均衡に生きて
雪に埋もれそうになりながらガガゼトの山道を登ってると、風邪引きやすいミトラがまた寒さにやられるんじゃないかと心配になる。
が、そんなこと考えながら振り向いた俺にミトラは真顔で馬鹿な質問をぶつけてきた。
「ワッカって俺に欲情する?」
視界が傾いたかと思ったらミトラが慌てて手を伸ばしてきて、雪庇の崩れたところから俺を引っ張りあげた。
……アホな質問に気を取られて危なく崖から落ちるところだった。
「注意散漫だぞワッカ」
「おめえがいきなり変なこと言うからだろーが!」
いっつも心配ばっかりかけやがるくせに自分でそれを台無しにするやつだって、すっかり忘れてたぜ。
ミトラはその話をまだ続けるらしい。他の仲間は先に行ってるが、聞かれたらと思ったら気が気じゃねえ。
「俺は両方いけるくちだから同性でも感じるけどワッカは異性愛者だろ? タチでいけんのかなと思って」
「ところどころ何言ってっか分かんねえけど、その話は今しなきゃ駄目なのかよ」
できればもうちっと落ち着いた場所で、崖から落ちそうになったりしないところで話したいんだが。
そう言ったらミトラは困ったように首を傾げて言った。
「話してないと寒すぎて歩きながら寝そうなんだよ」
「……分かった。話せ」
もう好きにしてくれ。
ナギ平原でのことを根に持ってんのか。あれは、なんで俺が押し倒されなきゃなんねえんだって俺が怒るところだと思う。
「だからさ、男の体に欲情できなきゃ無理だろ。そんで俺が上の方がいいかと思ってたんだけど」
「……単にお前も下になんのが嫌ってだけだろ?」
「ワッカが抱かれるの嫌なら俺はどっちでもいいよ」
嫌っつーか、嫌とかじゃなくてだな、もっとなんつーか、複雑な何かだろ。
というかミトラは男相手に欲情できるってことかよ。んなことさりげなく知らされてもどう反応していいやら分かんねえ。
「そもそもだな、男なのに押し倒されんのが嫌なのは普通だろ。お前は平気なのかよ」
「え? 俺はワッカに抱かれたいけど?」
「う……」
「男同士のいいところは、どっちもできるところだよな」
「だよなって、分かんねえよ」
や、やっぱこの話は後でした方がよかったような気がするぜ……。
なんで照れもなんもなしにそんなこと言えるんだよ。今こそふざけるところだろーが!
ああくそ、寒さがどっかいっちまった。
「大体お前、ルカで受付嬢だのレポーターだの口説いてフラれてなかったか?」
「そりゃー、女の子も好きだからな!」
どっちも好きだってのは前にも聞いたことあったが、女に興味がないわけでもねえくせに男相手でもいいってのは理解不能だ。
同性しか駄目だって方がまだ分かりやすかったんだがな。
しかし男と女では魅力の種類が全然違ってるんだとミトラは熱く語り始めた。
「自分より屈強な男を組敷く優越感っての? 逆に圧倒的な力で捩じ伏せられるのも屈従の欲求が満たされるっていうか」
んなこと熱弁されたくねえぞ。特にミトラには。
「とりあえずお前が変態なのはよく分かった」
「男なんてみんな変態だ」
なぜかふんぞり返っているミトラは俺にいい笑顔を向けてくる。
「ワッカもそうだろ?」
「一緒にすんじゃねえ!!」
いつだったかこいつと話したように、性欲くらいはある。だがそれは子作りのために必要なだけのもんだろ。
少なくとも俺は、同性に欲情なんか……。
「で、話戻るけどワッカは俺に欲情できんの?」
「だっ、」
新雪に足が嵌まって転けた。
雪塗れになった俺を見下ろしつつ、ミトラは生暖かい視線を向けてくる。
「できるみたいっすね」
「……」
その目をやめろ。あと足が抜けねえから手ぇくらい貸せよ。
他の野郎相手にそんな気は絶対に起きねえが、ミトラを相手にできるかって言えば、それは、可能だ。たぶん。
