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🔖薔薇色に染め上げて



 戦場で死の淵に立たされるドラクゥ。奮戦も虚しく西軍は敗れ去り、故郷の城は東軍の支配下に置かれてしまう。
 自国の敗北と恋人の死を知らされ、マリアは失意のまま敵国の王子との結婚を迫られていた。それでもドラクゥへの想いを捨てきれず、彼女はいつか恋人が帰ってくることを信じて待ち続ける。
 やがて帰還したドラクゥは東軍のラルス王子に決闘を挑み、勝利し、晴れてマリアと結ばれるのだった。
 ……それがマリアとドラクゥのあらすじだ。

 マリアとドラクゥの原作となった小説を読みながら神官長様と午後のティータイム。
 フィガロ城の図書室にはいろんな本があって、マッシュからの手紙を待つ間の暇潰しには事欠かなかった。
 修練小屋で、そしてナルシェで、淋しく待っていた時とは違っている。
 ここはとても居心地がいい。だって、マッシュの生まれた家だもの。

「『色褪せぬ永久の愛誓ったばかりに』がどうして『愛しのあなたは遠いところへ』に繋がるんでしょうね?」
 永久の愛を誓わなかったばかりに遠いところへ、なら分かるのだけれど。
 私がそう聞いたら神官長様は目を瞬いた。彼女は昔、先代の王様に従ってオペラを観に行ったことがあるらしい。
「ドラクゥの死を信じたくないけれど、もしかしたらと迷ってもいるのでしょう」
 死は永久……。愛の誓いを果たすために、ドラクゥは冥土に旅立ってしまったのではないか。
「マリアはそう考えたのかもしれません」
「えぇー」

 そりゃあ死んじゃったら二度と壊れない“永久の愛”になるかもしれないけれど。なんだか屁理屈みたい。
「私だったら、永久の愛じゃなくてもいいから大好きな人が生きててくれる方が嬉しいなあ」
「大切な者を亡くした時、人は己が選択を誤ったせいではないかと思うものなのですよ」
「うーん。難しいですね」
 愛を誓い合った人が自分のもとに帰ってこなかったら。その悲しみは罪悪感を生むのだろうか?
 それはマッシュと離れている今、あんまり想像してみたくない気持ちだった。

「……なんか、ラルス王子がちょっと可哀想ですよね、この話」
 物語はマリアとドラクゥが主体の大団円に向かうので、ラルス王子は横からマリアを奪おうとする敵役だ。
 だけど視点を変えればラルス王子は、死者への永久の愛に殉じようとしているマリアを自分自身の人生に引き戻そうとしているとも言える。
「ラルスだって、マリアを想ってるのになぁ」
 もしドラクゥが帰ってこなければ、マリアは死んだ恋人の思い出を胸にラルス王子と生きていくこともできたんじゃないのかな。

 もちろん私たちは粗筋を知ってるから、ドラクゥが生きているのを知っているから、彼を待つのが正しいと分かる。
 でもマリアは違う。彼女はドラクゥが今どこにいるのか、どうしてるのか、本当に生きてるのか、何も分からない。不安なまま待ち続けているんだ。

 小説では少し描き方が違っているけれど、オペラでは数ある見せ場の中でもマリアが花束を投げるシーンが印象的だったそうだ。
 彼女はどうして花束を投げたのだろう。ドラクゥの幻がくれた花束を。
 ……もしもドラクゥの幻が現れなかったら、彼女はその時、本当はバルコニーから身を投げようとしていたのかもしれない。
 けれど愛する人の幻に励まされて生きていくことにした。
 たとえラルスとの結婚が避けられなくても、生きてドラクゥを待つ決意をした。

 大事な人が二度と帰って来ないと知ったら、もう生きていけない。そんなマリアの気持ちが少しは分かる。
 だからこそ、ラルス王子が気の毒だなとも思う。
 彼がマリアの永久の愛を手に入れられないのは最初から決められているんだもの。
 マリアは結局、ラルス王子に靡くことはない。ドラクゥへの想いを捨てられない。

 ドラクゥはどうだったんだろう。このお話の主人公はマリアだから、ドラクゥ側の心はよく分からない。
 戦場で一人取り残されたドラクゥが城に帰ることができたのは……マリアが待っててくれたから。
 彼女がいたから諦めずにいられた。そうだったらいいなと思う。
 永久の愛を誓ったから、命尽き果てようとも離しはしない。
 生きて彼女のもとへ帰る。生きて彼の帰りを待つ。確かにマリアとドラクゥは固く結ばれている。ラルスが気の毒になるくらいに。

