16
状況はどうあれ家に帰れるのでリュックは嬉しそうだった。
『ユウナを誘拐すんのはやめちゃったけど、結局ホームに来ることになったね。オヤジとおばさん、怒らないといいなぁ』
『ガードになっておいて召喚士とはぐれたなんて余計に怒られる気がするけど』
『うぅ〜っ、それはそうかも……』
族長のことだから、やっぱり召喚士の安全をガードに任せてなんかいられない、という結論に達しかねない。
ユウナをホームから連れ出すのにもう一悶着あるであろうことは間違いない。
どうやって族長やみんなを説得するか、考えておかなければいけないのに頭が働かない。
まるで熱中症にでもかかったようだ。リュックが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
『あのさ……マカラーニャでおっちゃんが言ってたじゃん、簡単に受け入れられるものじゃないって。……落ち着いたらきっと、また今まで通りに戻れるよ』
『……』
今まで通りって何だろう。きっとこの状況こそが本来あるべき姿なんだ。
振り向けはしないけれど、みんなは先導する私たちの後に続いて少し離れたところを歩いている。
ワッカとはあれっきり目も合わせていない。私の父親のことについて彼がどう思っているのか気になった。
……もし私が彼の立場なら、自分の家族を死に追いやった者の不幸に同情などしない。ただ「ざまあみろ」と思うだけだ。
彼は私と違ってまっすぐな性格だから、アルベドのことは時間が経てば受け入れてくれるだろう。
知らずに毛嫌いしていたものなら知って思い直すこともできる。
けれど知りたくもないほど嫌っているものについては……その先に、何もないんだ。
巡回しているガーダーから水を確保しつつ、数時間ほどサヌビアを歩いた。
目の前の砂丘を越えればホームが見えるだろう。
「みんな、こっちこっち〜!」
リュックが私の手を引いて走る。つんのめりそうになりながら彼女の後に続く。
急斜面をのぼりきったところでホームが見えた。
「え……?」
けれどそれは、見慣れた姿とは違っていた。
「な、なにあれ!?」
ホームのあちこちから煙が立ち上っていた。時おり激しく明滅しているのは小銃を発砲しているのか。
襲撃を受けている。
そう理解した瞬間、足が勝手に動いていた。
近づくほどに嫌な匂いが漂ってくる。火薬と鉄と……焦げたような匂い。
襲ってきたのはグアド族らしい。独特の装具を纏った魔物が彷徨いている。
気づけばリュックとはぐれていたけれど、今はそれどころじゃなかった。
ホームを埋め尽くしている魔物とそれを操るグアドどもを片っ端から撃ち殺して駆ける。
激しい戦闘の形跡がそこかしこに見られるのに誰の声も聞こえない。
妙な静けさが恐ろしい。どうして悲鳴さえ聞こえないのか知りたくなかった。
慣れ親しんだはずの道が、あちこち崩れて歪み、迷子になってしまいそうだ。
我が家に向かって駆けながら母さんがそこにいないことを信じていた。
きっとみんな地下に、召喚士の部屋に避難しているに違いない。
そこでグアドと戦いながら召喚士を守っているはずだ。
たかだか半月ほど帰っていないだけなのにアパートメントは変わり果てた姿になっていた。
玄関に血の跡がこびりつき、窓は割れて……ここが自分の家だと信じられない。
『あ……』
部屋に帰ってみるまでもなかった。
アパートメントのエントランスに住民が集まっている。我が家を守る最後の防衛戦。
その手前には侵略を阻まれたグアドの死体が折り重なっていた。
……母さんは、小銃を手にしたまま倒れていた。
膝をつき、母さんの着けていたゴーグルを外す。
『母さ、ん』
目を見開いて敵を睨みつけたまま、そのままの姿で時が止まっている。
触れてみても脈動は感じられず、母さんの体は硬く冷たくなっていた。
グアドの死体の山から幻光虫が溢れ出す。魔物と化そうとしているのだ。
無意識に母さんの手から小銃を取り上げて、襲い来る魔物に向かって打ち続けた。
