🔖恋人のいる時間
昼食の後片づけをしているユリに「エブラーナに行ってくる」と声をかけると、彼女は驚きに目を見開いて私を振り向いた。
「またですか!?」
「ああ。何か問題でも?」
「も、問題は……ないですけど」
なぜか口籠る。少し疲れているから今日は鍛練も休むと言っていた。だから私に用はないはずだが、どうしたのだろうか。
「ルビカンテさん、最近エブラーナに行きすぎでは……」
「そうかな?」
「また何か頼まれてるんですか」
「いや、そういうわけではないよ」
確かに私は近頃エブラーナに入り浸っている。
というのもエッジがダムシアンでの仕事に励んでおり、国を留守にすることが多いせいだ。
ミストを援助する資金稼ぎらしいが、武者修行にもなっているようでエッジのみならず側近も少しずつ育っている。だからそれ自体は構わない。
しかし、お陰で彼がバブイルの塔に決闘をしに来る頻度が減って私は暇を持て余しているのだ。
このままではセシル辺りにちょっかいをかけに行きそうになる。しかし彼と気軽に戦うことはユリにも禁じられている。「王様に喧嘩売ってはダメ」だそうだ。
……私の記憶が正しければ、エッジもエブラーナの国王になっていたようだが。
ともかく退屈しのぎにエブラーナが腐っていないか様子を見に行く。そして兵士たちが順当に成長しているのを確認する。
それくらいしかすることがないのだ。
ユリは心なしか不機嫌な様子で皿洗いを急ぎ始めた。
「……私も行く」
「では一緒に行こうか」
結局、彼女が片づけを終えるのを待って共にエブラーナへとテレポすることになった。
さすがに魔物の身で町中を歩くわけにもいかず、人目のない天守閣の屋根へと転移する。
エブラーナでは先達て私の急襲により王と王妃が攫われたことを反省し、魔法に対する備えを始めている。
具体的には、城壁や天守閣の修復した部分に火を防ぐ素材を用いてその上から防御魔法がかけられているのだが……しかし、まだまだ足りないな。
城の防備を固めても敵に裏をかかれては対抗できないだろう。私やバルバリシアのやり方に対しては辛うじて応戦できる、といったところか。
たとえばカイナッツォのように変身や洗脳を用いて天守閣に潜り込まれてしまうと対処法がない。
アンデッドを用いた憑依作戦を持つスカルミリョーネも同様だ。
現に今こうして私とユリの侵入を許している。ここから火を放てば城下町ごと破壊するなど造作もない。
「まったく、警戒心が足りないな」
バブイルの塔とてバリアを張っている時は術者の許可なくば何人たりとも中に入れないようになっている。せめてあのシステムを取り入れるべきだ。
人間は交流というものを必要としているので一切の侵入を禁ずるのは難しいだろうが、魔物を感知して存在を弾く程度の対策は立てておかなければな。
忍術は独特の技であり使い手によっては魔法並みの脅威がある。
しかし守りの面ではどうしても劣っている。つくづく、攻撃に特化した民族だ。そこが好ましくもあるのだが。
今後は私にも容易に落とせぬ強き国となってほしい。そうなれるよう願っている。
そういえば、ゴルベーザ様からの手紙によると“月の帰還”ではこの青き星に隕石が降り注ぎ、各地で魔物が暴走するという話であった。
エブラーナ近辺のモンスターはなかなかに強い。あれらがまた城に入り込んできては困るだろう。
特に町が壊れると、また修復に時間を取られ、修行が疎かになる。
隕石についてはユリが策を考えているようなので、彼女の負担を減らすためにも私はモンスターの対処をしてやろう。
町に結界を張り魔物の侵入を阻む。そして建物が燃えぬよう火の守りも施しておくことにする。他の属性には無防備だが、それに関してはどうしようもない。
私が町の周辺に魔方陣を仕掛けて長期的な結界を張り巡らせると、横でそれを見ていたユリは退屈したのか拗ねてしまった。
「そこまでしてあげなくてもいいと思うんですけど」
「以前はあまりに容易く蹂躙できてしまったからな。少しは手強くなってもらわなければ困る」
国の寿命が延びればそこに住む人間も強くなるだろう。そう教えてくれたのは他ならぬユリなのだが。
町中へのモンスターの侵入についてもそうだ。私は常に魔物の脅威に晒され戦い続ける方が人間も強くなるだろうと思っていたのだが、それは誤りだそうだ。
