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🔖青い空に落ちていく
誰でもよかったわけじゃない。明確な一人を求めていた。
心も体もいずれ孤独に帰っていこうとする私をまるごとそのまま受け止めて、離さないでいてくれる誰かがほしい。
そんな願いを抱いて次の世界へと身を放り出した。
次に来るであろう衝撃に耐えるために身構え、目を瞑ったけれど、そんな私をなにか力強いものが支えてくれた。
「っと、大丈夫か?」
気遣わしげな声におそるおそる目を開ける。青い瞳が私を覗き込んでいた。
どくんと心臓が高鳴る。……ああ。この人だ。この人がいい。この人じゃなきゃ嫌。
「は、はい。結婚してください」
「え?」
「家事全般得意です! ダメですか?」
「いや、あの……あんまり大丈夫じゃなさそうだな」
急速に回り出す思考は止まらない。心ってこんな風にして奪われるものなんだ。
その人は抱えていた私を地面におろすと、私の言葉をさらっと無視して空を見上げた。
「どっから降ってきたんだ?」
私の背後には抜けるような青空が広がっている。
真っ当な疑問だ。彼からすれば何もない空中にいきなり私が現れたようにみえただろう。
実際、そういうことが起きたのだけれど。
「受け止めてくれてありがとうございます。私はユリ。あなたは?」
「俺はマッシュだ。麓の小屋に住んでる」
「マッシュさん、変なこと聞きますけど、ここはどこでしょうか」
「どこって……コルツ山の中腹だよ。修行のために来たってわけじゃなさそうだよなぁ。まさか迷子なのか?」
「そのようです」
私が頷いたらマッシュさんは顔を引き攣らせていた。ご尤もな反応だと思う。
この辺の景色を見る限りかなり大きな山の中。
修行のために来たわけじゃないよな、と言うくらいだから本来そういう場所なのだろう。
登山装備もなく普段着でふらりと現れた私は、まるで自殺しに来た人のようだ。
重要なのはこれから先。
マッシュさんはいい人そうだ。少なくともいきなり死の危険に晒されることはないだろう。
でも次の言葉によって呆れられ、見捨てられることも多々あるんだ。
「それでユリ、どこから来たんだ?」
「こことは違う世界からですね」
「そうなのか。帰り道は分かるか?」
えっと、まさか「そうなのか」で流されるとは思わなかった。
「あの、別の世界から来たって意味、通じてます?」
「いや全然。考えても分からないことは考えないことにしてるんでね」
普通は分からないからって流せるものじゃないと思うけれど。度量の広さが半端じゃないなぁ……素敵。
嘘つきや気狂い呼ばわりされなかったのはありがたいけれど、あまりにも淡々と受け入れられすぎて少しだけ困惑する。
「帰り道は分からないです。私よく、こんな風に知らない世界に飛んでしまうんです。今まで元いた場所に戻れたことはないし」
だからしばらくの間……“次”が起こるまでの間、この世界でなんとか暮らしていくしかない。
マッシュさんは「ふーん」と呟いて、何か納得して頷いた。
「よく分からんが、困ってるんだな。じゃあうちに来いよ」
「え、でも、マッシュさん……」
「マッシュでいいぞ」
ちょうど帰るところだったからついて来いと言われて、愕然としつつも彼の後を追う。
怪しいやつだと追い立てられたり、関わりたくないと逃げられたり、そんなのはよくあることだ。
困ってるならうちに来いよっていうのは初めてだった。
やっぱり“この人だ”と強く思う。会ったばかりなのにもう胸の奥深くに刻み込まれている。
私は彼を好きになってしまった。
「あの、マッシュ。すごくありがたい申し出なんだけど、こん……ひょええええっ!?」
こんな怪しいのを簡単に拾っちゃ駄目ですよと忠告しようとしたら、横から巨大な影が目の前に現れた。
「く、熊! 野生の熊が飛び出してきた!!」
しかもなんだか怒り狂っていらっしゃる! と思ったらマッシュが私の前に立ちはだかって、熊さんを殴り飛ばして気絶させた。す、素手で!
いつも驚いたり戸惑ったりするのは周りの人々なのに、今回はなぜだか私の方が驚かされてばかりだ。
「熊が出るんですね、この辺」
「ただの熊ならいいけどなあ。モンスターが多いから、あんまり離れるなよ?」
モンスター……怪物、化け物、巨大なもの。ということは、ここファンタジー系の世界だ。
生きていく危険度がはねあがってしまった。私にはテレポートがあるからいざって時でも死ぬことはないだろうけれど、戦闘能力は皆無に等しい。
安全地帯に入るまで何をすることもできず、道中現れるモンスターを薙ぎ倒して進むマッシュの後ろを必死でついていく。
麓に着くと簡素な見張り小屋があった。マッシュが小屋に入っていくので私も後に続く。
部屋の中では壮年の男性が暖炉に薪をくべていた。この世界も今は冬なんだ。
不思議と異世界でも季節だけは通じている。真夏の服装で真冬の世界に放り出されたりはしないんだ。
運命がくれるせめてもの情けってやつだろうか。
マッシュが「ただいま戻りました」と丁寧に声をかける。壮年の男性が振り向いて私を見つけ、目を瞠った。
「ほう! やりおるのー。まさかあのマッシュが山で嫁さんを見つけてくるとは」
「何を言ってんですか」
聞き洩らすことがないよう慎重に耳を傾ける。
意外そうにはしているけれど、彼もマッシュと同じく私に対して敵意を見せる様子はなかった。
「お義父さまですか?」
「格闘技の師匠だよ。俺は……家を出て以来ダンカン師匠の世話になってるんだ」
言われると確かに顔立ちは似ていない。ダンカン師匠はいかにも山籠り中の格闘家という風貌だ。
それに比べるとマッシュは、服装や背格好こそダンカンさんと似たようなものだけれど物腰が紳士的で優雅。
こんな山で修行に励む武闘家っていう感じじゃない。意外と育ちがいいんじゃないかと思う。
「お師匠様。ユリは帰るところがないらしいんです。泊めても構いませんか?」
マッシュに言われてダンカン師匠は躊躇なく頷いた。弟子の優しさは師匠譲りだ。
しかし、とダンカンが首を傾げた。
「何日でも泊まって構わんが、お前のベッドを使うのか?」
「えっ!?」
それはさすがに気が早くないですか。と思ったら、マッシュも当然のように「そうするつもりだ」と頷いている。
「兄弟子のベッドを使ったら怒るでしょうし。ユリ、俺と一緒でもいいよな?」
「えっ!」
いいかと聞かれたら私は、もちろん願ったりなのだけれど、心の準備がまだちょっと……!