 つい、ため息を吐いてしまう。ラルスに同情する私は一体だれの視点でこの物語を読んでるんだろう。
 マリアに感情移入してしまいたくなるけれど、私はマッシュと何の約束も交わしていない。
 私が想うほどマッシュは私を想ってくれていないのは分かっていた。
 彼にとって、私はただ仲間の一人に過ぎなかった。

 神官長様がふと不思議な笑みを浮かべる。
「あなたはマッシュを愛しているの?」
「私は……」
 マッシュのことが好き。初めて会った時からどうしようもなく惹かれている。でも……。
「正直言って、分かりません。マッシュに恋してるのかって聞かれたら確信をもって頷けるけど」
 愛しているのか、となると。……ティナじゃないけれど、そもそも愛って何だろう。私は本当にそれを知ってるんだろうか?
「マッシュは私に恋してない。それが切なくて堪らないんです」

 神官長様は、やっぱり優しく微笑んでいた。彼女の笑顔はなんだか不思議だ。見たことのない表情なのにすごく懐かしい気分になる。
「マッシュはあなたを愛しているわ。でなければ、ここに置いていきはしなかったでしょう」
 私が滞在しているのは、かつてマッシュが暮らした部屋だった。彼が私をそこに住ませてくれと言ったらしい。

 彼にとって大切な思い出がつまった部屋。ここにいても構わないと許す程度には大切に想ってくれている。
 でもマッシュは優しいから、私が相手じゃなくたってそれを許してくれるんじゃないのかな。
「ユリ様、あなたが立ち去りたいと思うまで、ここにいらしてね」
「ありがとう、神官長様」
 私が立ち去りたいと思うとしたら、マッシュに追い出された時だけだろう。
 でも彼が優しさゆえに「出ていけ」と言えないだけなら、それはむしろ酷いことだと思う。

 ティナと幻獣の対話をはかるため封魔壁へ向かう。その手紙を最後にマッシュからの連絡は絶えていた。
 帝国軍がサウスフィガロから立ち去ったり、南の空に謎の島がぽつんと浮かび上がったり。
 世界のいろんな出来事は聞こえてくるけれど、マッシュがどうしているのかは伝わってこない。
 鋭い針で少しずつ穴を開けていくみたいに不安が募っていくんだ。
 一体いつまで待てばいいのか。私はマリアになれない。彼の帰還を信じきれない。迷って、マッシュが帰るまでずっと、迷い続ける。

「神官長様!!」
 突然、扉から兵士さんが飛び込んできた。慌てる彼に連れられて私たちは城のバルコニーに向かう。
 さっきまでマリアとドラクゥを読んでいたからなんとなく不安が大きくなった。
 他にもたくさんの人がバルコニーに出ていた。皆、一様に南の空を見つめている。
 少し前から帝国方面の空に浮かんでいた不思議な島。それが少しずつ小さくなっているようだった。
 小さくなっている……つまり、崩れ落ちつつあるんだ。
 あそこにマッシュがいるのかどうかは分からない。でも彼がベクタの近くにいるかもしれない。それを考えると心臓がきゅうっとなった。

 あの島は何なのか、口々に話し合ってバルコニーがざわめきに満ちる。
 しばらくすると島が強烈な光を発した。と思ったら次の瞬間にはサーベル山脈が吹き飛んでいた。
「な、なに今の……」
 あの光で山脈が消し飛んだっていうの?
「皆すぐに中へ! 地下に避難する!!」
 大臣さんの声が響き、私も神官長様の手を引いて城の中に戻ろうとした。けれど、足が止まった。

 馴染みのある感覚が私を襲った。危機を逃れるために別の世界へ。
 見えない力が体を引っ張ろうとする。私はそれに精一杯抗っていた。
 嫌、嫌、マッシュがいない世界になんて行きたくない! たとえここにいるのが危険なのだとしても……私はマッシュを待ち続けたい!
 願いは虚しく体が宙に放り出された。景色が歪む。次元の渦に呑み込まれていく。

 一瞬、船の上にいるマッシュが見えた。
「マッシュ!」
「な……ユリ!?」
「私、どこに行っても帰るから! フィガロ城で待ってるから……!!」
 初めてこの世界に来た時とは違って、空は薔薇色に燃えている。私はそこへ向かってまっすぐに落ちていった。


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