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 健康体であった頃、魔物の目から見てリツはなかなか美味そうな肉体を持っていた。
 柔らかくて血色も良く生命力に満ち溢れた、人間の若い娘というのは、やはり良いものだ。
 しかし血の通わぬ細腕は今や土気色に変わってしまい、押さえた指先に力を加えれば弾力もなくただ皮膚に沈み込んでゆく。
 素手で肉を剥ぎ取ることさえ容易だろう。なにせ、腐っているのだからな。
 私は今、人外のものと成り果てたリツの腕を抱えている。おかしな物言いだろうが他に表現すべき言葉もない。
 抱いているのは彼女本人ではなく、かといって腕を組んでいるのでもなく、まさに腕を抱えているのだ。腕だけを。
 その指先から皮膚を辿っても持ち主には辿り着かない。肩先あたりで途切れた断面は無理やり引きちぎられたようにボロボロだ。
 彼女は本来この腕が生えているはずの場所に空白を晒して、私の眼前で呑気に茶を啜っている。
 利き腕をなくしたせいでやや不便そうではあるが、特にいつもと変わりはない。

 茶を飲み終えるとリツはさも当然のように湯呑みを差し出してきた。私に次を注げと言うのだろうか。
 なぜそんなに偉そうなんだ? 主人に対する敬意はないのか。……と思いつつも甘やかしてしまう私が悪いのだろうな。
「……」
「ありがと」
「いや」
 リツが死んだのは奴自身の責任だ。考えなしに塔を飛び出して危険な外の世界を歩き回り、そして魔物に襲われ力尽きただけだ。自業自得と言うほかない。
 しかし誘いに応じて私がついて行けばこんな結末には到らなかったのもまた事実。それを思うと、どうしても負い目を感じてしまう。
 二杯目の茶を一口だけ飲み、リツがホッと溜め息をついた。
「ゾンビって、脆いよねぇホントに」
「……見ていれば分かるだろう」
 魔物の中でも最弱の部類に入るのではなかろうか。とくに力に優れてもいないし魔法に長けてもいない。
 利点といえば痛みを感じないことと、それに伴い恐怖心が無いため扱いやすいことか。
 とはいえ腐った体を引きずって動く彼奴らは戦闘に向いているとは言い難く、脆さを克服するには数に頼るしかない。
 下等なだけあって増やすのは簡単だ。あらかじめ呪いをかけておいた人間を殺すか、或いは死んだ人間の肉体だけを甦らせるか、それだけでいい。
 だが、どれほど頑強な人間の肉体を使っても、いずれ腐ってしまえばやはり脆い。
 まして元々が平凡な少女であるリツの体は僅かなダメージにも耐えられない貧弱さで、もちろん戦闘など以っての外だ。
 他の魔物以上に、衝撃には敏感にならねばいけないのに。
「戦ってやられたんならともかく、あんなことで取れちゃうなんて思わなかったよ〜」
 リツは己の腕を見つめて唇を尖らせた。拗ねるばかりでそこに反省の色は無い。それどころか面白がっている様子だ。
 殴ってやりたい衝動に駆られたが、それで頭が落ちては困るので耐えた。

 彼女は魔物となって日が浅く、また死後何日も放置された他のゾンビ達とは違い、ほとんど生前そのままの知能と自我が残っている。
 自分の体であっても勝手が掴めないのは仕方のないことだ。
 しかし、他と比べて己が貧弱なことなど分かっていたはず。骨肉の隅々まで腐り、僅かな力でも崩れてしまう体になりながら、なぜ腕相撲などしたのか……。
「ルビカンテは立ち直れたのかな?」
 しかも相手があれだ。勝負事となると脳が溶けでもするのかあの男は。
 一切の手加減もなく全力で打ち倒した結果リツの腕をもいでしまい、今ルビカンテはショックで固まっているらしい。そのまま二度と動き出さなければいいのに。
「……まあ、残念ながらお前の腕が戻れば復帰するだろうな」
「え、これ戻せるの?」
「簡単なことだ」
 いくらアンデッドになる前から変わらず馬鹿な娘であっても、今は私の配下の魔物なのだ。片腕で不便な生活を強いるわけにはいかん。
 こいつの管理も私の仕事の内だからな。

