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🔖ボーン・フリー
体勢を崩さないよう水の流れに身を任せていれば何もしなくても一時間ほどでニケアまで辿り着く。
蛇の道はとても便利だ。だからこそ多少の危険なんて見ないふりして多くの旅人が利用する。
その危険性だって、よその大陸住まいの人間には大袈裟に怯えられがちだけれど実際に通ってみれば意外に安全だと分かるはずだ。
場合によっては、モンスターに襲われて船ごと沈む恐れもある海上の旅路の方が危険だったりするものね。
夜になって修復が完了した潜水服を受け取り、断崖から蛇の道に入る。
海流に乗ること一時間あまり、私たちが海から上がった時には朝陽が水平線に顔を出しつつあった。
そこから少し歩いて午前のうちに港町ニケアに到着した。
店が開くのを待ってまずはカイエンとガウの服装を整えることにする。
拳ひとつで戦うマッシュは元から大した装備を身につけていなかったので、蛇の道を渡る時にもそのまま潜水服を着込むことができた。
けれどカイエンの装備はバレンの滝下りで破損していたし、潜水服の下に鎧を着るのは無理だからモブリズで処分してきたのだ。
どっちにしろおっさんの着用していた鎧はドマ王国独特の型だから、あれをサウスフィガロまで着ていくと帝国兵に見咎められるはめになっただろう。
ガウについてはカイエンと真逆で、まだ寒さも残るこの季節には薄着過ぎるので新しい服を買ってやることにした。
これからナルシェに連れて行くというなら尚更、獣の皮一枚では凍死してしまうからね。
それなりに旅人として自然な格好になったので次は腹拵えだ。
私は正直なところまだまだ空腹を感じられないのだけれど、マッシュとガウが肉肉うるさいから。
なんか、マッシュと道行きを共にしている間ずっと何かを食べてるような気がしてくる。一人旅なら三日くらい絶食することも多いのにな。
値切り倒したとはいえ、カイエンとガウの服を買ったので先日マッシュから盗んだ私の所持金もほぼ尽きた。
店を探す前にマッシュたちの監視を逃れて港で資金を調達しておく。
スリは危険度が高くて性に合わないんだけど、この際だから仕方ない。ちょうど間の抜けた帝国兵が彷徨いてたのは運が良かった。
マッシュもなぜか再び膨らんだ財布の謎には気づかなかったようだ。
「ああそうだ、一応言っとくけど食べていいのは一人につき一人前だからね」
「分かってるって。ナルシェに戻るまではそんな贅沢しねえよ。な、ガウ」
「がう!」
贅沢しなくてもお前らは食べる量が常識外れすぎるんだよ。
本当に大丈夫なのか、リターナー。こいつらを養う経済力があるのだろうか。
店を選んでいる余裕はないので、表通りから外れた安さだけが売りのボロ酒場に入る。料理の質が悪そうなので私は酒だけ飲んでおく。
注文を終えたところで、年増と言うと怒り出しそうな年頃のウェイトレスが目敏くカイエンに絡んできた。
「ねえお兄さぁん。あたしと一緒に飲まない?」
「なっ!? な、な、なにをふしだらな! そこに直れ!!」
「カタイこと言わないで楽しもうよ」
お姉さん……必死だな。お客少なそうだものね、この店。
妻子を亡くしたばかりの壮年独身男という意味では確かに狙い目だ。でもカイエンの場合は家族と同時に仕えるべき国もなくしてしまった。つまり収入源がないということだ。
だからそのおっさんを口説き落としてもあんまり意味はないぞ、お姉さん!
