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🔖幕間
風邪とは違う激痛に目を覚ました。気づけば私は見慣れない部屋のベッドにいた。
またか……と思うが、始めに声をかけてきたのは見知らぬ少女ではなかった。
その身に炎を纏いし人ならざる男は“ゴルベーザ”配下の一人だ。
「ユリ、目を覚ましたのか」
「……ルビカンテ」
「まだ万全ではなかったのだろう。無理をするな」
ああ、これは私の体だ。ここは元の世界だ。ついに戻ってきてしまった。私の名はーー。
中身が入れ替わっていることを知らず別人の名を呼ぶルビカンテに訂正をしようとして、心が凍りついた。
月の気配が迫る。憎しみが意識を塗り潰してゆく。それは私が去った時の比ではなかった。
すべてを殺せ! 壊せ! あらゆるものを憎め! 叩きつけるような思念の奔流に抗う術がない。
今にも消えてしまいそうな自我を必死で掴みながら、この場所がどこなのかを知った。ゼムスの影響が以前よりも増している。
「バブイルの塔が、起動している……」
彼女はゼムスの支配に屈したのだろうか。
この異世界で邪悪なる力に晒され、もしも彼女が消えてしまったのだとしたら、私はリツにどう謝ればいいのだ。
いやそれ以前に……私ではこの声に逆らうことができない。夜の帳が降りてくるかのごとく意識が薄れ始める。
しかし世界が閉じる直前、ルビカンテの声がした。
「まさか、ゴルベーザ様!?」
霧が晴れるようにゼムスの“声”が途絶えた。急速に心が落ち着いてゆく。
もう精神を張り詰めておらずともゼムスの侵食を感じなくなっていた。
自分の意思で、自由に体を動かせる。
一瞬でゼムスがこの世から消え去ったかのような解放感だ。私は夢でも見ているのか。
「一体どういうことだ?」
私の疑問に答えたのは、困惑を隠さぬまま傍らに立つルビカンテだった。彼はこんなにも素直な表情をする男だっただろうか。
「ユリの作り出した、己の存在を外界から隠す魔法です。あらゆる気配を遮断すればゼムスの思念波を遠ざけられるのではないかと」
言われてみると確かに私の体は消えていた。透明化の魔法だ。この世界にないはずだが、他作品のインビジ、あるいはバニシュのようなものだな。
いや、この感覚からするとリフレクも混じっているのか。
どうやら一時的に無敵状態になるらしい。ユリが新たな魔法を開発しているとは思いもしなかった。
こんな魔法があるのなら彼女がゼムスに消し去られたということはなさそうだと安堵する。
よく考えればルビカンテも私をユリだと思い込んでいた。つまり、ついさっきまで彼女はここにいたのだ。
「ゼムスを知っているのだな。ユリにどこまで聞いた?」
「この世界とあなたの行く末を」
「そうか」
やはりユリはシナリオに従って進めているのだ。ここがバブイルの塔でルビカンテが存命ならば大方の状況は察せられる。
しかしゼムスの存在を聞かされたうえでルビカンテが離反しなかったのは、意外であり、幸いであった。
そのルビカンテはといえば何か腑に落ちない顔をしている。しかし内心を口にすることなく私に跪いた。
「お帰りをお待ちしておりました、ゴルベーザ様」
あまり喜んでいるようには見えんな。それもそうだ。私はゼムスに屈することを恐れて逃げ出したのだから。
彼らにとって主君とは既に私ではなくユリのことを指すだろう。しかし幸か不幸か、私と彼女の精神は元の体に戻ったわけではない。
「おそらく一時的なものだ。すぐに……」
元に戻ってしまうと言いかけて苦い気持ちを噛み潰した。……戻るだと? 馬鹿なことを。
これが正しいのだ。これが、あるべき姿なのだ。
ゴルベーザは私だ。魔法も使えず剣を握った経験もない、穏和な少女に押しつけた戦いは本来ならば私がやらねばならぬことだった。
「残念だが、すぐにまたユリと入れ替わるだろう」
「そう……ですか」
ルビカンテは、ユリが帰還すると知って安堵したように見える。
従妹は四天王に懐くだろうというリツの予想が当たったのか。四天王の方でもユリに心を開くというのは少々意外だった。
だが続いてルビカンテの告げた言葉は、意外では済まなかった。
「ゴルベーザ様。ユリはゼムスを倒して後、あなたを呼び戻すつもりです。思念波の影響がなくなるまであちらの世界にいらっしゃる方が安全でしょう」
「……なに?」
「ユリは思念波を受けつけません。彼女が“代わり”を引き受けてくれるならば、我々にとってもありがたいことです」
すぐには言葉が出てこなかった。
ユリは不運にも巻き込まれただけだ。私の力を利用してなんとか戻ってほしいと考えていた。
彼女がまさか、私の精神を守るためにゼムスを倒す決意をしたというのか。四天王の協力を得たのはそのためか。
何の縁もない無力な少女が、私のために異世界で戦っていたなど……申し訳なくて信じられなかった。
だとすればユリは仲間として受け入れた四天王を戦いの中で次々と喪ったことになる。ルビカンテの他はもういないのだ。
ユリに、悲しい思いをさせてしまった。そして四天王にも。
「……すまない、お前たちに……」
