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🔖愛はただ乱調にある



 少し目を離している間にユリは随分と力をつけたようだ。
 相当な鍛練に勤しんだのだろう。さすがにまだ戦力差がありすぎ私と戦うことはできないが、稽古くらいはつけてやれそうだった。
 何より魔力を抑えずとも触れられるようになったのをありがたく思う。
 彼女に触れているとどうしても気が緩むのだが、これでうっかり傷を負わせるのではないかという心配をしなくて済む。

 エッジたちがこれくらい素早く成長してくれれば私としても戦い甲斐があるのだが、どうやらそちらは気長に待つしかなさそうだ。
 それでもユリがいるならば退屈せず彼らの成長を待つことができるだろう。
 人間というものは時に驚くべき反撃をしてきて面白い。だが、こうして見るとやはりそばに置くべきは同じ魔物であろうと感じた。
 魔物と人間とでは生きている時間が違うのだ。

 ユリは今、チョコレートクッキーなるものを作ろうとしている。留守の隙をついてエッジに奪われたものの代わりを作るよう私が頼んだのだ。
 彼女のいた世界ではバレンタインという祭日に作る菓子らしいが、なぜか言葉を濁されたので詳しいことは分からない。
 彼女曰く、どうせあちらとは暦が違うので深い意味はない、らしい。つまり実際には何かしらの意味を持つ贈り物ということだな。

 何にせよ他の者たちが皆もらったものを私だけ食い損ねるのは非常に腹立たしい。
 そういうわけで、彼女がそのチョコレートクッキーとやらを作るのをじっと見守っている。どうやら生地は捏ね終わり、あとは焼くだけのようだ。
 人間の調理器具は火力が足りなくて好きになれない。火が強ければいいというものではないと分かっているが、つい自分の魔法でやってしまいたくなる。
 しかし今回ばかりはユリが私のために焼いたという事実が重要となるため手出しはするまい。

 クッキーが焼き上がるのを待つ間、ユリはぼんやりと本を眺めて時間を潰している。
 確かあれは結婚に際して私物を処分するためといってローザが寄越したものだ。
 娯楽に限らず生活用品などユリの私物のほとんどはローザからの贈り物で賄われている。
 そのことに感謝する気持ちもあるが、どちらかといえば腹立たしく思うのが正直なところだった。

 カイナッツォの配下が人間の通貨を手に入れてくるので、近々バロンに頼ることもなくなるだろう。
 ユリの身の回りのことも、いずれお帰りになるゴルベーザ様のことも、我々だけで守ってゆける。
 そう自分を納得させていたところ、ユリが不意に顔を上げて問いかけてきた。
「ルビカンテさんって、人間だった時に結婚とかしてたんですか?」
 ……結婚? 記憶にないな。ということは、していないのだろう。
「強くなることしか頭になかったからな」
「ですよね」
 なぜ肩を落とすのだろうか。

 彼女の読んでいるのは結婚に関する本なのかとタイトルを覗き込むが、白魔法の魔術書であり無関係だった。ではどこからそんな話が出てきたんだ?
「じゃあ、私が結婚できるか心配になったりしますか?」
「誰とだ」
「相手は決まってないですけど、私が将来的にちゃんと嫁に行けるか心配したり、」
「そんな心配をする必要はない」
「……です……よね」
 だから、なぜ致命傷を負ったような顔をするんだ。

 私がユリを結婚させたい理由などあろうはずもない。確かに人間ならば種の存続と繁栄のために必要だろうが、ユリは魔物なのだから。
 しかし心は人間なのだった。その事実をどうも忘れてしまいがちだ。というよりも重要なことだと意識できずにいる。
 また同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。彼女は人間の娘として、今の質問を寄越したのだ。つまり……。

「まさか結婚したいのか?」
 そう尋ねてみると、ユリは読んでいた本を閉じて真剣に考え込んだ。
「うーん。今したいかって言われると相手もいないし、まだ興味ないけど……一生できないかもってなると、ちょっと悲しいですね」
 結婚なんてものは人間だけの文化だぞ。魔物にそんな習慣はない。つまり結婚したいということは、人間の男と番になりたいと言うも同然だ。
「だが、お前は魔物だろう。偏見を持たない人間はいても、結婚しようなどという奇特な者はおるまい」
 居てたまるかと吐き捨てる。すると彼女は泣きそうな顔で私を見上げてきた。