どれほど修行を積んでも単純な武力や魔力ではすぐに個人の限界を迎えてしまうのが人間というもの。
彼ら最大の強味は後世に受け継がれ、進化してゆく技術の力。長い時をかけて培われた知識、研ぎ澄まされた技だ。国が富むほど人間は強くなる。
魔物の脅威に晒されぬ安全な場所に拠点を置くことで、人間は技術を磨き、より強い武器を作り出し、より優れた人物を育んでゆくというのだ。
ならばいずれその丁寧に育て上げられた強者と戦うために、私も彼らの巣を守ってやらねばと思う。
しばらく私の隣で結界の様子を見ていたユリだが、やがて飽きたのかそっぽを向いて呟いた。
「……帰ろっと」
「もう帰るのか?」
てっきり用があってついて来たのだと思っていたが、特に町へ降りたがる様子もない。
もしかすると彼女も月の帰還のことを憂えて私に結界を張らせたかったのかと考える。なんだかんだとユリは人間に甘いからな。
ほとんどを魔物として取り込んだミストの住民はともかくとして、ダムシアンやファブールで多くの人間を殺したことは未だ気にしている節がある。
ユリ自身が魔物の肉体となったことで幾分かは安定したようだが、なるべくなら人間を死なせぬ方が彼女にとってもいいのだろう。
私が人間を殺すことに消極的になれば喜ぶかと思ったが、今日のユリは不機嫌だった。帰ると言いつつ不貞腐れた顔でエブラーナの町並みを眺めている。
「帰るんじゃなかったのか」
「……帰ってほしいんですか?」
「そうは言っていない」
普段なら私の言葉をそのように皮肉っぽく受けとることはないというのに。怒っている時以外は。……まさか、怒っているのか?
「ルビカンテさんは帰らないんですか?」
「もう少し結界の様子を見てから帰るよ」
敵の侵入を警戒するあまり強化しすぎて人間が住めなくなっても困る。微調整が必要だ。
……しかし、ユリの様子がおかしくて気が散っていた。
少なくとも昼食までは上機嫌だったはずだ。その片づけをしている間も穏やかに過ごしていた。
エブラーナに行くと言った時も挙動不審ではあったが、まだそこまで不機嫌とは言えなかった。
私が城の防備と町の様子を観察し、結界を張り始めた辺りから段々と苛立ちを募らせていたようにも思える。
しかしユリは見ていただけだ。何もしていない。
「一体お前は何を怒っているんだ」
「お、怒ってなんか……」
彼女の様子が気になるあまり、うっかり天守閣の屋根に火をつけてしまった。慌てたユリが水を呼び出して事なきを得る。
しかしやはり城の守りの薄さが露呈したな。まったく頼りない。もっと火に強くしてもらわねば、私には簡単に国ごと焼き払えてしまうぞ。
そしてその仕事を行う職人を育てるためにも町は安全でなければならないわけだ。ユリの考え方、人間らしい思考というものを少しずつ理解している。
「私は何か機嫌を損ねるようなことをしただろうか?」
町を眺め、他の強化方法を考えながら尋ねるとユリはいよいよ怒りを強めたようだ。
「……べつに。なんにもしてません!」
そんな風に唇を尖らせたら勢い余って口づけたくなってしまうじゃないかと思いつつ、その柔らかい唇をつまんで引っ張った。
「むにひゅるんれふかー!?」
これ以上のことができないのだからあまり誘うような顔を見せないでほしいものだ。
「いつまで拗ねているんだ? まるで親に構ってもらえない子供のようだぞ」
私が苦笑するとユリはなぜか顔を真っ赤にして俯いた。エブラーナの町を睨みつつ、小声で囁く。
「……せっかくエッジさんをダムシアンに誘導したのに」
「うん?」
「せっかく一緒にいるのに、ルビカンテさんがエブラーナのことばっかり気にしてるから!」
「……」
そうか。親に構ってもらえない子供……まさしく、だったな。
「私に構ってほしかったのか」
「そっ、う、うぅー……そうです。あんまり放置しないでください」
「それは悪かった」
やっぱり今日も鍛練をすると言う彼女に笑い、二人揃って地底に転移する。疲れているらしいので少しばかり手加減してやるとしよう。
エブラーナの守りを固める手伝いは一先ず中止だ。彼ら自身に任せることにした。相手を信頼し、時に突き放して見守ってやるのも大切だろう。
それに、どうやら私にはもっと大事な時間が待っているようだ。
← 71/112 →