2-08
あの吹雪じゃ今晩中は出発できそうにないな。うまい具合に洞窟が見つかってよかった。
ガガゼト山もガードが少なければ無理して一日で越えてしまうものらしいが、俺たちの人数じゃ難しい。
経験者であるアーロンさんや霊峰の麓で育ったキマリが休むべきだと言うので、ユウナも素直に休憩している。
足は遅くなるが、人数が揃ってるのは強みだ。交代で洞窟の入り口を見張っとけば全員ゆっくり休めるからな。
ビサイドから四人で出発してたらこうはいかなかった。ユウナがいろんなやつを仲間として受け入れたからこそ今がある。
頼るべき相手が多いってのはいいことだ。仲間が増えればそれだけ記憶も残る。
もしものことがあっても、そいつがどんな風に生きたのか、覚えててくれるやつがいる。
俺と交代でリュックが見張りについて、一人で大丈夫かと聞いたら馬鹿にするなと怒られた。
馬鹿にしたつもりはないが、あの年頃だと心配されるのは子供扱いされてるようで腹立つもんなのか。
チャップもそうだったっけな。でもガキには違いないだろ。心配すんなってのは無理な話だ。
俺がガキの頃そんな反抗心があっただろうかと思い返して、そもそも子供扱いされたことがないからよく分からなかった。
焚き火のそばでユウナたちが眠っている。ティーダにルー、アーロンさん、キマリ……。
ユクティがいねえ。あいつ、隙を見せるとすぐどっかにいなくなりやがる。
最初に魔物が住み処にしてないか確認した時は、入り組んだ構造だった。
あんまり奥に隠れてたら厄介だと思ったが、幸いにもユクティは最初の角を曲がったところにいた。
交代の都合もあるし、そりゃすぐ声をかけられるところにいるよな。我ながら焦りすぎだ。
ユクティを相手にすると心配の理由が「子供だから」とは言えないのが困るところだった。
彼女はスフィアの明かりを頼りに本を読んでいた。
「何やってんだ?」
声をかけて初めて俺がいるのに気づいたらしく、慌てて立ち上がろうとする。
「まだ時間じゃねえって。……ちゃんと休んどけよ」
肩を押さえて座らせようとしたら、火に当たってないせいで彼女は冷えきっていた。
ユウナたちの邪魔にならないように離れてるんだろうが……体に悪いぜ。
俺が隣に腰かけたらユクティは居心地悪そうに身動ぎした。
さりげなく離れようとするんで寒さを理由に無理矢理くっついておく。
寒いなら火の近くに行け、と言われたらそっくりそのまま返せるんだが、生憎とユクティは大人しく俺の隣に座っていた。だから俺も離れない。
ベベルを脱出して以来、マカラーニャでもナギ平原でも気まずさを無視して彼女に話しかけるようにしてきた。
ユクティはもう俺を避けない。それが義務だとでも思ってんのかもな。その気持ちは分からないでもなかった。
彼女の父親のことを聞かされた時、アルベドのホームがなくなった時、俺も似たようなことを考えた。
ユクティの手元を覗き込む。エボンの言葉の隣に見慣れない文字が並んでいる。
「それ……アルベド語辞書か」
「はい。リュックがうるさいから、言葉遣いを学び直そうかと」
「あとで俺も借りていいか?」
俺がそう聞いたら、ユクティは限界まで目を見開いて驚いていた。
「んだよ、その顔は」
彼女は時々うっかりしたようにアルベド語で何かを言う。無防備に呟かれる言葉が気になった。
なんて言ってんのか知りたい。それこそユクティの本音じゃないかと思えるんだ。
だが、ここまで驚かれると恥ずかしくなる。
「嫌ならいいけどよ」
「い、嫌なわけでは……」
言ってる内容を知られたくないのか、それとも自分のモンを俺に渡したくないだけか。
「あ、でも、できれば……新しいのを買ってもらいたい。私のはちょっと……」
そうか。今使ってるんだから貸せって言われても困るよな。
まあ次に旅行公司へ行った時にでも新しい辞書を買えばいい。そう思ってから、自分がどこにいるのか気づいて愕然とする。
もうじきザナルカンドだ。次とか今度とか、俺たちにそんなもんあるのか?
