03
いくら田舎とは言っても、ビサイド島は寺院を抱えてここらで一番大きな島だ。周りの小さな島々に比べれば人口は多い。
広場の掃除に食事の準備。全員が集まるというので仕事が盛りだくさんだった。
ああ面倒な時に帰ってきてしまった……。
ユウナが寺院に入った昨日からずっと、祝宴の準備雑用に扱き使われまくっている。
ほらまたしても私を呼ぶ声が。
「おーい、メル!」
……ワッカ、お前もか!
呼ばれて駆け寄っていけば、ワッカの隣には見慣れない少年……青年……どっちとも言い難い年頃の男の子が立っている。
誰だろう、こんな時期にビサイドにやって来るなんて。
「何? 旅の人?」
「いんや、さっき浜に流れ着いたんだ。ザナルカンドのブリッツ選手らしい」
「えぇ?」
「って、言っちゃうのかよ!」
ザナルカンドですと。それはまた遠いところからわざわざ……って話では、ないよね。
慌てふためく彼に向かって、私を指差しワッカは更に続けた。
「こいつ、メルも昔、シンの毒気に当てられてよく分からんことを言ってた時期があってな。お前のことも少しは分かるかもしれん。いろいろ相談してみろよ」
「あ、うん」
えーちょっと、勝手なこと言わないでくれます?
引き受けられるかも分からない相談事を勝手に引き受けないでもらいたい。
私も、ということは、彼もシンの毒気に当てられた人なのか。
さっき浜に流れ着いたなら近くでシンが出たってこと? そんな気配はなかったけれど。
戸惑うばかりの私たちをよそに、ワッカはさっさと食料庫の方へ去ってしまう。
「俺は飯の準備してくるから、その間にちょっと話をしてやってくれ」
「はあ」
いったい何を相談されるんだ。
ザナルカンドのブリッツ選手。毒気に当てられて混乱する人は多いけれど、珍しいパターンだな。
ちらりと様子を窺えば、確かに小柄ながらも筋肉質で鍛えていることがよく分かる。
プロスポーツマン、って感じだ。
日に焼けた肌と染めた金髪も……染め……、あれ? 髪を染めてる? 生え際が茶色い。
「あーっと、とりあえずザナルカンドの君、名前はなんていうの? ちなみに私はメルです」
「ティーダ。……ザナルカンドから来たなんて、信じてんのか?」
「信じてるっていうか、べつに疑う理由もないし」
毒気に当てられての妄想という可能性が高いけれど、彼がその記憶を信じているならそれが彼の真実には違いない。
でも、もしかしたら本当にザナルカンドから来たかもしれない、とも思う。
ティーダからは久しく嗅いでいない都会の匂いがするんだ。
立ち話も何なのでワッカの家に入ってもらう。ついでだから私も休憩しちゃおう。
「ところで君、自宅の電話番号とか覚えてる? ケータイでもいいけど」
「そりゃ覚えてるけど……えっ!?」
目を見開いた彼は急に振り向いてカーテンをめくり、家の外に顔を出してキョロキョロ辺りを見回し始めた。
「ん……? あー、もしや電話線を探してる? 見ての通り、この文明レベルだからスピラにはそんなものないよ」
「だ、だよな」
ルカに行けば事務所と選手控え室を繋ぐ内線や近距離用の無線機くらいはあるけれども、電話なんて夢のまた夢。
緊張しきった顔で私の方に向き直り、ティーダ君は居住まいを正した。
「もしかして、あんたもザナルカンドから来た……とか?」
「期待させてごめん、そういうわけじゃないんだ」
「そっか……。でも、それじゃあどうして電話なんて知ってるんだ?」
シンの毒気にあてられて記憶が混乱するのはよくあること。
頭がごちゃごちゃして人格から変わってしまい、別人に成り果てる人も珍しくはない。
でも言ってることは大抵が支離滅裂なんだよね。
……彼は、自分の名前もどこから来たのかもちゃんと覚えてる。
妄想が作り出したとは思えないほど明瞭な“ザナルカンドの記憶”を彼は持っているんだ。
とにかく、私も同じ素性ではと期待させてしまったのは申し訳ない。
きっとワッカも、私の妄想と彼の妄想に共通点を感じて引き合わせたんだろう。
「私にもスピラではない別の世界の記憶がある。でもそれは、残念ながらザナルカンドじゃないんだ」
「……って、つまりどういうこと?」
ここ、スピラとは違う世界に、メルではない人間として生きていた記憶。
どこまで話していいものかと迷って、すぐに心は決まった。
ワッカが彼を迎え入れたんだから、彼は信頼に値する。すべて話しても構わないだろう。
「転生って分かる?」
「生まれ変わりッスね。あ、じゃあ別の世界って、前世の記憶ってやつ?」
「そうそう。よかった、話が早くて」
ザナルカンドにもその概念があったなら、説明は簡単だ。
幼い頃シンに故郷が滅ぼされ、そのショックで前世の記憶を思い出したこと。
そこは機械技術が発達しているという限定的な共通点以外、ザナルカンドとはまったく異なる世界だということ。
