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🔖僕らの永遠
ここに来た当初の私は知る由もなかったけれど、あの頃のイサールはわりと微妙な立場にあったみたいだ。
久しぶりにベベルから旅立つ召喚士。十年前の大召喚士ブラスカ様と同じ旅路を辿るはずのイサールには大きな期待がかけられていた。
少なくとも彼が従召喚士でいる間は、そうだった。
「僕が修行を終えて試練に挑むことになった時、ビサイドに行ったブラスカ様の御息女も従召喚士になっていると聞いたんだ」
ちょうどその頃、私がベベルに現れた。そして聖地を貶める言動により寺院を騒がせた罪で投獄されたのだった。
「きっと彼女の才能はすぐに芽吹く。そして旅立ち、やがてベベルに来たら、ブラスカ様の娘は君と出会うだろうと思った。……ジェクト様と同じ場所から来た君と」
私を捕らえていた僧兵たちの言葉を思い出した。ブラスカ様の御息女とジェクト様を模倣する女。出来すぎている、とか言っていたっけ。
寺院の期待は次第にブラスカの娘へと移っていった。
まるで誂えたように私が現れたんだ。私が女だったことも“運命っぽさ”に拍車をかけただろう。
ジェクトがブラスカのガードになったように、南から来る大召喚士の娘がザナルカンドから来た娘を連れ出して、そして父と同じように偉業を成し遂げる。
そういう夢物語が描かれ、イサールの存在は忘れられた。
「ユウナ様がシンを倒してくれるに違いない。皆が口を揃えてそう言うのを聞くと、正直、悔しかったな……」
「当然の感情だと思うけど」
たぶん彼は、私をガードにしたことをずっと気に病んでいたのだろう。私やユウナさんがどう思っているかではなく、彼自身の中で引っかかってるんだ。
「誠実だったとは言えない。ユウナ君を出し抜いてユリをガードにしたのは事実なのだから」
「イサールって、度を超して真面目だね」
「それでよくマローダがぼやいてるよ」
そういう不器用なところも私は好きだけど、と口には出さなかったのに、嬉しそうに笑ってるところを見ると見透かされている気がした。
思い返してみれば確かにイサールはあの時、親切心以外の思惑もあるようなことを言っていた。こんな些細なことだとは思わなかったけれど。
「大体、あの頃はスピラの事情も知らなかったのにユウナさんが来るまで大人しく待ってるなんて私には無理だよ。イサールがガードにしてくれなかったら、何か仕出かしてたんじゃないかな」
「何か……問題を、ということか?」
「そう。隙を見て牢屋番を襲うとか、床を掘って脱獄するとか」
「ユリならできそうな気がしてしまうよ」
まあ何をするにしてもあそこに閉じ込められているよりマシだから、とにかく行動は起こしたはずだ。
可能性の話をするならもちろん私はユウナさんのガードになっていた“かもしれない”けれど、仮にそうなっても彼女のために命を懸けはしなかっただろう。
命を預けたいのはイサールだけだ。ただ恩を返すだけのつもりが自分の命を擲っても構わないとまで考えたのは彼を好きになったからだ。
イサールと一緒に見る世界はとても美しく、どんな犠牲を払っても守りたいと思えた。彼がそこで生きていけるなら私が消えてしまっても……後悔はない。
聖ベベル宮の鐘楼近くに瀕死のシンが浮かんでいる。さっきまであれと対峙していた飛空艇の姿は既にない。
ティーダとユウナさんは、エボン=ジュを倒してその夢を終わらせるためにシンの中へと乗り込んでいった。
戦闘の最中はシンの放つ衝撃波だの飛空艇の砲撃だので大騒ぎだったベベル上空が今は嘘みたいに静まり返っている。
街の人々はグレート=ブリッジに集まって、あの巨体が消える瞬間を心待ちにしながら祈っていた。
もしユウナさんが失敗したらどうしよう。
これが嵐の前の静けさでなければいいのだけれど。
でも、成功したら……もうすぐお別れなんだ。
「私がいなくなったら、」
あなたを好きだと言ったことは忘れてほしい。そう続けようとして躊躇する。
せっかく究極召喚を使って死なずに済んだのだから、いずれ誰かを好きになって新しい人生を歩んでくれたらいい。
でも……忘れて、なんて言ったら余計な重荷になるんじゃないだろうか。私に対する感情をどうするのもイサールの勝手だ。
言葉を継げずに黙り込んでしまった私を見つめ、イサールもまた何も言わずに待ってくれている。
「えーと。……前向きに生きてね、って言おうと思ったけど、やっぱり、なしで」
