×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
若草色の野原へ


 分かっていたことだが、何事もなく穏やかに過ぎる平和な日々はそう長く続かない。
 今日の空はどんよりと曇っている。明日には荒れ模様になりそうだ。
 嵐を引き連れてくるかのごとく、夕刻になるとナギ平原の旅行公司に客があった。
「ズークさん?」
 ベベル時代の友人だ。といっても、もう十年近く連絡をとっていなかったけれど。

 彼は始め、私のことが分からないようだった。
 それはそうだろう。最後に会ったのは私が十二歳の時。ベベル宮を発つ少し前のことだ。
 だがナギ平原に居座っている召喚士など二人といない。私の持つ槍を見てすぐに思い至ったらしい。
「……カルマか! ああ、すまない、すぐには分からなかったよ」
「それだけ私も成長したってことだ。誉め言葉として受け取っておく」
「性格は相変わらずのようだな」
 どういう意味だ。

 今頃はベベルの僧官長にでもなっているかと思っていたのに、まさか彼が召喚士になったとは。
 しかも、よく見ればガードの二人も見覚えのある顔だ。
 一人はかつて……何年前だったか、ギンネムと共にこの地にやって来た少女。もう少女ではないな。
「ルールーと、」
 そして青年の方はルールーよりも記憶が朧気だが、確かに会ったことがある。
「あー、ワッカ、だったかな?」
 ビサイドで世話になったあの少年だ。彼も随分と成長したものだ。
 ……もう、あれから何年経ったのだろう。

 私に名を呼ばれて困惑しているワッカに、ルールーが耳打ちしている。
「カルマよ。ほら、キマリと一緒にユウナを連れてきた」
「ああ! あの……召喚士様か」
 妙な間があいたな。何を言い淀んだのか。
「あの筋力馬鹿の召喚士様? 才能なしの召喚士様? 熱中症で倒れた間抜けな召喚士様?」
「俺なんも言ってないだろ!?」
 でもたぶん図星だと思う。だって目が泳いでいるからな。

 まったく、召喚士とガードは飽きもせず旅を続けてくれる。私の仕事にも終わりがない。
 しかし彼らはなんとなく違っていた。悲愴は悲愴なのだが、ザナルカンドに赴く者の顔ではないんだ。
 ズークさんもルールーもワッカも、互いに気まずそうにして目を合わせようとしない。
「妙な空気だな」
 喧嘩でもしたのかと視線で問えば、ズークさんは苦く笑って答えた。
「私は……ここで旅をやめることにしたんだ」
 広すぎる平原に立ち、道を見失った。ザナルカンドには行けない、と。

「それは賢明な判断だ。私としてもありがたい」
 二人までならともかく三人連れを強引に阻止するのは厳しいだろうから。
 私がここで何をしているかを知っているルールーが眉をひそめた。
「……まだ続けているの?」
「ああ」
 彼女の言葉にズークさんとワッカは首を傾げている。
 どうやらナギ平原で召喚士の邪魔をしている不届き者の存在は世間に伝わっていないらしいな。
「ズークさん。あなたはどうせ私に邪魔されてザナルカンドには行けなかったんだ。だから旅の中断を気に病むことはない」
 心置きなく召喚士なんてやめてくれて構わないぞ。

「カルマ、まさか召喚士をここで引き留めているのか?」
 驚きに目を見張るズークさんに悪びれず頷いてみせる。
 ブラスカさん以来、ザナルカンドに辿り着いて戻ってきた召喚士は二人だけだ。
 尤も、そのうちの一人は私自身だし、もう一人の時も私は同行したのだけれど。
 そしてどちらも究極召喚を求めて行ったのではなかった。

「ろくに誰も通らないお陰で、ベベルからのお咎めもなしだ」
「それは幸いだ。だが今日で最後にしてくれ。シンの復活を聞いていないのか? また多くの召喚士がザナルカンドを目指すだろう。次からはお咎めで済まないぞ」
 真剣な眼差しで諭すズークさんに違和感を抱く。……シンが復活した、だって?
「ナギ節が終わったのか? でも、ベベルからは何も連絡がない」
 本当にそうなら私のもとにも報せが来るはずだ。
 すぐにではなくても、ナギ節の比ではなく召喚士がこの地を通り抜けてゆくことになる。
 次の大召喚士が誰になるのか、ベベルの興味はそれだけだ。

