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🔖M6
これからは私がマッシュのお姉ちゃんよ、と彼女は言った。
「……ユリって、いくつなんだ?」
「十四歳」
「じゃあ俺の方が年上だよ」
そう言ったら彼女は「何をバカなこと言ってるんだ」という顔をして、幼児に言い聞かせるように続けた。
「マッシュは父さんの弟子になるんでしょ? でもバルガスが先に弟子になったから、バルガスはマッシュの兄弟子。そうしたら、マッシュは私の弟ってことになるでしょ?」
「いや、ならないと思う……」
「なるの! バルガスの弟は私の弟なの!」
「なんでだよ!」
結局どっちも譲らなくて師匠に相談したら「戦って決めろ」と言われ、面食らったのを覚えてる。
年下の女の子と戦うなんて、たとえ単なる手合わせでもあの頃の俺にとってはあり得ないことだった。けどユリはすごく乗り気で、誰も止めなかったから実行された。
そして俺はユリにあっさり負けた。
当時の彼女はすでに剣術の才能を発揮しつつあったから、修行を始めてもいない俺なんか敵じゃなかったんだ。
いろいろと納得いかなかったが、それ以来ユリは俺の姉貴分ということになった。正直、腹の中じゃ妹みたいに思ってたけどな。
お師匠様やバルガスが家事に無頓着なせいもあってか、ユリは家族の世話を焼くのが好きだった。
当然のように俺もその一員として迎え入れられた。
始めは何でも人にやってもらうのが城にいた頃を思い出させて嫌だったけど、時を経るにつれて師匠や兄弟子と一纏めに扱われることがだんだん嬉しくなってきた。
親父や兄貴と過ごしたくても過ごせなかった、家族の日常がそこにあったんだ。
とはいえ、それから三年も経つと俺の心情には少し変化が現れてきた。ユリが成長して女性らしくなり、俺もまた成長して男になったからだ。
べつにあいつを女として意識してたわけじゃない。ただ……要は遅蒔きながら俺も年頃になったってだけの話だ。
彼女が十四歳だった頃と同じ距離感で接してこられると気恥ずかしいことも多かった。そしてユリはそういった男の感情をまったく理解してくれなかった。
あいつにとって俺もバルガスも“男”じゃなくて“家族”だったから、性別の違いなんてどうでもいいことだったんだ。
一方的に困惑させられる俺を見てバルガスはいつも笑っていた。
ユリが二十歳になった時、俺は師匠から「ユリをどう思う?」と聞かれた。真っ先に出てきた返事は「いい嫁さんになると思います」だった。
お師匠様は「そうだろう! そのはずなんだがなあ」と苦笑いしていた。俺にはその気持ちがよく分かった。
ユリはもうそろそろ好きなやつの一人や二人できてもいい頃なのに、恋人も作らずバルガスにべったりだった。
兄想いなのはいいことだが、将来どうするつもりでいるのか、一生バルガスの世話をして過ごすのかと心配だったんだ。
お師匠様もバルガスも、それならそれでまあいい、なんて言ってたのを覚えている。でも俺はユリの花嫁姿が見たいと思っていた。
せっかく妹みたいなやつができたんだ、余すところなく兄貴気分を味わいたかった。
ユリのことをきっかけに自分の将来も考えるようになった。このまま修行を続けて技を授かり、バルガスが奥義を継承したあとのことだ。
いずれバルガスが弟子をとるようになったら、さすがに俺は彼らのもとに残れない。
だから俺は城に戻ろうと考えていた。
フィガロは武器の製作技術には長けているが、個人個人の戦闘能力はあまり高くない。危険が近づいてきたら潜行して逃げられるから、そもそも城内での戦闘を想定してないんだ。
胸を張って兄貴のもとに帰れる強さを身につける、それが俺の目標になっていた。いつか来るその日を見据えてますます修行に打ち込んだ。
俺の行いがバルガスの心にどんな影響を与えているかなんて、想像もしなかった。
部屋に乾いた音が響いた。ユリは自分の手と俺の頬を見比べて不思議そうにしていた。なぜ手のひらが痛いのか分からないって顔だった。
