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🔖彼女について知ってる二、三の事柄



 青き星に戻って数日、ユリは新しい体に慣れず苦労しているようだ。というよりも、魔物になった実感が得られず困惑していると言った方が正しいか。
 彼女の精神が持つ元の世界での生活の記憶から、仮初めの肉体は見た目通り“人間”の性質を再現している。
 空腹を感じ、夜になれば睡眠を必要とする。結果、ユリは元の世界にいた頃と変わらぬ暮らしを送っていた。

 彼女が魔物らしからぬのは事実だった。
 ユリとしてはバロン国王に変身していた時のカイナッツォのように、肉体のみを人間に見せかけたものになる予定だったらしい。
 相も変わらず人間としての雑事に煩わされることにうんざりしている様子だ。
 しかしユリが記憶を保ちたいなら人間を真似た生活は続けるべきだろう。
 魔物の暮らしを享受すれば、自分がかつて人間であったことなど記憶の彼方に消し去られてしまうからな。……私のように。

 とはいえユリが面倒に思うのも無理はない。人間らしく生活していくつもりならば、やらなくてはいけないことが多々増える。
 ただそこに在れば済む魔物とは違って人間が生きてゆくには衣食住ほか様々なものが必要となる。取り急ぎ必要なものはといえば……“金”だろうか。

「水光熱費が要らないのだけはすごくありがたいですね」
 バブイルの設備を眺めてユリがため息を吐く。月の民の遺産であるこの塔は周囲の自然に介入して水と光を永久的に生み出していた。
「でも私、食べなくても死にはしないですよね?」
 不安そうに見上げてくるユリに頷いた。
 もちろん、やろうと思えば今の彼女には可能なことだ。魔物は人間や動物とは違って血肉を摂取せずとも魔力だけで存在し続けることができる。
 そうして魔力に依存するうちに、より高位の精神生命体となるのだ。

「しかし、お前の精神は人間だった時の記憶をはっきりと覚えている。死なないとはいえ空腹感があるのに食べないのは苦行だと思うぞ」
「うぅ……」
 精神鍛練のために挑戦すると言うなら止めないが。
 さしあたって知る必要があるのはユリの肉体がどこまで“人間的活動”を再現しているのか、だな。

 そんな折り、次元エレベーターにゴルベーザ様から手紙が届いた。あれがまだ月と繋がっているとは驚きだ。
 手紙を送るくらいならばゴルベーザ様もこちらに居られればいいのではと思うのだが、ユリによるとじきに月の民はここから離れ宇宙への旅に出るそうだ。
 転移魔法でも届かぬ空の果て。本当に帰って来られるのかと不安にならないでもない。

 ともかく、ゴルベーザ様からの手紙を読むことにする。ユリ宛なので背後から勝手に覗くだけだが。
「……異世界転生モノ、というのは何なんだ?」
「小説の一ジャンルですね。前世と別の世界に生まれ変わった主人公が世界を守ったり征服したり滅ぼしたり、恋愛したりハーレム作ったりするお話です」
 手紙には新たな肉体に戸惑っているユリへの労りの言葉と共に「異世界転生モノだと思って気楽にやるといい」と書かれている。
 つまりユリも世界を守ったり征服したり滅ぼしたり、恋愛したりハーレムを作ったりしろということだろうか。

「ハーレムとは?」
「えーと、この場合は複数の異性に好かれてちやほやされる状態を言ったものです」
「な……」
 言われて瞬時に顔見知りの魔物や人間の雌が複数思い浮かんだが、よく考えたら今の彼女は紛うことなき女性体なのだからユリにとっての異性は雌ではない。
 改めてユリの知る魔物や人間の雄を複数思い浮かべた。それらがすべて彼女に好意を寄せている状態だと。

「そんなことがしたいのか?」
「え? いえ、私はそういうのは興味ないんで」
「そ、そうか」
 ならばよかった。危うく「そんなことをするくらいなら世界を滅ぼせ!」とユリをけしかけるところだった。

