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🔖昨日までの自分



 俺たちが渓谷の最深部に到着した時、ちょうどゴルベーザたちがゼムスを倒したところだったようだ。ローブを纏った見知らぬ魔道士が息絶えて……魔物のように、粒子となって消えていく。
 緊張感が高まりすぎていたせいか、その光景を見てもすぐには安堵できなかった。
「ヒャッホー! やったぜ!」
 歓声をあげて駆け寄るエッジの声に、ゴルベーザの傍らにいた老人が振り向いた。おそらくあれがフースーヤなのだろう。
「おお、そなたらも来たか」
「一足遅かったみてーだな。俺がブチのめす予定だったのによ!」
 本当にゼムスを倒したのか? ゴルベーザほどの魔道士と月の民が一緒ならばたった二人でゼムスに勝てても不思議はないが……。
『カイン、気を抜くな。ゼムスの気配はないけど嫌な予感がする』
 つきりと頭痛がした後、頭の中でリツの声が響く。肉体の主導権が俺に戻っている。彼は警戒を解いていない。もう一波乱ありそうだ。
「……セシル」
 ゴルベーザが振り向いた背後で、ゼムスの倒れた場所から巨大な闇が膨れ上がる。ああ、やはり未だ……、精神だけの存在となっても未だ憎み続けるのか。

 立ちはだかる異形に、再びゴルベーザたちが向き合った。
「そう簡単には倒せぬか」
「我は……完全暗黒物質……ゼムスの憎しみが増大せしもの……。我が名はゼロムス……全てを……憎む……!!」
「死してなお憎しみを増幅させるとは……。今度こそ、我らの手で消え去れい、ゼロムス!」
 叩きつけるような魔力の奔流にローザとリディアがよろめいた。賢者一人が命を懸けてようやく唱えられる禁術メテオが、まるで雨嵐のように降り注ぐ。改めてゴルベーザの強さを思い知らされる。にもかかわらず、ゼロムスは平然とメテオを掻き消した。
「駄目じゃ、奴にメテオは効かぬ! クリスタルを掲げよ!」
 フースーヤの言葉に従ってゴルベーザがクリスタルを翳した。だが、石の微かな輝きはゼロムスの闇に呑まれて黒く染まった。
「暗黒の道を歩んだお前がクリスタルを使おうとも、輝きは戻らぬ。ただ暗黒に回帰するのみ……」
 闇は拡大を続け、ゴルベーザとフースーヤを呑み込むと俺たちの方にまで迫ってきた。
「苦しむがいい……滅びるがいい……。全てを消滅させるまで……我が憎しみは続く……。今度はお前たちの番だ……来よ……我が暗黒の中へ……!」
『間に合わない、ローザを抱えて跳べ!』
「ローザ、アレイズを唱えろ!」
 すかさず詠唱に入った彼女を抱きかかえるとその場から跳躍して逃げる。掠めるだけで意識を失いそうだ。冷ややかな憎悪が心に滑り込んでくる……あの闇に触れてはいけない。
 ローザの祈りが闇を払い、ゼロムスの瘴気に倒れかけたセシルたちに立ち上がる活力を与えた。しかしまともに喰らったゴルベーザは魔力が枯渇し、息も絶え絶えだ。もはや彼らの助力は得られまい。
「に、兄さん……」
「セシル……これ、を……」
 最後の気力を振り絞るようにクリスタルを手渡すと、彼は地に伏した。
「……兄さん、僕は……」

 ローザと共にセシルのもとへ着地し、エッジとリディアもなんとか起き上がる。
「このままやられっぱなしじゃいられねーぜ」
「行こう、セシル!」
「ああ。僕らは……負けるわけには……いかない!」
 セシルの掲げたクリスタルが光を帯び始め、荒野を染め上げる輝きがゼロムスの真の姿を照らし出した。己の憎しみに侵食され、自我を失ってしまったゼムスのなれの果てを。
『近寄るのは危険だ。あいつの振り撒く憎悪にあてられて、何も考えられなくなる』
 ならば要は召喚魔法だな。バハムートを呼び出すことができればゼロムスの闇をも吹き飛ばせるだろう。どちらにせよ、あんな異形の相手のどこを斬れば殺せるかなど見当もつかん。
「エッジ、リディアを守れ!」
「りょーかい!」
 セシルが先頭で耐えてくれる。俺はローザを守り、彼女の魔法がエッジを守護し、リディアは精神を統一して詠唱だけに集中する。憎しみは捨て、仲間を守ることだけを考えろ。
 やがて轟音と共に幻獣神が降臨した。
「光宿せし者に祝福を……!」
 すべてを制する咆哮がゼロムスごと月を光に染める。一瞬、視界が白く焼かれて何も見えなくなった。その中にぽつりと落ちた黒い染みのごとく、小さな呟きを残して邪悪な気配が薄れてゆく。
「我は滅びぬ。生ある者に……邪悪な心が……ある限り……」

 視界が回復した時にはゼロムスの姿も消えていた。辺りを圧迫していた気配も消えている。今度こそ倒したのかと安堵しかけた時、リツの一言に青褪めた。
『どうやらあれを倒すのは無理みたいだな』
「……冗談だろう」
『ゼロムスは完全には死んでない……というか、そもそも生きても死んでもいないようだ。あれはもう“憎しみ”そのものになってる』
 そんなもの相手にどう戦えばいいのかと焦ったが、彼は呑気に「戦う必要などない」と言ってのけた。
『憎しみなんて誰の心にもあるもんだ。今まで通り、うまいこと付き合っていけばいい』
 それが難しいからこそ、こんなことになったんじゃないかと思うが。ともかくゼロムスの肉体を吹き飛ばしたのでしばらくは安心できるだろう。ゴルベーザも、二度と精神を支配されることはない。
 己を見失いさえしなければ。

