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崩れる日常


 メルがうちにやって来たのは昼過ぎのことだった。
「ルカに家を借りてきたんだ」
「……へっ?」
「で、もう家賃発生してるから明日には引っ越すつもり。はい、これ御挨拶の品です」
 そりゃご丁寧にどうもありがとう……ってなるわけないだろ。
「なに言ってんだよメル、引っ越すって……」
 思わずメルの家を見たが、もちろんいつも通りの姿でそこにある。
「こっちの家はルーが管理してくれるって。でも、誰か島に住みたいって人がいたらあげちゃっていいよ」
 意味がよく分からん。

 よそからきてビサイドに住みたいなんて変なやつはそうそういないだろ。ユウナ以外は。
 第一、そんな誰かに家をやっちまったらメルはどうするんだ。
 そこまで考えてヒヤッとしたものが背中を伝った。
 帰ってこないってことかよ。
 だからもう、ビサイドの家はいらないってか?

「仕事は見つけてあるから大丈夫だよ。あんまり流行ってないカフェだけど十五歳でもいいって。家賃の支払いにも間に合うしちょうどよかった」
「おいおいおいおい、ちょっ、ちょっと待て!」
 手際よく決めすぎだろうが。俺の理解がまったく追いついてないぞ。
 ルカに家を借りて明日には島を出て仕事も決まってるって?
 そもそも……、どうしてそんなことになったんだ?

「お前……島を出るのか?」
「うん」
「なっ、なんで!」
「だってこのままビサイドにいても、どうしようもないじゃない」
「どうしようもないってことはないだろ……」
 確かにビサイドは田舎だ、スピラの端っこだ。でも、生きていくには充分なものが揃ってる。
 多少の不便はそりゃあるだろうが、ルカにはたまに出かけるくらいでいいじゃねえか。
「なにもルカで暮らす必要はないだろ?」

 ビサイドに不満があって出ていくわけじゃない、とメルは言う。
 俺としちゃ問題はそこじゃないんだが。
「前からブリッツ関係の仕事がしたいって思ってたんだ。将来のこと考えたら、やっぱビサイドを出ないと」

 確かにメルはブリッツが好きだ。
 万年初戦敗退のオーラカでさえめげずに応援し続けられるくらい熱心だ。
 しかしビサイドでは、メルの求めるブリッツ関係の仕事なんてものはない。
「私って運動あんまり得意じゃないし、そもそも泳げないし、オーラカの選手になるのは無理でしょ。だから、他のところからサポートしたい」
「んで、ルカで働く……ってか」
 オーラカのためだと言われると弱い。だが、それでも、やっぱり納得できねえ。

 メルは屈託のない笑顔で「応援してね」と言った。
「アホか! ブリッツシーズンだけ遊びに行くのとはワケが違うんだ。お前は都会の怖さってもんを分かってねえ」
「それはたぶんワッカより私の方が知ってると思うけど……」
「何だって?」
「ん、なんでもない」
 田舎育ちのガキがルカで暮らして、楽しいだけで済むと思ったら大間違いだ。

 家を借りるとなればそれだけで金がいる。
 普段の生活に必要なものだって、ビサイドとは比べ物にならないほど高い。
 どうやって稼ぐつもりなんだ。
 しかもどこに就職を決めたって?
 カフェだと? 流行ってないカフェだと!?
 ルカの外れにあるカフェなんか、わざわざ表通りを避けるガラの悪いやつらの溜まり場じゃねーか!
 それを十五のガキでも雇うなんてろくなもんじゃないに決まってる!
 ぜっ、絶対に許さねえ!!