 涙の滲む瞳で見据えられると胸に太い杭でも打ち込まれたかのような痛みが走る。
「そんな顔をするな。わざわざ結婚などしなくてもユリには我々がいる。いずれゴルベーザ様もお帰りになるだろう。何が不足なんだ?」
「それとこれとは別です……」
 結婚、結婚か。遠く霞む記憶を漁ってみても何一つ見えない。それは一体、何のために行うものだったか。子孫を増やすだけならば結婚など必要ない。

 そういえばセシルとローザが結婚したのだったな。その影響でも受けたのか?
 故郷と離れて淋しいのか。元の世界にいる家族が恋しいのか。それゆえに人のぬくもりを求めている可能性はある。
 そうだ。結婚とは家族を増やすために行う儀式だった。そして家族とは、人間が無償の愛を捧げるものだ。

「結婚する……相手が欲しい、という意味か?」
 彼女の頬が薄く染まり、なにやら俯いて口籠る。
「だって、これから十数年待ってゴルベーザさんが帰ってきて、月の帰還をクリアして……そのあとも生きていくことを考えると……」
 頬を染めて恥じらう表情は嫌いではない。焦げつくような想いが胸を衝く。愛しくて堪らなくなる。だが。
「きっといつか……子供が欲しくなったり、するんじゃないかなー……って」
 それ自体は決して不愉快な感情ではないのだが、ユリがその表情を誰か特定の男に向けるようになると考えただけで途端にドス黒く爛れていく気がする。

 ユリはいよいよ真っ赤になった頬を両手で押さえて「でも今すぐの話じゃない」と弁明した。
「ゴルベーザさんが戻るまではそんな気になれないし、いろんなことが全部終わって落ち着いてから、私が精神的に大人になってからですけど!」
 ゴルベーザ様が戻ってから……? まさかユリはゴルベーザ様を慕っているのか?
 もしそうならば、いっそのことゴルベーザ様と結婚させれば安全に……いや、駄目だ!
 四天王たる私が私情でそんなことを主に押しつけるわけにはいかない。それに……とにかく駄目だ。断じて許さん。

「お前は先日までゴルベーザ様の体にいたじゃないか。いわばもう一人の自分のようなものだ。そのゴルベーザ様を相手に、」
「え?」
 不謹慎だ? 不健康? なんと言っていいか分からないがとにかくそんなことは認められん。たとえゴルベーザ様がユリの気持ちに応えるとしてもだ。
 ユリの気持ちに……いやしかし、ユリは本当にゴルベーザ様を想っているのだろうか。そういう気配を感じたことはないのだが。

「ちょ、ちょっと待ってください! ゴルベーザさんが相手ってのはないですよ」
「そうなのか?」
「あり得ないです」
「そう、か」
 どうやら早とちりだったようだ。よかった。
 どこぞの人間が相手だというなら燃やしてしまえば済むが、ゴルベーザ様が相手ではそうもいかないからな。

 すべてが終わって落ち着いた後と言うからには、少なくとも十数年は彼女に妙な男が寄ってくることはない。
 私も十数年は手が出せないという意味では辛くもあるが。
「ユリは結婚したいのではなく、子供が欲しい、ゆえに相手を求めている。その事実に相違ないな?」
「え、う、はぃ……た、たぶん、いずれは」
「なら安心するといい。魔物でも子は孕める。何十年先になっても問題はない」
 人間とは違って歳をとるほど生殖能力が衰えるということはないのだ。むしろ長い年月を経た魔物ほど多くの力を蓄えて強い子孫を残すことができる。

「そう、ですよね。焦らなくていいのは魔物の利点ですよね」
「もちろんだ。だから早まった真似はするんじゃないぞ」
 人など好いても置き去りにされるのは目に見えている。ユリは魔物なのだから。
 そう、魔物なのだから、相手は同じ時を生きる魔物でなければならない。
「私ならいつでも協力しよう」
「はい、ありが……え?」
「十数年後と言わず今からでも構わないが」
「…………ぇ、あう」
 私の言葉の意味を理解した瞬間、ユリはテレポで逃げた。あれは嫌悪ではなく羞恥心なのだろうな?

 そして数時間後に気づいたのだが、すっかり忘れ去っていたチョコレートクッキーはオーブンの中で炭と化していた。


🔖


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