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🔖何だ? この、ユーウツは!!



 風邪を引いた。遥か昔にそのようなこともあった気がするが、よく思い出せないのでもしかするとこれが人生初の風邪だったかもしれない。
 じっと寝そべっていても天井がぐるぐるとまわり、木目が渦を巻いて目眩がしてくる。
 熱でうまく頭が働かず、鼻が詰まって息苦しい。かといって口でばかり息をしていると喉が痛くなって咳が出る。そしてただでさえ痛む頭に響くのだ。
 風邪とはこうも辛いものだったか……。これまで無縁でいられたことに感謝すると同時に、風邪を引きやすいというユリの体が少し恨めしい。

「エスナがあればな……」
 悄然として呟いた私に、常備の風邪薬と冷えピタを持ってきてくれたリツが目を丸くする。
「え、風邪とかも治せるのエスナって」
「完治させるのは難しいが、解熱や頭痛を抑えるくらいは可能だ」
 ウイルスを除去するのではなく治癒力を高めているだけで、病を癒すというよりは治るまでの時間を早めているというのが正しいだろうが。

 思えばあちらの世界では、少しの怪我や病などルビカンテにでもケアルをかけてもらえば重症となる前に治してしまえた。
 だから風邪を引いた記憶がないのだ。苦しむ前に完治していたからな。
「へぇー。なんか回復魔法って病気には効かないイメージあったわー」

 ゲームにおける回復魔法は、HPという数値を増やすか決められたステータス異常を除去するだけのものであり、具体的な効能をプレイヤーは知り得ない。
 リツたちにしてみれば毒や石化などいかにも魔法が原因という異常が印象に残るのだろう。
 エスナとは即ち魔法によるステータス効果を除去するもの、という思い込みがある。
 現実には病気とステータス異常に然したる違いなどないのだが。

 風邪薬を飲むためには腹に何か入れておかねばならない。しかし何も食べる気がしない。
 ぐずぐずと布団の中で丸まっていたらリツは粥を作ってくれた。
 正直、それでさえ食べたくないのだが、せっかく彼女が作ってくれたものを放棄するくらいならば吐き気を堪えてでも食べようと思って身を起こす。

 私が寝込んでからリツは普段以上に優しい。
 肉体に残る記憶を見る限り、健康的というよりは病弱に寄り気味の従妹が風邪を引くといつも優しかったようだ。
 一人で暮らしているユリのことが心配で堪らないのだろう。弱っている時にこそ甘やかし、優しくしたいのだろう。
 私は今、そのおこぼれに与っているわけだ。
 ユリの中にある記憶、食事の用意すらできないほど疲労している時にリツが来てくれた喜びと感謝の念が、私にまでじわりと染みてくる。

 ずっとゼムスの思考に支配されることを恐れていたはずが、彼女の記憶と感情に寄り添うのはなぜこうも心地よいのだろう。
 粥を冷まして食べながらぼんやりとそんなことを考えていたら、リツがおずおずと口を開いた。
「あのさ……」
「うん?」
「本人いないのに聞くのって反則だと思うんだけど、ずっと気になってたことがあって」
 何だ。本人には聞けない秘密……スリーサイズか、体重か? 確かに私なら答えられるが。
 まあユリはそれを従姉に知られても気にしないように思う。しかし、リツの聞きたいことはそんな事柄ではなかった。
「……ユリって、私のことどう思ってた?」

 リツは明るくて前向きでころころ変わる表情が愛くるしく、いつでも私を元気づけて励ましてくれる優しさと、不甲斐なさを叱咤する厳しさも持ち合わせている。
 というのは私の感想だが、ユリの中にある印象とて似たようなものだった。
「私に感じ取れるのは、リツへの好意だけだ」
 時に引きずられそうになるほど大切に想っている。これが単なるユリの記憶なのか、今ここにいる私自身の想いなのか。
 おそらくそれは、元々が似ているからこそ混じり合ったのだと理解している。私も彼女もリツが好きなのだ。

