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🔖02
夜に一人で町の外を歩くことなど今の私には危険でもなんでもなかった。
私が自分の身を守る力をつけた時、兄はひねくれた言い方ながらも祝福してくれた。俺の妹ならば当然だ、って。
ただ守られているだけではないことを誰に誇ればいいのだろう。母は私に強さを望まない。父も同じだった。
私の強さを褒めてくれる兄はもういない。
町を出てすぐ、闇の中で月明かりを浴びて輝く金の髪を見つけた。
「……ユリ」
足音に気づいて立ち止まった彼のもとに駆け寄る。喉元に剣を突きつけてやりたい気持ちを必死で抑え込んだ。
「私も一緒に行く」
特に驚いた様子はなかった。私が追ってくることも、この殺意もマッシュには予想の範疇だったんだろう。当然だ。彼はバルガスを殺したのだから。
「復讐したい気持ちは分かる。だが、もう少しだけ待ってくれないか? 急いで仲間の後を追わなきゃいけないんだ」
「仲間?」
マッシュにそう呼べるような友人がいただろうかと考える。記憶にある限りそんなものはいなかった。
兄もそうだったように、サウスフィガロの我が家には寝に帰ってくるようなものだった。一年のほとんどをコルツ山で過ごした彼らに“町の友人”はいない。
まあ、バルガスの場合は人格の問題もあって人付き合いが少なかったのだけれど。人当たりのいいマッシュにしても、我が家以外で懇意にしていた人物に心当たりはなかった。
「仲間って、誰?」
マッシュは僅かに身動ぎをした。後ろめたいことがあるのか。
「……歩きながら話そう」
私の目を見ようとはせずマッシュは背を向けて歩き出した。ついて来るなと言わないので私も後に続く。尤も、来るなと言われたって私は自分の思うようにするつもりだ。
「バルガスと戦ったあと、俺の兄貴に会ったんだ。リターナーの本部に向かうところだと言ってた。俺は……兄貴の力になりたい。俺の技で帝国を倒したい」
「へぇ。お兄さんがいたんだ」
自分でもビックリするくらい冷たい声だった。途端にマッシュがうちに来てからの十年が頭を過る。けれど、その思い出で憎しみを消すことはできなかった。
「兄弟子を殺しておいて実の兄を助けたい? 勝手な言い種」
「……」
「反論しないの」
「……何も言えないだろ」
彼は孤児だと思っていた。でも違ったんだ。故郷があり、家族がいた。彼にも兄がいたんだ。
ほんの少し前なら私はそれを喜び、彼が兄と再会できたことを心から祝福していただろう。
でも今となっては無理なことだった。マッシュが自分の実兄を助けたいと思うことさえ許せない。
「私からバルガスを奪ったくせに」
帝国を倒したい。だから私にもう少しだけ待ってほしいと彼は言った。
待つって、何を? 復讐を?
私はマッシュに復讐したいと思っているんだろうか。思い返せば兄と過ごした幸せな日々の中に、マッシュもまた大きな存在感を残していた。
本当の家族のように思っていたのは彼だけじゃない。
彼を大切に想っていた今までの気持ちと、決して許せないという気持ちが混濁して、自分でもどうしたいのか分からなかった。
少しだけ待って、帝国を倒して、平和になったら。……とにかく私はそれを見届けよう。マッシュが何を為すのかを。
もしバルガスの死に値しない人生を送るようなら、その時は私がマッシュを殺してやる。
嫌な緊張感を保ったままコルツの麓に辿り着いた。
マッシュが私を振り返る。けれど視線は合わなかった。
「兄貴たちは先行してサーベル山脈に向かってる。登山ルートじゃ追いつけないから崖を登るつもりだ。ユリ、本当について来るのか?」
「バカにしないで」
「そんなつもりじゃない。ただ、もし落ちそうになっても助けられるか分からない」
「助けてもらいたいと思ってないから安心していい」
「……分かったよ」
実際、霊峰コルツの崖を苦もなく進むマッシュについて行くのは難儀だった。
頑丈だと思った足場が急に崩れ、手をかけた岩が遥か眼下へ転がり落ちていく。腕も足もクタクタだ。
マッシュは何も言わないけれど、私に注意を払いながら彼にしてはゆっくりと崖を登っているようだった。
彼一人ならもっと早く山向こうへ行けるんだ。その事実が悔しくて、けれど彼の足を引っ張っていることに、ざまあみろと思う気持ちもあった。
普通なら一日がかりで登山道を越えるところをたったの数時間で崖から踏破し、草原に足をつけた時には膝が笑っていた。
「大丈夫か?」
「……これくらい、なんともない」
一度バルガスの修行に付き合ったことがある。兄は私を待ったりしなかった。自分の妹ならついてくるのが当たり前だと思っていた。
大丈夫か、なんて腹の立つこと、バルガスは絶対に言わなかった。
息を整える間もなく駆け足で草原を進む。数十分も走ったところで人影が見えた。
変わった髪色の少女とバンダナを巻いた青年、そして金髪の男。あれがマッシュの兄……。
彼らに追いつく直前、マッシュが足を止めずに「いずれ分かることだから先に言っておく」と呟いた。
