移動したのかと思ったが、サクラは洞窟の入り口にいた。どうも知らない場所には飛べないみたいだな。あんまり制御できない技だと聞いてたから、修練小屋に帰ってしまっていなくてホッとした。
「サクラ……お前、それは安定してないから使えないんじゃなかったのか?」
「……」
 ムスッと膨れたままそっぽを向いているサクラは明らかに拗ねているようだった。バナン様に怒ってるんだろう。だからって、あんな無茶するもんじゃない。
 言っては悪いがリターナーはバナン様のカリスマだけで保たれている組織だ。兵士の前で彼を罵倒したら無用な恨みを買い兼ねない。
 ティナが傷つけられたのや兄貴が雑な扱いを受けてるのは俺だって腹立つけど……怒っていい場面じゃないんだ。

「兄貴たちが、お前は魔法が使えるんじゃないかって疑ってるぞ」
 サクラに魔導の力なんてものはない。確かにいきなり空から落ちてきたり別の場所に転移したりなんて魔法じみた技を使えはするが、彼女はそもそも異世界の存在だ。その能力は、ティナが持ってるものとは違う。
 能力は違うが……。
「……私の力は魔法じゃないけど、使おうと思えば戦争にも使える。でも使わなければ普通に生きていくこともできる。ティナの力だって同じなのに」
「まあ、な」
 要はティナに罪悪感を抱かせて味方に引っ張り込みたかっただけだ。呪われた力だと思うなと言いながら、バナン様はティナの心に罪の意識を植えつけた。
 世界に残された最後の希望なんて、そんな言葉でティナの生き方を縛りたくはないよな。それじゃあ帝国のやってることと何も変わらない。

 ともあれバナン様のお陰でサクラにとってリターナーの印象はかなり悪いものになってしまったようだ。怒り狂うサクラを宥めている間にティナがやって来た。
「サクラ……どうして怒ってるの?」
「あいつが必要のない暴力を振るったから!」
「暴力……?」
「言葉だって人を傷つけるんだよ。時々は、取り返しがつかないくらいの傷にだってなる。……人の上に立ってるくせにその程度の気遣いもない」
 結局のところサクラは、彼らが最初に差し出したのが乱暴な言葉だったのが許せないんだろう。ティナの協力を得たいなら許容と理解から始めるのが優しさってものだ。
 ティナは帝国に操られていた頃の影響で感情がない。そんな彼女が最初に味わうのが過去に犯した過ちの苦痛と悲しみになってしまったのは、俺も腹を立てている。
 ……リターナーに加わってもティナが人間らしい感情を取り戻すことは期待できそうにない。

 どうやらティナは今後の選択についてみんなに相談してまわっていたようだ。
「私はリターナーに協力すべきなのかしら」
「俺には難しいことは分からない。でも昔から兄貴の選択に間違いはなかった。バナン様のことはともかく、兄貴はティナを傷つけるような真似しないよ」
「……エドガーのことは、信じられると思う」
「そりゃよかった」
 リターナーの一員になるとか帝国に立ち向かうとか、そんなことは後で考えるとして、とりあえず兄貴を頼るのがいいんじゃないかな。
 どちらにせよリターナーはフィガロの兵力を宛にしてるんだ。兄貴の庇護下にあれば、ティナがいいように利用されることもないだろう。
 兄貴とロックにも既に話を聞いてきたそうだ。そして彼女は、まだ沸騰中のサクラにも同じことを尋ねた。
「サクラはどう思う?」
「え、私にも聞く? 反対意見しか言わないけどいい?」
「みんなの話が聞きたいの。私は……、自分がどうするべきなのか、分からなくて」
「いいんじゃないか。歳も近いし同性だし、サクラの話が一番参考になるだろ」
 俺がそう言ったらサクラも納得したようだった。

「私は優しくない人は嫌いです。あのバナン様とかいう人は誰かに優しくするより自分の正義が大事みたい。リターナーはティナを必要としてるかもしれないけど、ティナにリターナーは必要ないと思う」
 ロックが聞いたら卒倒しそうだな。でもまあ、事実といえば事実だ。ティナの側から見ればリターナーに加わるメリットなんてない。バナン様はそこに気づかれたくないんだ。
「結局は魔導の力を利用したいだけでしょ? バナンがやりたい戦争にティナは関係ないんだし、無視して逃げた方がいいよ」
「サクラも関係ないのに連れて来られてるんじゃないか?」
「私は自分の意思で来てるからいいの!」
「自分の、意思……」
 ティナには未だそれがない。だから、こうするのが正しいのだと言われれば盲目的に従ってしまう。帝国にいた時と同じように。……それじゃあ駄目なんだ。

「ティナが今、一番気になることは何だ?」
 俺の問いかけに彼女は沈黙し、たっぷり考え込んだあとで顔をあげた。
「私……この力が何なのか、私が何者なのか、知りたい」
「じゃあ、帝国を倒すためじゃなくて、そのためにリターナーに加わるのもいいかもな」
「そうだね! あの身勝手なおじさん達を逆に利用してやるって手もある」
「私が、リターナーを利用する……?」
 おじさんって、バナン様のことだよな。兄貴はそこに含まれてないよな? もし兄貴が含まれてるとしたら俺もおじさんなのか。
 そういえばサクラって、いくつだったっけ。ティナよりは年下に思える、ってことは……な、なんか、ちゃんと考えたらへこみそうだ。これについては考えないようにしておこう。

