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 遠目に見ればエボン=ドームは形を留めているようにも見えたけれど、中は荒野と変わらないくらい荒れ果てていた。
 在りし日の姿が想像できないほどに崩れ、散乱する瓦礫の中を幻光虫が飛び交っている。
「異界……みたいだな」
 ぽそりと呟かれたワッカの言葉にアーロンは遠い目をして答えた。
「似たようなものだ」
 この地に生者の気配はない。濃密な死の気配を嫌がるのか、野性動物さえ姿を見せることはなかった。

 幻光虫の多さから強力な魔物に遭遇することを恐れていたのだけれど、意外にも辺りは静寂に満ちている。
 時おり現れるのは、かつてこの地を訪れた者たちの記憶……。
 まさにグアドサラムの異界と同じ、想いに反応した幻光虫が記憶を写して形作る幻影ばかり。
 ザナルカンドにあるのは死者が遺した想いの欠片だけだった。

『いやだ! やだよ母様! 母様が祈り子になるなんて……!』
『こうするしかないの。私を召喚して、シンを倒しなさい。そうすれば、皆あなたを受け入れてくれる』
『みんななんてどうでもいいよ! 母様がいてくれたら何もいらないよ!』

 切実な叫びを響かせて消えた幻影に瞠目する。あの青髪の子供は見覚えがある。
「おい、今のって……」
「シーモアもザナルカンドに来たことがあったんだ」
「あんなガキの頃にかよ」
 ワッカの言葉には幼くして旅をさせられた彼への同情と、ここまで辿り着いたことへの畏敬が含まれているようだった。
「子供の召喚士は少数ながら確かにいる。大抵は途中で死んでしまうけれど」
 大召喚士にならなければ歴史に名を記されることはない。でも調べればスピラ各地に僅かながら記録は残っている。
 直近であれば、十年前にも子供の召喚士がいたはずだ。その子は雷平原で命を落とした。

 シーモアの戦闘能力と執拗なまでの意思の強さを考えれば、あの年齢でザナルカンドに辿り着いたことは不思議じゃない。
 それよりも気になるのは彼らの言葉、その内容だ。
「母様が祈り子になる……」
 私を召喚してシンを倒すという言葉が何を意味しているのか。
「どういう意味だったんだ?」
「なんとなく予想はつきます。あなただって分かっているはずだ」
「……」
 私の指摘に反応はせず、ワッカはただ黙って俯いた。察しはつくけれど信じたくないだけだ。

 召喚士もガードもとうに覚悟は決めている。それが必要なことならユウナは迷わないだろう。そしてワッカやルールーも、躊躇はしないだろう。
「もし犠牲が求められるなら私がやる」
「おい! 何言って……」
「ユウナはあなたたちを守るために召喚士の道を選んだ。あなたたちが死んだら意味がない」
 彼女がスピラを愛し、自分の命を擲ってでも守りたいと願ったのは、彼らがいたからだろう。
「勝手なこと言ってんなよ……それを言うならお前だって同じだろ」
「私とあなたでは違います」
「違わねえよ!」
 小母さまが死んだ時もブラスカが死んだ時も、私たちはユウナに手を差し伸べられなかった。
 ユウナが死んでも守ろうとしているものを生かすのが、せめてもの償いだ。

 誰が犠牲になるのかをユウナに選ばせるのは酷だろう。ワッカを説得しなければならないけれど、彼も私と同じことを考えているようなのが厄介だった。
「シーモア老師が、母親を亡くしたからあんな風になっちまったんだとしたら、お前も自棄になってるだけじゃねえのか」
「あんな男と一緒にしないで!」
 シーモアには確かに死を安らぎだと思えるほど暗い生を送ってきた過去がある。私もそれは知っている。
 しかしだからといって彼のしたことを許す道理はない。

「哀れむに値するからといって責任が消えるわけじゃない。どんな人生を歩むかは、結局その人自身の問題なのだから」
 迫害を受けて親を亡くして、それでも自暴自棄になどならず懸命に生きている者はたくさんいる。
 シーモアは自らを幸せにするための苦労から逃げ出した。それだけのことだ。
 私はシーモアとは違う。自分の身に降りかかった不幸を嘆いて、抱いた絶望を他人に押しつけたりなんかしない。

