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🔖M7



 帝国の魔導研究所に向かう船の中、俺が手の中の小瓶を持て余しているのをセッツァーが目敏く発見した。
「武骨一辺倒かと思ったら、えらく洒落たもん持ってんじゃねえか」
「いや、これは俺のじゃなくて」
「ローズマリーの香水か。ジドールで流行ってるもんだな。なんだ、女に貢ぎ物か?」
「話を聞けよ。俺のじゃなくて、セリスにもらったんだ」
 彼女はオペラ座でマリアを演じる時にこれを使ったらしい。そして余りをもらったが、自分は使わないからとなぜかよりにもよって俺にくれたんだ。
 セリスいわく、ユリにあげて仲直りしたらどうかということだった。

 仲直り、ねえ。
 ロックとユリはサウスフィガロを脱出した時からセリスと一緒だったが、俺とユリの確執については話していないようだ。
 彼女は俺たちがぎくしゃくしているのは単なる痴話喧嘩かなにかだと勘違いしている。
 もしそんなことがユリに知られたら何を言われるかと思うとため息が漏れた。

 セッツァーは「なんでセリスがお前に?」と眉を寄せた。
「……プレゼントにでもしろってことだろ」
「へえ。ってことは、やっぱ女がいたんじゃねえか。隅に置けねえな」
「そういうんじゃなくて、妹みたいなもんだよ」
 向こうは姉貴分のつもりだけどな。

 おそらくは、セリスもこれを手離す口実がほしかったんだろうと思う。
 コーリンゲンの一軒家、レイチェルが眠っていたあの家にはローズマリーの香りが満ちていた。この香りをまとってマリアを演じるのは大層複雑な気分だっただろう。
 だが、だからといって俺に押しつけられても困る。もらったものだから無下に扱うわけにもいかない。
 といってこれをユリに……贈って、受け取ってもらえるはずもないよなあ。
 テーブルの上に小瓶を置くと、セッツァーが手にとって眺めている。兄貴やこいつの方が使い道をよく分かってるだろうに。

 ユリがナルシェに残ってくれて俺は正直ホッとしていた。彼女と顔を合わせるとどうしても雰囲気がまずくなる。他の仲間たちにも迷惑だろう。
 いや、そんなのは言い訳だ。俺はただ自分の都合で彼女に顔向けできないだけなんだ。
 きっとユリは俺に復讐したいと思っている。兄の仇なんだから当然だ。
 サシで勝負して、あいつに勝てるかどうかは分からなかった。ユリは本気でくるだろうし、逆に俺は彼女相手に本気なんか出せない。
 俺にはユリに拳を向ける理由なんてないんだから。

 あいつになら殺されても構わないという気持ちはある。だが、少なくとも今はダメだ。死んだら俺は兄貴を守れない。
 ユリには「私の兄を殺しておいて」とかなんとか、言いたいことが山ほどあるだろうが、とにかく兄貴を手助けして守るのは俺の為すべきことなんだ。
 じゃあ、いつになったらユリの重荷を解放してやれるんだ?
 俺が他人だったら彼女に早く仇討ちさせてやりたいと思うだろう。

 本当ならバルガスに対してそうしようと思っていた分まで、兄貴の支えになりたいと考えている。同時にその考えが苦痛でもあった。
 俺は好きなだけ兄貴の“弟”をやれるが、ユリはもうバルガスを助けてやれないんだ。あんなに兄が大好きだったのに。
 一体どのツラさげてあいつの前で兄弟を守りたいなんて言っちまったんだろう。


 指先で小瓶をもてあそびながらセッツァーは言った。
「ローズマリーは想い出。この香りを嗅ぐと、なくしたモンを思い出すらしい」
「確かに、なんとなく郷愁をそそられるような香りだよな」
 蓋を開けると、まだ親父が生きてた頃のフィガロ城や、サウスフィガロで過ごした日々が蘇ってくる。
 ユリはバルガスが大好きだった。俺を憎むのは仕方ないとしても、あいつが兄の死に泣けないことが気がかりだった。
 俺がバルガスを殺したと告げたあの瞬間から、俺の中でユリは凍りついたままだった。
 他のやつらの前では笑ってるけど、それは昔の笑みとは違っていた。