どれほどの数で襲ってきたのか知らないけれど、何匹いようと皆殺しにするまで止めなければ同じことだ。
まだ魔物となっていない死骸もまとめて吹き飛ばす。
そのうちに爆撃が始まった。族長が襲撃者を一掃しているのだろう。
全部壊れてしまえばいい。何もかも消し飛ばしてしまえばいい。これ以上、外敵に掻き乱されるくらいなら……。
絶え間ない爆撃のせいで感覚がおかしくなっていた。
耳もよく聞こえないし、足元がずっと揺れていて、もう爆発がおさまったのかどうかも分からない。
アパートメントの近くに魔物の姿はなくなっていた。敵は殲滅できたのだろうか。
母さんと皆の……遺体を、このままにはしておけない。
不意に後ろから何かが走ってくる気配があり、思わず小銃を向ける。
でも魔物ではなくてリュックとワッカだった。
「ユクティ! よかっ、」
私が無事だったので安堵の息を吐いたかと思うと、傍らの母さんを見て絶句する。
「おい、まさか……」
「……ユクティのお母さん、だよ」
二人が何を言ってるのか聞き取れなかった。やはりまだ聴覚が戻らない。
ド派手に爆撃が行われている中で耳を保護することもせずにライフルを振り回していたのだから、当たり前か。
リュックは苦渋を噛むような顔で私の手をとった。
「ユクティ、行こう……あれに乗ってみんなで逃げよう」
「何……?」
うまく聞き取れない。じれったそうにリュックが叫んでいる。
「ねえユクティ! もう……駄目なんだよ! 逃げなくちゃ!!」
どうしても何を言っているのか分からない。分かりたくなかったのかもしれない。
私をどこかへ連れて行こうとする彼女の手を振り切って母さんを振り返る。
魔物化なんてさせるわけにはいかない。早く弔いの支度をしなければ……。
歩き出そうとしたところでまたしても腕を掴まれ、苛立って振り返るとリュックではなくワッカだったので唖然としてしまった。
「何を……」
痛いほどの力で掴まれているから振り払うことができない。
戸惑っているうちにワッカは無理やり私を抱き上げた。
「ちょっと……降ろしてください。何なんですか?」
「リュック、案内してくれ」
「う、うん!」
鼓動も聞こえそうな近さに頭が混乱する。逃げようと暴れる私を気にも留めずに、ワッカは先導するリュックの後を追って駆け出した。
何を話し合っているのかは分からないけれど、どうやら地下に向かっているようだ。もしかしたら飛空艇で逃げるつもりなのだろうか?
グアドはあらかた片づいたようだけれど、まだホームの中には多くの魔物が溢れている。
それらを避けつつ地下に向かってひた走る。
「あの……自分で走りますから、降ろしてください」
そう言ってみたもののワッカもリュックも聞く耳を持ってはくれず、抱えられたまま飛空艇に乗り込んだ。
ドアが閉まったところでようやく降ろしてもらえた。私たちが最後だったのか、すぐに飛空艇が離陸する。
他にも数十人が乗っているようだけれど、生き残った仲間はこれで全員なのだろうか。
ブリッジに駆け込むと族長がアニキに指示を出しているところだった。
『次は、あれ使うぞ』
……ホームを爆破するつもりなんだ。あれだけの魔物が残っているのならそう判断しても無理はないのかもしれない。でも……。
この飛空艇にはかつてジョゼ海岸にも持っていった電磁砲と同じくらい強力な兵器が搭載してある。スイッチ一つでホームは粉々だ。
それを押すことができず、アニキは項垂れて泣き出した。彼は涙声で祈りの歌を紡ぎ始める。
それは次第に広がり、気づけばブリッジにいる仲間たち全員が唱和していた。
反ベベルの歌。同じ旋律を、ベベルに連なるはずの寺院でも聞いた。
迷うだけの一年を終えて、ユウナとの旅で何かを見つけられそうな気がしていた。
……そのことを、母さんに話したかった。
脳の中を冷たい水が走り抜けるような感覚。
痛みを感じているはずなのに、うまく伝達されない。回路が切れてしまったみたいだ。
