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🔖摩天楼ミュージアム
有耶無耶のうちに私の部屋はルビカンテさんと共有になったけれど、地底に引き込もっていたら息が詰まるのでたまに高層部を歩き回る。
そうしてバルバリシアさんと配下が暮らす上階の窓から外を眺めて思うのは、高所恐怖症じゃなくてよかった、ってことだ。
高所が平気なゴルベーザさんの肉体にいた影響もあるんだろう。
こちらに来る以前の、常人としての私だったら空に近い場所での暮らしは相当辛かったと思う。
肉体まで魔物として生まれ変わった今となっては心境にも変化があって……遥か眼下に地面が霞む、このバブイルの塔の人知を越えた高さを心地よく感じる。
人がゴミのようだ! って気持ち。高いところから地を這う世界を見下ろすのはとても爽快なんだよね。
それもなんていうか、人間的で健全な解放感じゃなくて魔物的な意味で邪悪な優越感を抱いてしまう景色なのだった。
こんな風に世界を見下ろしていたら、月の民が「私たちは青き星の民より優れている種族である」なんて傲慢な考えに至っても無理はないのかもしれない。
バブイルのてっぺん近くは、人間が住むべきじゃない高さにある。まるで世界の支配者になったみたいな錯覚を起こしてしまう。神の視点だ。
ここにはバルバリシアさんのような、他人を支配しようなんて思いもしない存在こそが住んでいるべきなのだと改めて実感した。
もしかしたら、かつてゴルベーザさんがゾットの塔をバルバリシアさんに守護させていたのも似たようなことを感じたからなのかもしれない。
運動がてら下層まで歩いて降りることにする。
向こうの世界の高層ビルくらいの高さになると、窓から見える景色も人間レベルになってきて心が落ち着く。
ただ、この世界には高層ビルというものがそもそも存在しないので、開けきった視界はやっぱりどこか神の視点を思わせた。
近くに見えるエブラーナの町並みも、ここから見下ろすと苔でも生えてるみたいだ。
せっかく天空にも届くバブイルの塔に住んでても、夜景とかべつにきれいじゃないのが少しもったいないな。
単なる闇しか見えないんだ。こっちの世界の夜は暗い。だから、高層階に住む利点は特にない。
自室を地底部に移されて私が文句を言わなかったのはそのためでもあった。
ちなみに水属性を持つ私が最も居心地よく感じるのは、カイナッツォさんが支配する地上1階〜10階くらいまでのフロアだ。
スカルミリョーネさんたちが住む地底のアンデッド部屋から毒とか瘴気とかが上がってきてるので、普通の人間には住めない場所になっているけれど。
このバブイルの塔、四天王を分散して配置したおかげで各階層に属性が付与されつつある。うまく育てたらダンジョン経営もできちゃうかもしれない。
やらないけど。今はともかく数百年後にラスボスの根城みたいな扱いをされたら困るもの。
四天王には悪いけれど、数十年単位くらいで居住区を入れ換えてもらうことにしよう。
もうダンジョンなんて必要ないし、無用の争いを避けるためにはバブイルの塔もできるだけ人間に対して友好的な構造にしておかなくては。
地上1階まで降りてくると、エントランスホールでカイナッツォさんが寝ていた。
いくら来客がないからって無頓着すぎる……。確かに塔で一番広いスペースではあるんだけど玄関で寛がないでほしい。
「あんまり居心地よすぎるのも問題ですよね」
ルビカンテさんやバルバリシアさんは自分で勝手に好奇心の矛先を見つけて遊びに行く。
でもカイナッツォさんとスカルミリョーネさんは基本的にバブイルに引き込もっている。
まあ、スカルミリョーネさんはアンデッドを作ったり人間の魔法について調べたりしてるからいいとしよう。
カイナッツォさんは、完全に怠けている。このままではニート一直線だ。
「ゾットの塔って、今どうなってますか?」
あれを勝手に再建できる人はこの地上にいないとしても、せめて残骸を回収しておくべきかと今更ながら思う。
