×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
青い空に落ちてゆく


 階段をのぼりながら、もう一段あると思って油断してたら、なかった。そんな風にして転がり落ちていくものなんだ。
「うわっ!」
 崖からジャンプでもしたみたいに体が宙に投げ出される。次に来るであろう衝撃に耐えるために目を瞑ったけれど、そんな私をなにか優しくて力強いものが支えてくれた。
「っと、大丈夫か?」
 気遣うような声が聞こえて目を開ける。最初に見えたのは深い青の瞳だった。思ったよりも近くにあったその色に戸惑う顔の私が映っている。
 私の腰に回されているのは彼の腕。落ちてきた私を彼が受け止めてくれたんだ。彼の背後に咲き乱れる薔薇が見えた。
「は、はい。大丈夫です結婚してください!」
「へ?」
「ああああじゃなくて! ありがとうございます!」
 動揺のあまり意味の分からないことを言ってしまった。頭の方が大丈夫じゃない。

 地面に下ろされてから改めて見上げると彼は想像以上に背が高かった。身長、二メートルくらいありそうだ。
 そして筋肉がすごい。そりゃ空から降ってきた人間を軽々とキャッチできるのも分かる。
 彼は今しがた私が降ってきた宙を見上げて呟いた。
「……どっから落ちてきたんだ?」
 その問いはたぶん、絶対に答えが出ないと思う。視線の先には空が広がっているばかり。私はまさに、何もないところから落ちてきたんだから。
 ちなみに薔薇は幻覚だった。彼があまりにもキラキラしていたから王子様に見えるんだ。現在進行形で。

「あの、私はサクラって言います。あなたは?」
 落ちていきなり話が通じる人に会えるのは幸運だった。彼は空から私の方へと視線を移した。
「俺はマッシュだ。麓の小屋に住んでる」
「マッシュさん、変なこと聞きますけど、ここはどこなんでしょうか」
「どこって……コルツ山の中腹だな。修行のために来たってわけじゃなさそうだけど、まさか迷子か? なんて、」
「はい」
「えっ……?」
 私が頷いたらマッシュさんは顔を引き攣らせていた。ご尤もな反応だと思う。
 この辺の景色を見る限りかなり大きな山の中。登山装備もなく普段着で迷子になってるという私は、本当に怪しい。

 重要なのはこれから先だった。彼のようないい人に出会えればいきなり死の危険に晒されることはない。でも次の言葉によってドン引かれ、見捨てられることも多々あるんだ。
「かなり深刻な迷子だな。じゃあサクラ、どこから来たんだ?」
「こことは違う世界からですね」
「そうなのか。で、帰り道は分かるか?」
 えっと、普通に「そうなのか」で流されるとは思ってなかったんだけど。
「あの、別の世界から来たって、意味、通じてます?」
 もしやここは異世界トリップとかが一般化されている世界なのか! と思ったけれどマッシュさんはあっさりそれを否定した。
「いや全然。考えても分からないことは考えないことにしてるんでね」
「そ、そうなんですか」
 度量の広さが半端じゃないなあ。

「帰り道は……分からないです。こんな風にいきなり知らない世界に飛ばされること、よくあるんで。今まで元いた場所に戻れたことはないし」
 ついさっきまで立っていた世界だってよく知らない場所には違いない。そもそも私が帰る場所ってどこなんだろうという話だ。
 マッシュさんは「ふーん」と呟いて、何か納得して頷いた。
「とりあえず、困ってるんだよな。じゃあうちに来いよ」
「え、でも、マッシュさん……」
「マッシュでいいぞ」
 ちょうど帰るところだったからついて来いと言われて愕然としつつも彼の後を追う。

 怪しいやつだと追い立てられたり、関わりたくないと逃げられたり、そんなのはよくあることだしいちいち傷ついたりしない。
 でも、何の条件も提示されずに「困ってるならうちに来いよ」っていうのは初めてだった。
 ……はっ! もしやこれは「身寄りがないなら面倒見てやるぜ、ただし借りは体で返してもらうけどなあ!」ってやつなのでは!?
 べつにいいけど。マッシュさん……マッシュが相手なら、むしろウェルカムだ。
 でも見た感じ彼は絶対そんなことしなさそうだし、純粋に厚意だけで助けてくれているみたいだから戸惑ってしまう。