 私にはよく分からないが、ゴルベーザ様の助言はユリの役に立ったようだ。
「異世界転生モノって、前世の記憶を持ってるから主人公もよくギャップに思い悩むんですよね。体の造りとか精神性の変化とか」
「今のお前のように?」
「ゴルベーザさんは、そういうところを柔軟に『なるようになれ』で受け止めろって言ってくれてるみたいです」
 それには同感だ。今のユリには滅多なことでは死なないという利点がある。開き直れるだけの余裕があるということだ。
 魔物としての利点は享受し、人間らしくすべき部分は人間として生きればいい。

 ユリは他にも、ゴルベーザ様の体ではできたことがいくつかできなくなっているのが困ると言う。
 この体格差からも分かる通り筋力や体力は大幅に減り、魔力も少なくなっている。以前のままのつもりで大魔法を唱えては魔力不足で倒れかねないほどだ。
「一番困るのは精神魔法が全然使えなくなったことですね」
「それはゴルベーザ様の肉体にいる時もあまり使っていなかったじゃないか」
「精神支配は使ってなかったですけど」
 そう言うとユリは精一杯の背伸びをして私の目を覗き込んできた。

「前は、目を見れば何を考えてるか大体は分かったのに、今はさっぱりなので困ります」
 ……それは初耳だ。確かにゴルベーザ様は他者の心の内を察知する術に長けていた。精神魔法の基本だからな。
 だが、まさかユリにまで私の内心が筒抜けだったのか?
「私の心を読んでいたのではないだろうな」
「そこまではできないです。怒ってるとか怒ってないとか、そんな漠然としたことが分かっただけで」
「それならいいが」
「心を読まれて困るようなこと考えてたんですか?」
 墓穴を掘ってしまった。

 漠然とした感情だけならば何を考えていたのかまでは分かるまい。おそらくは大丈夫だろう。そう安堵する私にユリが呼びかける。
「ルビカンテさん……、あの、ゴルベーザさんが一時的にこっちに帰ってきた時のことなんですけど。私に何を言いかけたのか、覚えてますか?」
「ん?」
 あれはセシルたちが封印の洞窟へ向かうと見せかけてバブイルに侵入してくる、とゴルベーザ様に教えていただき、その対策をしていた頃だ。
 ユリと何を話していただろうか。

「元の世界で休めたのかって聞いてくれたでしょう。で、風邪引いてずっと寝てましたって、言った後です」
「ああ」
 それなら覚えている。……覚えているが、言いたくない。

 ゴルベーザ様の肉体に、ゴルベーザ様御自身の精神がいらっしゃる。そんな当たり前のことに愕然とさせられた直後だ。
 最初はむしろ早くそうなればいいと考えていたはずなのに、あの時はユリが戻ってこないのではないかと恐れていた。
 私は再び戻ってきた彼女に「元の世界には帰るな」と言おうとしたんだ。ずっとここにいればいいと。
 だが同時に、ゴルベーザ様が残した言葉も頭を占めた。
 本当のユリは争いになど向かぬ心優しい人間の少女だ。……だから、予定通り、帰してやらねばならない。そう考えて口を閉ざした。

 元の世界への一時帰還が叶った時、ユリは風邪で寝込んでいたと言っていた。
 今こうして本来の姿を知れば、こんなに貧弱な肉体ならば無理もないと実感する。
 争う力のない体、殺戮を嫌う心。彼女が“ゴルベーザ”をやっていたのだ。我々とその主のために。

 私が質問に答えず黙っているとユリは消沈した。
「やっぱり教えてくれないんですね」
「気になるのか」
「だってあの時ちょっと様子が変だったし、私もいろいろ慌ただしくて落ち着かない時だったし」
 結果としてユリは転生してまでこちらの世界に残ることを選んだ。
 束の間ゴルベーザ様と入れ替わりに元の世界へ戻っている間に、何か心境の変化があったのだろうか。

 彼女がいなくなる前には本当の姿が見たいと思っていた。今それが叶っていることを、そしてこの先も見続けていられることを嬉しく思う。
「分かるか? 私が今、何を考えているか」
「……背が小さいなあ、とか?」
 大真面目な顔で考えた末の結論に笑ってしまった。間違いなく、精神魔法は使えなくなっているようだ。
「それは確かに思ったが、今更だな」
 手を伸ばせば柔らかな頬に触れることができる。本当の彼女を瞳に映し、彼女自身に触れることができる。
 私はずっとそれをーー。


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