 私とて誰にとは言わんがいつも散々な目に合わされているので肉体の損傷など日常茶飯事、腕の一本や二本取れたところで元に戻すのは造作もないこと。
 そう嘯いて部屋に連れ込んでからしばらく経つ。……正直、未だ何の進展もない。
 リツには強気なことを言ったが、さあ元通りにしてやろうと思っても……どうすれば良いのかさっぱり分からなかった。
 沈黙の時が続き、間を持たせていた茶も尽きて、リツの表情が疑わしげなものへと変わり始める。
「あのさ。もしかして、なおせないんじゃない?」
「……うるさい……話しかけるな」
 集中しているふりをしながら実はとてつもなく焦っていた。
 腕など取れたら付け替えればいいだけのものだと思っていた。だがよくよく考えてみると、今まで他者の肉体を再生した経験は無いのだ。
 そもそもゾンビーどもは、先程も言った通りに脆いものだから、数に飽かせて敵に攻め寄せ、使い物にならなくなれば使い捨てるだけの存在だ。
 無事に手元に帰ってくるのは無傷で済んだ者だけ。傷ついた者は皆、修復のしようもなくその場で朽ちる。
 今までに一度たりとも、治してやろうと考えたことが無かったのだ。

 どうすればいい。リツは元に戻るのか? 戻すことは、可能なのか? いずれ彼女が見せるであろう落胆の表情を想像して意気消沈した。
「ねー、スカルミリョーネ困ってない?」
「うるさい」
「絶対それ焦ってるよね?」
「黙れ」
「できないならできないって言ってもいいんだよ」
 手近にあった茶菓子を姦しい口に押し込んで黙らせ、再び切り離された腕に視線を戻す。
 冗談抜きに、どうすればいいのだろうか。これが私の手足であれば骨を合わせて押し付けあとは放っておけば済む。だが他者にそれはできないようだ。
 おそらく彼女の本質が魔性ではないせいだろう。
「あのねスカルミリョーネ」
「何だ、やかましい!」
「べつにいいんだよ、人間じゃないような外見になっても」
 私から引ったくるように腕を奪い取り、無造作に投げ捨てて彼女が放った言葉に、唖然とした。良くはないだろう。
 確かに他の魔物の腕を付け足すなら、つぎはぎの体になるのを厭わないのなら、腕を戻すどころか容易に強力な魔物と化すこともできる。
 だが、死してなおこの世にしがみつく存在となった今、一番に大切なものは魂ではないのか。人間らしい心をなくしては……。

 ルゲイエに任せるのは極力避けたい。いずれ避け得ないのだとしても、本当にどうにもならなくなった場合の最終手段にしたかった。
 リツがリツでないものになるぐらいなら、腕の一本なくした方がまだマシだ。と、私は思うのだが。
 命か意志か、精神か肉体か……どちらに重きを置いているかなど、当人でなければ知るべくもない。
「私、いつか自分をなくしてもいいよ。でも死んじゃうのだけはイヤだなぁ。たぶん他の人には否定される意見なんだろうけど」
 それはそうだろう。その存在に好意を持っていればいるほど、違う何かになってしまうのは耐え難い。人間は自分自身として死ぬことを尊ぶものだ。
「誰かが私のこと見ててくれるなら、私自身が消えちゃってもいい」
 では残された者はどうなる? 最早リツではなくなったそれを見ながら、ずっと思い出に縛られていろと言うのか。
 意志が消えても命だけを繋ぎ続け、忘れず見守っていろと。だが裏を返せば、私が覚えている限りリツが消えてしまうことはない。

「……この腕は、ひとまず縫いつけておくか」
「ええー、フランケンシュタインみたい」
「私はお前を化け物にする気は無い。もう生物としての治癒能力も無くなったのだから、無茶をせず大人しくしていろ」
「無理だよ」
「な、」
 無理とは何だと反論しかけて、思いの外真剣な瞳に遭って言葉を飲み込んだ。
「いくらこのままでいたくたって、私もうゾンビなんだからさ」
 諦めがついていないのは私の方だと、責めるでもなく淡々と言う。
 死体となったリツを引き戻したのは私だ。彼女が人でないものになったことを誰よりも理解していながら、未だ間に合うのだと信じたかった。
「……お前が肉体さえ人間であることを捨てて、意志も失くしても、見守っていればいいのか」
「うん。私がどんなに変わっても、それが私だったことを覚えててほしいな」
 それが固執の代わりに果たすべき責任なのかもしれない。
 どれほどこの魂を、肉体を保ち守ろうと足掻いても、かつて私の知らぬところで命を落としていたように、いつか必ず終わりが来るんだ。
 ……だからそれまでは、悪夢から目を逸らしていたい。




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