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🔖赤い夕焼けまた明日



 うちに来てからユリは、この世界のことを少しずつ学んでいた。
 とはいえダンカン師匠も俺も半ば世捨て人みたいなもんだ。ユリほどじゃないにせよ世間のことには疎い。
 世界について学ぶというより、単に生活していく上で必要なことを教えているだけだ。
 たまにサウスフィガロへ連れてって、その時には師匠の奥さんがユリの世話を焼いてくれる。たぶん彼女にはそっちの方が役に立っているだろう。

 ユリは幸いにも学習能力が高かった。戦闘以外のことは大体できるようになったと言える。
 飯も作ってくれるし風呂の準備もしてくれるし、畑仕事もできる。
 俺たちが修行に出ている間、家事はユリの役目になっていた。
 いちいち「いつでも結婚できますね!」ってのが余計ではあるが、まあ、ああいう性格には兄貴で慣れてるからな。

 朝、目が覚めて顔を洗う。すでに食事の準備ができている。
 三人で一緒に飯を食って、山に出かける俺たちを見送り、そのあとユリはシーツを干して、畑仕事と洗い物をして、晩飯の仕度をして。
「ただいま」
「おかえり、マッシュ!」
 そして帰ってきた俺を迎えてくれる。ずっとこうだったらいいのにと思える穏やかな生活が続いていた。
 今日までは。

 そう広くもない小屋の中にユリが一人で待っていた。
「あれ、お師匠様は?」
「まだ帰ってないよ」
「おかしいな。先に戻ったはずなんだけど」
 ダンカン師匠が気まぐれに寄り道してくるのはよくあることだ。
 そういう時、大抵は熊とか猪とかを仕留めて帰ってくる。夕食の予定が狂わされてユリが慌てるのも日常茶飯事だった。

 マイペースなお師匠にユリはいつも振り回されている。
 それでも彼女は師匠のことを好いてくれているようだった。
 彼女をここに連れて来た俺としては、馴染んでくれて嬉しい限りだ。

 それはさておき、なんとなく違和感があって部屋を見回してみる。
「……」
 何だろう。べつにどこもおかしなところはないんだが。物の位置も変わっていない。しかし、出かける前とは違う気がする。
 挙動不審な俺にユリが首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや……。そうだ、なんか部屋が綺麗になってる」
「ああ、掃除しておいたからかな?」
 ここでの暮らしが落ち着いてきたから、今日は本腰入れてやったんだとユリは言う。

 掃除した? それだけか? 俺やダンカン師匠、出ていく以前はバルガスだって、一応ちゃんと掃除していたつもりなんだが。
 こんな風に部屋の空気が澄んでいたことはなかったように思う。
「俺たちがやるのとは全然違う。やっぱりユリって、女なんだな」
「えっ、それを今さら実感するの?」
 何やら考え込んでしまったユリを見て、言葉選びに失敗したなと反省する。

 師匠がいつ帰ってくるやら分からないので先に二人で食っちまうことにした。
 今日はカレーライスだ。ユリはこの世界について何も知らなかったくせに、カレーライスの作り方は知っていた。
 彼女が渡り歩いてきた世界のひとつにまったく同じ料理が存在したらしい。不思議な縁だよな。
 お陰さまで俺も、野菜多めに肉はもっと多めな美味いカレーを腹一杯まで食えるってわけだ。

 修行から戻ってすぐ、自分で用意しなくても飯にありつける。俺にとってこれに勝る喜びはなかった。
「自分以外の誰かが作った飯って、いいよな。ユリが来てくれてほんとよかったぜ」
「じゃあこのまま結婚しよう?」
 真顔でそんな冗談を言うユリに笑う。
「そんなとこ師匠に感化されなくていいって」
 師匠も何かっていうと「ユリと結婚してしまえ」とかなんとか口にする。迷惑ってわけじゃないがたまにあしらうのが面倒くさい。
 ……ユリも初めて会った時から「結婚してください」なんて口走ってたっけなあ。

 俺がカレーライスのおかわりを要求すると、慣れた手つきで飯を盛りながらユリは少し淋しそうに言った。
「私、マッシュのこと本当に好きだよ。一目惚れってあるんだって思った。初めて会った時に薔薇背負ってるのが見えたもの」
「薔薇……?」
 あの辺に薔薇なんてなかったと思うけど。幻覚だとしたら危ないな。なんで俺が薔薇なんか背負ってるんだ。