俺は彼女を見ていられなくて師匠の奥さんに向き直った。母さんと、呼ぶことはできなかったが、心の中ではそう想っていた人に。
「兄弟子は小屋の脇にある庭に埋葬しました。お師匠様の遺体は……見つけられなかった」
「……そう」
毅然として立っている母親の姿を見てユリは呆然としていた。
無愛想な兄貴の分までよく笑い、よく泣くやつだった。ころころ変わるユリの表情を見ているのが大好きだった。
その彼女から、感情がすっかり消え失せていた。操りの輪をつけられていたというティナを思い出した。
俺がこれをやったんだ。悲しみが追いつかないほどのダメージをユリに与えたんだと思うと堪らなかった。
「これからのことは考えているの?」
息子の仇にかけるような笑みでも言葉でもなかった。その優しさが余計に辛かった。
これからのこと、ずっと考えてたのに。
……城に帰ったとしても、家族との縁が切れるわけじゃないと楽観的に考えていた。でもそうはいかなくなった。
俺が縁を断ち切ってしまったんだ。お師匠様を助けられず、バルガスを生かすだけの力がなかった。すべては俺の無力が招いたことだ。
もうここにはいられなかった。どちらにせよユリが許さないだろう。
「リターナーに加わり、お師匠様に頂いた技で帝国と戦うつもりです」
「あなたの勇気を讃えます。夫の遺志、どうか継いでいってくださいね」
「……この十年間、家族のようで楽しかった。お世話になりました……!」
悲鳴のように叫んで俺は“我が家”に背を向け、振り返ることなく走り出した。
しばらく歩いて、街の明かりも見えなくなりつつあったところで背後から足音が聞こえて立ち止まる。
ユリが俺を追ってきた。兄とそっくりの黒髪が闇に溶けてしまいそうだった。
「……ユリ」
彼女の瞳には怒りが宿っていた。俺はそのことにホッとした。広く優しい心で許されるよりも、断罪を望んでいたんだと思う。
どうしてバルガスを殺したのかと怒鳴られる方がずっとマシだった。しかしユリはそうはしなかった。
「私も一緒に行く」
俺が最も望まない言葉だった。
バルガスによく似た彼女を見ているだけで心が苦しかった。でも、彼女の望みを叶えることが償いになるのならと受け入れた。
コルツ山を越えて仲間と合流してからは、あまりユリと話をしなくて済んだ。
俺とそっくりな顔をしているせいで兄貴は避けられていたが、ロックやティナとは仲良く話していた。
ユリが普通に話せていることは嬉しかったが、二度と埋まることがないであろう絶対的な距離が悲しくもあった。
だが、リターナーのアジトに着くと意外なことが起きた。ユリが俺に話しかけてきたんだ。
「ねえ。父さんに弟子入りしたのは帝国を倒すためだったの?」
もう普通に会話することなんて不可能だと思っていたから本当に驚いて、どぎまぎしてしまった。
「えっ……と、いや、そういうわけじゃない。もちろん帝国のやつらを倒したいって想いはあったけど……一番はただ、強くなりたかったからだ」
「でも、どうして武道家に? 他にもいろいろ方法はあったでしょ」
最初は剣を学ぶことも考えた。フィガロに戻って騎士になるのもいいかと思ったんだ。でもダンカン師匠の比類なき強さへの憧れが勝った。
「強くなる……ってのは、体だけじゃない。心も強くなりたかった。心を鍛えるために武道家を選んだんだ」
俺の答えを聞いて、ユリはぽつりと呟いた。
「……己の宿命と向き合う強さを得るために」
宿命という言葉をバルガスはよく口にした。人は誰しも宿命を負っている。だからこそ強くあらねば、人生に翻弄されるはめになる。
これが俺の宿命だったんだろうか。平穏であたたかい一つの家族をぶち壊すのが。ユリから無邪気な笑顔を奪うことが。
強さを求めた結果、その力で兄弟子を殺すのが俺の宿命だったんだろうか?
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