変なやつ
目を焼き切るような強烈な光が瞬いた。視界が白く染まり、次第に物の輪郭が浮かび上がってくる。
頭がうまく働かず、自分の身に何が起きたのかすぐには思い出せない。
……確か、俺は……。
無我夢中でガガゼトを這い降り、麓でロンゾの少年にユウナのことを託したところで力尽きた。
アルベドに拾われたのは微かに覚えているが、そのまま意識を失ってしまった。とすると、ここは旅行公司なのだろうか。
起き上がろうとすると体が重い。しかし痛みはなかった。
覚えのない景色だ。ナギ平原の小さな公司とは違うように思う。
部屋は広いばかりで物が少なく殺風景だが、寝台は柔らかく心地がいい。
総老師でも買えないであろう高級な寝具はしかし、俺の血でドス黒く汚れていた。
その不吉な色を見て自分の命が尽きていたことを思い出した。
怒りの赴くままユウナレスカに挑み、あっさり負けた。痛みも感じないほど圧倒的な力に叩き潰された。
もしかするとガガゼトを歩いている最中、既に事切れていたのかもしれない。足を動かしていたのは生命力ではなく執念だった。
意識を失う前に一度、異界を見た。だが踵を返したんだ。
俺には未だ果たさねばならない約束がある。ブラスカ様のもとへは行けない。
唐突に部屋の扉が開き、見知らぬ女性が入ってきた。彼女は寝台の上に座っている俺を見て安堵の表情を見せる。
「起きたんだ、よかった。医者を呼ぼうかと思ってたんだけど傷がないから迷っちゃって」
言われて体を探れば、確かにユウナレスカの魔法によって受けたはずの傷が消えている。
治療が功を奏したわけではないのだろう。ただ俺の肉体が死人のそれへと変化しただけだ。
……意識を失う直前にアルベド語で声をかけてきたのは男だったような気がする。
朦朧としてはいたが、公司で介抱されていた記憶があるんだ。しかし目の前の彼女はアルベドには見えなかった。
「怪我は何ともなさそう。どうしようかな。お腹減ってる?」
「い、いや……」
何か言わなければならないのだが、状況が分からず何も言えない。
彼女は俺に背を向けて部屋の隅にあった光る箱を開け、そこから取り出したものを持って俺のところに戻ってきた。
「弱ってるみたいだからとりあえずなんか食べた方がいいよ」
と言って差し出された物を思わず受け取ってしまう。密封容器に入った黄色い物体は不自然に冷たい。……食い物なのか、これは?
「プリン嫌い?」
「……分からない」
正直にそう言ったら、彼女は困ったように首を傾げた。
旅行公司ではない。しかしよく見れば部屋の中にはいくつか機械が見える。
先程の、蓋を開けると中から光と冷気が溢れてくる箱もおそらく冷却用の機械なのだろう。だが、彼女はアルベドではない。
ようやく一つの可能性が頭を過った。
「ここは、ザナルカンドなのか?」
真顔で考え込んでいた彼女が俺の額に手を触れる。その熱と柔らかさに妙な焦りが背筋を抜けた。
「熱は無いか。でも大丈夫? 自分がどこから来たか思い出せません、なんて言わないでよね」
「ああ。俺は……ザナルカンドから、来た」
そんな目で見ないでくれ。おかしなことを言っている自覚はあるんだ。
ザナルカンドから来たと言いながらここはザナルカンドかと尋ねるなど……しかし、何をどう話せばいいのか分からない。
「とりあえず名前言ってみて」
「アーロン」
「自分の状況は把握できてるの?」
できているとは言い難い。だがきっと、ここはスピラではないはずだ。
一度異界に足を踏み入れたあと、確かにブラスカ様が倒したはずのシンの姿を見た。
俺は……シンに運ばれてザナルカンドに来たのではないだろうか。
あの死人が蔓延る廃墟ではなく、ジェクトの妻子が暮らす、眠らない町ザナルカンドに。
確かめなければいけない。そして俺が何かを尋ねられる相手は目の前の彼女だけだ。
