![](//img.mobilerz.net/sozai/27_w.gif)
🔖未熟な正義
ゼムスの封じられている最深部を目指し、月の地下渓谷をひたすら進む。月に到着したらすぐに決戦だと思っていたので、ここへ来て延々と歩かされるはめになり皆少々苛立っている。
群がってくるモンスターを退け、一息ついた隙にエッジが俺に話しかけてきた。
「なあ、お前は、操られてた間のことは覚えてんのか。なんで抵抗できなかったんだ?」
すぐさまローザが剣呑な目つきでエッジを睨んだ。だが、口は悪いが、今のは俺を責めるつもりで聞いたことではないように思うぞ。
「怒るなって。今からゼムスと戦うんだ、対策を立てとかなきゃいけねぇだろ?」
ゴルベーザが俺にかけようとしていた支配の魔法は、おそらく彼の肉体を通じてゼムスが使っていたものだ。その内実を知っておくのは悪いことではない。何の予備知識もなく立ち向かって、もし戦闘中に操られたりしたら目も当てられないからな。
「尤もな懸念だな」
自分の言い分にリツが同意すればエッジは、ほら見ろと言いたげに胸を張ってローザを見やる。
リツはずっと俺の中でゴルベーザの……ゼムスの支配に抗ってくれていた。対策を知っているのは彼だけだとも言える。
「操られている間も意識はある。そして抵抗は、ほとんどできない。なぜなら精神を支配している魔法の一部は自分の本心に則しているからだ。操られているからといって、自分で思いも寄らない行動はしない」
「なら、裏切ったのはてめーの意思ってわけかよ」
「エッジ。カインに突っかかるのは止せ」
「べつに突っかかっちゃいねえや」
セシルに窘められて不貞腐れるエッジをよそに、リツはしばらく考え込む。彼は魔法を学んだことがあるから支配の魔法についてもある程度は理解が及んでいるようだが、魔法の働きを魔道士ではない者に説明するのは難しいのだ。
俺も昔、ケアルの原理について軽々しくローザに尋ねて後悔したことがある。彼女が説明を諦めるまで半日かかった。
「何か一つ、望みがあるとする。あの魔法は望みの本質を少しずつ歪め、ねじ曲げ、望みが叶わぬ絶望と、邪魔する者への憎悪に仕立てあげる。元は自分の中から沸き起こった感情だから、操られている間も“自分の意思だ”と信じて行動するはめになる」
「……よく分かんねえんだけど」
俺も当事者でなければよく分からなかったかもしれないな。しかしパラディンになり白魔法を得たお陰か、セシルはすんなりと理解に辿り着いたようだ。
「たとえばローザがモンスターに襲われていて、僕は守ろうとする。ゼムスはそこに介入し、僕に“ローザを害するモンスターへの憎悪を植えつける”……そういうことか?」
「ああ、適切な喩えだな」
「俺が団子を食いたいって思ったとして、団子が好きな気持ちを食わせてくれない親父への憎悪に変えちまうってことだな」
「……あー……まあ、そうだ」
『それは違うんじゃないのか』
「無理に気を使わなくていいのよ、カイン」
彼女を守りたいという願いだったものが、自分から奪っていく者への憎悪に変わる。だが本質にあるのは彼女を好きだという気持ちだ。だから、他人の意思が介入していることに気づけない。
ローザに愛されたいという想いも、セシルを羨む気持ちも、確かに俺の中にあったものだ。負の感情を増幅され極端な行動に走るとしても、それが自分の本心ならば逆らうのは難しい。
「どうやったらゼムスに操られずにいられると思う?」
不安そうな顔で尋ねてきたのはリディアだ。誰かを守りたいという願いでさえ悪意でねじ曲げられるのでは対処のしようがないと思える。
「そうだな……単純に、精神魔法への耐性があれば防げる。ローザとリディアが操られることはないだろう」
「魔道士だものね」
魔法耐性についてはもちろんだが、それでなくても魔道士というものは思考と感情を切り分けて自分の精神を冷静に分析する能力に長けている。でなければ魔法が暴走してしまうからな。ゼムスの意思が介入してきたとしても、自分の意思を見失わずにいられる。
ではゴルベーザはなぜ操られたのか。それはおそらく、彼が魔法を学ぶよりも前、ほんの幼い頃から支配を受けてきたから……なのだろう。
「セシルもおそらくは大丈夫だ。支配できるなら幼いうちにそうしていただろう。ゴルベーザのように……ゼムスが手を出さないということは、セシルには耐性があるんだ」
「昔のゴルベーザが、ゼムスの魔法からセシルを守ろうとしたのかもしれないね」
「……」
あり得なくはない話だ。赤ん坊の頃はもちろん、親を亡くして陛下に拾われ、暗黒剣の修練に励んでいる間でさえセシルはゼムスの影響を受けなかった。支配の力がゴルベーザに注がれていたからだと言えなくもない。
彼のお陰で助かったのだと、その事実はセシルを苦しめるだろう。今までずっと倒すべき邪悪だと思っていた相手なのだから。
重く沈んだ空気を打破するように、リツはエッジに話題を逸らした。
「危ないのはお前だ、王子様」
「なんでだよ。俺が支配なんてされるわけないだろ。ゼムスを倒すことしか頭にねーんだからな」
「そうね、エッジは単純だもん」
「なにぃ!?」
じゃれ合うエッジとリディアに苦笑しつつ、しかし……とリツは続ける。
「もしルビカンテが蘇り、ゴルベーザを守るためにゼムスと戦っていたら。お前はどちらに刀を向ける?」
状況を顧みず己のために憎い宿敵を倒すか、宿怨を捨てて仇と手を組むことができるのか。エッジは少し動揺を見せたが、迷わず答えた。
「そ……んなもん、ゼムスが先に決まってるだろうが! ルビカンテが何度蘇ったって俺がこの手で倒す! ……ただしこれが片づいてからだ」
「だが支配の魔法は、微かにある“故郷の仇を討ちたい”という願いを歪めていくんだ。ルビカンテを倒して民の無念を晴らさなければいけない。なんとしても彼を殺さなければ。目の前から消し去らなくては。何よりも先に、奴を血祭りにあげてやるのだと」
根底にあるのは故郷への愛だ。大切なものを奪われた怒りを完全に封じてしまうことなど、人間には不可能だろう。それは愛を捨てるも同然のことなんだ。
リツは黙り込んでしまったエッジからセシルへと視線を移した。
「……怒りや憎しみに惑わされないことだ。殺して当然の相手などいない。正義のために戦っているという自負は容易に道を誤らせる」
「正義よりも……正しいことよりも、大切なものがある……か」
「ゼムスを倒すために戦うのではなく、己の心を守るため、生きて帰るために戦うのだと刻みつけておけ」
そうだな。俺たちは、ゼムスを殺したくて戦っているわけじゃない。奴の行いに怒るほど、憎むほどに隙ができる。憎悪に身を任せては敵の思う壺だ。
俺の精神が完全に支配されずにいたのはリツがいたからだ。嫉妬も羨望も、憎悪も、彼の目を通しているからこそ冷静に見つめることができた。そしてリツもまた、俺自身ではないからこそ俺の憎しみに引き摺られずに済んだのだろう。
己の正義を盲信することなく、ただ己の守るべき者のことだけを考え、やるしかない。
← 22/24 →