 シンが出たなどという噂はナギ節の最中にも囁かれる。大抵は噂に過ぎない。
 本当に目撃されたのなら、その嘆きはナギ平原にまで聞こえてくるはずではないか。
「小さな被害は出ていた。半年前にも討伐隊が戦ったんだが……」
「戦死者が出たのか? そこまで活発化しているのにベベルが黙っている、と?」
 討伐隊が対応するならもう噂の域を出ている。なぜ寺院はナギ節の終わりを報せない。
 吐き捨てるようにワッカが言った。
「教えに反する作戦だ。どうせ“被害”に入ってないんだろ!」

 精悍な青年に育ったと思っていたが、今はどちらかというとむしろ荒んだ印象だ。
 ビサイドで出会った朗らかな少年と怒りに震える今のワッカは結びつかない。
 どういうことなのかと目で問えば、ズークさんは沈痛な面持ちで事情を話してくれた。
「機械を投入した、アルベド族との協同作戦だったんだ。ベベルは……その作戦を公式に認めていない」
「なるほど。エボンの民に被害が出なければ寺院にとってのナギ節は未だ終わっていない、ということか」
「だが、じきにスピラ全土がナギ節の終わりを知ることになる。カルマ、もう召喚士の邪魔はするな。……私に言えた義理でもないだろうがね」
 彼はそれでも旅に出た。そして、旅を止めた。

 ブラスカさんのもたらしたナギ節は終わりを告げた。
 彼の奥方の同胞と、勇ましき討伐隊の戦士たちがシンに立ち向かったというのに、その事実は知らされない。
 どうしてそうも容易く踏みにじることができるんだ。
 彼は……それでもブラスカさんは、アルベドも、エボンの民も、等しく想っていたのに。
 スピラに生きるすべての者の平穏を願って死んでいったのに。

 胸の辺りがムカムカするが、それはともかく、だ。
 数ヵ月もすれば忙しくなるだろう。ズークさんが自分で旅の終わりを決断してくれてよかった。
「これからどうするんだ?」
「ベベルに戻るよ」
「正直に旅をやめましたと申告するつもりか。ここの公司で雇ってもらえばいいのに。あなたはナギ平原で死んだと伝えるよ」
 わざわざ寺院に戻って理不尽な扱いを受けることはない。そう言ったが、ズークさんは苦笑するに留めた。
「自分に正直になった結果、旅を続けられなくなった。今さら嘘は吐けない」
 彼の方こそ、その馬鹿真面目な性格は相変わらずのようだ。

「知ってると思うが、あなたが寺院で居場所を維持するのは困難になる。私の知人が管理している家に住んではどうだろう」
 聖ベベル宮から離れたところにひっそりと佇む一軒家。
 少し寂しくはあるが、あの家はとても暖かい。
「ブラスカの家か」
「……うん。人に預けているんだが、私は家賃が払えないので心苦しくて。あなたが住んでくれるなら助かる」
「では、そうさせてもらおうかな」

 ズークさんは明日まで休むと言って公司に入ったが、ガードの二人はぼんやりと暮れゆく空を眺めている。
「なぜまたガードになったんだ?」
 少なくともルールーはギンネムの死んだこの地に二度と来ないと思っていたが。
「こいつの恋人が、ジョゼの作戦に参加してたんだ」
「何その言い方。あんたの弟でしょう」
「……どっちだっていいだろ」
 ああ……そう、だったのか。

 ブラスカさんのナギ節が終わって間もなく、彼らもまた大切なものを喪った。
 あの時、ギンネムについていくと決めたルールーが恐れていたことが、現実となってしまったんだ。
 ……二人とも、ズークさんが旅をやめてもまたガードとして戻ってくるだろうな。

