🔖緑青は陰に潜む
コルツの山で修行をしていた時。それも最近じゃなくて、何年も前のことだ。
ダンカン師匠はよく俺を一人で山の中に残していった。方角を見失うことなく冷静さを保ち、現れるモンスターに対処させるために。
俺は一人で行動することを心細いとは思っていなかった。むしろ誰の助けも借りずにいられる喜びの方がずっと大きかったんだ。
城にいた頃だって、あまり丈夫じゃなかった俺は部屋に一人でいることが多かった。だが、その“一人”はあれやこれや手厚い世話を受けての一人だった。
山で一人になっても、師匠が俺なら大丈夫だと信じてくれてるのを感じて嬉しかった。
でも小屋を離れ、だんだん仲間が増えて、彼らと過ごす日々を重ねるにつれて考えが変わってきた。
誰かがそばにいてくれることのありがたさを痛感するようになっていた。
不安でも希望でも何だって分かち合えるやつが隣にいてくれたら、それだけで強くなれるものだ。
ここはどこだろうとか、何が起きたんだとか、話し合う相手さえいればどうってことないのに。一人だと途端に気が重くなる。
こういう淋しさを感じたのは久しぶりだった。
レテ川を流された時なんかにも少しの間は一人だったが、すぐにシャドウが道行きを共にしてくれたし。
何より、俺の帰りを待ってるやつがいるってことが淋しさを紛らせてくれた。
俺の周りにいつも仲間がいたってことに、もっと感謝しておくべきだったな。
目が覚めた時、俺は一人きりだった。
三闘神が復活して、解き放たれた魔法のせいでブラックジャックが真っ二つになったところまでは覚えている。
その直前、宙に浮かぶユリの姿が見えたことも。
あいつはフィガロ城にいる。だから何の心配もないと思ってたのに、ユリはそこに現れ、俺に「待っている」と言って消え去った。
淋しさと不安の主たる原因はあいつだった。
ユリのテレポートという能力は魔法と違って自分の意思で使えるものではなかった。
身の危険が迫ると勝手に発動されてしまうんだと困った顔で言っていたのを思い出す。
ユリは、彼女の本能は三闘神の復活に危険を感じたんだ。そして……テレポートが発動したのなら、もうユリはこの世界にいない。
どうせじきにまたいなくなる。初めて会った時の言葉が現実になったわけだ。
どこへ行っても帰ってくる。フィガロ城で待っている。
ユリの言葉を信じたいと思うのに、信じきれない自分に苛立った。
だって“信じたい”ってのはつまるところ“信じてない”ってことじゃないか。
俺はきっとどんな困難にあってもフィガロ城に帰る。自分の行動については自信が持てる。
だが、本当にユリがそこで待っていてくれるのかは、分からなかった。
ブラックジャックの崩壊で空に投げ出されながら、仲間たちはそれぞれ幻獣を呼び出して対応しようとしていた。
そのあと何が起きたのかは記憶が曖昧だ。
しかしとにかく俺がこうして陸地に立ってるんだから、兄貴や他のやつらも自力でなんとかしただろう。
全員無事だったと信じている。それと同様にユリのことも信じられたらいいのに、あいつのことを考えた時だけ不安になる。
仮に無事だったとしても、別の世界に行っちまったのなら二度と会えないじゃないか。
心細さの中で、十一年前に親父が死んだ時のことを思い出した。
俺は弱っていく親父を見ながら何もできなかった。それは自分の病と戦うよりずっと辛いことだった。
だってどんなに願ってもどんなに必死になっても、意味がないんだ。
戦いにならない。俺には抗う方法がない。俺の手が届かないところで、呆気なく親父は逝ってしまった。
いきなりいなくなるのは、やめてほしいよな、本当に……。
特別な存在ってやつを作りたくないと思うようになったのはそのせいだろうか。
自分の意思でどうにもならないものを心に受け入れるのが怖くなったんだ。
誰かを好きになるってことは、そいつを失う痛みにも耐える覚悟をしなくちゃいけないってことだから。
心に他人を住まわせる。それはとても満たされた気持ちになる。
だけどその幸せを失った時に、そいつの存在が大切であればあるほど抱えた空洞も手に負えない大きさになる。
代わりの何かで埋めることなんてできない。元あったものを取り戻さない限り心は救われない。
俺は……ユリが城で待っててくれるものだと思い込んでた。それを当たり前だと考えていた。
だから自分が彼女を失いたくないと思ってることにさえ気づけなかったんだ。
宛もなく、時々は小さな集落で宿を借りながら仲間を探して歩き続けている。
東に見える歪な形をした塔が、数日に一度くらいの割合で発光している。
サーベル山脈を吹き飛ばしてブラックジャックを引き裂いたあの光だ。塔が光るたびにどこかで陸地が壊れ、人が死ぬ。
世界の終わりを知らせているみたいな光景だった。
もしかするとケフカが三闘神の力を制御し始めているのかもしれない。
無作為に飛んでくる破壊の光は世界中の人々に不安を抱かせた。
そんな中、俺はジドールの町に辿り着いた。ここは未だいつも通りだ。
こんな状況下にあっても見栄で飾った上品さは失われていない。
ジドールの貴族さん方は帝国が滅びたこともケフカが世界を支配しつつあることにも我関せずらしい。まあ……ある意味では強い町だよな。
とりあえず宿と酒場、目立った店やオークション会場なんかに顔を出しておく。これで誰かがジドールに来たら俺がいたことを知れるだろう。
そんな地道なことをやってたら、武器屋を出たところでカイエンに出くわした。
「マッシュ殿! 無事で何より!」
「おう、そっちもな。ここに流れ着いてたのか」
「いや……拙者が目覚めたのはマランダの近くだったのでござるが」
「ん……?」
じゃあマランダから船に乗ってきたのかと思ったら、カイエンは「海岸沿いにオペラ座を通りすぎて徒歩で来た」と言う。
ってことは、マランダは南大陸から外れてこっちにくっついちまったのか?
