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🔖水の流れは止められない



 マッシュが帰って来ない。荒ぶる心臓を宥めすかして時間をやり過ごすのはつらいことだった。
 神経が研ぎ澄まされすぎて、玄関の前に誰かが立っているのを感じた瞬間ノックの音が聞こえる前にドアを開けていた。
「マッシュ……!!」
「えっ?」
 じゃない! 誰? あ、でもなんか……似てる。
 マッシュよりは背が低いし髪は長いし体格も全然違うけれど顔が同じだ。

 あちらも私に負けず劣らず困惑しているようで、私を凝視したまま尋ねてくる。
「君は?」
「あなたこそ何者ですか?」
 彼は呆然として小屋の前にある小さな花壇と私を交互に見つめた。
 マッシュが好きな花、冬の寒さと乾燥にも負けない花が今も健気に咲き続けている。

 そして彼は言った。
「私は……エドガー。あいつの双子の兄だ」
「え?」
 双子。それならそっくりなのも頷ける。
 そうだ。マッシュは実家を出てダンカンのもとに身を寄せていたんだった。じゃあこの人がマッシュの、本当の家族……。
「どうして……何をしにここへ?」
「この小屋に来たのは偶然なんだ。コルツ山に向かう途中で、あいつの好きな花を見かけたものだから」
 家を出た弟がこの小屋に住んでいるのではと思い、足を向けたのだそうだ。

 マッシュがどうして家を出てたのか、私は知らない。聞こうとも思っていなかった。
 だって自ら言わないことは、まだ知られたくないことだと思ったから。
 怪しげな素性の私を拾ってしまうくらいだし、マッシュはとても気さくで誰とでも親しく接することができる人。
 家族と仲違いした、とかそんな理由ではないだろうと思っていた。

 エドガーさんはマッシュの好きな花を切ないような懐かしいような目で見つめている。
 だからやっぱり、この人と喧嘩して家を飛び出したわけじゃないだろう。
 どういう事情があったのか気にならないわけじゃないけれど……。
 今はそれよりも、マッシュの過去じゃなくて現在が気にかかる。
「それで、君は誰だい? マッシュはここにいるのか?」
「私はここに居候しているユリという者です。マッシュは、」
 まだ帰らない。

 エドガーさんはコルツ山に向かう途中だと言っていた。マッシュがいるところへ。
「三日前にダンカンが……、マッシュのお師匠様が殺されたんです。それで師匠を殺したバルガスを探すために、マッシュは山に登りました」
 エドガーさんが驚いてコルツ山を振り向いたのと同時、離れたところにいた青年が彼を呼んだ。

「何やってんだよエドガー、早く行くぞ!」
 バンダナをした男の人と軍服姿の女の人。彼らがどういう用事でコルツ山に行くのか、そんなことどうでもよかった。
「あの! 私も連れて行ってください!」
「え?」
 慌てて家の中に戻り、鞄に詰め込んであった荷物を抱えてエドガーさんのもとに駆け寄る。
「マッシュを探したいんです! もう待てない!」

 本当はあと少し待ってマッシュが帰らなければ、一人で探しに行こうと思ってた。
 でもそんな無茶をしたら無事に済むか分からない。マッシュもきっと怒る。
 だからこれは逃してはいけないチャンスなんだ。
 マッシュが帰ってこなくて焦れている時に彼のお兄さんが偶然小屋を訪ねてくるなんて。もう運命が「行け」と言ってるとしか思えない。

 エドガーさんが取り成してくれたお陰で、連れの二人も私の同行を許してくれた。
 バンダナを巻いた男性はロックさん。地下組織リターナーのメンバーだ。軍服の女性はティナといって、元帝国の兵士。
 彼らの目的地はリターナーの秘密のアジト……。

 コルツの登山口を目指しながらロックさんがぼやく。
「エドガーって、どこからでも女の子を見つけてくるよな。ちょっと感心するよ」
「ユリは私が連れ出したわけじゃないぞ。彼女がついて来たいと言ったんだ。第一、彼女を口説くことはできないと思うがね」
「え!? お前、レディに手を出さないこともあるのか!」
「……失敬だな、ロック」
 マッシュの兄であるエドガーさんは女心に疎い弟と正反対の女誑しらしい。