「俺の兄貴はエドガー・フィガロ。フィガロの現国王だ」
「……ああ、そう」
それでマッシュが実家を去り、うちに来たわけもなんとなく察することができた。
少し気になってはいたけれど、彼の兄について私から質問なんてしたくなかったから、自分で白状してくれて助かった。
私とマッシュが追いつくと、バンダナ青年が手を振り、金髪男が微笑んだ。少女の方は無反応だ。
「マッシュ、戻ったか。それに美しいレディを連れているな?」
エドガー王の言葉に私が思いきり顔をしかめると、マッシュが慌てて間に入ってきた。
「兄貴! その癖、まだ治ってないのか? こいつを口説くのは勘弁してくれ」
「もちろんだとも。さすがに弟の恋人には手を出さんよ」
「そうじゃなくて! ……俺が世話になってた家の娘なんだ」
その流れで簡単な自己紹介となった。
緑髪の少女は元帝国兵のティナ。彼女をリターナーのアジトに連れていくのがこの一行の目的だ。
バンダナがロック。ナルシェで保護されたティナをエドガー王と引き合わせ、一行のリーダーとして道案内をしている。
それからエドガー王は……べつに紹介してもらうまでもない。肖像画は見たことがあったのに、マッシュに似ているなんてこうして対面するまで思ったこともなかった。
皆の視線が私に集まる。マッシュに紹介されたくなかったので自分で名乗った。
「私はユリ。サウスフィガロの武道家、ダンカンの娘です」
「ってことは、あのコルツで会ったやつの……」
ロックが私をじっと見つめた。彼らはバルガスとマッシュの経緯を知っているのか。
しばらく気まずい間があいた。それをぶち壊したのはティナだった。
「それじゃあ、リターナーのアジトに行きましょう」
「え? あ、ああ。そうだな」
ロックが先導して歩き出すとティナがそのあとに続き、エドガーが微妙な顔で私とマッシュを交互に見てから歩き出す。
「……行かないの」
「ユリはどこまで来るつもりなんだ? リターナーに加わるのか」
「それでもいいよ。帝国の属国になるなんて御免だし」
「……そうか」
短く息を吐いてマッシュも歩き出した。
本当はリターナーも帝国もどうだっていい。ただ何かをしていなければ心が凍りついてしまいそうなんだ。
悲しいとか淋しいとか、そういった感情がどこかに消えてしまった今は、マッシュに対する怒りと恨みだけでなんとか動いている。
兄の仇が目の前にいることでなんとか耐えているんだ。そうでなければ、どうなっていただろう。
各国に反乱の種を蒔いているわりにリターナーの本部は閑散としていた。もっと、士気の高い兵士がたくさん集まって活気づいているものと想像していたのに。
本部は天然の迷宮に見せかけた洞窟の奥にあって、首領であるバナンを守る最低限の兵士が少人数詰めているだけだ。
もし帝国軍に見つかったら容易に潰されてしまうだろう。
今更ながら、私がここに加わっていいのか迷う。
国王はリターナーに加わるつもりでもフィガロは今も帝国と同盟を結んでいるんだ。その同盟に対する暴動が起きた時だって帝国の圧力であっさり鎮圧された。
なぜ私を簡単に受け入れるのかと不思議だし、私がここにいることでサウスフィガロの母さんに危害が及びはしないかと不安でもあった。
ティナが自分の身の処し方を考える間、皆は好き勝手に過ごしていた。
私はどうにも落ち着かず、壁に凭れて考え事をしているマッシュに近寄った。
「ねえ。父さんに弟子入りしたのは帝国を倒すためだったの?」
私に話しかけられたことによほど驚いたのか、マッシュは目を丸くしていた。
「えっ……と、いや、そういうわけじゃない。もちろん帝国のやつらを倒したいって想いはあったけど……一番はただ、強くなりたかったからだ」
「でも、どうして武道家に? 他にもいろいろ方法はあったでしょ」
それこそ私のように剣術学校に通うことだってできた。あるいはそこから身分がバレるのを恐れたのだろうか。年中コルツ山に籠っている武道家なら身を隠すのには最適だ。
でも、うちに来た当初のマッシュにそんな考えがあったとは思えなかった。
「強くなる……ってのは、体だけじゃない。心も強くなりたかった。心を鍛えるために武道家を選んだんだ」
「……己の宿命と向き合う強さを得るために」
痛みから目を背けるようにマッシュの視線が逸らされた。
バルガスは負けたんだ。弟弟子に負けてしまったんだ。だから死んだ。とても単純なことなのに頭が理解を拒んでいる。
この男にそれほどの強さがあるのだろうか?
おっとりしていて怒ったところもろくに見たことがない、いつもバルガスの後を追いかけていた温厚な少年。
修行に打ち込む熱心さならバルガスだってよほどだった。マッシュはひたすら師に従ったけれど、バルガスは常に師を越えようとしていた。
宿命って、何なんだろう。それがマッシュを生かし、バルガスを殺したんだ。
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