 何も言えなくなった私をワッカがじっと見つめた。
「あんたこそ……どうして召喚士の邪魔なんかしてるんだ? あんたもここで旅をやめたのか?」
 さっさとザナルカンドに行けとは言わない辺りが優しい青年だ。
 以前も「召喚士にだって息抜きが必要だ」と言ってくれたのを覚えている。

 召喚士はナギ節という一時の夢を見せるために命を捧げる。
 私は彼らの尊い名をスピラに伝える。
 ずっと当たり前のようにそうしていくものと思っていた。
「私には、もう同じ夢を見られない。ザナルカンドに行くことも、それを許すこともない」
 この二人はいずれまた戻ってくるだろう。必ず私がここで旅を止めさせる。
 ルールーやワッカを新たなシンにしてなるものか。

 もう日が沈む。また夜が来る。だが、ズークさんは家に帰れる。……よかった。
「明日ビサイドに帰れ。ユウナが待ってるだろう。そしてもうガードになんてなるな。私はちょっと、君たちが恨めしいよ」
 ガガゼトを昇ってゆくブラスカさんの背を見送りながら私が抱いた焦燥。
 あれをユウナも味わったはずだ。
 ルールーとワッカがいなくなる。そんな未来を阻止するためにこそ、自分が召喚士にならなければ、と。
 親しい者たちが旅立つのを見て、彼女の決意はより一層固くなったのではないだろうか。

 八つ当たりじみた私の言葉にワッカは肩を竦めた。
「んなの、あんただって同じだろ」
「私が?」
 そしてルールーも批難がましく続ける。
「ユウナは昔、あなたがいなくて淋しがってた。最近は言わないけど……召喚士になれば、ナギ平原で会えると思ってるんじゃない?」
 それは困ったことだな。遊びに来てくれるのなら歓迎だが、ただ来て帰るには遠すぎる。

 ユウナが召喚士になるのは覚悟している。ただ悪足掻きをしてるだけなんだ。
「私を倒してザナルカンドに行きたければ腕っぷしを鍛えるようにと伝えなさい」
「召喚術を、じゃないのかよ……」
「召喚術で勝負したら私が負けるに決まってるだろう」
「なんで胸張ってんだよ!」
 悲しいことにブラスカさんは召喚士としての才能があった。そしてユウナは彼の娘だ。
 まともに戦っても私に勝ち目はない。
「あと、キマリは連れてこないでほしい。勝てる気がしない」
「ユウナが召喚士になるのにキマリがガードをしないわけないでしょう?」
 それはそうだな。……ああ、嫌だなぁ。どうかユウナが召喚士になんてなりませんように。

 北の登山口を見つめつつ、ワッカは遠慮がちに呟いた。
「ユウナに来てほしくないなら……」
「私がザナルカンドに行って究極召喚を得ればいい、か?」
 ばつが悪そうに頭を掻く。べつに「お前が代わりに行け」と言ってもいいのに。
 私に行く気がないのは別として。
「幸いにも私にはガードがいないのでそれは叶わない」
「じゃ、俺がガードやってやろうか?」
「……そうね。ちょうどいいかも」

 二人の背後でイクシオンが嘶いた。臨戦態勢の召喚獣にワッカもルールーも顔を強張らせる。
「縄でくくりつけて平原中を引きずり回されたくなかったら馬鹿なこと言ってないでさっさとビサイドに帰るんだな」
 イクシオンのエネルギーに惹かれたように雷鳴が轟いた。
「こ、怖えぇよ……」
 そろそろ雨が降り出しそうだな。
 明日、彼らが帰る頃には雷もおさまっているといいんだが。

 ナギ平原は美しい。恐ろしい嵐の日でさえ稲光は凄烈な美しさがある。
 魔物も多いけれど、野性動物の姿も見かけるんだ。
 春には花が咲き乱れ、夏にはこの野原いっぱいに緑が輝き始める。
 ここにも命の営みがある。死にに来るような場所じゃない。死で死を購う……そんな場所じゃないんだ。




|

back|menu|index