 顔はそっくりだけれど、言動を見ていると兄弟とは思えない。
 本当に血が繋がっているのかと疑いながら見つめていたら、エドガーさんは綺麗な笑顔を私に向けた。
 ロックさんの説明によると、エドガーさんはフィガロ王国における現在の国王陛下だそうで。
 思いがけずマッシュの生家が判明してしまった。今のところは聞かなかったことにしておこう。
 もしかしたら私には隠しておきたかったのかもしれないし、聞くならマッシュの口からがいい。

 私が気になるのはティナの素性だった。
 彼女はこの世界で失われたはずの“魔導の力”を生まれ持った戦士で、それゆえに帝国からつけ狙われている。
 寡黙な女軍人かと思っていたら、帝国で操りの輪というものをつけられ精神を支配されていた影響で記憶と感情を失ってしまったという。
「またモンスターだ! ティナ、そっち頼む!」
「分かった」
 無造作に頷いて剣を振るう。白刃から炎が迸り、モンスターを焼き尽くす。

 失われた力“魔法”を操る記憶喪失の女戦士。
「かっこいい……」
「え?」
 しかも剣を抜いてない時の彼女は儚げな美少女なのだから反則だ。
「素敵です……」
「ユリ?」
 もちろんマッシュ以外の人に浮気するつもりはないけれど。エドガーさんから向けられた奇異の視線に気づかない程度にはティナに見惚れていた。

 個性的な人たちに囲まれてコルツの頂上に辿り着く。マッシュはいなくて、その代わりに会いたくもないやつが現れた。
「マッシュの手の者か?」
「バルガス……!」
 殺気立っている彼を前に、真っ先にティナが剣を抜く。エドガーさんとロックさんもそれに続いた。
「貴様らごときに捕まるわけにはゆかん。俺に出会った事を不運と思って死ね!」

 こいつが小屋に現れ、マッシュが後を追った時。こんなやつにダンカンが殺されてたまるかと思っていた。
 でも確かにバルガスは、腐ってもマッシュの兄弟子だ。牽制代わりに放たれたティナの魔法は拳圧で掻き消された。
 一気に距離を詰めたバルガスは、まず一番に私を狙いを定める。
 ……戦えない者は相手にしない。そんな頃もあったのだろう。けれど今の彼は、もうマッシュが親しみを感じていた兄弟子とは違うんだ。

 足が竦み、逃げなければいけないのに目を閉じてしまう。痛みはいつまでも訪れなかった。
「やめろッ、バルガス!!」
 来るべき衝撃の代わりに感じたのは、この世界に落ちてきた時と同じく私を支えてくれる力強い腕の感触。
「マッシュ!」
「やはり来たか」
 私を背後に庇って立ち、マッシュはバルガスと向かい合う。
 彼の背中は怒りに満ちていた。……ああ、やっぱりバルガスの言葉は真実だったんだ。ダンカンは、もう……。

「バルガス! なぜ……、なぜだ。なぜダンカン師匠を殺した? どうして父親を殺したんだ!」
「父親がどうした。やつは俺ではなく拾い子のお前を継承者に選ぶと吐かしたのだ!」
「違う! 師はあなたの……!」
「どう違うんだ? 違わないさ、そうお前の顔に書いてあるぜ!」

 いいや、違う。ダンカンはただ、バルガスに選択肢を与えただけだ。
 あの人は息子に技を伝えたいと言っていた。でもバルガスの選ぶ道が別の場所にあるなら、血で縛ることはないって……。
 袂を別った息子の話をするダンカンは、淋しそうではあったけれど、どこか嬉しそうでもあった。

「師は、俺ではなく……バルガス、あなたの素質を……!」
「戯言など聞きたくないわ!」
 バルガスが気合いを放つと辺りに強烈な突風が舞い起こった。這いつくばって耐えようとしても体が引っ張られる。
「マッシュ……!」
 吹き飛ばされ、彼の背中が遠ざかっていくのに目を開けていることさえできなかった。