 しかしリツはそわそわと落ち着きがなく、なにか不安を抱えているようだった。
「重荷になってないかなって。こうやって家に来るのも、私があの子の世界を狭めちゃってる気もするし」
「そんなことはない。ユリはきちんと自分の人生を生きている。バイト先での人間関係も良好だったぞ」
 生憎と私のせいで潰えてしまったが。
 ともかく、この肉体の中で孤独に消えていきそうだった魂は、リツのお陰で自由な未来に目を向けることを知ったのだ。
「お前に感謝している。来てくれれば嬉しく思うし、いなければ淋しい」
 私もユリも。……しかし、リツは俯いたままだった。

 危惧していることは分かる気がする。ユリにとってこの従姉は救世主にも等しき存在であり、だからこそ依存させているのではないかと心配なのだろう。
 確かにユリは拠り所を欲している。常に自分のそばに寄り添い、支え、甘やかし、愛してくれる誰かを。
 そしてそれをリツに求めてはいけないことも、理解しているのだ。もしかすると彼女は……。
「ユリが帰ってこない方がいい、と思っているのか」
 案の定、リツはばつが悪そうに頷いた。

「……んー。なんか、もしかしたらいい機会なのかと思ってね」
 決して離れたいわけではなく、ここへ戻ってきて、早く無事な顔を見せてほしいと思っている。しかし本当にそれが彼女のためになるのかどうか。
「どうしたって私はユリのためだけには生きられないし、そんなことしても重荷になるだけでしょ」
 自分のために大事な従姉の人生を潰すのは耐えられない。彼女が好きで、大切に思うからこそ、ユリは従姉に甘えない。
 こうして家に来て気にかけてもらうことさえ……、リツの人生を食い潰しているようで、申し訳ないと思うのだ。

「あっちで自分のこと知らない人と過ごす方が、新しい人生を歩んだ方が……ユリにとってはいいのかもなって」
 私の肉体にいればユリは、従姉に縋ってしまいたい気持ちに耐えなくてもよくなる。気分を改めて別の人生を歩むことができる。
 ユリだけではなく、私もそうだ。
 ここに残れるならば、この肉体にいられるならば、ゼムスの支配も過去の罪も……。

 くらりと目眩がして、手にしていた粥を布団の傍らに退けた。畳に当たった鍋が思いのほか大きな音を立て、リツが慌てる。
「あ、べつにゴルベーザが戻れなきゃいいとか思ってるわけじゃないよ? やっぱり自分の体にいるのが一番だと思うし」
 そうだろうか。しかし私は“ゴルベーザ”であるよりもここにいた方がずっと。……“ユリ”になってしまった方が、幸せなんだ。
「……リツは……、私が帰った方が、いいのか……?」

 ふと見れば呆然として口を開けているリツが目に入る。熱に浮かされて何を口走っているのだ、私は。ユリの肉体を乗っ取るつもりか?
 私はあちらに帰らなければならない。たとえゼムスがいなくなった世界でも、私の償うべき罪は残されている。
「すまない。そんなことを聞くつもりではなかった」
 やはり風邪を侮ってはいけないな。余計なことを考えぬように大人しく眠っていよう。この体は私ではなくユリのものだから、大切に扱わねば。

 そうして寝転がりかけたところ、頭上にリツの思いがけない言葉が落ちてきた。
「正直、帰っちゃったら淋しいと思うよ。二度と会えないかもしれないんだし、たぶん、行かないでなんて言わないけど」
 内心そう思っては、いるのだと。

 不意に指先が冷たいものに触れる。ややあって彼女の手を掴んでいたのだと気づく。
「……す、すまん」
「また熱上がってるじゃん。手、めちゃくちゃ熱いよ」
 それは風邪ではなくリツのせいだと思うのだが。もしも彼女にしおらしく「行かないで」などと言われたら私はこの体をユリに返す自信がない。
 駄目だ、やはりもう、早く寝なければ。


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