『族長……私たちのホームなんだよ。あそこには、母さんが……。爆破なんてしないで戻ろう! 魔物は私が皆殺しにする!』
『腑抜けんなユクティ! あいつらの門出だ。しっかり見とけ』
縋りつく私を強引に振り払って、族長はアニキに命じた。
『発射!』
アルベドは異界送りをしない。異界の存在を信じない。
そこにあるのはただの幻影で、命は尽きれば消えるものと理解してきたから。
だから人が死ねば遺体は灰も残さず燃やしてしまうのだ。
想いが留まらないように。器が残らないように。大切な人が、魔物になることのないように。
アニキが泣きながらスイッチを押すと、ホームに向かってミサイルが放たれた。
モニターの向こうで私たちの故郷が音も立てず木っ端微塵に砕けていく。
『ガハハハハ! 綺麗さっぱりだぜ!!』
『……ッ、このクソハゲ親父!!』
自棄じみた馬鹿笑いを響かせる族長をぶん殴って、背を向けた。
あんな光景……見ていたくない。最後まで見たらきっと、思い出まで壊れてしまう。
母さんが、みんなが生きていた時の姿……思い出せなくなってしまう。
グアドサラムの異界に行った時、小母さまもユウナの前に姿を現した。
彼女の姿は、私の記憶に微かに残っていたものと違っていた。
ホームを出た十七年前よりも穏やかで、優しげで……ブラスカに寄り添って、幸せそうに微笑んでいた。
シンに殺されはしたけれど彼女の想いはユウナの心に遺されている。
母さんは……きっと、あそこには現れない。
私たちは死んだら消えていくだけだから。そうして忘れられていくだけだから。
モニターから離れたくてブリッジを出ようとすると、ワッカが私を見ていた。
アルベドが無惨に死んでも彼は痛ましげに眉をひそめるだけで、自業自得だとかなんとか言う気配はない。
だけどそのことに喜ぶ気力も今の私にはなかった。
「私たちの何が悪かったんでしょうか」
「ユクティ……」
「今まで生きてきたのは何かの間違いで、私たちは死すべき定めにあるんでしょうか」
機械を使って誰かを攻撃したわけでもない。ただ懸命に生きて、もっと豊かになることを望んだだけだ。
私ですら何の因果か未だに生かされているのに……どうして皆が死ななければいけなかったのだろう。
エボンの教えには確かに反している。でも、それの何が悪いのかどうしても理解できない。
「俺たちは……俺は、あんなこと、望んでねえよ。アルベドに死んでほしいなんて思ってない」
ただ教えに反する行いをやめさせたいだけ、彼はそうだろう。ワッカはそう思ってくれる。
信仰は違えど、たとえ嫌っていても、生きる権利は認めてくれる。
でもこれが現実だ。エボンの教えはアルベドの存在を認めない。
「……あんなことが、正しいわけあるか。……正しくて堪るかよ」
今更ながら、さきほど彼が母さんのもとから私を連れ去ったのは爆撃を避けるためだったのだと理解した。
置き去りにすることもできたのに、ワッカはどうしても私が死ぬのを見過ごせないらしい。
「仮に間違いを犯したとしても、あんな風に……殺していいわけねえ」
「犯した過ちを償うのがエボンの教えでしょう?」
「死んだら償えねえだろ……」
では生きて苦しむのが償いというわけか。……自分の心中を考えれば、その言葉はまったく正しい。
死んで消えてしまうよりも大切な人を見送って生きてゆく方がずっと苦しい。
もはやアルベドもエボンも関係なかった。そのどちらも正しく、どちらも間違っているのなら、私は自分の目で真実を探す。
そうして答えを得た結果、私が罪人だというならそれでも構わない。
私の命は自分のために使わない。チャップの代わりに彼を守る。故郷を破壊した者に報いを受けさせる。
命尽きるその時まで、生きてゆく咎の償いをしよう。
そしてできるなら……せめて死のあとには、あの美しい異界に赴くことを許してほしい。
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