15
暖めたモルボルの粘液に包まれているような不快感で目を覚ました。控えめに言っても最悪の気分だ。
瞼を開いた瞬間に射し込んでくる強烈な陽光。慌てて起き上がると、目の前にはサヌビアの砂漠が広がっていた。
……確か、私たちはマカラーニャ湖の底に……じゃなくて、そうだ、シンの背中にいたんだ。
それがどうして故郷に帰ってきてしまったのか。
シンが人間を乗せてどこかに運ぶなんて聞いたことがない。
でもマカラーニャから遠く離れた孤島のド真ん中にぽつりと取り残されている現状を考えれば、私はシンに運ばれたとしか思えなかった。
この暑さ……毒気にあたって錯乱しているわけでもなさそうだ。
着込んでいた防寒着を脱いで丸める。鞄はなくしてしまったようで見当たらなかった。
その代わり、近くにワッカが倒れているのを見つけた。
とりあえず、何かを考える余裕もなくワッカを担いで近くの日陰まで移動する。
ビーカネル島にはアルベドが砂漠の往来時に使うための休息所が点在しているのだ。
他の仲間の姿は見当たらなかった。近くにいたのだから、みんなも島のどこかにいるはずだけれど。
よりによってワッカと同じところに流れ着いてしまうとは運がいいのか悪いのかよく分からない。
休息所を発見し、そこに入って印を確認する。現在位置も分かったところでワッカの防寒着を脱がせた。
汗はかいているけれどさほど消耗していないのはさすがだと思う。
心配なのはユウナやルールーだ。リュックが彼女らと一緒にいることを願うしかないだろうか。
早めに飲料水を確保しに行きたい。でも私が離れている間にワッカが目を覚ましてどこかへ行ってしまったら困る。
目覚めて最初に見るのが私なのは申し訳ないけれど、彼を起こすことにした。
「ワッカ、起きてください」
「……う……、ユクティ?」
体を揺さぶると彼はすぐに目を覚ました。
マカラーニャの雪道で一年前のことを打ち明けて以来、初めて悪意の籠らない声で名前を呼ばれて動揺した。
けれども私の瞳を見た瞬間、ワッカの表情に苦痛の色が浮かぶ。
……こんなことでいちいち落ち込んでいる場合ではないのに。
起き上がり、辺り一面に広がる砂漠を見渡してから、ワッカは私の顔を見ないように呟いた。
「ユウナはどうした?」
「近くには見当たりません。他のみんなも……」
まずは状況説明をしようとしたワッカが私を制止した。
「待て、敵だ!」
見れば猛スピードで走ってくる機械の影がある。あれは……ガーダーの方だ。問題ない。
駆け寄ってパーツを抜き取り、動作を停止させて振り向いたらワッカは呆気にとられていた。
「えっと、巡回警備用の機械です。認証スフィアを持ってたら襲われないんですけど、どこかで落としたみたいで」
なんとなく言い訳がましくなってしまう。
「どうでもいい」
「そ、そうですよね……」
冷たく切り捨てられてまた落ち込む。けれど、ワッカはすぐに私の方に向き直った。
「……いや、やっぱ説明してくれ。なんでアルベドの機械がうろついてんだ? ここは……マカラーニャの近くじゃねえよな」
凍った湖の底で意識を失い目覚めたら砂漠の真ん中。私やリュックはともかくとして、彼らはさぞ混乱しているだろう。
「ここはビーカネルという島に広がるサヌビア砂漠です。聞いたことありますか」
「知らねえな。どの辺だ?」
「ベベルの南西です。かなり大きな島ですけど、砂漠しかないので……誰も存在を気にかけてないようですね」
砂漠しかない、つまり人里がないと聞かされ、ワッカは忌々しげに舌打ちをする。
「最悪だな。どうやって脱出すりゃいいんだよ……」
本当は誰にも言うべきではない。まして彼のような敬虔なエボンの民にはなおさら。でも……。
「東に行けば、アルベドのホームがあります」
私が指差した方を見つめ、彼は怪訝そうに振り返る。
ホームの存在はひた隠しにされてきたから、一般的にアルベドは本拠地を持たない漂泊民だと考えられているはずだ。
「仲間がユウナを見つけたら連れ帰るはずです。だから……」
「ユウナは無事なんだろうな」
「はい。危害をくわえるために攫ってるわけではないので」
「んなこと当たり前だろ」
「……そう、ですね」
いくら丁重に扱ったって召喚士本人やガードの意思を無視して連れ去っている事実は変わらない。
危害をくわえないなんて確かに当たり前の話で、誇るところは一つもなかった。
彼を連れてホームに行かなければならない。私を憎み、アルベドを嫌っているワッカを連れて。
ユウナはきっとそこにいるし、他のガードを全員探すにも準備が必要だろう。
分かっているのに口が開かない。結局のところ、私はワッカが好きだけれど、彼を信じきれてはいないんだろうか。
「……ホームに、案内します。ただ……大陸に戻っても、この島にアルベドが暮らしてるのは秘密にしてください」
「なんで。疚しいことでもあんのか?」
嘲るような声音に竦んで私が口を噤むと、ワッカは苛立たしげに頭を掻いた。
「だああっ、もう! いいから理由を言え理由をよ!」