「ユリ!」
 誰かに腕を引かれて、次の瞬間どこかに落下していた。目を開けるとエドガーさんが私を抱え込んで庇うように倒れている。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ……レディさえ無事なら、俺は平気だよ」
「ありがとうございます!」
 頂上から結構な距離を転がり落ちてしまった。急いで山道を登りマッシュのもとへ走る。
 二人は未だ向かい合っていたけれど、もう……決着はついていた。

 バルガスは膝をついてなお闘志を剥き出しにしている。
「貴様……その、技を……!」
 肋骨が折れたのか息も絶え絶えだ。対するマッシュはといえば、掠り傷は負っているけれど冷静そのものだった。
「あなたの傲りさえなければ……お師匠様は……」
「黙れえッ!!」
 もう技もなにもなく捨て身で飛びかかったバルガスはマッシュの渾身の拳に敗れ、崖から転がり落ちていった。

「マッシュ!」
 いろんな気持ちが溢れて、耐えられなくなってマッシュに抱きついた。
 どうしてだろう、遠く離れてしまった故郷のことを思い出した。私はそこがどんなところだったのかも知らないのに。

 この人は今……父親のように感じていた人と、兄のように慕っていた人を、亡くしたんだ。
 だけど無事でよかった。マッシュが無事で、本当によかった。
「無茶しないでって……言ったのに……」
「無茶はしてないだろ。お前こそ、どうしてここにいるんだよ」
 そんなの、マッシュが心配で死にそうだったからに決まってる。

 バルガスの技をまともに食らった三人も順に這い上がってきた。エドガーさんを目に留めてマッシュが我に返る。
「兄貴?」
「久しぶりだな、マッシュ」
「じゃあ、例の……双子の弟か?」
「弟さん……私、てっきり大きな熊かと」
「熊ァ!?」
 ティナの辛辣な評を聞いてマッシュは大笑いしているけれど、私はショックを受けた。

 確かに今のマッシュは髭がモジャモジャで髪もボサボサで、体格が良すぎるのも相俟って熊っぽい。
 慌ててティナに「普段はもっとカッコイイんです!」とフォローすると、彼女は分かってない顔で「そうなのね」と言ってくれた。
 もう、マッシュは素材がいいんだから、もっと身形に気を遣ってほしい!

「ほら、着替えとか髭剃りとか持ってきたから」
「お、おう。ありがとう……じゃなくて、小屋で待ってろって言っただろ」
「だってマッシュが心配だったんだよ」
「それより兄貴。何だってこんなところに?」
 ……ううっ。それよりって言われた。私の心配はどうでもいいんですね。そうですか。
 だけど久しぶりの兄弟再会なんだ。エドガーさんに会えてマッシュが嬉しそうだから、いいや。

 なぜだか私に微笑ましげな視線を向けつつ、エドガーさんが三人の経緯をマッシュに説明する。
「俺たちはサーベル山脈に行くところだ。リターナーの協力を得るためにな」
「それじゃあ、とうとう動くのか! このままフィガロは帝国の狗になっちまうのかって、冷や冷やしてたぜ」
「反撃のチャンスがようやく訪れたんだ。もう大臣たちの顔色を窺って帝国にへつらう必要もない」

 なんだか当たり前のように国が絡む話をしていて動揺する。マッシュは本当に王様の弟なんだ。
「俺の技もお役に立てるかい?」
「来てくれるか、マッシュよ」
 だから、帝国に抗うなんて戦争紛いのことにも、躊躇なく突っ込んでいく。
「俺の技が平和の役に立てば、ダンカン師匠も浮かばれるだろうぜ!」

 じっと見上げる私に気づいてマッシュがこっちを見た。
「ユリは……」
 もし「小屋で待ってろ」って言われたら私は恥も外聞もなく子供のように号泣するだろう。それを察したらしく、マッシュは頷いた。
「安全な場所まで一緒に行こう」
「いいの?」
「一人で町に行かせるわけにもいかないからな」
「うん!」
 よかった。今度は一人ぼっちで待ってなくてもいいんだ。


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