普段ふざけたことばっか言ってるくせに時々こいつは妙に色気がある。
あの夜を凝縮したみてえな黒い瞳が悪いんだ。じっと見つめてると吸い込まれそうな変な気分になってくる。
欲しがったっていつかまたどこかに消えちまうような気がしてたから抑えてただけで、本当は、ずっと……。
俺はずっと、ミトラの瞳に俺だけを映したいと、欲してたんだ。
ザナルカンドに着いたらユウナは究極召喚を得て、シンと戦って死んじまう。
ミトラがいなくなってから、ユウナを止められなかった時から、俺はもう全部を諦めることにしていた。
俺の大事なやつらが二度と笑えなくなるってのに自分が幸せになることなんて考えられるはずもなかった。
シンがいなかろうが平和だろうが、誰もいねえ世界で何が幸せだってんだよ。
だが、ユウナは死なないとミトラは言う。そんなことはさせないと。
一年、苦しいだけの時間だったが、ミトラは確かに帰ってきた。ふざけはするが嘘は言わないやつだ。
きっと、ミトラが言うならユウナは死なないんだろう。それは信じられる気がする。
俺はあいつに悪いとかそんな理由に逃げずに、自分の望みってやつと向き合わなくちゃいけねえんだ。
ただ、それとこれとは別問題だろ。
俺がミトラを好きなのは事実だ、そんなに綺麗なもんでもない欲を抱いてるのも間違いじゃねえ。
でも俺は、男に抱かれる趣味はない。
「まあ、もともと男が好きなわけでもないなら抱かれる側に回るのが屈辱ってのは分かるよ」
「……屈辱とまでは言ってねえだろ」
だから、反応すんのはミトラだけなんだ。他の野郎には何一つ感じない。それと同じ話であってだな。
男に抱かれる趣味はない。そんでも、こいつ相手なら俺はたぶん、嫌じゃないと……思う。
違うんだ。そういう問題じゃねえんだよ。まったく別問題だろ?
「俺はただ、その、できれば……最初は、だな……」
あああくそ、ぜってえ言いたくねえ!
言い淀む俺を見ていて察しがついてしまったらしく、ミトラはすんなりと納得した。
「あー。あれか、前より先に後ろを失いたくない的な?」
「……まあ、そんなとこだ」
「そっか。それはそうかもな」
そうあっさり理解されると逆に恥ずかしくなってくんだが。
「じゃあいいよ、ワッカの好きにして」
「すっ……」
好きにしてってのは“その時”の話だ。べつに今この場でどうこうってわけじゃねえ、落ち着け。
……やっぱ、ナギ平原の公司にいる間にどうにかしときゃよかった。
俺は、結婚を前提にしてなけりゃそんなこと考えもしないビサイドって田舎で育った。
三年前に初めて会った時すでに経験済みだったミトラとでは考え方からしてかなり食い違ってるんだと思う。
だとしても、俺ばっかり動揺して焦らされてミトラだけ超然としてんのは、どうも腹が立つ。
第一こいつはどっちでもいいってんのに俺だけ意固地になってたら、まるで俺が嫌がってるみてえじゃねえか。
「一応言っとくが、べつに俺は、お前に……されんのが、嫌なわけじゃねえからな」
くだらねえものでも男のプライドってやつで、最初だけは絶対に譲りたくねえ。
だがそのあとは、まあなんつーか、ミトラだって男なんだから好きにしたい時もあるだろうしよ。……あんま深く考えたくねえな。
呆然と俺を見つめていたミトラは徐に手をあげて、俺の尻を撫でた。
「おい!」
ひとが真面目に話してるってのに、こいつは……!
しかし続いたミトラの言葉は悪寒になって背筋を駆け抜けた。
「こっちは一回体験したらなかなか抜け出せないと思うけど大丈夫?」
「……」
怖えぇよ。
なんか、でも、こいつがいいって言うんなら、強いて譲ってやる必要もない気がしてきたな……。
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