 俺が脱線している横でサクラはティナを悪どい道に引きずり込もうと画策していた。
「素性が知りたいなら帝国に戻る方が早そうだけど、また操りの輪を着けられたら困るし。リターナーはティナの意思を奪うほど有能じゃなさそうだから、情報だけ得たら捨てちゃえばいい」
「でも、そんなこと……いいのかしら?」
「いいの!」
 あちらがティナを利用したがっているのだからこちらも同じ態度で返すのが妥当だとサクラは主張する。優しくされれば優しくしたくなる。そうでない相手に好意なんか与えない。
 極端すぎる気もするけど、今のティナにはそれくらいの思いきりが必要かもな。
「リターナーのことは一時的な同盟だと思えばいい。お互い打算だけの関係だ。でも俺たちは、ティナの仲間だ。何を選んだとしてもティナの意思を優先する」
 俺の言葉を継ぐように、もし嫌になったら自分が連れて逃げてるとサクラが請け負った。

 戦わなくていい、逃がしてやる、それは帝国の被害を受けたことのない別世界からやって来たサクラにでもなければ言えないだろう。
 俺も兄貴もロックも、帝国と戦わないなんて選択肢は最初からなかった。生きている限り帝国の弾圧に晒される。やつらを倒さなければ平和は得られない。戦いたくなくても、戦わなくちゃいけない。
 だからこそサクラの存在をありがたく思う。こいつのお陰で復讐に囚われずに済む。
 戦って勝つことじゃなく、帝国を滅ぼすことじゃなくて、本当に大切なものはその先にあるんだと忘れないでいられるんだ。

 あれからしばらく考えて、ティナはリターナーに協力すると決断した。
 今後の戦い方について作戦会議が開かれているが、サクラがまた余計な口を挟んでも困るんで俺たちはそこに加わらず離れたところで聞いている。サクラは特に不満を言うでもなく、俺の隣で大人しく立っていた。
「エドガーさんって、フィガロの王様なんだね」
 不意にそんなことを言われて、そういえば話してなかったなと思い出した。
「ああ……えっと、べつに隠してたわけじゃないぞ?」
「うん。言う機会がなかっただけでしょ」
 俺はもうフィガロを出た身だ。とはいえ誰もがそう納得してるわけじゃないから、国王の弟だなんて簡単には口にできない。
 サクラは俺の素性を気にしていないようだった。ホッとしつつ、なぜか腑に落ちない気もしてしまう。

 こっから先は小競り合いでは済まない。本格的に帝国との戦争に身を浸すはめになる。そこにサクラを連れていっていいものか迷っていた。
 今ならまだ、サウスフィガロで暮らすこともできる。そう言ったらサクラは、このタイミングで放り出したくないと首を振った。
「マッシュのそばにいたいのもあるけど、今のままじゃパイセンが心配で放っておけないよ」
「……パイセン?」
「ティナ先輩のこと」
「何だその呼び方」
 思わず憧れてしまうような相手は人生の手本、先輩なのだとサクラは力説していた。
「俺は違うのか……」
「マッシュは憧れの人じゃなくて好きな人だもん」
 それって同じだと思うんだけどな。

 サクラがティナを心配するのは分かる。だがこいつは、兄貴とロックのことを心から信じてはいない。ティナをリターナーに連れて来たのがあの二人だからだろう。
 気持ちは分かる、けど、なんとなく弁解したくなった。
「リーダーってのはさ、頭下げたくてもできないことがあるんだよ。敵の言いなりにならないためには、自分の方が偉いって顔してなきゃいけないんだ」
 辛いとか苦しいとか、悪いと思ってるとか、口に出せないこともたくさんある。サクラから見れば帝国もリターナーも、兄貴も似たようなものかもしれない。でも心の内は違うんだ。
「バナン様にはティナよりも優先して守らなきゃならないものがある。兄貴もそうだ。でも兄貴は、ティナを傷つけるくらいなら彼女を戦争から逃がすと思うぜ」
 国のためとか正義のためとかはさておいて、少なくとも兄貴は、ティナを道具扱いなんかしない。彼女が自分の意思で生きることを望んでいる。それが帝国との大きな違いだ。

 じっと俺の話に耳を傾けていたサクラの瞳に、洞窟を照らす灯りが揺らめいていた。こいつの目は色が濃いせいか周りの景色を綺麗に映し出す。いま何を見ているのか、はっきりと分かる。それがなんとも照れ臭い。
「中身は似てないって思ってたけど、やっぱりマッシュとエドガーさんは似てるよね」
「そうか?」
「ああいう考え方……気持ちより義務を優先する考え方、分かるんでしょ?」
「まあ、一応は俺も王宮育ちだからなあ」
 昔はそりゃあ兄貴の考えてることが手に取るように分かったけど、そんなのガキの頃だけの話だ。
 もう十年も離れていた。あっちは立派に国を守ってて、俺はしがない格闘家。似てるのなんて顔だけだと思うけどな。

「マッシュが難しいこと考えないのは、理論的に考えたら人に優しくできないから?」
「へっ? い、いや、そんなつもりはないけど」
 でも、言われてみるとそれもあるのかもしれない。
 同じ結論に達したら意味がない。俺は兄貴が、見たくても見られなかったものを代わりに見るんだ。義務とか責任とかに縛られず、心の赴くまま自由に生きる。そのために……。
 兄貴が何を考えてるのか理解して賛同しちまったら自由ではいられないから、気持ちを優先できなくなるから、難しいことは考えたくなかった。
「うーん……やっぱ、そうなのか?」
 バナン様が敢えてティナに酷い言葉をぶつけた理由も、考えれば分かってしまう。分かりたくないから考えないのだと言われたら、それはたぶん図星だ。
「サクラって、意外と鋭いよな」
「わーい、褒められたー!」
「……」
 意外とは何だと怒るべきところだろうに、素直に喜んでるサクラを見てると力が抜ける。でも、こいつのこういうところは好きだ。この無邪気さだけはいつまでも変わらずにいてほしいと思う。




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