「あの、マッシュ。すごくありがたいのは確かなんだけど、こん……ひょええええっ!?」
 こんな怪しいのを簡単に拾っちゃ駄目ですよと忠告しようとしたら、横から巨大な影が目の前に現れて悲鳴をあげた。
「く、熊! 野生の熊が飛び出してきた!!」
 しかもなんだか怒り狂っていらっしゃる! と思った瞬間にはもうマッシュが私の前に立ちはだかっていて、熊さんを殴り飛ばして気絶させた。す、素手で!
「武闘家の方ですか!?」
「おう、そうだぜ」
「あ、本当にそうなんだ」
 それなら納得だ。……いや、納得するところかな……?

「熊とか出るんですね、この辺」
「ただの熊ならいいけどなあ。モンスターが多いから、あんまり離れるなよ?」
 ただの熊でも普通は素手で倒せないんじゃないかな。それともこの世界では彼のような強さが標準? そんな馬鹿な。
 そして聞き捨てならない単語があった。
 モンスターとは……怪物、化け物、巨大なもの。ということは、ここファンタジー系の世界なんだ。うう、危険度が一気にはねあがった。

 とにかく安全地帯を見つけるまで迂闊なことはできない。道中に現れるモンスターを薙ぎ倒しながら進むマッシュの後ろをついていく。
 この人、めちゃくちゃ強いしめちゃくちゃカッコイイんだけど、どうしよう。嫁ぎたい。今頃になってさっき抱き留められた感触に顔が熱くなってくる。
 麓に着くと大きいわりに簡素な見張り小屋があった。さっきマッシュは修行がどうとか言ってたから、コルツ山はそういう場所なのかな。
 小屋に入ると壮年の男性が暖炉に薪をくべていた。この世界も今は冬なんだ。
 不思議と季節だけは通じてる。真夏の服装なのにいきなり真冬の世界に放り出されたりしないのはありがたい。運命がくれるせめてもの情けってやつだろうか。

 マッシュが「ただいま戻りました」と丁寧に声をかける。そんなギャップにまたやられている私はさておき、壮年の男性が振り向いて私を見つけ、目を見開いた。
「ほう! やりおるのー。まさかあのマッシュが山で嫁さんを見つけてくるとは」
「何を言ってんですか、師匠」
 そ、そんな、もう公認で嫁さん扱いだなんて! ありがとうございます。
「お義父さまですか?」
「格闘技の師匠だよ。俺は……家を出て以来ダンカン師匠の世話になってるんだ」
 そうなんだ。確かにマッシュの物腰は見た目に反して紳士的で優雅で、こんな山で修行に励む武闘家っていう感じじゃない。違う場所から来たというのは納得だった。

「お師匠様。こいつ帰るところがないらしいんですけど、泊めても構いませんよね」
 マッシュに言われてダンカン師匠は躊躇なく頷いた。弟子の優しさは師匠譲りなんだ。でもこっちには惚れない。私はマッシュ一筋だから!
「ここに住むのは構わんが、お前のベッドを使うのか?」
「えっ!?」
 それはさすがに気が早くないですか。と思ったら驚くべきことにマッシュも当然のように「そうするつもりだ」と頷いている。
「兄弟子は怒るでしょうし、俺と一緒でもいいよな?」
「えっ!」
 いや、いいかと聞かれたら私は、もちろんいいんだけれど、心の準備がまだちょっと……!
 というかこの見る限りワンルームな小屋でダンカン師匠も同じ部屋にいるのにマッシュと同じベッドで寝るの!?

