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🔖おかわり人生



 バロン王妃御懐妊! ……の噂を聞いてからどれくらい経っただろうか。このところ時間の感覚がおかしくなっている気がしてちょっと不安だ。
 十月十日が経過して二人の息子セオドアが生まれて大きくなって、彼が赤い翼に入隊する頃に“月の帰還”が始まる。
 気を引き締めておかなければいけない。下手を打ったら皆が敵の手に落ちてしまうかもしれないのだ。絶対に、そんな目には遭わせない。

 今日も今日とて自棄酒のごとくソーマのしずくを飲み干して、一応まだ未成年なのに段々とお酒に強くなっていく自分に疑問を感じつつ。
 晩御飯は何を作ろうかなと台所に立ったところで私を訪ねてきたのは多忙のはずのバロン王、セシルだった。しかもその用件がおかしい。
「ユリ、うちに来て晩御飯を作ってくれないかい?」

 えっと……うちってもちろんバロン城のことですよね? お城の調理場ってバブイルと違ってシステムキッチンじゃないから使いにくいんだよね。
 ってそういう問題じゃない、王城に招かれて王妃様の御食事を用意するなんて畏れ多いにもほどがあるでしょ。しかも今の私はちょっと酔ってるのですが。
「な、なんで私が?」
「ローザが、ユリの作ったカレーライスじゃなきゃ食べたくないって言うんだ」
「ええ?」
 カレーかぁ。いいな。今日の晩御飯はカレーライスにしようかな。それならついでに作ってもいいし。でもローザは甘口好みだからなぁ。

「えっと、うちで作って持っていくんでもいいですか」
「ああ、そうだな。自分の家の方がやりやすいよね?」
 というかお城でカレーを作るという行為の難易度が高すぎるだけでもあります。

 それじゃあとりあえず材料を確認するかと台所に向かいかけた私の背中にセシルは「あ、そうそう」と声をかけてくる。
「辛口にしてほしいらしいんだ。僕が好きなくらいに」
「あれ、ローザって辛いカレー苦手ですよね?」
「そうだったはずなんだけどね……」
 腑に落ちない風に首を傾げつつ、最近ちょっと好みが変わってきてるみたいだとセシルは言った。
 妊婦さんが酸っぱいものを食べたくなるとは聞いたことあるけれど、辛いカレーが食べたいってのは初耳だ。

 セシルは甘党だ。でもカレーは辛口好みだ。「ごはんが甘いのはなんとなく嫌」という理由らしい。
 そしてゴルベーザさんの体にいた時の私も同様だったので、辛いカレー好きは月の民の血筋なのかもしれない。
 もしかしてローザはセシルを愛するあまり肉体を作り替え、食の嗜好まで彼に合わせようとしているのだろうか。まさかね。

 言われるままに辛口カレーライスを作り、皿に取り分ける。私は豚肉のカレーが好きなんだけど、こっちの世界ではあまり豚を食べないのでチキンカレーだ。
 たぶんポーキーという魔法の存在が豚肉に忌避感を与えているのだろうなと思いつつ、カレー皿を手にバロン城へと転移する。
 ソーマのしずくが残ってるせいかテレポでちょっと気持ち悪くなった。

「でも妊娠中にカレーとか大丈夫なんでしょうか? あんまり体に良さそうじゃないですけど」
「刺激物なので悪阻が始まってからは避けるのが無難だな。だが今の時期なら食べすぎなければ大丈夫だろう。むしろ辛いものは食欲増進効果に期待できる」
 なぜか一緒についてきたルビカンテさんが思いのほか詳しく解説してくれた。詳しすぎてちょっと引くレベルだ。
 ローザの妊娠が発覚してからよくバロンに来てるんだよね。何なんだろう?

「そういえば、辛いものを食べると手足が冷えなくていいって言ってたな。それもカレーが食べたい原因のひとつなのかな?」
「ああ、妊娠中は体温が上昇するので下半身の冷えに気づきにくいそうだ。香辛料は発汗を促す効果があるので、適度にカレーを食べるのはいいかもしれない」
「なるほど、勉強になるよ」
 確かに勉強にはなるんですけど、この会話をしてるのがルビカンテさんとセシルだっていうのに凄まじい違和感がある。何なの。

「妊婦の嗜好は腹の中の子に影響されるという。お前たちの子供は辛いものを好むのかもしれないな」
 それを聞いてセシルはなんだか嬉しそうだった。生まれてくる子供について想像するのが楽しいらしい。それはとても微笑ましいのだけれども。
「ルビカンテさん、なんでそんなこと知ってるんですか」
「調べた」
 遂に耐えきれなくなって聞いてみたら即答が返ってきた。調べたって……まさかのイクメン志望なんですか?

