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ハリネズミの恋


 夜も更けて午前一時。ちょうどお風呂からあがって髪を乾かしていたところにアーロンが帰ってきた。
「おかえり」
「……」
 やっぱり気まずそうにしている。こんな時間になったのは私と顔を合わせるのが嫌だったからだろう。
 正直、帰ってきたのは意外だ。今夜くらいはティーダの家に泊まるかと思っていたのに。

 仏頂面で近づいてきたアーロンは、小さな袋を差し出した。
「土産だ。……俺ではなく、ティーダから」
「ん? ありがとう」
 私が受け取るとなぜかホッとしたような顔をして、すぐに落ち込む。
 土産の中身はザナルカンド・エイブスのチームロゴストラップだった。
 もしかしたらティーダはエイブスに入りたいのかな。

 もらったストラップを携帯に取りつける。私の手元を睨みつけながら、アーロンは痛みに耐えるような顔をしていた。
 このまま放っといて有耶無耶にしてもいいのだけれど、彼はいずれまた同じことを繰り返すんだろう。
「そんな顔するならどうして戻ってきたの?」
 いきなり嫌いだと言われて怒るなり傷つくなりしたのなら出て行けばよかったのに。
 未だ慣れないことが多いとはいえ、もう彼は一人でもザナルカンドで暮らしていけるはずだ。無理に私の家に留まる理由はない。

 アーロンは、うちの庭に落ちてきた。だから面倒を見てただけ。
 単なる偶然だ。それが起こらなかったとしても、アーロンがうちにいなかったとしても、何も変わらない。
 私は誰も求めていないし彼を必要としてもいない。……少なくとも今は、まだ。
 好きなところに行けばいい。彼の人生を決める選択肢は彼自身が握っている。
 恩義なんか感じて私に縛られてはいけない。

 意を決したようにアーロンが私を見つめてくる。次の言葉は予測しているつもりだった。でも彼は私の想像を越えていった。
「俺がいることで何か役に立つなら、この家を出たくない。だがお前に不快な思いをさせたくないんだ。俺が嫌いだというなら理由を教えてくれ」
 直せるものなら直すから、と彼は言った。
 な、なんて馬鹿真面目なんだ……、ちょっとビックリしてしまった。
「どうしたら好きになってくれる?」
「え、いや……うーん。それは無理かな」
「なぜだ?」
 だってアーロンに問題があるわけじゃないんだもの。

 嫌いな理由なんて存在しない。無理やり挙げるならそれは“彼がうちにいるから”ということになるだろうか。
 何をどう直したって、うちで暮らしている限り私は彼を好きになんてならない。
「嫌いだからこそ、追い出さないんだけどな」
 もし私がアーロンを好きになるとしたら、そんなことが起こる前に彼を追い出さなければいけない。
「私は誰も好きになりたくないから」

 理不尽に「嫌いだ」なんて言われてもめげずに、愚直なまでの真面目さで私に恩を返そうとする。
 私から離れるのではなく、歩み寄ろうとしている。危惧していた通りアーロンは優しい人だった。
「お前には、後悔を残すような生き方をしてほしくないんだ」
「後悔なんてしないよ。あなたにどう見えるとしても、私にはこれが幸せだから」
「この家に自分以外の人がいるのは嬉しいと言ったじゃないか。淋しいならどうして人と関わらないんだ。嫌いな相手でなくても……共にいる相手は選べるだろう」
 だからやっぱり、私は彼を追い出さなくてはいけないようだ。

「潮時かな」
「ミトラ……」
「不審者のくせに変なところ生真面目で、わりと楽しかったよ。だから最低限のアフターサービスはしてあげる。ジェクトさんちの近くに家買ってあげるね」
「出て行けと言うなら俺は従う。金など要らん。お前の両親が遺した金は、お前自身のために使え」
「私が自分で使い道を選んでるんだから、あなたに文句を言われる筋合いはない」
「俺を嫌うのもお前の自由だ。だが……嫌いな相手のために人生を浪費するな。そんな馬鹿な真似をしてる間に、誰かを好きになって、生きることを楽しめ」