バブイルはもちろん、ゾットの塔も残骸とはいえ月の民が築き上げた叡智の結晶だ。攻撃的な設備も搭載しているし、悪用されたら困る。
私の質問にカイナッツォさんは寝ぼけ眼のまま興味なさげな顔で答えた。
「あー、どうなってるも何も、メテオでぶっ壊れて海中に没したままだろ」
「あれが落ちたのはトロイアの北でしたっけ」
「今頃は魚の住み処にでもなってるんじゃねえか?」
一応、崩壊することは分かっていたので人のいないところへ移動はさせておいたのだ。
海底に沈んでいるのならゾットの残骸が人類に悪用される恐れは、少なくとも数百年先くらいまではないだろう。
でも私、あの残骸の使い道を思いついてしまった。
こうなると海に落とすんじゃなくて封印の結界でも張って陸地に墜落させておけばよかった。
「よし、ゾットの塔をサルベージしましょう」
仕事をさせられる嫌な予感がしたのか、カイナッツォさんはパチリと目を覚ました。
「何が『よし』だ。あんなもん引き揚げてどうすんだよ」
「水属性だからカイナッツォさんならできますよね?」
「どんな理屈だ! てめえだって水属性だろうが」
いや、私は水の気配を心地よく感じたり魔法で水を作り出したりが精々で、海の中で水を自在に操って塔の残骸をサルベージできるほどには習熟していない。
たぶんカイナッツォさんなら海中に没したゾットの塔を引き揚げてここに持ってくるくらい簡単にできるだろう。
なんたって水の四天王を名乗ってるんだから。
「カイナッツォさんにできないならリヴァイアサンに頼んでくれてもいいですよ。自分でやるか幻獣王に頭を下げるか、好きな方を選んでください」
「……」
すこぶる不機嫌そうにしつつ、もう一つの選択肢がよほど嫌なのかカイナッツォさんはため息を吐いてサルベージ作業に了承した。
「しかし何に使うってんだ、ゾットの残骸なんか」
「うーん。使えるかは分からないけど、ゴルベーザさんが帰った時に役立てようかと」
正確に言うと直接ゴルベーザさん自身の役に立つわけでも彼の助けになるわけでもないけれど、月の帰還で起こる惨事に対する防衛策として役立つはずだ。
というわけで次はルゲイエさんのところに向かう。せっかく降りてきた階段をまた上がっていく。
さすがに足が疲れたので帰りはテレポで部屋に帰ろう、と思ったらどこからともなくルビカンテさんが現れて足腰に回復魔法をかけてくれた。
「私が監督せずとも自主鍛練に励むとは偉いな、ユリ」
「いやー、それほどでも……」
自主鍛練じゃなくてただの散歩だから疲れたらやめる予定だったのに、鍛練の鬼、じゃなくてルビカンテさんが見張ってたらテレポ使えないじゃないですか。
全自動みかんの筋取り機の開発に勤しんでいたルゲイエさんは、手を止めないまま私の説明を聞き流していた。
ちゃんと聞いてくれないと研究開発資金を渡してあげないぞ。
「そういうわけで、カイナッツォさんがサルベージしてきたゾットの塔を修復してもう一度飛べるようにしてください」
拠点ならバブイルの塔があるのでゾットの中身は修復しなくていい。
でも瓦礫を落としながら飛び回ると危ないから、外壁の補修だけはきちんと済ませた方がいいだろう。
ルゲイエさんは、筋を取ろうとして果実ごと潰してしまった全自動みかんの筋取り機にみかん汁をぶっかけられながら私の方を振り向いた。
「しかし飛翔のクリスタルは修復できんぞ。土のクリスタルでも奪って改造するなら話は別じゃがな」
「いやダメですよ」
奪うならせめて海中に封印されてる魔導船のクリスタルを……なんて気軽に言ったら本当に実行されそうだな。
たぶん“月の帰還”というくらいだから、あの魔導船にもまだ出番はある。肝心な時に飛べなかったらゴルベーザさんが困ってしまう。
「えーと、塔を飛ばすための代替エネルギーがあればいいんですよね。じゃあ魔力の貯蔵庫みたいなものは作れませんか?」