 疲労困憊の俺たちのもとに、意識を取り戻したゴルベーザとフースーヤもやって来る。ゼムスとも戦った彼らはこちら以上に満身創痍だが、生きていて何よりだ。
「見事であった。そなたらが、あれほどの力を秘めているとはな……。青き星の民は、もう我ら月の文明を超えたのかもしれん」
「いやーその通りかもな!」
 謙遜の欠片もなく受け止めるエッジをリディアが「調子に乗るな」と叱りつけている。気を張りつめておく癖がついてしまったが、本当にもう安堵してもいいのだと思うとため息が漏れた。
「しかしゼロムスが最後に残した言葉は……」
「邪悪な心がある限り、……またゼロムスは蘇る?」
 俺とローザの問いかけに、フースーヤは深く優しい笑みで答えた。
「邪悪な心が消えることはない。どんな者でも、正義と邪悪の両面を持っている。しかしそれはまた、邪悪な心がある限り、正しき心も常に存在するという証じゃ。ゼムスの邪悪に立ち向かった、そなたらのように……」
「そこまで誉められっと、さすがに照れるぜ!」
「何言ってんの、あんたなんかゼムスに利用されなかったのが不思議なくらいよ!」
「へへッ、俺は正義を愛しているから平気さ!」
 人は誰しも善と悪の両面を持っている。……邪悪なる心に囚われるのも、己自身の責任だ。

「さて、そろそろ私も眠りにつかなければならない。そなたはどうするのだ?」
 セシルもまた月の民の血を引いている。顔も知らぬ彼の父親は、フースーヤの弟だったんだ。皆の視線が集まる中、セシルは強い意思を籠めて言った。
「僕らの星へ戻ります。みんなが待っているから……」
「そうか。……セシル。素晴らしい仲間を持ったな。 また会える日が来ることを、楽しみにしているぞ」
 表情を固くするセシルを一瞥し、ゴルベーザがフースーヤに向き直った。
「私も一緒に行かせてはもらえませんか」
「お主が?」
「私は戻れません。あれほどのことをしてきたのですから。それに、父の同胞に……会ってみたいのです」
「……長い眠りになるぞ」
「ええ」
 確かに、青き星へ帰っても彼の居場所はないのかもしれない。ゼムスに操られていたとはいえ誰もそれを知らず、“ゴルベーザ”を憎む者が世界中にいるのだ。しかし……。

 動揺しているのは俺か、リツか。立ち去る前にゴルベーザは俺にも月へ来るかと誘ってきた。
「月の民ならばあるいは、その状態を解決できるかもしれん」
「それは……」
 おそらく眠りについている月の民の中にもゴルベーザやフースーヤほどの使い手がいるのだろう。彼らに助力を求めれば俺の中に入ってしまったリツを解放する方法も、すぐに見つかるに違いない。
 第一、帰っても居場所がないのは俺も同じだ。バロンの竜騎士に戻ることなどできない。俺も許されぬ罪を抱えている。それにリツも主について行きたいだろう。このまま月へ行くのも……。
『バカ。ついて行ったら生きてるうちにローザと会えなくなるぞ。俺なら、自分で解決方法を探すから平気だ。青き星に帰ったっていつまでもカインの体に居座っている気はない。だから早まるな』
 リツを俺の肉体から解放する方法を探すという約束は未だ守れていない。ずっとそれどころではなかった。だが、今改めて考えると彼を解放するのは即ち肉体だけでなく精神も死を迎えるということになる。
 なぜ彼が俺のところへ来たのかは分からないが、俺は……。
「俺は……青き星に残る。自分を見直さねばならん」
「そうか……」
「“彼”は、今もあんたに忠誠を誓っているようだ」
 たとえアンデッドモンスターと化してでも、もう一度自分の肉体を得ればリツは彼を待つこともできるだろう。それが一番いい。
「……“彼”にも、よろしく伝えておいてくれ」
「ああ」

 ゼムスの封印がなくなったのでフースーヤは魔導船まで俺たちを転移させてくれた。ごく短い別れの挨拶を交わし、彼は眠りにつくため踵を返して月の館へと歩き出す。
 その後をついて行こうとしたゴルベーザが、立ち止まりセシルを振り返る。
「兄と、呼んでくれたな……」
 だがセシルは俯いたまま答えようとはしなかった。
「セシル……」
「お兄さんなのよ!」
「黙って行かせていいのか?」
 どれほどの苦い想いがあるにせよ、二度と会えないかもしれないんだ。ゼムスに操られさえしなければずっと共にあったかもしれない兄弟が……このまま、蟠りを残したまま別れていいのか。
 苦笑し、ゴルベーザは諦めたように立ち去ろうとする。
「……さらばだ」
「おい、セシル!」
 エッジに背を押され、転ぶように駆けたセシルがようやく顔をあげて彼の背中に目を向けた。
「……さよなら……、兄さん」
「ありがとう……セシル!」
 いつか、青き星がもう一つの月を迎えるに足るほど成長したら、彼らは帰ってくるだろう。しかし俺たちにとっては……、これが今生の別れになる。


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