「ルビカンテ! ゴルベーザ様の気配がするわ!」
何もしてやれなかった、結局ゼムスの思惑に乗せられ魔物にまで破滅をもたらしてしまったと、懺悔しようとした口が動きを止めた。
「……うん?」
なぜバルバリシアが生きている? 私がバブイルの塔にいる時期ならば、ルビカンテ以外は倒されているはずだが。
バルバリシアは私の姿が見えぬことに怪訝そうな顔をした。
「そこにいらっしゃるのですか?」
「ああ。いつまでかは分からぬが、確かに私はここにいる」
するとバルバリシアもまたルビカンテの隣に跪いて、感極まったように語り始めた。
「ゴルベーザ様。ユリは役目を果たしております。セシルを月へと導き、ゼムスを倒し、そして我らは生き延びて、必ずやゴルベーザ様の居場所をお守りいたしましょう」
呆然とする私をよそに、ルビカンテが不服そうにバルバリシアを睨む。
「バルバリシア、それは私が報告をしようと」
「お望みならばスカルミリョーネとカイナッツォを呼びましょうか? 他にもお目にかけたい者が多数おります」
「おい、私が今、」
「うるさいわね! お前はさっさとエブラーナの残党狩りにでも戻りなさいよ!」
「お、お前というやつは……」
相変わらず仲がいいのか悪いのか判断に困るな。しかし、それはともかくとして。
四天王が全員無事? ユリはゲーム内容を思い出し、彼らが死なぬよう立ち回ったのか。
それもバルバリシアの言葉を信じるならば私のためだという。
ゼムスを倒して後、こちらに帰還した私が孤立せぬよう仲間を守ろうと。
今、おそらくは異世界で苦しんでいるであろう少女のことを思う。
私はあちらの世界で、いずれ戻ってくるはずのユリのために何もしなかった。鬱々と、安穏と、彼女の身を案じるばかりたった。
停滞せず常に進み続ける意思……それが彼女の強さ。罪悪感以上に、選ばれたのがユリでよかったと思ってしまう。
私も恩に報いねばならぬ。
「クリスタルはあと一つ、封印の洞窟が残っているのだな?」
「は。セシルたちが向かっている頃でしょう」
ということはドワーフの城でリディアが再び仲間に加わり、私がミストドラゴンに敗れた直後だな。
四天王が揃っているならば人手は足りる。セシルの力を借りずともクリスタルを揃えることはできる、が。
ユリは“ゴルベーザ”にゼムスが倒せぬことを考慮してセシルを導いてきたのだろう。ならば私もそうしよう。
「セシルはドワーフによる陽動に隠れてバブイルに侵入してくる。クリスタルは地上に移しておけ」
意外そうにしつつ、どこか喜色を滲ませてルビカンテが頷いた。敵に裏をかかれるのが嬉しいのか。相変わらずの勝負マニアだ。
このようなことでは与えられたものに釣り合わぬが、ユリのためにできることはやっておかねば。
「ユリが戻る前に一度セシルの顔を見ておくとしよう」
地底部では既に彼らが昇ってきているはずだと立ち上がると、慌てた様子のバルバリシアに引き留められた。
「危険です。戦いに多少の迷いは見せておりますが、セシルは未だ“ゴルベーザ”への憎しみを捨てておりませぬゆえ」
「未だ?」
不可解な言葉に首を傾げれば、また台詞を奪われる前にと急いでルビカンテが割り込んできた。
「ユリは兄弟の間に凝りが残らぬように立ち回っております。殺す人間の数は最低限に、セシルの憎しみが募らぬように」
……何だそれは。ユリは本来ならば私を恨むべきところだぞ。
「参ったな」
彼女がそこまでする必要など、まったくないのに。このままではいつまでも恩が返せないではないか。
誰かゼムスを倒せる異界の魔道士を呼んだあとは、私の意思など消えるはずだった。
二度と会わぬと思っていた弟に、また兄として顔を合わせられるかもしれない、そんな可能性は……想像もしなかった。
「……こちらの姿を見せるつもりはない。この塔から追い出すだけだ」
地上に通ずるワープ装置を停止し、巨大砲を止めるべく残ったヤンをシルフの洞窟へと送り届けてやらねばならん。
もう少し時間があればよかったのだが。せめて私の記憶を解放しておこう。ゼムスに侵食される恐れがないのならユリにすべてを預けられる。
じきに戻ってくる彼女を迎えるはずの二人に向き直る。
スカルミリョーネやカイナッツォにも会いたいが、それはまたの機会に置いておけることが嬉しかった。
「ユリは心優しい人間の少女だ。本来ならば殺戮や争いには向かぬ。彼女のような者に押しつけるつもりはなかったのだが……、どうか労ってやってくれ」
「心得ております、ゴルベーザ様」
きっぱりと言い切ったルビカンテに以前の彼と違うものを感じた。
起きがけに何と言っていたか。そう……「無理はするな」だ。戦いに敗北したユリに向かって優しく語りかけていた。
「再び留守にするが、よろしく頼む」
「御意!」
これだけ馴染んでいて、ユリは果たして元の世界に帰れるだろうか。
脳裏に残る彼女の意識を見てもかなり心を移しているように思える。
……もし彼女がここに残りたいならば、この肉体も命も渡したとて構わぬ。来るべき日に私は、彼女の望むようにするだろう。
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