「ジェクトという男を知らないか?」
「そりゃ知ってるよ」
当然だとばかりに頷かれ、止まったはずの心臓が跳ねる。やはり、どうやってかは分からないが俺はザナルカンドに渡れたんだ。
「あいつの家にはどうやって行けばいい?」
しかし彼女は眉をひそめて黙り込んでしまった。
「……マスコミとか熱烈なファンとかってわけじゃなさそうだけど」
「どういうことだ?」
俺が焦れていると、彼女は部屋の壁に掛けてあったモニターの電源を入れた。いくつか映像が切り替わったあと、画面にジェクトが現れる。
ブリッツボールのスター選手が行方不明になって二ヶ月。
その文字と共に、カメラを向けられた女性が悲痛な顔をして逃げるように家の中へと入っていった。
よく分からないが、嫌な気分だ。まるで自分が無理やり彼女を追い回している錯覚が起きる。
明らかに傷ついている彼女の心境を気に留めもせずに。
「ご覧の通り、ジェクトさんはこないだから行方不明なんだよ。ちょっとは落ち着いてきたけどまだエキセントリックなファンが家に押しかけることもあるみたいだし」
旅の始めは呑気なばかりの男だったが、マカラーニャ辺りに戻った時分から残してきた妻子のことを随分と気にしていた。
ジェクトはこのザナルカンドで、彼自身の自慢していた通りに有名人だったらしい。
映像にもあるように、ジェクトの家族は災難に見舞われている。俺もその一つではないかと疑われているようだ。
「ジェクトは……ザナルカンドを離れていたんだ。行方不明とされている間、俺はあいつと共に旅をしていた。そして、ジェクトは……」
何の因果か彼はスピラにやって来て、ブラスカ様に出会い、ナギ節のために命を擲つ決心をして……、ここに帰ることを諦めた。
先程の女性がジェクトの妻ならば、俺はあの家に行って母子を守ってやらなければならない。
「……ジェクトさん、亡くなったの?」
静かに尋ねた彼女に頷いてみせる。正確には死んだわけではないのだろうが、あいつはもう、自分の手で大切なものを守ることができないんだ。
映像は切り替わり、何かよく分からない数字の羅列が流れ始める。
彼女はモニターの電源を落とした。そして真剣な顔を俺に向ける。
「あなたは、あの壁にかけてあるものすごい刃物を持って血塗れで倒れてた。で、行方不明のジェクトさんと一緒にいた、彼は死んだと主張している」
言われて目をやれば俺の太刀が壁に立て掛けられてあるのに初めて気づいた。
武器を持っていないことに気づかないとは、耄碌しているのか。……いくら惜しむ命がないからといって油断してはいけない。
何かを言い淀むように迷っていた彼女だが、気まずそうに俺から目を逸らして告げた。
「はっきり言うけど、怪しすぎる。何らかの事情でジェクトさんを殺した極悪人が奥さんとお子さんも狙ってるように見える」
「なッ……俺がそんなことをするはずが、」
「真実がどうでも、そう見えるってこと。悪いけど、父親が行方不明で心身ともに弱ってる親子のところに行かせていいと思える雰囲気じゃないよ、あなたは」
「それは……」
癪だが、言う通りなのだろうな。
守ると決めたのは俺の勝手だ。しかしジェクトの妻子に何と説明すればいいのか俺には分からない。
行方不明になって二ヶ月。……あの母子は、ジェクトが死んだことさえ知らないんだ。
少し頭が冷えた。しかしやるべきことに変わりはない。
信じてもらうのは難しいかもしれないが、彼らを守るために俺はここにいるんだ。
「……ねえ、なんでジェクトさんの家に行きたいの?」
「約束したんだ。たとえ死んでも、あいつの息子を守ると」
ため息を吐きつつ彼女は俺の体を指差した。
「それを信じるとしても、そんな格好で、こんな時間にいきなり訪ねるのはやっぱり非常識すぎると思うよ」
そんな格好、は尤もだ。血に染まった鎧を纏う男が訪ねてきて「あんたの旦那は死んだ」などと言ったら卒倒され兼ねない。
