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 誰よりも好きな相手が腕の中にいる。何にも煩わされることなく俺に全てを預けて安らぎ、すやすやと眠っている。俺は指先でその小さな頭を撫でる。
 なんて幸せなんだろう。このひと時、誰にも邪魔できるはずがない。完璧な平穏を崩すことなど何人にも不可能だ。
「ジュジュ!」
 ……ああ、正確に言えば、あの婆さん以外には不可能だ。

 狭い部屋の中で張り上げられたママ・オーディの声にハッと目覚め、今の今まで俺の腕の中で眠っていたジュジュは、止める間もなく主のもとへと這い出して行く。
 ……せめて一度くらい俺を振り返ってくれたらいいのに。

 我が麗しの彼女を呼び付けた盲目の魔女はといえば、偉そうな態度で大鍋の前に立って、しもべが晩飯の具材を運んで来るのを待っている。
 相手に見えないと思えばなおのこと苦々しい表情になる。それを必死で堪えると、俺は立ち上がってジュジュを手伝うことにした。

 棚の上から鍋に入れる野菜を取り出し、足元を這う彼女には優しく笑みを。そして憎きママ・オーディに対しては毒を吐く。
「はっきり言って俺、ガンボは嫌いなんですよね」
 理由はあんたの好物だからだ。まあ、ぬるぬるぬめぬめしたところとか味がしないところとか全部嫌いだが、一番の理由は宿敵の好物だから嫌いなんだ。
 でもジュジュが差し出したものならガンボだろうとカエルの黒焼きだろうと拝み倒して頂きますけど。

 魔女は肩を竦めて俺の感情を振り払う。その無関心がまた腹立たしい。
「お前さんの好みはどうでもいいよ。第一、誰が夕食に招待したのかね」
「呼ばれなくてもジュジュのいるところに俺もいるんだよ」
 ジュジュが筋肉で構成されたしなやかな尾を使い立ち上がる。鍋のふちに触れないよう気をつけながら具材を投入する。その健気な姿……ああ、なんて愛らしいんだろう!

「ジュジュ、塩だよ!」
 癒しの光景はまたしても魔女のしゃがれ声で打ち壊された。
 相変わらず名前一つ呼ぶだけで雑用をぽんぽん言い付ける婆さんだ。有無を言わさぬ勢いに唯々諾々従う彼女が悲しい。
 だから俺は少しでもジュジュに自由を与えてやるために、その雑用を片付ける手伝いをする。
 称賛に値する素早さで命令を実行するジュジュの前に立ち、腕を鍋に向かって伸ばして視線を送る。それだけで聡明な彼女は全てを心得て、俺の体を支柱にするすると登り、塩の小瓶をくわえて鍋に振りかけた。瓶になりたい。

 名前を呼ぶだけで通じ合っている二人のやり取りを見ていると、いっそ俺もママ・オーディのしもべになってしまおうかと自暴自棄になることがある。同等の立場になればジュジュとも今より近づけるだろう。
 ジュジュの同僚。いい言葉だな。
 ……しかし婆さんの使い走りになるのが嫌で決断できずにいる。魔女の完全なる支配下に置かれてしまえば、いざと言うときジュジュを連れ出して逃げることすらできなくなる。

 最近の俺は揺らいでばかりだ。これも偏に愛の魔力ゆえか。
 そもそもママ・オーディがジュジュの主人として俺の理想に足る人間ならばこんなに思い煩うことなど無かったんだ。
 ジュジュを愛しジュジュを慈しみジュジュを尊重する主だったなら、安心して彼女を任せていられた。
 それをこの婆さんはまあ、毎度毎度「ジュジュ!」の一言でくっだらねえ雑用を言い付けやがって、そのくせ忠実な彼女に感謝の一つも示そうとしない。

「……あんたはジュジュをこき使いすぎですよ。ちょっとは自分の行動を反省しろ」
「ハッ!」
 ママ・オーディは馬鹿かと言いたげに鼻を鳴らして鍋を覗き込んだ。サングラスが湯気で曇ってるが、どうせ見えないのだから関係ないか。
「また例の『ジュジュを解放しろ』かい」
「そうですよ。手が足りないなら俺が付いててやると言ってるのに」
 俺は、大事な彼女が他人に従っているのが不快だ。彼女が他人に使われるのが不快だ。そして彼女が、
「ジュジュが必要だから使うだけさ。そしてジュジュもまたそれを」
 彼女が納得してこの魔女に仕えていることが、一番不快だ!

 不機嫌さは極限まで高まり、舌打ちして座り込む。もちろんガンボスープとその湯気の向こうにいるママからは背を向けて。
 結局のところ俺はこの魔女を倒すこともジュジュを説得して連れ出すこともできない。不快な光景を視界から追い出すのが精々だ。

 用事が済んだジュジュは俺の膝にのぼってきた。長い胴体を俺の腕に巻きつけて、小首を傾げてこちらを窺う。……自分のそんな仕種が俺にどれほどのダメージを与えるのか、しっかり分かっているんだろうなぁ。
「俺はジュジュの負担を減らしたいだけなんだよ」
 差し出した指に頭を乗っけて、彼女がうっとりと目を閉じる。至福の時だというのに俺の胸中は焦りばかりだ。

「負担になんぞ思ってないさ」
 そうならとっくに逃げ出していると笑うママは自信たっぷりで、また苛々が募る。
「そんなものはあんたの思い込みでしょうが」
「リツだってそうだろう。お前はジュジュの自由が欲しいのかい? 違うね。こいつが自分に与えてくれる時間を増やしたいだけなのさ」
「……」
 ああそうだよ、悪いか!

 だって仕方ないだろう。ただの身勝手な欲求でしかないのは分かっている。でも俺にとってジュジュとの時間はかけがえのないものだ。必要なんだ。なくては生きていけないんだ。
 呼吸をするのと同じくらい、ジュジュと過ごす時間が俺を生かしている。それを奪う輩を憎むのも当然じゃないか。
「別に悪かないさ。だけどそれなら簡単な話だろう?」

 鍋を混ぜる手を休め、ママ・オーディがこっちを見た。そう、見ているはずがないのに、その眼球が確かに俺を見据えていた。

「リツもここに住めばいいのさ。契約なんぞしなくたって構うもんか。好きなだけジュジュを手伝ってやりな」
 ママの言葉に、目覚めと同じくハッと起き上がり、ジュジュが今度は俺を見る。鎌首をもたげて鼻先で俺の胸を突く。
 彼女はその提案に乗り気でいるようだ。
「……いいんですか、俺が住み着いても」
「迷惑だとは言わんよ」
 ママ・オーディはとくに関心もなく言って、ジュジュはそっと瞬きをした。

 この家に住む。魔女の存在には目を瞑るとして、愛しい白蛇と一つ屋根の下で甘い生活を送ることができる……?
「ジュジュ、結婚してください」
 感極まって土下座したところへ掻き混ぜ棒が飛んできて俺の頭に直撃した。盲目でありながらこうも正確に後頭部に命中させるとは恐ろしい魔女だ。
「それはまだ早い!」
「早いってことは、いつか許してくれるんですか」
 姑から答えはない。しかし未来の嫁の鱗が、薄く桃色に染まった気がした。

 完璧な平穏は未だ得られそうにないけれど、どうやら明日にはささやかな幸福が俺を待っているようだ。




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