 くだらない話をしながらカレーライスを食い終わり、後片づけまで済んだのに玄関のドアは未だ開かない。
「ダンカン、帰ってこないね」
「……」
 ガキじゃあるまいし、師匠に限って心配することはないと思うが……なんだか胸騒ぎがしてドアの方へ向かう。
「ちょっとそこまで探しに、」
 行ってみるよと言いかけた瞬間、乱暴にドアが蹴り開けられた。

 このところ見かけなかった顔が現れる。
「バルガス!?」
 彼はユリを見て眉をひそめたあと、呆気にとられている俺に視線を移して皮肉げな笑みを浮かべた。
「拾われ子が女連れ込んで、いい御身分だな、マッシュよ」
「いや、こいつは……」
 そういうんじゃないって。さすが親子だけあって言うことまで似てる、なんて場違いなことを考えた。
 彼の険悪な気配には素知らぬふりをしていたかった。もちろん、そうはさせてもらえなかったけれど。

 警戒心をあらわにしているユリに手振りで下がっているよう促した。
 バルガスは俺たちを気にも留めず、家の中に入ってきた。そしてベッドの方に行くとクローゼットを漁り始める。
「何をしてるんだ?」
 いやそれよりも、今までどこにいたんだろう。なぜ急に帰ってきたのか。
 尋ねたいことはたくさんあったが、彼の態度は頑なだった。

「自分の荷物を取りに来ただけだ。文句はあるまい」
 言葉通りにダンカン師匠や俺の私物には一切手を触れず、保管されていた自分の荷物だけを鞄に詰め込むとバルガスはそれを肩にかけてまた玄関に向かった。
「バルガス! 少し待ってろよ。お師匠様もじきに帰って来るから」
 戸惑いはあったが、これが親子和解の機になれば。そう思って声をかけたら、バルガスは侮蔑の表情を浮かべて振り向いた。
「ハッ! いつまで待っても帰ってこねえよ!」
「何だって?」
「やつは俺が殺したからな」

 バルガスが何を言ったのか、うまく理解できなかった。物騒な言葉にユリも硬直している。
「何を驚く? やつは俺よりも弱かった。それだけのことだろうが」
 お師匠が易々と殺されるはずがない。しかしバルガスならば際どいところに持ち込めはするだろう。
 彼らは確かに反目し合っていた。引き留める言葉に耳を貸さずバルガスは修練小屋を去った。
 そして現実に、ダンカン師匠は未だ帰って来ない。

 反応できずにいる俺を鼻で笑い、バルガスは小屋を出て行こうとしている。
「ま、待ってくれ!」
「どけ、腑抜け野郎! 俺は俺の力だけで最強を目指すのだ!!」
 心臓が早鐘を打つ。彼の言うことなど信じたくないのに、自分でも奇妙なくらい納得している。
 ダンカン師匠は……もう帰って来ない。バルガスは真実を話している。だって彼にはそんな嘘を吐く理由がないじゃないか?

 夕焼けが辺りを真っ赤に染め上げていた。その景色の中にバルガスは消えていった。
「マッシュ……」
 名前を呼ばれてハッと振り返る。ユリが心配そうに俺を見ていた。

「ユリ、ここにいろ。俺は彼を追う」
「でも……」
「もしバルガスが戻って来ても、何もするな。あいつは戦えないやつには手出ししない」
「わ、分かった」
 お師匠様が……どうなったにせよ、バルガスの真意を問い詰めなくては。
 俺が確かめなくちゃいけない。この十年、本当の親子みたいに思って暮らしてきたんだ。

 何か言いたげにしていたユリだが、すぐにそれを飲み込んで俺の手を握った。
「気をつけてね。マッシュに何かあったら私は死ぬかもしれない」
 相変わらずの大袈裟な言葉に少しだけ力が抜けた。
「来週には行商人も来る。それまでに俺が戻らなかったらサウスフィガロについて行くといいぜ」
 だが彼女は「いやだ」と子供のように首を振る。
「それまでに戻ってきて」
「戻るつもりでいるよ。でも、もし戻れなかった時には……」
「戻ってきて。私、どこにも行かないから!」
 泣きそうな顔のユリにそれ以上のことは言えなかった。

 もしバルガスの言葉が真実だったならば。……穏便な話し合いでは終わらないだろう。
 俺も師匠もいないのにユリがここで一人で生きていくのは難しい。
「お願いだから無茶しないで」
「……分かったよ。すぐに戻る」
 なるべく急いで、こいつのところに戻ってやらないと。そう決心して走り出す。あとは振り向きもせずにバルガスの後を追った。
 だが俺は、その約束を守ることができなかった。


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