「とにかく、もう決めたから。明日から私はルカに住みます」
「まだ正式に働いてねえんだ。やっぱり止めるって言ってこい」
「はあ!? やだよ!」
「働くだの一人暮らしだの、何もかも早すぎんだよ!!」
 何かやりたいってんならべつに止めはしないが、ビサイドで商店の手伝いでもやってりゃいいだろ。
 島の外が気になるならリキ号で見習いをやってもいい。
 どうしてもブリッツに関わりたいってんなら、オーラカのマネージャーでもやればいい。
 ……まあ……給料は、ちっとばかし……あれだが。

 どう言って引き留めたもんかと悩む俺の耳に飛び込んできたのは、メルの辛辣な言葉だった。
「いつまで親代わりのつもりでいるの? 私もう十五歳だよ。一人でもちゃんと生きていける」
「……」
 なに言ってんだよ。
 いくつになろうと親の代わりがいらなくなるわけないだろ。
 親父さんたちの墓を作った時に、メルのことは俺が面倒見てやると誓ったんだ。
「ま、淋しくなったらシーズン外でも遊びに来てね。立派に働いてるとこ見せてあげるから!」
 手離せるわけがない。手離したくなんかない。
 だがメルは、宣言通り翌日の朝、リキ号に乗り込んでビサイドを発った。

 メルの部屋はほとんどそのまま残されていた。
 ビサイドの家具はルカの部屋には合わない。持ち去ったのは手荷物だけだ。
 敷物も棚も机も寝台も、ほぼ使われてない埃を被った調理場もそのままだ。
 初めてキーリカに行った時に買った木彫りのオハランド像も。
 ルールーも入れてチャップと四人でルカに行った時に撮ったスフィアも。
 メルの暮らしていた形跡は全部そのままだ。
 ただ、とうのメルだけがここにいない。

 ルカに行って働いてるだけだ。住む場所が変わっただけだ。
 何も危険なことをしてるわけじゃない。
 それは分かってるんだが、この空っぽの部屋を見てると不吉な予感ばかり浮かんでくる。
 まるでメルが本当に……いなくなったみたいで、気分が悪い。

 これから先、朝起きてボケッとした顔のメルがこの家から出てくることはない。
 舌ったらずにおはようと言って欠伸をして、寺院に行って目を覚ます。
 浜に行って大人の手伝いをして、村に戻れば年下の子供連中の面倒を見てやる。
 当たり前に繰り返してきたビサイドの日常から、メルの姿は消え去った。

 あいつ一人で寝られるのか。淋しくなってもルーの家に潜り込めないんだぞ。
 病気になったら誰が看病するんだ?
 俺がすぐに行ってやりたくたって、ルカからどうやって連絡するつもりだよ。
 食事はどうするんだ。自分で作ってたら確実に体を壊しちまうだろ。
 外で食うにしたってビサイドとは違う。
 ちょっと近所の夕食に混ざっても後片づけを手伝えばチャラ、なんて無理なことだ。
 ルカでは何するにも金が必要だ。いきなり働き始めたガキがそんなに稼げるかよ。

 一人で生きていけるなんて言うな。
 無理に決まってんだろ。
 俺の世話はもういらないってのかよ。
 お前まだ十五のガキなんだぞ。
 ガキらしいことなんてほとんどしてないだろーが。
 もっと我儘言って好き放題やって怒られて……。
 大人びて将来の心配なんかするのは、十年早いんだよ、馬鹿。

「兄ちゃん……」
 呼ばれて振り向けば困った顔してチャップが覗き込んでいた。
 通りに射す日差しが強い。いつの間にか昼になってたようだ。

「そろそろ妹離れしないと、メルが外で就職しただけでそんなへこんでてどうするんだよ」
「働くのが駄目だなんて言ってねえ。ルカのチャラチャラしたカフェなんか許さんって言ってんだ!」
「大丈夫だよ。流行ってないのは店主が頑固な爺さんだからで、確かにガラ悪い常連はいるけどタチ悪いってわけじゃなかったし」
「……チャップ、あいつの職場見てきたのか」
「うっ……い、いや、心配だったから、つい……」
 お前も充分すぎるくらい兄馬鹿じゃねえかよ。

 実際のところ、メルは俺やチャップよりずっとしっかり者だ。
 商店や寺院で仕事を手伝ってたから客の扱いにも慣れている。
 もっと幼い頃から大人顔負けの妙な度胸も見せていた。
 たぶん、うまくやっていけるだろう。
「旅に出ちゃうわけじゃないんだしさ。しょっちゅう帰ってくるだろうし、シーズンには毎日会えるよ」
「……」
 だからって、心配しないわけないだろうが。
 メルが目の届くところにいない。それだけでもう、駄目なんだ。




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