形あるものに憧れる
近頃ブリッツに興味を示し始めたミトラは、よく海に入って泳いでいる。
もともと泳ぎは得意だったらしいが幻光虫の扱い方が下手なのが難点だな。
他の能力は申し分ないのに長く水中にいられないんだ。
オーラカで一緒に試合やれる日が来るのかは、あんまり期待できそうにない。
しかしまあ陸での練習には付き合ってくれるし、のんびり泳いでんのも楽しそうだから、それ以上を求めなくてもいいとは思うけどな。
海からあがってそのまま放ったらかしていたらしく、髪から服からポタポタ水滴を垂らしながらミトラが歩いてくる。
「ちゃんと拭かねえと風邪引くぞ」
染め抜いたみたいに真っ黒い髪が濡れて重たくなって、首筋に流れてるのを見ると、なんか……。
こう、妙な感じに……いや! ならない! 気のせいだ。
とりあえずうちに引っ張り込んで、無駄に力を籠めてタオルで頭を拭いてやる。
ミトラはされるがままになりつつ文句を言ってきた。
「ワッカってたまに俺を過剰に子供扱いしてない?」
「そりゃ俺じゃなくてお前が悪いんだよ」
「え〜」
過剰に子供扱いしてるわけじゃなくて、ミトラがあまりにもガキなだけだ。
俺だってべつに好きで煩く言ってるわけじゃねえぞ。言われるようなことばっかしてんのが悪いんだろ。
「煩く言われんのが嫌なら、もちっと落ち着け」
「でも俺、ワッカに怒られるの好きだけど」
「へっ?」
「心配されるのって嬉しくない?」
真顔でそんなことを言われて動揺してしまった。言われてみると……俺が説教してる時、ミトラは妙に嬉しそうだったりする。
「……喜ぶとこじゃねえよ。心配させんな」
「あ、痛い痛い痛い! ハゲちゃうって!」
目を離すと何をしでかすか心配だって点では、ガキどもと大差ない気がする。
しかしふと思ったがミトラは一体いくつなんだろうな?
見た目では年齢がよく分からない。そもそもミトラについて詳しく聞いたことがないのを思い出した。
笑ってる時はそこら辺のガキと変わらないくらい子供っぽいくせに、妙に大人びた顔をして困惑させられることもある。
たとえば今みたいに。
「子供扱いされんのが嫌なわけじゃないよ」
チャップやルールーなんかは俺が心配して世話焼くとすぐ怒るんだよな。ガキ扱いするなと言う辺りがガキだろって思うんだが。
ミトラやユウナは嬉しそうにするんだ。そういう顔を見ると時々、無性に切なくなる。
初めてビサイドに来た時、ミトラは「帰るところがない」と言っていた。
ナギ節の間はそんなやつも少ないが、べつにシンがいなくたっていろんな事情で家をなくすやつもいるんだろう。
深く聞かない方がいいだろうと思って聞かなかった。
ただ時々、余計な気を遣わず聞いときゃよかったと思うこともある。
今さらになって「お前いくつなんだ?」とか「どっから来たんだ?」とか、聞くのも気まずいんだよなあ。
ミトラの頭を拭いてやってる間に、帰路につくガキどもが俺とミトラに手を振りながら通りを走っていく。
いつだったか言われた「父親になりたいと思わないのか」って言葉を思い出していた。
ビサイドなんて気を抜いたら人がいなくなっちまいそうな人口の少ない田舎だ。
さっさと結婚して子供を作ることを望まれてるのは分かってる。だが、どうにもそんな気になれない。
嫁をもらったところで俺が幸せにしてやれるか分からねえし、子供なんかできても俺に父親をやれると思えない。
自分がまだガキだった頃を思い返せば、俺が突然いなくなったら残った家族はどうするんだろうとか、そんなことしか考えられない。
何が欲しいか、よりも、欲しがってはいけない理由ばかり考えちまうんだ。
ふと気づけばミトラが俺の方をじっと見ていた。考え事してたら手が止まってたみたいだ。
続きやるからあっち向いてろと言う間もなくミトラが口を開いた。
「失うのが怖くて欲しがれないって気持ちは分からないでもないけどさ。俺もいろんなとこ転々としてきたし……」
……こいつ、たまに心でも読めんのかと思う時があるぜ。
「でも、我慢してるうちになくしちゃうかもしれないだろ。手を伸ばす余裕がある間に、欲しがっといた方がいいこともあるんじゃないかな」
そりゃお前の体験談かよ。
「なんつってー。今日はシリアスに攻めてみました!」
真面目な話に耐えられなくなったようで、ミトラは頬を赤らめて無理やり茶化した。
気づけばミトラがビサイドに来てからもう半年が過ぎてんだよな。
先のことをちゃんと考えてんのかって、こいつにだけは言われたくない気もするぜ。
ずっとビサイドにいるつもりなのか?