 真面目なのは彼のいいところだと思うけれど、だんだん苛ついてくる。こういうことを説教されるから他人と関わるのが嫌なんだ。
「どんな生き方しようと、それが投げ遣りに見えようと、私の勝手でしょう」
 アーロンが私の両肩を掴む。力が強すぎて思わず眉をしかめても、彼はそれすら気づかないほど必死だった。
「後から何かを変えたいと思っても、何かを為したいと思っても……死んでからでは後悔さえできない。もう、何もできないんだ!」

 生きている間にしか幸せは掴めない。自分の望みのために生きなければならない。
 そんなこと……言われなくたって、できるものならとっくにやっている。
「分かったようなこと言わないでよ」
「俺には分かる」
 反論しようと口を開いたけれど声が出なかった。
 まっすぐに私を見据えるアーロンの体からは、幻光虫が舞い上がっている。
「俺は……死人だからな」
 彼の輪郭は今にもほどけて消え去りそうなほど曖昧だった。

「俺は、こことは違う世界から来たんだ。死が身近にある……殺し殺されるのが当たり前の、争いの多い世界だった」
 スピラと呼ばれるその世界にジェクトさんが迷い込んできたのがすべての始まりだったという。
 見知らぬ世界を旅するうちに彼はスピラを知った。そこで仲間との絆を結んだ。
 そして人々を脅かす脅威に立ち向かうため、ジェクトさんは自分の命を懸ける覚悟をした。
 たとえザナルカンドに帰れなくても、生きた証を遺すために戦った。
 ジェクトさんが……仲間が死んだすぐ後に、アーロンの命も尽きた。
「友が遺した最期の願いを果たすため、生きているふりをしているだけだ。……俺には、未来などない」

 アーロンが、ここではないどこかから迷い込んできたというのは納得できる話だ。でも……。
「本当に死んでるの? 妄想とかじゃなくて?」
 心臓は動いている。体温もある。息もしてる。食事だってするし、運動すれば汗をかく。
 動く死体だなんて言われても理解できなかった。でもアーロンは、死人と死体は違うと言う。
「この肉体は、役目を果たすまでの仮初めの生命だ。生者と変わりなく見えてもそれは幻のようなもの。少なくとも俺の魂は自分が死んだ瞬間を覚えている」
「役目って、ジェクトさんとの約束? それを果たしたら……、あなたは消えてしまうの?」
「……そうだ」
 何かを望んでも、叶えたいと願っても、死者である彼に未来はない。だからあんなに必死だったのか。

「やっぱり出て行かなくていい」
「え?」
 心臓を痛めつけるような苛立ちは消えていた。残ったのは、彼が庭に落ちてきた日に感じたのと同じ気持ちだけだ。
 自分以外の人がうちにいて、嬉しい。
「アーロン、私の最初で最後の恋人になってよ」
「な……、何だと?」
 彼がこの世の人ではないなら、彼に自分自身の未来がもう無いのなら、私も彼を想って許されるのかもしれない。
「私にも未来なんて、ないんだよ。長くてもあと十年くらいしか」

 言葉の意味が理解できないって感じで固まっていたアーロンが、息を呑む。
「病……なのか?」
「体質って言う方が正確かなあ。うちの血筋の女はどういうわけか皆こうなんだよ。だからさ……」
 だから、誰かを好きになって一緒にいたいと願っても、不毛なだけなんだ。
「お母さんがお父さんと出会ったのは素敵なことだと思うけど、私は……誰も好きになりたくなかった」
 もし相手が私を好きになってくれたりしたら、死ぬことが怖くなってしまう。
 誰かと結ばれて娘が生まれて、こんな想いをさせるかもしれないと考えるのは、耐え難い苦痛だった。

 誰も好きになりたくない。誰にも愛されたくない。だから誰とも関わらずに生きてきた。
 そうするのが私に得られる最低限の幸せだった。
「だけどあなたが未来なんて持ってない死人で、私が死んでも悲しませなくて済むなら、」
 そこまで言って、我ながら酷い言い方だなと苦笑する。相手の気持ちなんてまるで考えてない。
「うーん、嫌いとか言っちゃったから無理かな」
 知ってたら遠ざけたりしなかったのに、残念だ。最初からちゃんとアーロンの事情を聞いておけばよかった。
 そういう意味では、怠惰な性格で人生を損してるっていう彼の意見は正しい。

