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 辺りに光と轟音が走り、イルヤ島は壊れた。影も見えないほど遠いのにまるで手に取るように島民たちの死が感じられる。私はその光景を呆然と見つめていた。
「ひぇー、派手だなあ! 景気がいいや」
「普通の砲弾何個分だ? 島ごとぶっ飛んじまったんじゃねぇか」
「こりゃ皇国がいくら出すか見物だぜ」
 あの方は島に近寄るなと命じたけれど、彼のやることを見るなとは言わなかった。だから私は甲板に出た。それを見ていた。おそらくエルイール要塞で彼も同じものを見ているだろう。
 楽しそうに? 満足げに? 少しは悲しそうに? いや、たぶん何も感じていないに違いない。

 なんて考えてる暇はないんだった。興奮冷めやらぬ船員たちを呼び集め、出航の準備を始めなくては。
「さあ、じきに“サカナ”が驚いて出てくるはずだ。海面に注意して進もう」
「おう! いやあ大儲けっすねー、リツさん」
「うん。会長もお喜びになるだろう」
「へっへっへっ!」
 持ち場に戻っていく船員たちを見送りながら自分の馬鹿げたセリフに溜め息を吐いた。まさか。紋章砲がどんな値段で売れても彼は喜ばないだろう。といって別に悔やむこともなく。
 こんなことは足がかりに過ぎず、彼の望みは未だ何も果たされてはいないのだから。

 不意に向かい風が吹く。イルヤに巻き起こった爆風がここまで届いたようだ。乱れた前髪をなおして島の方角を見つめる。
 生存者はいるだろうか? ……おそらく何人かは。これほどの破壊力を有していても所詮は島の表面をえぐっただけで、即死に到らなかった者もそれなりにいるだろう。そもそも皆殺しが目的ではない。あの島の破壊はただのパフォーマンスだ。
 本当にすべての生物を根絶やしにするつもりなら、この足で島に上陸して生き残りを一人一人潰してゆくしかない。瀕死に喘ぐ人、助けを求める人、魔法の直撃を免れて死に損ねた人間を余さず殺し尽くすんだ。
 かつて彼がそうしたように。
 かつて彼が、子の引き起こした惨劇を自らの手で塗り替えたように。

 紋章で乱雑に破壊された村の始末をつけて完膚なきまでに“消して”しまうには、やはり人の手が必要だった。あの子は文字通りに命を懸けて彼の故郷の仇を討ったけれど、皆殺しには足りなかった。紋章の食い残しは父親が処理することになった。
 彼は、くだらない虚栄心のために彼の故郷を壊した貴族たちを容赦なく殺した。全員を。完璧に。一人も残さず。あの子が放った報いを受けずに生き延びた者、そして罪なき領民までも巻き込んで徹底的に殺した。
 今にして思えばあの虐殺はたぶん……紋章を探していたんだ。“生き残り”の手にあるはずの紋章を見つけるために無関係な民をも逃さなかった。居場所が分からないなら全員殺せばいい。そうすれば宿主を失った紋章が姿を現すだろう、と。

 彼はイルヤの民になど用はない。だから無理して生き残りを探さずとも後始末はクールーク兵に押しつけてしまえばいいのだ。
 あの方は……ああ、まただ。私が彼の思考を追う必要はないのに。黙って従っていればいい、いやそうしなければならない。考えるな。

 ほんの数分前までそこにはごく普通の日常があった。にもかかわらずイルヤはすでに十年来の廃墟のように沈黙していた。人々の悲鳴すら響かない。
 紋章砲による破壊は単に火矢を射かけるのとは違って、砲弾に籠めた魔法の力が失せてしまえば残り火が島を焼き続けることもなかった。真っ向から戦争するよりも手早く静かに終わるのは確かだ。
 この脅威は大きな衝撃を与えるだけ与えて瞬く間に消えてしまう。心に恐怖が焼きつけられ、他には何も残らない。
 皇国軍は上陸を急ぐべきだ。でなければ不運にも砲撃を生き延びてしまった人があまりに可哀想だった。島には重傷を負って苦しみ喘ぐ者が溢れているだろう。一緒に死んでしまえばよかったのに、一人で取り残されるのはどんなに悲しいだろう。早く彼らに慈悲を与えてほしい。
 上空に風が流れ、爆風で一瞬は晴れた空がどんどん雨雲に覆われていった。景色が闇に溶けても紋章砲の不吉な光はしっかりと脳裏に刻み込まれている。
 あの暗い光……今でも身が竦む……。紋章砲なんて大嫌いだ。でも彼はあの光に何も感じない。今頃は要塞の広間で、少しも心を動かされることなく、もうイルヤになど目も向けずに淡々と死を売りさばいているんだ。