ここで結婚して家庭を持つつもりなのか?
それとも、いつかまたどっかへ旅立つのか。
いきなりフラッと現れて、特に困ってもないような顔で「帰るところがなくて困ってる」なんて言っていた。
俺には家庭を持てと勧めてくるわりに、ミトラがそうしてるところは想像できない。
「なあ、お前ホントはどっから来たんだ?」
「……へっ!?」
「勝手にルカから来たと思い込んでたけど、そういやちゃんと聞いてねえんだよな」
というか、俺たちがそう思い込んでるからミトラも強いて言わなかったって気もする。
言いたくないのか言えねえ事情でもあんのか、ルカを出て田舎に逃げてきたやつだと思われてた方が、都合がいいんだろう。
隠してたわけじゃない、でも打ち明けもしない。そういう、もどかしい距離を感じることがある。
ミトラは困ったように眉を下げつつ頬を掻いている。
「言ってもいいんだけど、頭おかしい人扱いされそう」
「もうされてるから安心しろ」
「ええー!?」
実際、変なやつなのは事実だろ。自覚がないとしたらやべーぞ。
まあ、そんなことはどうでもいいんだ。
べつに追い出そうってつもりはない、ただ知りたいだけだ。お前の家はどこにあるんだと聞いたら、ミトラは長く悩んでから答えた。
「どこでもないところ、かな」
「……言いたくないんならいいけどよ」
「いやいやいや、そうじゃなくってさ」
どうも、言いにくくて誤魔化してるってわけでもなさそうだった。
「うーん。スピラとは別の世界って感覚、分かる?」
「は?」
「分かんないよなー」
いきなり壮大な話になって呆気にとられた。
ミトラは指先で床に丸を描くと、その中にいくつかの小さな丸を当てはめていく。
「この外周がスピラとしよう。で、大陸があって海があってこの辺がビサイド」
地図というには適当すぎるが、ミトラはそれと似たような丸を隣にもうひとつ描き出した。
「こっちにもあっちにも似たような世界があって」
スピラを囲むようにいくつもの丸が並ぶ。そのすべてが“世界”なのだと彼は言う。
「俺はこのどっかからピョーンとスピラに跳んできたんだ」
「……」
「わお、すごい胡散臭そうな顔!」
うるせえな。一応これでも、なんとかして理解しようとしてんだよ。
「……その、真面目に言ってんだよな?」
「俺はふざけるけど嘘はつかないよ」
普段ふざけてるから嘘に聞こえんだよ、とは思いつつミトラが嘘をつかないってのは事実だった。
たぶん、ミトラは本気で言っている。自分はスピラではない別の世界ってやつから来たんだと。
シンの毒気にでも当たったんじゃないかと疑いたくなるが、今はナギ節だ。
ってことは素でミトラの頭がヤバイって可能性もあるけどな。
別の世界なんて本当にあんのか、そっからスピラに来るなんて可能なのか、ただの妄想か勘違いじゃないのか。
いろいろ頭を巡ったが、とりあえずそれはどうでもいいってことにした。考えても分かると思えねえしな。
俺が気になるのは、ただ……。
「じゃあ、いつかまたどっか行くのか」
いきなりフラッと現れたミトラだから、急にいなくなるような気もしていた。
そんでもどこに帰ったのかを知ってりゃ会えなくなるわけじゃない。
……そう思ってたんだが、こいつの帰る場所は俺が思ってたより遠いところにあるみてえだ。
床に敷き詰められた世界の数々をぼんやり見下ろしながら、ミトラが呟く。
「どうなんだろうなぁ。意識的に移動してるわけじゃないから」
ある日いきなり世界が変わるんだそうだ。見知らぬ場所に放り出されて「またか」と思う。
そしてなんとかその世界で暮らしてみても、いずれ突然の別れがやって来る。
幼い頃から世界を渡ってきたせいで、自分の帰るところが分からないのだと。
「まあ、だから、ワッカが怖がる気持ちもちょっとは分かるっていうか」
欲しいと願って手に入れたって、不意に失うかもしれない。
いつか突然、置いていかれるかもしれない、置いていってしまうかもしれない。
そんな気持ちは、べつに分かってほしくなかったんだが。
「でもさ、やっぱ人は人と繋がってるべきなんじゃないかな。俺があちこち迷っちゃうのも、根を下ろさなかったせいなのかもなーって、最近思うよ」
じゃあビサイドで結婚でもしちまえば、ここがミトラの帰る場所になんのか。
だったら俺は……やっぱり、自分のことなんか考えてられねえ。
チャップとルールーが結婚して、ミトラも誰かを見つけて、ここにずっといると分かるまで。
築いたものが壊されないと安心できるまで、何かを造る気にはなれねえんだ。
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