というか、この見る限りワンルームな小屋でダンカン師匠も同じ部屋にいるのに、マッシュと同じベッドで寝るの?
頭がこんがらがってきた私を見かねてダンカンが口を挟む。
「ユリだったか。お前さん、帰るところがないんじゃろ?」
「はい……そんな感じです」
しばらく考え込むダンカンを見て、いっそのこと怪しさを理由に追い払われたいなんて本音と真逆のことを思ってしまう。
この人たちはあまりにも懐が広すぎる。優しさにつけこむような真似はしたくない。
ダンカンが顔を上げ、私からマッシュに視線を移した。
「わけありらしいが、それはお前も同じじゃ。これも運命と思って嫁にしてしまえばよかろうに。これを逃したら一生結婚できんぞ」
えっ……えっ!? 何を言ってるんだろうこの人は。私としては異論はないけれど、それにしたって唐突すぎる。
ほら、マッシュだってビックリしているし。
「ユリ、お前って女だったのか?」
「そこに驚いてたの!?」
全然気づかなかったと素直な驚きを見せるマッシュに、ちょっと泣きそうになった。
「お、男に見えましたか」
「どんな目しとるんじゃ、お前」
「え? いやだって、髪短いし、男の格好してるし」
男の格好……この世界で女性のショートヘアーやパンツスタイルはあり得ないのだろうか。
「髪伸ばしまくります……」
「ご、ごめん。悪気はなかった」
仮に男装に見えたとしても“男物の服を着た女”でしかないはずなのだけれど。なぜ男だと思われたんだろう。つらい。
とにかく、マッシュが自分のベッドでいいなんて言ったのは私を男だと思っていたからだった。女ならさすがにそれはまずいと青褪めている。
「バルガスのベッドは使えないですよね」
それが誰かは知らないけれど、他人に自分の寝具を使われるのはたぶん大抵の人が嫌だろうと思う。
けれどダンカンは肩を竦めて「構わんじゃろ」と言った。
「あやつは帰ってくるつもりなどないらしいからな」
「師匠……」
なんだかちょっと深刻な雰囲気だ。バルガス……さっきマッシュは「兄弟子」と言ってたっけ。
私が口を開こうとするのを遮るように、ダンカン師匠はガラッと表情を変えて笑った。
「さて、わしは晩飯でも捕ってくるわい。あとは若いもん二人で……ファファファ!」
「師匠!」
え、今、捕ってくるって言った? ……山を降りるまでに見たモンスターを思い出すと、この世界の食糧事情がちょっぴり怖くなった。
師匠を見送ってため息を吐きつつ、私を椅子に座らせてマッシュが紅茶を淹れてくれた。
こんなに筋骨隆々の彼が貴公子に見えるのは私の目にフィルターがかかっているのか、それとも彼自身の育ちがいいせいなのか。
「バルガスってのは師匠の息子さんで、俺の兄弟子だ。ここしばらく帰って来なくてな」
「家出ですか?」
「もうちょっと深刻だ。何年も、師匠と対立してたから」
なんだか複雑な事情があるところに転がり込んでしまったみたいで恐縮する。
「私、邪魔ですよね。人がいる場所に行けばあとは自分でなんとかできるので、町がある方向だけ教えてもらえませんか?」
「なんとかって、町に行っても家まで帰る方法は分からないんだろ」
「家と呼べる場所は元々ないんです。こうやっていろんなところを転々としてたから。でも、どうせまたすぐ他の場所に飛んじゃうと思うし……」
居場所を確保する必要なんてない。町に行けば日雇いの仕事でもしてなんとなく過ごしてるうちに、またきっと……。
またきっと、別の世界へ行くことになる。そしてマッシュともお別れだ。そう思ったら酷く胸が痛んだ。
こんなのは初めてだ。
いつどんな世界に飛ばされたって、どういう人たちと出会ったって、それは束の間のことだと分かっていたから。
別れるのが前提の出会いだから、離れがたいなんて思わなかったのに。
根の素直さがあらわれている青の瞳が私をまっすぐに見つめた。
「ユリ、武器は持ってるのか?」
「え? あ……」
そういえばここにはモンスターがいるんだった。町の場所を教えてもらっても一人で行くのは難しいかもしれない。
でも、これ以上この人たちに迷惑をかけるのは嫌だな。
「逃げ足には自信があるので、大丈夫ですよ」
私がそう言うと、マッシュは渋い顔で考え込む。
「町の方がいいなら送ってやるけどさ。遠慮するなよ。家に帰れなくて行く宛もなく……俺もそうやって拾われたんだ。もう一人くらい面倒見る余裕はあるぜ」
そんなの、また知らないところへ行くよりここの方がいいに決まってる。
だけど……この優しさを受け取ってしまったら、離れるのが辛くなりそうで……それだけが怖かった。
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