三闘神の魔法は世界を引き裂くように放たれた。大規模な変動があってもおかしくはない。改めて、町が無事でよかったと思う。
「ガウを見かけたか?」
「あれから仲間に出会ったのはマッシュ殿が初めてでござるよ」
「そうか。大丈夫かな、あいつ」
他の皆なら近くの町を探すなりしてなんとか自力でやっていけそうだ。
でもガウの場合、他人に助けを求めるってことを知らないからな。こうやって町に伝言を残したってあいつは気づかないだろう。
どうにかして直接見つけないといけないから、他の誰より再会するのは困難だ。
唸る俺を見てカイエンは苦笑している。
「心配召されるな。獣ヶ原で育ったガウ殿ならば、どこに流れ着いても元気でやっておろう」
「……ああ、そうだな」
確かに、どうやって探すかはともかくとして本人はピンピンしてるだろう。それは間違いない。
現状を報告し合ってるところで北東の空に光が走った。またか……。
「あれが何と呼ばれているか、お聞きになられたか?」
「いや。何だ?」
「マランダでは“裁きの光”と……どうも帝国に近い場所では、ケフカは神のごとき存在として畏れられているようでござる」
「ふーん。神様ねえ……」
三闘神の力を握ってるんだからある意味では間違ってないかもな。
しかし“裁きの光”ってのは気に入らない。裁かれるべきはケフカの方じゃないか。
カイエンはしばらくマランダを拠点にこの辺りを探索するという。
同行してもいいが、仲間たちを探すなら手分けした方が効率的だろう。なんせ世界中を探し回らなきゃならないんだからな。
何かあれば伝書鳥を飛ばすことにして、ジドールを出ようとしたところでカイエンに引き留められた。
「マッシュ殿、ユリ殿と連絡は?」
「……いや、ついてない」
「飛空艇が裂ける直前、彼女の姿を見たように思うでござる」
「俺も見たよ」
「とすると、彼女は……」
その先は言わないでくれと願ったのが通じたのかどうか、カイエンは口を噤んだ。
そうだ、せっかくジドールに来たんだからフィガロ城に鳥を送ってみよう。もしかしたらあの……大破壊のあと、どうにかして城に戻ったかもしれない。
俺もまずはフィガロを目指すのがいいかもしれないな。
何か考え事をしていたカイエンが顔を上げる。
「モブリズの帝国兵を覚えておられよう」
「ああ、宿で寝込んでた兵士さんか?」
彼もどうなっただろうな。春には帰ると恋人に手紙を書いてたが、あの怪我だ。まだ治ってるとは思えない。
そのうえ世界がこんな状態になっちまったら、たとえ完治してても国に帰るのは至難だろう。
しかし続くカイエンの言葉はそんな心配さえ無意味だと告げていた。
「マランダで手紙の相手に会ったでござる。彼から返事が来なくなった、と嘆いていた」
「……怪我のせいで手紙を書けないだけじゃないのか?」
俺たちがモブリズに行った時だって、返事を代筆したんだ。きっとあの時みたいに……。
あの時と同じ状況なら、彼の面倒を見ていた娘さんや誰かが代筆してくれるはずだ。返事が来ないのはそれをしてくれる人がいないってことか?
「確かめる術は未だないでござる。しかし喪ってから気づくのでは遅すぎる」
俺は、俺だったら、どんな困難に遭っても立ち向かうつもりだし、乗り切る自信もある。
だけどユリは? 今日も明日もこの世界で生きて俺を待っていられるという保証はない。
固い決意や誓いなんて本当は意味をなさないんだ。別れはいつも突然やって来る。
明日言うつもりだったこと、明日やるつもりだったことが二度と叶わないかもしれない。
「マッシュ殿。彼女を大切に想うならば、後悔だけはせぬように」
「そうしたいところだが、肝心のあいつの居場所も分からないんじゃあな」
「ユリ殿に再会したところで、今まで通り気づかぬふりをするつもりであろう?」
見透かすようなことを言われて動揺する。俺は……。
今はあいつの無事さえ分からないからこんなに不安になっている。でも、もし無事にあいつと再会できたら。
確かにカイエンの言う通り、俺を好きだというユリの言葉を冗談として流しちまうかもしれない。
「人の想いを受け入れるのって、俺には難しいんだよ。俺はあいつを仲間として大切に思ってるけど……ユリが求めてるのはそうじゃないんだろ?」
愚痴っぽくなる俺を諭すようにカイエンは目を細めた。
「ユリ殿に女性を感じないのならば仕方あるまいが」
「……べつに、そういうわけじゃない」
「ならば結ばれてみればよろしい」
「おいおい、カイエンの言葉とは思えないな」
茶化そうとして思い止まる。妻と子を亡くした彼は俺なんかよりずっと、そのことをよく知っているんだ。
「愛とは尊いものでござる。長く離れていた半身を見つけるような……、其のような想いが悪いものであるはずがない」
迂闊に手を伸ばしてみて後から喪ったら嫌だ。別れの時に傷つくのが怖いからあいつに向き合いたくない。
俺の本音はたぶんそういうことだと思う。
なんだってこう弱気になるんだ? もしかしたら俺はとっくに、あいつに惚れていたんだろうか?
俺が恋だと思っていた感情はこの胸の内に見当たらない。でもユリに、俺の隣にいてほしいんだ。
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