 ワッカは優しい。けれどその優しさゆえに時々とても盲目になる。シーモアにさえ同情しているようでは私を憎めないのも無理はなかった。
「可哀想だからという理由で罪を帳消しにするのは間違ってる」
 私に関してもそうだと言ったら、彼は苛立たしげに舌打ちをした。
「お前なぁ、そんっなに俺がお前を許すのが気に入らねえのか?」
「あなたは私を哀れんでいるだけだ」
「悪ぃかよ」
「チャップは……」
「あいつのことをお前にどうこう言われる筋合いはねえ!」
「……」

 チャップの想いを勝手に代弁するなと言われれば黙るしかない。私にはそれを語る資格なんてないだろう。
 けれど少なくとも、一年前に私が与えられた役割を全うしていればチャップが死なずに済んだのは事実だ。
「チャップが私を憎んでいるかは、私には分からない。でもせめて彼のために、あなたは私を憎むべきだと、」
「んなこたぁ俺の勝手だ。お前こそ自分の気が咎めるから俺に責められたいだけじゃねえか。償いたいんじゃなくてただの我が儘だろーが!」
 償いではない。その言葉はあまりにも鋭く的確に私の胸を突き刺した。
 罪悪感から逃れるために……ワッカに憎まれたいだけ。私も逃げていただけだった?

 許したい、憎みたくないと言われても嬉しいばかりではいられなかった。
 もしワッカが私を許してしまったら、私の後悔をどこへやればいいのか分からない。
 彼が私を憎んでさえくれれば……、弟の仇だと責め立ててくれれば、その狭量さに救われただろうに。
 まったく彼の言う通りだ。本当に償う気持ちがあるのなら許しを求めるはずだった。
 私はただ、自分の罪悪感を持て余して、ワッカに裁きを委ねることで……悲しみから目を背けていただけだった。
「……すまん。言い過ぎた」
 よほど酷い顔をしていたようで、ワッカは私に謝ってしまった。
 そんな風に「お前が悪いんじゃない」と言われるたびに自分の醜さが嫌になる。

 気づけば長く立ち止まりすぎてユウナたちと距離が開いている。ワッカは無理やり私の腕を引いて歩き出した。
「大体、俺がお前を許せなきゃお前に『復讐に拘るな』って言えねえだろ」
「私は復讐に拘ってなんか……」
「死ぬって分かりきってるのに一人で敵のド真ん中に残りやがったのは誰だっけな?」
 ……それはベベルでのことだろうか。
 復讐心に駆られているつもりはなかった。でも確かに、シーモアへの殺意は容易に箍を外してしまう。

 私がワッカに許されたくないのは、チャップが自分のせいで死んだと思いたいのは、彼の憎しみを正当化したかったからだ。
 ……だって、私自身がシーモアを許せないから。
 ホームを破壊したのも母さんを殺したのもあの男ではない。しかしあの男が原因であることは事実だった。
 八つ当たりでもなんでもいい。ワッカが私を憎んでくれるなら……私もシーモアを憎むことができる。
 あなただけ寛容にならないで。私は、あなたのように許すことができないのに。
 そんな我が儘でしか、なかったんだ。

 本当に償うつもりがあるのなら死に逃げてはいけない。悲しみと向き合わなくてはならない。
「俺はなぁ、ユクティのせいでチャップが死んだんじゃなく、チャップのお陰でお前が生きてるって……そう思いてえんだよ」
 生きて、許されるために、抗わなければいけないんだ。
「……あいつが最後に守ったもんを憎ませないでくれ」
 私の腕を掴むワッカの指先に力が籠る。このぬくもりを失いたくない。だから……死ぬわけにはいかない。死なせるわけにも、いかない。

 エボン=ドームの一番奥、力を喪った祈り子の間を越えた先で出迎える者がある。
「ようこそザナルカンドへ。長き旅路を越え、よくぞ辿り着きました。大いなる祝福を今こそ授けましょう。エボンの秘儀……究極召喚を」
 ユウナレスカ。史上初めてシンを倒した召喚士が、ユウナを見下ろして囁いた。
「想いの力、絆の力。その結晶こそが究極召喚。あなたが選んだ勇士を一人、私の力で変えましょう。そう……、あなたの究極召喚の祈り子に」