本来の自分らしい言葉を使うためにユクティはエボンの言葉を学び直しているが、機械を使えば勉強なんて必要ないらしい。
たとえば言葉を勝手に翻訳してくれる機械があれば、俺がアルベドの言葉を知らなくても彼女が俺の言葉を学ばなくても会話が可能になる。
その便利さは、素晴らしいだけのもんじゃないとユクティは言う。
「ガガゼトを登りながら、召喚士が飛空艇を持っていたら、と想像してた」
「それがありゃ旅の途中で命を落とすようなこともないってか?」
「便利で安全なのは事実です。でも、修行にもならない、って思った」
「かもな。実際ユウナも……俺たちも、旅を通してビサイドにいた頃よりずっと強くなってるしよ」
体が鍛えられるだけじゃない。スピラの景色を目に焼きつけるためにも、ユウナの姿を皆の記憶に残すためにも、旅は必要だった。
ほら見ろ、やっぱり教えが正しいじゃねえかと心のどこかで思ってしまう。
「何だって便利な方がいいと思ってた。でも便利すぎるものは人を腐らせる。線引きをするために、教えのようなものは必要なのかもしれない」
そんでユクティに言われて、自分の狭量さに愕然とさせられるんだ。
いっそエボンの教えごと俺を嫌いになって八つ当たりでも罵倒でもしてくれりゃ、やっぱアルベドなんてそんなやつだと楽になれたのに。
自分の間違いを認めるのはキツい。
それでも彼女は、黙って俺の話を聞いてくれた。そして教えを理解しようとしてくれたんだ。
俺も……そうしたい。いや、そうするつもりだ。
教えに反してるから間違いだと決めつけるんじゃなく、そもそもアルベドが何を考えて教えに逆らうのか。
ユクティがどんなことを考えて生きてるのか、知りたいと思う。
「……なんでそうやって素直に、教えを理解しようとできるんだ?」
「素直に、じゃない。私だって、ずっと何も知らずにエボンの民を毛嫌いしてた」
「だったら尚更、」
「私はただ、ワッカが好きだからエボンを理解しようと思えただけ」
そんなのはフェアじゃねえだろ。
アルベドを理不尽に嫌ってた俺を好きだなんて言われたら、申し訳ないんだかなんだか……居た堪れない気分になる。
俺がへこんでるように見えたのか、ユクティは自分と俺とでは違うと言った。
「あなたは私を憎んでいい」
「んだよそりゃ……」
「それはべつに理不尽じゃない。アルベドを受け入れてくれたら嬉しいけど私は、」
「チャップのことはお前のせいじゃねえって言ったろーが」
……と、不意に思う。
「いや、言ってなかったか?」
チャップは自分の死がユクティのせいだなんて思っていないはずだ、とは言った。肝心の俺自身がどう思ってるかは言ってなかったような気もする。
でもよ、俺はユクティを憎みたくないって言ってんだから大体分かるだろ?
いや……大事なことはちゃんと言葉にしなきゃいけないんだよな。
「……と、とにかく、俺はお前のせいだなんて思ってねえ。だから憎んでいいとか何してもいいとか、勝手に決めんなよ」
なんとかして向き合おうとしてる時にあれを言われると無駄だって言われた気がしてムカつくんだ。
お前なんぞに理解されたくない、今まで通り憎んどけ、って……拒絶されてるみたいでよ。
「私はあなたが好きだと言ってるのに。……望みがないのに猶予を与えるのは酷だと思う」
「だからよ! わ、分かんねえだろが。お前だってこれから俺を嫌いになるかもしれねえし、俺だって……」
望みがないとか誰が言ったんだよ。俺は……あー、言ったかもしれない。
「そんなことはありえない」
いつだったか「報われるわけねえ」って、言った気もする。でもそれは、そん時だけの言葉だろーが。俺だって考えが変わることはあるんだ。
勢い余って乱暴な言葉を吐きそうで、言いたいことを全部ため息に変えて吐き出した。
俺がユクティを好きになるのは、あり得ないことだってのかよ?