「リツさん、そろそろ船室に戻らなきゃ冷えますぜ。獲物を見つけたら知らせますよ」
「ありがとう。でも、もう少しここにいるよ」
「そっすかぁ? 気をつけてくださいね、俺らがラマダさんに怒られちゃうんで!」
「ああ。寒くなったら戻る」
 サカナを捕って、皮を剥いで、鱗を売って……死を運んで。それが私たちの仕事。私たちの暮らし。私の日常。
 父さんは農夫だった。私は父さんの作る野菜を食べて育った。父さんは物心つく前に亡くなった母さんの代わりに、命の育み方を私に教えてくれた。
 生きることの尊さ。軍人にもそれはあるのだと。だれしもが、だれかを生かすために戦って、だれかを殺すのだと。その営みを忘れてはならない――。
 ある“人間狩り”の日、父さんは私を庇って死んだ。それから私は、彼と共にあった。

『ちゃんと野菜を食べなさいって怒られちゃった』
『野菜、嫌いなの? ニンジン甘くておいしいよ』
『えーっ! ニンジンなんか甘くないよ。だってお砂糖が入ってないし』
『そういう甘さとは違うけど。お父さんの作った野菜だから好きなんだ』
『ふぅん。ぼくも、お父さんのパンは好きだな』
『それは同感。あ、そうだ。お父さんに野菜のパンを焼いてもらったらいいんじゃない?』
『うぇ……ニンジンのパン……?』
『ふふ、そんな顔しない。きっとおいしいよ。ほら、うちで採れた野菜あげるから!』
『ありがとう……じゃあお父さんにお願いしてみる。そうだ、リツもいっしょに食べようよ』
『え、いいの?』
『リツはすっごくおいしそうに食べるって、お父さん前に喜んでた。だからおいでよ!』
『それじゃあ、お言葉に甘えようかな』
『またそんなお爺さんみたいな話し方するー』
『あはは……』

 私は何を生かそうとして戦ってるんだろう。イルヤ島の破壊が、この死が一体なにを生み出すというんだろう。
 時々すべてを放り投げて逃げようと思うことがある。悲しみを忘れ去れるような知らない土地へ行って、畑を耕して暮らせたら。でも、どうしてもできない。紋章の光が忘れられない。目を奪われ、足を踏み出せない。
 その腕から逃れた紋章を、手離してしまった過去を探し続ける彼を、置き去りになんてできなかった。

 潮風がやけに冷たい。そろそろ船内に戻ろうかと振り向いたとき、ちょうど船員が駆け寄ってきた。
「リツさん、見つけましたよ! あっちに人魚が五匹ほど……!?」
 男は私の顔を見るなりギョッとして口をつぐんだ。何事かと首を傾げていたら彼は気まずそうに目を逸らして続ける。
「あ、あのー、大丈夫っすか。頬が……」
「え?」
 言われて手を触れてみる。いつ流れたかも知れない涙が夜風にあてられ冷たくなっていた。
「ああ、大丈夫。潮風が目に染みたんだ。漁を始めよう」
「へ、へい」
 罰の紋章が見つかるまでクレイ様は殺戮を続けるだろう。亡くした人がそれを望んでいないと分かっているのに、光を追い求めずにいられない。

 暗い光が瞳を焼く。私はあの光景を思い出す。
 焦土と化した村で逃げ惑う人々を殺していた彼が、私に手を伸ばした。私の右手と左手を見つめ、そこに何もないことを確認した。
 彼の目に光はなかった。憎しみも、怒りも、悲しみさえも。彼の中には何もなかった。
 私は一人で逃げ出さない。彼の代わりにクレイ様を守り、彼の代わりに涙を流し、彼の代わりに復讐を手伝うんだ。もう、それしかできることがないのだから。




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