 頭がこんがらがってきた私を見かねてダンカンが声をかけてくる。
「お嬢さん、名前は?」
「あ、えと、サクラです」
「帰るところがないんじゃろ?」
「はい……そんな感じです」
 しばらく考え込むダンカンを見て、いっそのこと怪しさを理由に追い払われたいなんて思ってしまう。この二人の許容力が望外すぎてついていけない。
「わけありらしいが、それはマッシュも同じじゃ。そのまま嫁にしてしまえばよかろうに。どうせ女嫌いを克服する宛もないんだから、これを逃したら一生結婚できんぞ」
 えっ、マッシュが女嫌い……? なんてもったいない! じゃなくて、なんでマッシュはそんなビックリして私を見てるんだろう。まさか……。

「もしかしてサクラ、女だったのか?」
 本当に、本当に気づかなかったと言いたげに素直な驚きを現しているマッシュに、ちょっと泣きそうになった。
「お、男に見えましたか」
「どんな目しとるんじゃ、お前」
「え? いやだって、髪短いし、男の格好してるし」
 べつに男の格好なんてしてないんだけれど、この世界的に女性のショートヘアーやパンツスタイルはあり得ない感じなのだろうか。
「髪伸ばしまくります……」
「ご、ごめん」
 仮に男装に見えたとしても“男物の服を着た女”でしかないはずなんだけどなあ。どうして男だと思われたんだろう。へこむ。

 とにかく、マッシュが自分のベッドでいいなんて言ったのは私を男だと思ってたからみたいだ。女ならさすがにそれはまずいと青褪めている。
「バルガスのベッドは使えないですよね」
 誰だろう。分かんないけど、知らない人に自分の寝具を使われるのはたぶん大抵の人が嫌だと思う。
「構わんじゃろう。あやつは帰ってくるつもりなどないらしいからな」
「師匠……」
 ほんと、誰なんだろう。なんだかちょっと深刻な雰囲気だ。
 と思った瞬間、ダンカン師匠はガラッと表情を変えて笑った。
「さて、わしは晩飯でも捕ってくるか。あとは若いもん二人で……ファファファ!」
「師匠!」
 今、捕ってくるって言った? ……山を降りるまでに見たモンスターを思い出して、この世界の食事事情がちょっぴり怖い。

 明るすぎる師匠を見送ってため息を吐きつつ、私を椅子に座らせてマッシュが紅茶を淹れてくれた。
 こんなにムキムキなのに彼が貴公子に見えるのは私の目に初恋フィルターがかかってるのか、それとも彼自身の育ちがいいせいなのか。
「バルガスってのは師匠の息子さんで、俺の兄弟子だ。ここしばらく帰って来なくてな」
「家出ですか?」
「もうちょっと深刻かもしれない。何年か師匠と対立してたから」
 なんだか込み入った事情があるところに転がり込んでしまったみたいで恐縮する。

「私、邪魔ですよね。人がいる場所に行けばあとは自分でなんとかできるので、町がある方向だけ教えてもらえませんか?」
「なんとかって、町に行っても家まで帰る方法は分からないんだろ」
 というよりも、帰るべき家がないというのが正確だ。
「……本当は、どこに帰ればいいのか覚えてないんです。こうやっていろんなところ転々としてきたから。でも知らない場所に放り出されるの、慣れてるし、どうせまたすぐ他の場所に飛んじゃうと思うし」
 そんなにきちんと居場所を確保する必要なんてないんだ。町に行けば日雇いのバイトでもしてなんとなく過ごしてるうちに、また……。
 また、マッシュともお別れだ。そう思ったら胸が痛んだ。

 なんだか考え込んでいたマッシュが困惑したように顔をあげる。
「サクラ、武器とか持ってんのか?」
「え? あ……」
 そういえばここにはモンスターがいるんだった。町の場所を教えてもらっても一人で行くのは難しいかもしれない。でも、これ以上この人たちに迷惑をかけるのは嫌だな。
「に、逃げ足には自信があるので!」
「町の方がいいなら俺が送ってやるけど、ここでもいいなら遠慮するなよ。家に帰れなくなって行く宛もなくて……俺もそうやって拾われたんだ。もう一人くらい面倒見る余裕はあるぜ」
 そんなの、今からまた知らないところへ行くよりここの方がいいに決まってる。
 だけど……この優しさを受け取ってしまったら、離れるのが辛くなりそうなんだもん……。




← |

back|menu|index