そんな世界に生きた記憶を持ってはいるものの、今の私は身も心もスピラに生まれたメルという存在だということ。
理解の範疇を越えた私の言動も彼と同じく“シンの毒気”で片づけられていること。
それらを聞き終えて、ティーダ君は呆然としていた。無理もない。
自分の状況だけでいっぱいいっぱいだろうに、私の話まで聞かされたってね。
そして、彼の話も聞かせてもらった。
眠らない町ザナルカンド。彼はそこに生まれ育ち、ほとんどの若者と同じようにブリッツの選手を志した。
所属チームはザナルカンド・エイブス、彼はそこのエースストライカーだった。
ある試合の最中、スタジアムに巨大な化け物……シンが現れた。
彼の後見人であったアーロンという人に導かれ、シンに近づき、気づいたらスピラにいた。
どこかの廃墟で目覚めた彼はアルベド族の一団に助けられ、しかし彼らともはぐれて今度はビサイドに流れ着いた。
……で、今に至る、と。
「うーん。いろいろ気になる話だね」
「帰る方法、あると思うか?」
「分かんないけど、来たんだから帰れるんじゃないかなぁ」
「そ、そうだよな!?」
あまりいい加減に希望を与えるのもどうかと思うけれど、聞く限りでは二度と帰れないものでもなさそうだ。
シンが現れてティーダを連れ去ったのなら、極論、次ザナルカンドに行く時について行けばいい。
あと、そのアーロンという人も気にかかる。こっちの世界でアーロンといえば真っ先に浮かぶのはあの御方だけれども。
「まあ、私の場合は所詮“前世の記憶”だからさ。しかもザナルカンドでもないし、何の参考にもならなくてごめん。君の話を信じて帰る方法を一緒に考えるくらいしかできないけど」
「いや、ありがとな。信じてくれるってだけでも、すっげー嬉しい」
「頭おかしい呼ばわりはキツいもんね、それはよく分かるよ。自分で自分のこと疑いたくなったりさ」
彼は『帰りたい』と思える場所から来たんだ。それなら、私は彼が元いた世界に帰れるように願おう。
「ところで、ザナルカンドってのは……眠らない町、なんだよね? 機械文明が発達してて、夜でも町は明々と」
「街灯やビルの窓から漏れる光で星空も見えないくらい。夜は夜で生活してるやつがいるから、町はずっと起きてるんだ」
ふむ。やっぱり想像に違わず私の前世と似たような生活風景だったみたいだ。
ブリッツスタジアムなんかのことを考えると、地球より文明レベルは上だったかもしれない。
それはともかく。
「車や電車がなくて不便とか、テレビもゲームもなくて娯楽がないとか、そういうのはすぐ慣れるよ。ド田舎に引っ越してきたと思えばね。ただ……」
「なんか問題があるのか?」
「……」
不安そうに私を見つめるティーダ。私は真剣な顔で呟いた。
「ハンバーガー」
「へっ?」
「……コーラ、ドーナツ、スナック菓子にインスタントラーメン」
「ううっ!?」
「フライドポテト!」
「そ、それが何なんッスか!」
何を言ってるかは、分かるらしい。
「やっぱ、ザナルカンドにもあるんだ?」
「まあ……」
「好き?」
「……ブリッツのオフシーズンは、食べてたッスね」
だよねー。スポーツ選手なら健康食に偏ってた可能性に賭けたかったんだけど、若者はそれから逃れられないのだ。
「つらいぞー」
「えっ」
「たまに、無性に、食べたくなる……あの濃い〜味」
神妙な顔つきに変わったティーダは俯いて、しばらく黙り込んだあとにぽつりと聞いた。
「スピラにジャンクフードって?」
「ありません」
「ですよね……」
そう、不便や退屈は自分の工夫次第で何とでもなる。
しかし“食”は、個人の力ではどうにもならないのだ。
いかにも体に悪い、だからこそ中毒性がある、やめられない止まらないジャンクな味わい。
安っぽくて下品な、特に、おいしくもない、だけど時々とても恋しい。
「それって、かなりキツいかも」
「すっごくキツいよ」
もう二度と食べられないと思うと無性に欲しくなる……。
コーラもねえ、ポテトもねえ! な生活に遠い目をするティーダの肩を叩き、ひとまずの話を終える。
「まあ今後のことはゆっくり考えるとして、今はとりあえず休みなよ。ワッカが食事の準備してくれるからちょっと寝たら?」
奥の寝室を示すと、ティーダは小さく頷いた。
「うっす。……ありがとな。ワッカにもお礼言っといて」
「まだお礼は早いけどねー。でも面倒見るって言って途中で放り出す人じゃないから、心配しないでいいよ」
というより、心配すべきはワッカの方なんだけどね。
すぐに最後の試合が始まる。それが終わったら長い長いガードの仕事が待っていた。
ガードに専念するために最後の試合と決めたくせに。
どうやってティーダの面倒を見てあげるつもりなんだか、もう。
← | →