「ふむ。それなら可能じゃが、クリスタルに匹敵するエネルギーを貯めようと思えば数年はかかるであろうな」
「十年内に飛べれば大丈夫なので、私の魔力を注ぎます」
毎日貯めれば十年後にはかなりの量になってるはずだ。それで塔を浮かせればいい。
「あとバブイルの地下に作ってたような巨大砲もつけてください。一定以上の質量を持つ物体にのみ反応して自動的に照準を合わせて発射できるように設定して」
「何だと? 無茶苦茶なことを簡単に言うでないわ!」
「でもルゲイエさんならできますよね?」
「ぬぐっ……」
沈黙は肯定と受け取ります。四天王といいルゲイエさんといい、プライドが高い人は煽られると断れないから大変だなと思う。
「あ、修復の材料には巨人の残骸を使ってくださいね」
平原に山と積み重なっててすこぶる邪魔だし、モンスターが集まるのでエブラーナの人たちからクレームも来ている。ついでに処理してしまおう。
それにしてもあの巨体、どこにしまってあったんだろう。
月に保管してあったわけでもないみたいだし、次元エレベーターからどこかに繋がってるのかな。
さて、カイナッツォさんが配下を連れてトロイア北側の海に潜り、引き揚げられたゾットの残骸を私がバブイル付近の平原に転送するという作業が始まった。
それをルゲイエさんが修復し、巨人の残骸を片づけつつ新しい塔を作り上げる。
「これがユリの思いついた隕石対策か?」
かつての拠点を見上げて尋ねるルビカンテさんに、私も視線をゾットの塔に向けたままで頷いた。
「はい。世界中に降り注ぐ隕石をバリアで防ぐのは難しいし、墜ちる前に迎撃してしまおうかなって」
「巨大砲の自動射撃で破壊するのだな」
「単純に撃ち落とすと破片が散って危ないので、消そうと思います」
「消す、とは?」
たとえばファイアの魔法は炎を生み出して対象を燃やすもの、ブリザドは凍らせるもの、サンダーは感電させるもの。基本的にはそんな感じだ。
でもちょっと応用すれば、ファイアボールやサンダーアローといったように矢もしくは弾丸として魔法を射出することもできる。
それはもちろん攻撃魔法以外にも使える発動方法だ。
「たとえばこんな風に……」
手頃な対象がなかったので、落ちていた石ころを拾って宙に放り投げる。それに向かってデジョンを唱えた。
掲げた私の右手から弾丸のように飛び出した次元の歪みが石ころに取りつき、その存在ごと飲み込んで消滅する。
「デジョン弾ってところですね」
「なるほど。巨大砲からデジョンを射出し、隕石を消滅させてしまうわけか」
月の帰還が始まって、来るべき瞬間に私や四天王が隕石に対処する余裕があるかどうかは分からないし。
ゾットの塔をもう一度飛ばしてそこに自動砲台を積んでおけば、隕石群については放置できる。
「始めからゾットの塔を使うつもりだったのか?」
「え? いえ、最初はバブイルの塔から撃とうと思ってたんですけど、ゾットの残骸があるならもったいないから使おうかなって」
バブイルに攻撃的な機能を備えて他国を刺激するのが嫌だったというのも、もちろんある。ゾットの塔なら用済み後は無力化して地上に降ろせばいい。
「もったいない、か」
私の言い様にルビカンテさんが苦笑する。うぅ、貧乏臭いとか思われたのだろうか。壊れた物を直して使おうって感覚は魔物には分かりにくいかもしれない。
「役目を終えて墜落したゾットのことなど思い返しはしなかった。まさか“残骸”を利用するとはな。人間の思考は、やはり侮れない」
「消えていくだけのものなんて、ないと思いますよ。どんな物でも」
生まれた日から積み重ねてきた記憶が今の人格を形成しているように、今はもう価値がなくなってしまったように見える物でもまだ役立てることができる。
……空を飛ぶゾットの塔が注目を集めれば、バブイルに魔物が住んでる事実も見逃されるんじゃないか、なんて密かな目論見もあるんだけどね。
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