話しても構わないはずだ。本当のことを知れば彼は寺院に話さないだろう。彼がそんなことをするはずがない。
そう信じたいのに口を開くのさえ容易ではなかった。
もしワッカが私への復讐のためにそれを寺院に告げたら。もし彼の憎しみが本来の優しさを歪ませるほどに根深かったら。
ホームには、母さんがいる。懸命に生きる仲間がいる。私の大切な人たちがそこにいる。
ようやく上向き始めた一族の命運を私だけの判断で左右してはいけない。
彼を“信じたい”なんて気持ちで簡単に秘密を明かしてはいけない。……いけないんだ。
「誰にも言わないと約束してください」
「理由を聞かなきゃ約束できねえ。お前らが何か企んでたらどうすんだよ」
「何も企んでいません。私たちは、ただ生きているだけです」
「だったら言えるはずだろーが!」
「アルベドにはずっと故郷がなかったんです。この島しかないんです。もし寺院にバレたら、何をされるか……」
「人聞きの悪いこと言うな。いくらアルベド相手だからって、ただ生きてるだけで寺院が何もするわけねえよ」
「でもあなたたちは、アルベドがただ生きてるだけで罪を犯していると考えるでしょう」
「そんなことは……、だから……機械を使わなきゃいいだけの話だろ!」
機械を使おうと使うまいと彼らは“アルベド”を許さない。
きっと私たちは、スピラに存在するだけでエボンの教えを否定してしまう厄介者なんだろう。
「私の父親は……、私が生まれる少し前に、今の族長と一緒に大陸でアルベドのホームを作ろうと試みました」
「……もしかして、追い出されたのか? でもそれは、」
「いいえ。寺院の近くにアルベドが住むことを拒絶した僧兵に、殺されました」
辛くも逃げ出した族長が形振り構わずサルベージに励んで機械に傾倒し始めたのはそれからだという。
やがてこの場所を見つけて、念願のホームを建設して、新たな族長となった。
「エボンは私たちが集まり、寄り添って暮らすことを許しません。そこに機械があろうと、なかろうと」
顔を見ていないから、ワッカがどんな反応を示したのかは分からなかった。
お互い何も言えずにじりじりと時間が過ぎていく。
沈黙を破ったのは、遠くから聞こえたリュックの声だった。
「ユクティ〜〜!!」
元気に駆けてくる彼女の後ろには、ティーダたちも揃っている。でも、ユウナはいない。
「ユクティ大丈夫? 何も言われてない? 変なことされてない?」
「大丈夫、それに失礼ですよ。私はワッカになら何をされてもいいと思ってるから」
「けどさ、ってええっ! 待ってそれどういう意味!?」
「ばっ……だから、人聞きの悪いこと言うな! 俺が何するってんだよ!?」
思っていたのと違う怒られ方をしている気がして、自分の言ったことをもう一度よく考えてみる。
……ワッカになら何をされてもいいだと、正しいニュアンスが伝わらなかったかもしれない。
「ワッカには私に対して復讐する権利があるという意味です」
「もういい、お前ちょっと、黙ってろ……」
声音に本気の怒りが滲んでいたのでつい怯えてしまう。
リュックが来たのでようやく顔を上げられたけれど、やはりワッカの方を見る勇気はなかった。
意を決したようにリュックが彼の方を見つめる。
「あ、あのさワッカ。みんなにはさっき言ってたんだけど、この島のこと……」
「ごめんリュック、もうワッカに言いました」
「えぇ!?」
瞠目しつつもマカラーニャでのような口論をせずに済んでホッとしたのか、リュックは期待に満ちた瞳でワッカを見つめている。
「んで、秘密にしてくれるって?」
けれど彼は答えてくれず、明るかったリュックの表情がだんだんと沈んでいく。
寺院がアルベドにしたことを知っても彼の気持ちは変わらないのだろうか。
その優しさが一片でもアルベドに向けられることは、決してないのだろうか。
……私のせいで?
チャップを死に追いやっておきながらのうのうと生きている私が許せないから?
だとしたら、あの時マカラーニャで殺してくれればよかったのに。彼が憎むべきはアルベドではなく“ユクティ”なのに。
償いを求めるのは許しを与えたいからだ。だとすれば彼は、裁きを受けることさえ許せないほど私を憎んでいるんだろう。
もし彼がホームに災いを呼び込み得るなら……連れて行くことはできない。
どうすればいいのだろう、この場で私が死ねば多少は溜飲を下げられるかと自暴自棄になりかけたところで、見兼ねたティーダが口を挟んだ。
「なあ、今はさ、アルベドがどうとかいうよりユウナを探す方が優先だろ? 黙ってるって、約束してやれよ!」
彼がそう言うとワッカは意外なほどあっさりとそれを承諾した。
「わーったよ。案内、頼むわ」
リュックの表情がパッと明るくなる。
私は愕然としてワッカの方を見てしまったけれど、彼がこちらを振り向かなかったので目が合うことはなかった。
……やっぱり、私の言葉でさえなければ簡単に受け入れられるんだ。そう自覚すると、ひどく切ない。
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