 というか度々ローザの様子を見に来てたのってもしかしてもしかしなくても私たちの時の予習だったんですか。
 思いがけない事実の判明に顔が赤くなりそうになって、慌ててローザの部屋へ駆け込んだ。

 以前の彼女なら苦手だったであろう辛口カレーを食べながらローザは「子供の嗜好があらわれてるのかもしれない」ってセシルの話を真剣に聞いている。
「それはあるかもしれないわ。最近すごく辛いものが欲しくて……この子が辛いもの好きなのね」
 本当はもっと辛い方がいいくらいなんだけどと言いつつローザはすごい勢いでカレーを食べている。
 ……辛口とはいえちょっと控え目にしてるんだよね。食欲増進や新陳代謝の活性化はいいけど、やっぱり胃が荒れたりしたら困るし。
 それでも念願のカレーライスを口にしてローザは嬉しそうだ。満面の笑みでお礼を言われて私も嬉しいし、セシルもニコニコしている。

 ニコニコしつつ、さらっと爆弾を投下してきた。
「生まれたらユリにはバロンに住んでもらおうかな」
「えっ?」
「そうね。きっとこの子はユリのカレーが大好きだろうし、あなたが城にいてくれたら……」
 いや、私はセオドア君(仮)にカレーライス食べさせるためだけにバロンに住む気はまったくないんですけど。
 名案だとはしゃぐ夫妻を見下ろしつつルビカンテさんの顔がなんとなしに引き攣っていた。ああ、さっきまで微笑ましそうに見守っていたのに。

 もう私を我が子専属のカレー職人にする気満々のローザとセシルは更に思考がブッ飛んでしまったようだ。
「ユリ、男の子が生まれたらお嫁さんに来ない?」
「駄目だ」
「それはいいね、ユリなら安心だ」
「魔物を王宮に入れてどこが安心なんだ?」
「お嫁さんになれば綺麗なドレスを着られるわよ」
「そんなものでユリを釣るな!」
「僕らの娘になるんだし、国中総出で素敵な式を挙げるよ」
「お前たち、いい加減に……」

 当人である私をそっちのけで至極まともなツッコミを入れていくルビカンテさんだけれど、続くローザの言葉には絶句してしまった。
「ルビカンテとじゃ恋人にはなれても結婚できないわよ?」
「……!」
 まあウェディングドレスは確かに憧れるけれど、私も魔物なので人間との結婚はちょっとね。しかもセオドア君は王子様になるわけだし。
 かつて魔物が王様に成り代わってた国の王子の嫁に魔物を選ぶのはどうかと思います。

 それにシステム的な意味での“結婚”ができなくても私はルビカンテさんと一緒にいられれば満足なんだ。
 結婚式をしたいがために他の人と結ばれるなんてあり得ない。

 きっと新婚夫婦にありがちな「結婚っていいものよ、あなたも早くしなさいよ」状態なんだろうなぁ。
 リディアは幻界での結婚しろ&家庭を作れ攻撃に辟易していたみたいだけれど、実際に自分が標的になってみると、なんというか生暖かい気持ちになる。

 結婚できない発言で固まるルビカンテさんをよそに、ローザはなおも私の説得にかかる。
「もし息子が生まれたら、私の着たドレスはユリにあげるわ」
「いやいや、テンション上がりすぎです落ち着いて。そういうのは息子の嫁にあげるべきです」
「あなたがお嫁さんに来てくれればいいじゃない?」
「ドレスは憧れますけど相手がルビカンテさんじゃなきゃ着ても意味ないので」
 それより一時の感情で大事なドレスを他人にあげてはいけません、というつもりで言ったのだけれど。

「ユリ……」
 ルビカンテさんの熱い視線と、セシルとローザの「あらあらうふふ」な笑顔で自分の発言の恥ずかしさに気づいた。
「あ、えっと、だ、だから、お気持ちだけありがたく」
 頬から湯気が出そうな気がする。なんであんなことさらっと言っちゃったんだろう!
「ユリはルビカンテが大好きなのね……」
「もったいない気もするけど、本人の気持ちが一番大事だ」
「か、か、カレーも食べ終わったことだし私たちもう帰りますねっ!」
 明日はもっと辛口で作って欲しいというリクエストはスルーしてさっさとバブイルに帰ることにした。

 ああもうホントに、のろけを聞かされるのはいいけれど自分の恋愛感情が駄々漏れになるのだけはどうも苦手だ。
 ルビカンテさん以外のためにドレスなんて着たくないとか、そ、それは、本音だけど、本音だからこそ誰にも言うつもりなんてなかったのに。
 あの二人のラブラブオーラにあてられてついポロッと出てしまったに違いない。

 もうバロンにはしばらく行かない! という思いを籠めてカレー皿をがしがし洗っていたら、ルビカンテさんに後ろから抱き締められた。顔が見られない。
「ユリ、明日もバロンへ行くのか?」
「い、行かないです。たまにならいいけど、そんなカレーばっかり食べてたらセオドア君が黄色くなっちゃいますよ」
「そうか」
 振り向く勇気がないのでルビカンテさんがどんな表情をしてるのかは分からないけど、声音からして喜色満面って感じだった。

「あの二人の強引さからして息子が生まれては危険かとも思ったが、無用の心配だったな」
「……」
「思っていた以上にお前は私のことが大好きらしい」
 そんな客観的かつ冷静に言わないでください。あー、もう忘れてほしい……絶対に忘れてくれなそうだけれど。
 今夜はまた自棄酒ならぬ自棄ソーマのしずくだな……。うん、出かける前から酔っ払ってたんだから仕方ない。そういうことにしてしまおう。


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