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 朝から雨が降っていた。だからというわけでもないが、ずっと酒を飲んでいた。昼前に釣りへ出かけるヨンに呆れられ、続いて買い出しに行こうとするクレイに罵られ、腹立たしいのでリツが洗濯した衣類を部屋のなかに干してやることにした。一人だけ何もしないだなんだと説教されるのも不愉快だから仕方がない。
 リツは自分がやるから構わないですと言ったのだが。他の二人と違ってリツは寛容ないい子だな。
 湿った匂いが部屋に籠り始める。晴れたら換気をしたいところだ。雨がやむまではブランデーの香りで消してやればいい。
 野生児じみたヨンは濡れ鼠になっても知ったことではないが、もうじき帰ってくるはずのリツは雨で冷えた体を温めるために酒を飲むはずだ。だから私も酒を飲む言い訳がたつ。
 あれでクレイもリツには甘いところがあるから、あの子を巻き込み二人で飲んでやれば酒を取り上げはしないだろう。

 辛気臭い風景が見える窓には背を向けてちびちびやっていた。クレイはともかくヨンかリツが早く帰ってこないだろうか。かつてあれほど心地好かった静寂が、今はただ退屈だ。そんなことを考えていた折、玄関の戸が激しく叩かれる。
「……」
 こんな雨の日に訪ねてくるのは面倒事か厄介事に違いないと無視を決め込んでいたら来訪者に戸を蹴りつけられた。さすがに文句を言うべきかと立ち上がって戸を開けると、そこにいた不心得者の正体はまさかのクレイであった。
 自宅のドアを蹴りつけるとは何事か、足癖が悪すぎる……と視線を下げた途端に叱り損ねる。クレイの腕の中には頭に包帯を巻いてぐったりしたリツが抱えられていた。
「あなたは……まだ飲んでいたんですか。部屋が酒臭い」
「それどころじゃないだろ。一体そいつは何事だい」
 このクレイの様子なら大事ないのだろうが、意識を失っているらしいのが気にかかる。見た目に反してリツは丈夫だ。本当に倒れてしまうことは滅多とない。だからこそ、心配だった。

 道を開けてやればクレイは心持ちゆっくりとした動作で部屋を突き進み、今しがた私が飲んでいた長椅子にリツを横たえた。
「ベッドの方がいいんじゃないのか」
「こちらの方が便利ですので」
 表情ひとつ変えることなくクレイは水を汲み、棚から痛み止めの薬を取り出し、リツの上体を起こしてそっと飲ませてやる。意外にも手慣れていた。リツは朦朧としながらもなんとか薬を飲み下して、寝息をたて始めた。

 毛布をかけられて眠っているリツの隣にクレイが腰掛け、私は向かいの椅子でそれを眺める。改めて、一体なにがあったのか。
「階段から落ちたんですよ」
「……何?」
「買い出しの帰りに雨で滑ってよろめいた私を支えようと裾を掴んだものの自分が足を滑らせて宙に浮き私を巻き込むまいと慌てて手を離してそのまま階段を転がり落ちたのですが起き上がり様に足をくじき近くに置いてあった木箱に頭をぶつけて出血したんですよ」
「…………」
 助け起こそうと駆け寄ったクレイを平気だからと制し、リツは水の魔法で傷を癒してそのまま意識を失ったそうだ。このところ寝不足気味だったのが祟ったのだろう、風邪にならないよう気をつけてやらなければとクレイは呑気なものだった。
 ともかく急病でなくてよかったとしよう。

 階段から落ちた時の打撲と捻挫、頭部の出血は単なる擦り傷。道具屋に寄って救急キットを買い荷物を預け、包帯は傷を塞ぐガーゼが外れないよう帰り道でクレイが巻いたらしい。
 目が覚めたら蒼白になるだろうな。クレイに抱えられ家まで連れ帰ってもらったことさえリツには許せないに違いない。まして傷の手当てをさせたとなると。
 そもそもクレイの手を煩わせないために魔法を使ったのだ。ある意味、それが体力にとどめをさしたのだろうが。まったく妙なところで馬鹿な子供だった。
 リツの行動原理ときたらとにかく『クレイ様第一、クレイ様の意思を成し遂げる、クレイ様に迷惑をかけない』こればかりだ。本気で自分をクレイの手足かなにかだと思っている。

 私はといえば、クレイがリツを置き去りにしなかったことに驚いていた。この男ならば顔馴染みの道具屋にリツの方を預け、先に買い出しの荷物を持ち帰り兼ねなかった。
「少しは健気さに感動したのかね、この冷血漢も」
「部下の忠誠にはいつも感謝しているつもりですよ」
「もう部下じゃないだろうが。あんたらには何の地位も立場もないんだからね」
「では個人的な下僕ということで」
「……奴隷と呼ばなかっただけマシな方かねぇ」
 健気や献身というには行き過ぎているのも事実ではあるが。リツはまるで実の子のごとくクレイに尽くしていた。いや、というよりも“他人の身で彼のそばで生きることを許されているからには実子以上に尽くさねばならない”と考えているのだろう。
 生い立ちを考えれば無理からぬこととはいえリツの感性は少々狂っている。
 父のように、息子のように、想ってしまえば至極簡単な関係を、この二人はどうしてこうひねくれているのか。

「最初に私が足を滑らせたのは失態でした。この子といると気が抜けて困りますよ。いざとなったらリツが犠牲となり私には害を及ぼさぬだろう、と思うと危機管理能力が低下するのですからね」
「……お前というやつは」
 クレイなりに、リツを大切にしているのは分かる。だがそれは使い慣れた道具への愛着でしかないように思えてならなかった。
 この子が危機に陥れば助けはするが、もしもこの子を失った時に、果たしてクレイの感情は揺さぶられるのだろうか。それを考えるたびリツの隷属とも言えるほどに過剰な献身を諫めずにおれないのだ。
「違う聞き方をしようか。ある日リツがいなくなったら、平気なのかい?」

 長い沈黙があるかと思った。しかしクレイの返事は早かった。眠るリツを無表情に見つめ、唇にいつもの嘘臭い笑みを浮かべてこう言った。
「あんたには分かるまい。私はリツが死んでも悲しくならない。……だから私は、リツが死なぬよう努力しているのさ」

 運命が我々に目をくれるよりも前、故郷の消失により変わり果ててしまった副官に、私は「悲しみを乗り越えろ」と叱咤した。どのような手を使ってでも生きろ。どれほどの絶望に苛まれたとてお前は未だ生きている。悲しみに暮れて生を捨てるなど息子への裏切りだと。
 我が不肖の弟子は虚ろを見つめて言った。――なくしたら生きられぬ愛もある。悲しいとさえ感じない、私の心は死んだのです、と。
 リツはクレイの心だった。この子がクレイ自身の代わりに涙を流し、怒りや後悔を感じていた。恐らくは、この子が死ぬとき、クレイもまた死ぬのだ。だから悲しみも何もないのだ。




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