守るどころの話ではないし、何をやってんだとジェクトに殴られても文句は言えん。
だが、こんな時間、というのはよく分からない。窓の外は明るかった。今は昼間ではないのか。
しかし窓に近寄って見上げてみると、空は漆黒に染まっていた。
星明かりの夜空よりも煌々と輝く町並みの上、申し訳なさそうに月が浮かんでいる。
「今は……何時なんだ?」
「夜中の二時だよ」
世迷い事としか思えなかったジェクトの“故郷の話”は今のところ真実として俺の眼前に並べ立てられている。
ザナルカンドは驚異の坩堝だ。
「なんにせよ、今日は寝た方がいいんじゃないかな? あなたも錯乱してるみたいだし」
彼女の言葉に従うべきだろう。この混乱を抱えてジェクトの家を訪ねたところでまともに話せるとは思えなかった。
視線を落とすと、彼女に手渡された黄色い食べ物を握ったままだった。プリンと言ったか。すでに温くなってしまっている。
聞く限り彼女の話はすべて真っ当なものだった。俺は明らかに不審だ。なのに彼女は俺を疑うことなく、介抱までしてくれた。
そして俺は、思い返せば彼女に礼を欠きすぎている。
「……その、今さらで申し訳ないが、あんたの名前は?」
「へ? ああ、ミトラだよ」
「ミトラか。世話になった。ろくな礼もできずに済まない……落ち着いたら改めて挨拶させてくれ」
プリンを彼女に手渡し、壁に掛けられた太刀を手に玄関へ向かう。
背後から戸惑いがちに声をかけられる。
「どこ行くの?」
「分からんが、見知らぬ女性の部屋に泊まるわけにはいかん」
噴き出すような音がして振り返ると、ミトラは口を押さえて肩を震わせていた。
「な……、何がおかしいんだ?」
「いやだって、めちゃくちゃ非常識なのにそんなところは気を使うんだもん」
「……」
返す言葉もない。だが、さすがにこれ以上は甘えられんだろう。
気を取り直して扉を開けると、家の外ではなく別の部屋に通じていた。
玄関かと思ったんだが……部屋だけではなく家まで広いようだ。ジョゼの寺院くらいはあるんじゃないだろうか。
とにかくどこかで夜を過ごし、ザナルカンドを見て回り、落ち着いたらジェクトの家へ。
楽観的にそう考えながら心のどこかで「無理だろう」と思う自分もいる。
「泊まっていけばいいよ。部屋はあるし。それに、そんなの持ってうろついてたら捕まっちゃうよ」
「捕まる……?」
そういえばジェクトは丸腰でベベルに現れたんだ。旅立つ時に剣を持つのが初めてだと言っていた。まさか……。
「ザナルカンドでは武器を持ち歩けないのか?」
「そりゃそうでしょ」
それが常識なのか? ここにはシンがいないというのはともかく、日頃どうやって身を守るんだ。……違うな。身を守る必要がない、のか。
あまりにも常識知らずな俺にミトラは呆れを通り越して面白がるような目を向けている。
俺が彼女の立場だとしても、この男がこれから外に出て一人で何とかやっていくというのは無謀に思うだろうな。
「ほんとにどっから来たんだろうね、変な人」
「……俺も聞きたいのだが、あんたはどこで俺を見つけたんだ?」
「んー? 三時間くらい前かな。庭に落ちてきた」
「何だって?」
「三時間くらい前、うちの庭に落ちてきたんだよ」
三時間くらい前にいきなり庭に落ちてきた血塗れの武装した男を部屋に運んで寝台に寝かせて介抱したのだと、彼女は念を押すように繰り返した。
……駄目だ。俺自身の不安もあるが、それ以上にこいつを放っていくのが不安になった。
「俺が言うことでもないが、そんな怪しい男を気軽に家へ入れるな」
「あはは、ホントだよねー」
笑い事ではないだろう。どうやらミトラは、俺と並ぶくらいの常識知らずらしい。
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