×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
 偉大なる我が師クロウリーが床に臥せっている。千年に一度の奇跡だと思う。彼はもちろん自分以外の優秀な人間を好いていないので、城におわす名医リュウカン殿に診察していただく気はまったく無いようだ。おかげさまで看病を引き受けるほかない弟子兼下僕の私は朝から晩まで彼のそばにいる。

 弱った彼は珍獣のようだった。
「頭おかしいほどたくさんの紋章を宿しても生きてるあなたが風邪ごときで寝込むなんて滑稽ですね」
 稀有な優越感に気をよくして皮肉を言いつつ、ピシャリと水に濡れたタオルを投げつけると射殺されそうな目で睨まれた。眼力は衰えていない、元気もある。意識もしっかりしているし、精神的には弱ったところなんてひとつもない。強いて言うなら熱のせいで顔が少し赤い……。
 重病人でもないクロウリーがなぜ寝床に押し込まれているかといえば、「他の人に伝染すると困るから」という軍主殿の至極真っ当なお言葉のためだ。確かに、この人に取りつくような根性のある病を野に放つわけにはいけない。だから私も不本意ながら彼の監視を務めているのだ。

 先程から不満げに黙りこくっていたクロウリーがおもむろに半身を起こした。いつもの長たらしいローブは脱いでリネンのシャツだけ肩に引っかけている。老人のくせに無駄に性的魅力など放つなと言いたいけれど、魅力を感じていると知られるのは屈辱なので黙っていた。
 灰白の前髪が額に張りつき、露出した胸元も汗ばんでいる。まとわりつく色気を振り切って私は立ち上がった。
「リツ、どこへ行く」
 かかる声が掠れている。喉が渇いているはずだ。ついでに何か飲み物をいただいてこよう。私の分も。彼と違って熱もないのにやたらと渇いているこの身体をどうにかしなければならない。
「冷たい水と、酢をもらってきます」
「……なぜ酢を?」
「水に酢を混ぜて布を浸して、湿布にするんです。熱を下げるのにいいから」
 ああこんなこと、誰に聞いたんだったかな。とうに失われた幼き日に家族にもらった知恵。優しくてあたたかくて、今の私には痛いくらい健全な思い出だ。
「迷信か」
「民間療法と言っていただきたいです」
「どこぞではネギを尻に突っ込むそうだぞ」
「いいですね。ネギも探してきましょうか」
 しかしそれを誰が突っ込むのかと考えて目眩がした。うっかり幼少の思い出など頭に浮かんでしまったせいで、穢されるのに耐えられない。いつもなら平気なクロウリーという存在が、彼の発する性の魔法が厭わしくて仕方なかった。

 かじりつくように扉へ走って部屋を出ようとしたところで体の自由が奪われた。魔力の檻が辺りを覆ってゆく。出られない。離れられない。体が言うことを聞かない。私のものではなくなった足が背後に向き直り、迷いなく師のもとへ歩き出す。
「師匠! 邪魔しないでくださいよ」
 唯一自由な口での抵抗は満面の笑みで封殺され、どうぞと言わんばかりに両手を広げたクロウリーに向かって倒れ込んだ。抱きしめられると彼の血液の流れに閉じ込められて、体温まで支配された。
 あつい。はやく熱を冷まさなければ。それはそう願うだけで終わり、もう肉体操作の魔法は切れているはずなのに、病人らしからぬ力強い腕から逃れられない。
「離してくださいよ風邪がうつるじゃないですか」
「お前にうつせば治りが早くなる。民間療法だよ」
「なんたる鬼畜……!」
 不甲斐ない病原菌め、風邪なんかじゃなくいっそこの男の存在ごと叩きのめして再起不能にしてくれればいいものを。そうしたら私は自由に……なれるのだろうか。

 病人らしさのかけらも感じられない元気な我が師クロウリーは健康でいたいけな私をここぞとばかりにいたぶって、たっぷり汗をかいて体をあたためたあとは宣言通り私に風邪をうつしてくださり己だけ爽やかに完治した。
 そして脳髄を打ち砕く頭痛と全身を揺さぶる悪寒の中で目覚めた私が最初に見たものは、瞳を期待に輝かせてネギを持つクロウリーの姿だった。
 絶望!




menu|index