「なあ、セッツァー。頼みがあるんだが」
「聞くかどうかは内容によるぜ」
「大したことじゃない。帝国でのあれこれが終わったら俺たちはゾゾに行って、そこにいる仲間を連れてナルシェに戻るんだ。その時に……」
 ユリって娘に香水を渡してくれないか。俺の代わりに。そう言いかけて、口が止まった。
「何だよ。言いかけたんなら途中でやめんじゃねえ」
「あー、えっと……俺の代わりにその香水、ユリってやつにあげてくれないか」
「はァ?」

 香水をドンとテーブルに置いてセッツァーは煙草をふかした。
「おさがり女なんぞ願い下げだ」
「ばっ、バカ言うな! 誰もそこまで頼んでない。……大体、ユリはセッツァー向きじゃないと思うぞ」
 あいつはたぶんセッツァーみたいな女慣れしてるタイプは苦手だ。いや、新鮮だって意外と受け入れちまうのかな? それはなんか……気に食わない。
「じゃあ何だってんだ。お前の女なら自分で渡せばいいだろうが」
「さっき妹みたいなもんだって言ったの聞いてなかったのかよ」
「そんな言い訳、聞く価値がねえな」
 言い訳じゃなくて真実なんだって。

「ローズマリーの花言葉、知ってるか。まあ忠誠やら献身やらってのもあるがな……“私を想って”つーのさ。お前、そいつに自分のことを思い出してほしいんじゃないのか?」
 この香りを贈ることには少なからずそういう意図が見えるとセッツァーは言う。
 そうなんだろうか。俺はむしろユリには俺のことなんか忘れちまってほしい気もするんだが。
 俺がただの仇なら憎んで終わりだった。そう割り切るには長すぎる時間を一緒に過ごしてきた。だからユリは俺を憎むこともできずに苦しんでいる。

 ……ああ、いや、確かに言い訳だ。
 俺は皆が羨ましいんだ。ロックやセリスやティナは何の蟠りもなくユリに接することができる。俺と違ってあいつの大切なものを永遠に奪い去ったりしていないから。
 ずいぶんと勝手な言い分だが、俺もユリに、昔みたいに笑いかけてほしいんだ。お師匠様とバルガスがいた頃に帰りたい。
 だけど正反対の願いも抱えている。
 バルガスを殺したことを批難してくれるのはユリだけだった。その悲しみと憎しみを真っ向からぶつけてほしい。どうして兄弟子を殺したのかと罵ってほしい。
 そう言われて初めて俺は、まっすぐに後悔できるんだ。俺だってバルガスの死を悔やんでいる。なかったことには、したくない。
 俺の償いを受け入れることができる相手はたった一人だけなんだ。

 本当なら兄弟子を越える強さを得られたことに誇りを持てるはずだった。あんな成り行きでさえなければ。
 俺はユリに認めてほしい。お師匠様もバルガスも、もういない。ユリだけが俺に「強くなった」という言葉を与えてくれる。
 でも……無理な相談だよな。あいつは俺をまっすぐ見ようともしないし、俺だって、ユリの瞳を見るとバルガスの最期を思い出してしまう。
 このまま想い出は封じて、離れていくのがお互いのためなんだ。

 小瓶をセッツァーの方に押しやった。
「やっぱりその香水、セッツァーが持っといてくれないか。べつに誰かにやっちまってもいいからさ」
 セッツァーは渋面を作って受け取ろうとしない。
「めんどくせえ因果が絡んでるもんを俺に押しつけるな」
「ただの香水だよ」
「ユリってやつにやるんだろうが」
「もういいんだ」
 もう、いい。十年前にフィガロを一人で旅立った時と同じだ。もうサウスフィガロには帰れない。新しい人生を探すしかない。
 幸いにも今の俺は、たとえ一人になったとしても生きていく強さがある。

「これから帝国で一暴れするんだ。俺が持ってて戦闘中に瓶が割れたら困るだろ?」
「あー……まあ、そりゃそうだ」
 仕方ねえなと言ってセッツァーは小瓶を懐にしまい込んだ。
 ユリに渡しても渡さなくてもいい。
 誰かから贈られたローズマリーの香りをまとって笑うユリの姿が脳裏に浮かんで、胸がチリチリと痛んだ。でも、それでいいんだ。


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