そうだ、寝る前に明日の天気を確認しよう。って思い立って携帯電話を開き、そのままずるずるとニュースやSNSをチェックしていたら突然けたたましい音が鳴り響いた。
「えっ……電池切れ?」
おかしいな。さっき充電したばかりのはずなのに。仕方なしに使用をやめて手探りで充電器を探し出す。夜も更けて窓から差し込む月明かりだけでは少し心許なかった。
まだ替え時じゃないと思うんだけど、そんな荒っぽい使い方もしてないし。
ここ最近は不調なことの多い愛機を心配しながらコンセントに差し込むと……音もなく部屋の明かりが消えた。
「あからさまにおかしい」
のろのろと起き上がり真っ暗な中を慎重に歩いて、ブレーカーを見に行こうとドアノブに手をかけようとしたところで止まった。そういえば、ついこの間もこんなことがあったっけ。ブレーカーが落ちたわけでもないのに家中の電化製品がストップしてしまったこと。
あれの原因は確か――。
「……」
そっとドアノブに指を近づけてみた。触れる直前、ごく軽い静電気のようなむず痒い感覚が走った。漏れそうになった溜め息はひとまず抑えよう。
「さっさと出てきたらどうですか」
結局ドアを開けることなく薄暗い部屋を振り返る。室内灯が一瞬バチンと弾けて、青白く光る珍妙極まりない生物がそこに現れた。
「なんでこんなことするの、バチバチ君」
「その呼び名をやめろと何度言えば分かる。俺の名は……」
「黙れ食用脂」
「ラァードだ!!」
火花を飛ばす電気クラゲを小突いて、暗いままの部屋を構わず進みベッドに腰掛け足を組む。
この奇妙な同居人は電気を食べてエネルギーに変えるエイリアンだ。この間の“我が家だけ停電事件”もこいつの仕業だった。
気に入らないことがあるとそうやって無言の抗議をしてくるんだ。変化に乏しい表情の代わりに態度で示してくる。
すっごく迷惑! 言いたいことがあるならこんな嫌がらせしてないで直接言えばいいのに、何のために口ついてんのってラァードには口が無いんだった。でもそういう問題じゃない。
「今日は何の文句があるわけ?」
クラゲらしくふよふよと宙を漂っていた彼は、上腕を振り上げ電気を放った。元通りの明るさを取り戻したついでに充電だけしておこっと。……で。
「で、何?」
ラァードはさも忌々しそうに私の携帯電話を睨みつけていた。そういえば彼は、電気を食らい電線の中に入り込むことができるけれどこういう機械そのものはあんまり好まないようだった。同じ餌を食べるライバルみたいなものだからかな? どっちにしろ私に八つ当たりされても困るんだけど。
何をしようと思ったのかラァードが電話に手を伸ばした。壊されても嫌だからとりあえずその手を叩き落としておく。
「痛いだろう」
「何が気に入らないのかちゃんと言ってよ」
「……対話の叶う相手がすぐ近くにいながら生物ですらない相手に構うお前の神経が理解できない」
「ええ?」
なんのこっちゃいとしばらく考え込んだ。
うーん。ものすごく持って回った素直じゃない捻くれて根性曲がりな言い方だけど、それはつまり私が携帯電話にばかりかまけて彼を放置してたのが気に食わなかったってことだろうか。
「構ってほしかったの?」
拍子抜けして問いかければラァードは返事もせずぷいっとそっぽを向いてしまう。このやろう。
「調べたいことがあるから触ってるだけだよ。話したいなら声かけてくれれば、携帯見ながらでも会話くらいできるのに」
「なぜ俺がお前なんかに話しかけなきゃならないんだ?」
くぬやろう……。でもそうか、なるほど。前に私がメールチェックしていた時にパソコンをショートさせてくれやがったのも同じ理由っていうわけね。
「結構かわいいとこあるな」
からかうつもりはなかったのに容赦なく頭を叩かれた。柔らかくてぺたぺたした腕、あれは思いのほか威力があるんだ。
ラァードは私から目を逸らし、一心に窓の外を見つめていた。渇望するような、それでいて何か恐ろしいものが来るのに怯えているような。
人間とは違うエイリアンの表情はいまいち読み解くのが難しいけれど、あれほど全身を緊張させていればいくら鈍くても分かってしまう。
そうだった。やたら尊大な態度だから忘れがちだけれどラァードは意外と重い素性を抱えてるんだ。
故郷の星からいきなり連れ去られて閉じ込められ、ともに戦い逃げ出した仲間とも別れ二度と会えるか分からなくて、どうやって地球から脱出すればいいのかも分からない。
そもそも、ここから逃げ出したところで先は見えない。厄介な相手に目をつけられている以上みすみす故郷にも帰れない。行き先も帰る先も見失って一人で逃げていた……。
出会いが出会いだったから初めて聞いた時には嘘じゃないかとも疑った。同情を引いて油断させるつもりじゃないかって。
でも……一緒に時間を過ごす内に、その内実がどうでも関係なくなってきた。ラァードが強い孤独と不安を抱えているのだけは真実だと感じたから。