「忘れないで、とでも言ってくれるかと思ったんだが」
もちろんそんな気持ちもある。だけど、こういう形で消えてしまう私が何か言うことでイサールの未来を縛りたくないんだ。
忘れてもいい、忘れないでいてくれてもいい。それが彼自身の選ぶことならどちらでも。
「好きなようにしてくれたらいいよ。イサールがイサールらしく生きてくれたら、私はそれが一番嬉しいな」
アルベドのホームで、彼が「犠牲とは心外だ」と言ったのを覚えている。
私は召喚士が可哀想だなんて思わない。確かに彼らは底抜けに優しくて誠実で、自分の命さえ他人のために差し出せる尊い意思を持っている。でもそれは言い換えれば単なる頑固さでもあるんだ。
いずれマローダとパッセを傷つけ悲しませるであろうことを承知の上で歩み続ける強い意思。誰かのための犠牲ではなく、本当に自分が望むことだからこそすべてを擲つことができる。
可哀想だなんて思わない。私はただ彼を尊敬する。
「イサールって結構、我が儘で自分勝手だよね」
「……ユリには取り繕えているつもりだったんだけどな」
「全然バレバレでした」
今までマローダにしか指摘されたことがないのにと彼が笑う。
そう、誰を傷つけても自分の意思を貫く強さを彼ら召喚士は持っている。
だから大丈夫だ。私がいなくなっても惑わされたりはしない。イサールはイサールらしく、自分の思うままに生きてくれるだろう。
グレート=ブリッジの上でざわめきが起きた。見上げればシンが苦しみ喘ぐように身動ぎし、飛び立とうとしている。
中では何が起きているんだろう。シンの核であるジェクトを倒したのか。それともエボン=ジュとの決戦を終えたのか。
私に分かるのは、もう時間がほとんど残っていないということだけだ。
思い返してみると、私はイサールに好きだと告げたきりで返事をもらってなかったような気がする。
「あの、もう遅いといえば遅いんだけど、イサールは私のこと好き?」
情緒も何もない質問にイサールは驚いているようだった。
「そういえば返事を伝えてなかったな」
「せっかくだから、聞いておきたいです」
フラれて消えるなら未練がなくなっていいかもしれない。逆にイサールも私を好きになってくれたなら……それも別の意味で悲しいけれど、心残りは少なくなる。
幼い頃から召喚士になると決めていたから、そういうことが自分に起きるなんて考えもしなかったとイサールは言う。
「死を覚悟している身で誰かに愛情を抱くのは間違っていると思ってたんだ。しかし……旅をやめて最初に思いついたのは、君と一緒になることだった」
「だから家に置いてくれたんだ。じゃあ、エボン=ジュの件を打ち明けるにはタイミング悪すぎたね」
「ああ、お互い気づくのが遅すぎた。でも手遅れではない」
意外に大きくて力強い手のひらが私の頬を撫でた。まだ触れることができる。体温も伝わってくる。でも、それが限界だった。
「僕も君が好きだ。せめて伝える時間があるうちに気づけてよかった」
「……そっか。嬉しいな」
伝える以上の何かを求める時間があればもっとよかったのに。
イサールの手が私をすり抜けた。空の彼方でシンの巨体が無数の幻光虫になって消えていく。私も同じ運命を辿ろうとしていた。
「やっぱり、そんな潔くなれないね。消えたくない……もっと一緒にいたかったな。一ヶ月ちょっとだなんて。もっと早く会えたらよかったのに。もっと……」
「ユリ……」
こんなこと言うべきではないのに。どうってことない顔で消えなくてはいけないのに。重荷や足枷にはなりたくない。今にも消えようとしてる人間が願いなんか託しちゃいけない。
イサールには幸せになってほしい。死ななくても叶えられる夢を叶えて、大切な人と一緒に笑える人生だといい。
私に向かって伸ばそうとした腕が直前で止まる。きっともう触れることはできないだろう。今それを実感したら泣いてしまうかもしれない。
イサールは怒ったような顔をしていた。彼は彼で悲しむ姿を見せまいとしてるんだろうか。その幸せを願いながら私の喪失を悲しんでくれるのが嬉しいなんて、自分でもどうかと思う。
「ねえ、私のこと、忘れないでくれる?」
「この先どんな人生が待っているとしても、ユリを忘れはしないよ」
「……うん。ありがとう」
そして思い出の隙間に小さな居場所を作ってくれたなら私はそこで生きていける。彼が見る夢の中で、永遠に。
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