沈黙が気まずいのかユクティは手の中で無意味に辞書を弄っている。
「なあユクティ。お前なんで俺なんか好きになったんだ?」
一瞬ビックリしたようだが、ちょっと考えた末に彼女はぽつりと呟いた。
「……私の瞳を見て、笑ってくれたから、かな」
「はあ? そ、そんなことかよ」
些細すぎると思うんだけどな。その後のいろいろで掻き消されちまうくらい……小さなことじゃねえか?
最初にミヘン街道で会った時を思い出してるのか、ユクティは遠くを見て呟く。
「瞳の渦巻きはアルベド嫌いでなくても知ってることだから、ワッカは私の素性を分かってると思ってた」
俺はあの時、綺麗な目だとしか思わなかった。渦巻き模様がアルベドの特徴だなんて、そんなことさえ知らなかった。
「この模様を見ても笑顔でいてくれるヒトなんて初めて会った」
「べつに俺は、目の色なんか興味なかったし目が原因で嫌ってたわけでもねえし……というかだな、つまり誤解してたってことだろ?」
「それは違う。好きになるきっかけは、ただの“きっかけ”だから」
始めからユクティの素性に気づいてたら、きっと今こうしてることもなかっただろう。
俺は彼女に笑いかけたりしなかったし、彼女も俺を好きになんてならなかったに違いない。
無知だったせいで妙な行き違いが起きて、ユクティは俺がアルベドにも寛容で優しいやつだなんて誤解してしまった。
間違ったままうっかり惚れちまったせいで、本当のことが分かってからも嫌いになることができない。
でもよ……。
「あなたは私の世界を変えたんだ」
お前だって、俺の世界を変えたんだ。俺の見てきたモンがすべてじゃないって、教えてくれたのはユクティなんだ。
アルベドについて何もかも全部を受け入れられるわけじゃないが、ユクティを嫌いになるのは無理なことだった。
最初に会った時から今まで積み重ねてきた思い出がある。それは素性一つで帳消しにできるほど軽くない。
「ミヘン街道で魔物に襲われた時も、助けてくれた」
「んん……?」
小さな囁きに首を傾げた。そんなことあったっけか。
「覚えてない?」
「ああ、いや……思い出した。そうだ。お前、夕暮れ過ぎのミヘン街道が危ないってことも知らなかったろ。なんだこの世間知らずはって思ったんだよな」
後から思い返せばユクティは武器を持ってたんだ。ただエボンの民が見てる前で使えなかったってだけで。
まあ、考えてみりゃ誤解してたのは俺も同じだったかもしれない。
「きっかけなんてどうでもいい。私はあなたが好きだし、好きになってよかった」
そうだな。出会いがどうでも関係ねえ。
最初の好意が誤解によるものだって、今の彼女に笑っていてほしいという気持ちに変わりはない。
「……きっと、迷惑だとは思うけれど」
「だから決めつけんなってんだよ!」
勝手に落ち込むのに苛立って思わず腕を引く。体勢を崩したユクティは俺に凭れるように倒れ込んだ。
「俺は……」
彼女の瞳に焦った顔の俺が映っている。きっかけなんてどうでもいい。大事なのは、今どう思ってんのかだろ。
困惑しきったユクティの顔が近づいたところで場違いに明るい声が響いた。
「ユクティ〜、交代の時間っとぉ!? お、おお邪魔しました〜!!」
唇が触れそうな距離に気づいてユクティの頬が染まる。
「ティーダに代わってもらうから大丈夫! ごゆっくり!」
「リュック! 私が行くから!」
熱でも出したみたいに真っ赤な顔でユクティはリュックの後を追っていった。
危なかった。もし邪魔が入らなかったら、あのまま何もしなかったかどうか自信がない。
……でも、もしかしたらいっそのこと、なんかしちまった方がよかったのかもしれないけどな。
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