周囲を疑って警戒し続けて、心を開ける相手もないまま身を潜めるつらさ。いつ終わるか、本当に終わりがくるのかも分からない。底知れない不安とか恐怖とか、私には、分かるよと言ってあげられないから。
せめて彼の望むことを極力叶えてあげたい、孤独感だけでも和らげてあげたいと思ったんだ。
「……ごめんね。蔑ろにしてたわけじゃないけど、最近ちょっと外にばっかり気を向けてたかも」
「お前の気の向く先など俺にはどうでもいい。アグレゴーに見つからないよう、それだけ考えていればいいんだ」
「そうだね。どっから見つかるか分からないし、もう少し注意するよ」
「……無闇に外出するな。周囲との連絡も極力絶ち、俺の……安全のことだけ考えろ」
時々、ラァードの勝手な言葉はここから無理にも追い出されたがっているんじゃないかと思えた。仲違いしていなくなれば私に負担をかけずに済む。お互い後腐れを残すこともなく。
それくらいには想っててほしい、私の願望に過ぎないんだろうけれど。
寂しくてたまらないのにエイリアンである彼は堂々と外を出歩くこともできないんだ。
私は私が大切だから、すべてを捧げて奉仕しようとまではさすがに思えないけれど、この胸の痛みの分だけでも力になってあげたいとは思う。
「私は私の生活を捨てないくらいに、ラァードを受け入れるよ。無理はしない。でも譲れる範囲ではあなたを優先したい、そう思ってる」
「……そうか」
「もう、ほったらかして他に構ったりしない。約束する」
見捨てたりしないし、置いて行ったりもしない。ラァードが本当に必要なものを手に入れる時まで多少の面倒くらい引き受けるって決めたんだから。
さすがにそこまで口に出すのは恥ずかしいから、お得意の技で読み取ってほしいんだけど。
「お人よしだなリツ。俺に利用されているとも、気づかずに……」
言いたいことを口に出すまでもなく心で通じるのは、時にありがたいこともある。
なんだか神妙な雰囲気になってしまって居心地が悪かった。そこへ空気を一変するような和やかな音楽が鳴り響く。二人とも一瞬呆けて音の発信源を探し辺りを見回す。
「あ、メールだ」
ランプを点滅させ着信を知らせている。即座に駆け寄り携帯電話に手を伸ばした瞬間、背後で小さく弾けるような音を聞いた気がして。
「え?」
青白い電流が壁を伝って流れ込むのを見た。近頃ようやく私の手に馴染んできた薄い機体が心なしか膨らんだように見えて、なに、と思う間もなく腕が引っ張られてぐんと後ろへ傾いた。
「うわっ!?」
倒れ込みそうになった私をラァードの寒天みたいな体が受け止める。その腕に守られて……耳に痛い爆発音が轟いた。
床一面に散らばる破片。充電器のあった近くは壁にも突き刺さっていた。へなへなと座り込んで手に当たった何かは、よく見たら液晶のカケラだった。
「ら、ラ、ラァードォォォ!!」
思わず殴り掛かった手はあっさりと掴み取られて止まった。ひやりとした触腕が絡みつき、感情の読めない視線がそれを見つめている。
「いきなり殴るとは野蛮な女だ」
「どっちが! もう何てことすんの!? 壊すことないでしょ!!」
「リツの約束は軽すぎる。その罰だと思え」
「緊急の用かもしれないじゃん! 確認くらいさせてよ!」
「俺以上の緊急事態など有りはしない」
こっ……この我が儘クラゲめー! でもそうなんだ。ラァードの自信過剰な言葉を決して否定できない私がいる。
近頃友人の誘いも断りっぱなしで用が済めば即帰宅、一人っきりで家にいるラァードが気になって遊んでなんていられないし、買物だってギリギリまで溜め込んで外出を最低限に抑えられるように。
この孤独なエイリアンが一人でいる時間をできる限り減らしたくて、そのことにばかり心を割いていた。
私自身の淋しさでスケジュールが揺らいだことが、そもそもの原因なんだから。……まあほんのちょっとくらいは私が悪い。
「……でも壊すことないのに……壊さなくたって……」
「ぶつぶつ言うな、気持ち悪い」
あんまりじゃないかと思う言い草に口をへの字に曲げてラァードを睨む。けど長くは続かなかった。ふわりと浮かぶ体を見上げた時にはもう視線も柔らかくなっている。
「もう寝るんだろう?」
返事をする間もなくフッと照明が消え、ラァードはベッドに降り立ち寝そべった。
って、えー、一緒に寝るの? こいつは一応男じゃないのかな。いいのかな。いいかべつに。エイリアンだし。
散らばった携帯電話の残骸を見ると取り返しのつかない事態や後始末の面倒臭さにげんなりするけれど、今更どうしようもない。全部、明日しよう。
幸いにもベッドにまで破片が撒かれていないのはラァードが守ってくれたんだろうか。そんなことを考えながら私も布団に身を沈めた。
「……おやすみ、ラァード」
「おやすみリツ」
想っていることが口に出さずに伝えられるなら、ただそばにいるだけで事足りるだろう。だから、せっかく並んで過ごすこの夜が、長く続けばいいと心で思っておく。