 後ろから見守っているせいで、ユウナがどんな顔をしているかは分からない。彼女をじっと見つめるユウナレスカの表情はあくまでも穏やかだ。
「怖れることはありません。あなたの悲しみは解き放たれるでしょう。命が消えるその時に、悲しみもまた消え去ります。あなたの父ブラスカも同じ道を選びました」
 その甘く柔らかな声で死を命じるのだ。

 シーモアが言っていたことが引っかかっている。
 共にザナルカンドへ行き、ユウナの力で新たなシンになるとあの男は言った。
 シンはジェクト……ティーダの父親で、ブラスカのガードだった人だという。
 そしてドームで見た幻影たちの言葉を鑑みれば自ずと答えは導き出される。
 究極召喚が希望だと言うなら、なぜシンは甦るのか? ……新たなシンが、どうやって生まれてくるのか。

 ユウナは犠牲にするガードを選ぶことなく、力強い声音でユウナレスカに問いかけた。
「教えてください。究極召喚で倒しても、シンは絶対に甦るのでしょうか」
 千年前、シンが生まれた当時を知る死人ならば、きっと真実を知っているはずだ。
「シンは不滅です。シンを倒した究極召喚獣が新たなシンとなり、必ずや復活を遂げます」
 しかし告げられた真実はシンプルに絶望的なものだった。究極召喚でシンは倒せる。でも、滅ぼすことはできない。

「シンはスピラが背負った運命……永遠に変えられぬ宿命」
「永遠にって、人間が罪を全部償えば、シンの復活は止まるんだろ? いつかはきっと、何とかなるんだろ!?」
「ひとの罪が消えることなどありますか?」
「答えになっていません! 罪が消えればシンも消える、エボンはそう教えてきたのです! その教えだけが……スピラの希望だった!」

 悲鳴じみたワッカとルールーの言葉にもユウナレスカの表情は変わらない。
 その瞳にあるのが心からの哀れみと慈しみだというのが恐ろしかった。
「希望は……慰め。悲しい定めも諦めて、受け入れるための力となる」
 本当に救いはないのか。罪は永遠に許されないのか。絶望に足が竦みそうになるけれど、流されてはいけない。
「さあ、あなたの祈り子は誰? 希望のために捧げる犠牲を選ぶのです」
 考えれば迷ってしまうとユウナは言った。彼女が正しかったんだ。何も難しいことを考える必要なんてない。
 私たちはユウナのガードになると言ったじゃないか。シンを倒す旅の手助けをして、そして彼女を守る、と。

「……死んでもいいって、思ってた。私の命が役に立つなら、死ぬのも怖くないって……。でも、究極召喚は、何一つ変えられないまやかしなのですね」
「いいえ、希望の光です。あなたの父も希望のために犠牲となりました。悲しみを忘れるために」
「父さんは……父さんの願いは、悲しみを消すことだった! 忘れたり、誤魔化したりすることじゃない……」
「消せない悲しみに抗って何の意味があるのです」

 ユウナが錫杖を掲げ、ヴァルファーレを呼び出した。
 私たちは彼女とユウナレスカの間に立ちはだかる。

「悲しくても……生きます。生きて、戦って、いつか! 今は変えられない運命でも……、いつか必ず変える! まやかしの希望なんか、いらない……!」
「哀れな。唯一の希望を自ら捨て去るとは。……ならばせめてもの救いを与えましょう。闇に閉ざされた生を終え、希望の光に満ちた死を。すべての悲しみを忘れて眠りなさい」

 消せない悲しみに諦めて、抗わないのなら生きている意味がない。
 決断の時だ。死んで楽になるか、生きて悲しみと戦うか。答えなど始めから決まっていた。
 私は生きている。まだ生きていたい。そして大切な人にも、生きていてほしい。
 シンを倒す方法だとかどうやって償うとか、詭弁をすべて剥がしたあとに残るもの。
 生きてゆく願いのために、戦うんだ。




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