 困惑したようにアーロンが呟いた。
「しかし俺が嫌いなことに変わりはないんだろう?」
「あれ嘘だよ。だってアーロンが私のこと好きになりそうだったから」
 いや、そんなのはただの建前だ。
「……ごめん。私があなたのこと好きになっちゃいそうだったから、距離を置こうと」
 わざと嫌いだなんて突き放したのだと、言い終える間もなく抱き竦められる。
「よかった!」
 そのごつい肩で唇をぶつけた私としては全然よくないんだけど。

 息が苦しいほど強く抱かれてアーロンの鼓動を感じる。
 生者と抱き合ったこともない私には比較できないけれど、本当に死んでいるのかと疑いそうになる。
 でも嘘をつける人じゃないし、さっき幻光虫を舞わせていた時は確かに亡霊のように見えた。
 なんとなく、抱き返してみたくなって手をあげる。
「ち、違う!」
「何が?」
 背中に腕を回す寸前で我に返ったアーロンは慌てて私から離れてしまった。

 なにやら心臓の辺りを押さえて青褪めている彼は、やっぱりどう見ても生きているようにしか見えなかった。
 死者としての実感があるのに生者のように留まっているのって辛いだろうな。
 彼がしつこいほどに私の生活を正そうとしたのも今なら納得できる。
 まだ生きてるくせに足掻かず諦めているのが腹立たしかったんだろう。

 嫌いじゃないと言った途端に「よかった」で抱き着いてくるのだから、アーロンは私を憎からず思ってくれているはずだ。……たぶん。
「それで、恋人になってほしいってのに対する返事は?」
 躊躇するのは、自分が死者だから気が咎めるのだろうか。
「たとえ死が近いとしても……ミトラは、まだ生きている。俺よりもっと」
「もっと相応しい相手なんていない」
 両親の幸せな笑顔と悲痛な傷を間近で見ていたから、私は誰のことも好きになれなかった。
 アーロンより条件のいい相手なんて、それこそ一生見つからない。

 今さら利用させてくれなんて都合よすぎだよね。フラれるならそれはもう仕方ないと思う。
 でも彼の瞳は、まったく「お前が嫌いだ」とは言っていないんだ。
「俺は……俺が生きていたら、お前が何と言おうと絶対に諦めなかった。お前を愛している者なら最後まで共に在りたいと願うだろう。……誰も好きになりたくないなんて、言うな」
「死ぬ時まで共に在りたいって、アーロンは言ってくれないんだ?」
「俺はお前に何も与えてやれん」
「受け取れもしないものを与えられるのが怖いから、生きてる人を愛せないんだよ」
 彼の体が死ぬ時まで足掻いてる仮初めの命なら私だって似たようなものだ。

 死ぬのは怖くない。ただ、置いていく悲しみを味わうのが、置いていかれる悲しみを味わわせるのが、怖いんだ。
「あなたが駄目なら今まで通り一人で生きていく」
 それはそれで構わない。未来ある誰かと恋に落ちるほどの不安はないから。
「……でも、あと少しの間だけ一緒にいてくれたら……嬉しい」

 勢い任せだった先程とは違い、アーロンはそっと私を抱き締めてくれた。
「お前が死を受け入れているなら、俺は……せめて異界で共に歩もう」
「異界ってなに?」
「死者が辿り着く世界。俺が本来いるべき場所だ」
 じゃあ、そこに行けば死んだ後でも一緒にいられるんだ?
「私でも行けるのかな」
「俺が連れて行ってやる」

 広い背中に腕を回して私も彼を抱き締める。鼓動と体温が優しく私を包み込む。
 死ぬのは怖くない。それはいつも身近にあった。いつでも受け入れる準備は整っていた。
 だけど、生きててよかったって、初めて感じた。……こんなにあたたかいものだったんだ。




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