なんて思いつつ巻き込まれたら鬱陶しいのでガウを連れて店の隅に移動すると、マッシュもついて来た。
ああいうのは被害を受けない距離から傍観して楽しむに限る。
単にカイエンが好みのタイプだから一晩遊びたいのか、それとも本気で落としてボロ酒場のウェイトレスなんか辞めたいのか。
お姉さんの心積もりは分からないけれどすっかりカイエンをターゲットにロックオンしたらしく、お色気作戦で押しまくっている。
対するカイエンは、かなり劣勢に見えるものの断固として拒否の姿勢を示していた。
「ドマでは奥ゆかしい女がモテるからねえ」
「確かに、魔列車で見たあの奥さんとは正反対のタイプだよな」
お姉さんの持ち物は立派だけれど色っぽいのが好みでなければ意味もない。
たとえ彼女が目の前で全裸になったとしても、カイエンは怒るだけで靡かないだろう。
「押し倒してモノにするならマッシュの方が簡単そう」
私がそう呟いたら、一拍遅れて意味を理解したのか隣でマッシュが噎せた。
「はあっ!? な、なんでだよ」
「ろくに女を知らないくせに苦手意識で凝り固まってるからちょっと純朴そうな顔でも見せて『血筋なんてどうでもいい、あなた自身が好き!』とか言っとけば『こんな女、今まで俺の周りにはいなかった』って落ちそう」
「ぐっ……そ、そんなことは……」
図星をさされて硬直したマッシュをガウが心配している。
「ござる、どうした? 肉足りないのか?」
「だからござるは俺じゃないって……」
そう言いつつさりげなく肉を注文追加しようとするな、こら。
動揺を静めるために飲んだ水でまた噎せつつ、マッシュは言い訳めいたことを並べ立てている。
「禁欲生活が長いからな。あんな誘惑に乗るほどヤワな精神してないぜ、俺は」
「ガウ、口元に食べかすついてるよ」
「う?」
「そっちじゃなくて反対側」
「……人の話を聞けよ」
誘惑に強いのと誘惑を受けつけないのは別問題だと思うけど。マッシュの場合、自分好みの女と知り合う機会がなかっただけでしょ。
世間知らずの元王子様で女が苦手だと自分では思ってる男なんて、強かで野心のある庶民の女には格好の獲物だってのに。
「ま、あんたの場合もう王宮を出ちゃったんだから、女慣れしてなくたって利用されようがないだろーけど」
「え? ああ……う、うん」
口を噤んで目を泳がせるマッシュを見ていて不意に思い至った。
「まさか継承権そのままで家出してるんじゃないよね、王弟殿下」
「……ん?」
その顔、当たりかよ。
「エドガー王は未婚、双子の弟は継承権を持ったまま行方不明。弱味につけこみ放題だなあ」
「……」
「私が国王を良く思ってないフィガロの貴族だったらあんたが死んですぐに“亡き王弟の息子”を用意して政権奪取を目論んじゃうね」
「やめろよ、洒落にならん……」
洒落にならないから問題なんでしょうに。
そりゃあ王様の息子に生まれたから一生を政治に煩わされて生きなきゃいけないなんて、私だって御免だ。逃げ出したくなる気持ちは分かる。
でも、つまるところマッシュは今でも普通に王宮と繋がりがあるってことだ。
だったらやっぱり私は関わりたくないな。
結局、カイエンはウェイトレスから逃げ回るのに忙しくて何も食べる暇がなかった。
心なしか蛇の道を出た直後よりも疲れているようだ。
サウスフィガロ行きの船に乗り込むと、マッシュが深刻な顔で話しかけてきた。
「なあ。俺は城に戻るべきだと思うか?」
「そんなの私に聞かれても知らないよ」
自分で決めろと返せばますます考え込んでしまった。
まあとにかく、マッシュが政治向きじゃないのは私にも分かる。情に流されてその場凌ぎの人助けなんかするやつが国王になるべきではないんだ。
だったらやることは一つじゃないの? マッシュが“王になる可能性”を潰しておかないと。
「まず正式に継承権を放棄したら? 今のままだとなんかの拍子にエドガー王が死んだらあんたが王様でしょ。フィガロ王国滅亡するよ」
「そこまで言うか」
これでも控え目に言ってる方だ。マッシュに王の素質があるとしても、たぶん私が王様になるよりマシって程度だろうし。
大体、王になるのならないので揉めて城を出たくせになぜ未だ継承権を放棄していないのか。権力に未練があるわけもないだろうに。
「……俺が継承権を放棄するってことは、兄貴の選択肢を奪っちまうってことだろ」
「はあ〜? お前の兄貴はガキかっての! 仮に選択肢があるとしたらエドガー王が自分で探して掴み取るもんでしょうが」
「そりゃあそうだけどさ」
マッシュが王族をやめたからってエドガー王に関係あるものか。
彼が「俺だって王様なんかやりたくない」と思うなら彼自身の選択で逃げ出すなり禅譲なりすればいい。
「要するに、兄貴を見捨てたと思われるのが嫌で、ぐずぐずフィガロの名にしがみついてるんだ。くっだらない」
兄弟だから、家族だから、支えになりたい? 馬鹿馬鹿しい。
家族ってのは互いの人生を無条件に尊重するもんだ。その絆で大切な家族を縛ってどうする。
私は家族に手を差し伸べたりしない。親父は、自分の足で立って歩くということを教えてくれたんだから。
死んだやつらも生きてる私たちも、自分の人生にそれなりの責任を持っているつもりだ。
船の上で揺られること数時間、サウスフィガロの港が見えてくる。
ここを制圧してるのはドマから撤退したレオの部隊が大半を占めている。キャンプでの騒動を知らないやつらだ、私たちの顔も割れていないはず。
「じゃあ私は別のところに行くから。さよーなら」
できれば永遠の別れでありますように! と手を振ると、フィガロ王の弟とドマの侍は驚いた顔を向けてくる。
ガウだけ無邪気に手を振り返してくれた。いやあ、さすが野生児、ややこしい背景を持ってないってのは自由で素晴らしい。
「ユリ殿もナルシェに来ていただけるものと思っていたのでござるが」
「やだよ、エドガー王がいるんでしょ」
「兄貴には俺から話してやるって。それにお前、帰る家は無いんだろ?」
帰る家、ね。今まで生きてそんなものが必要だったことは一度もない。
「私は根無し草が性に合ってんの。自分の足で自分の人生を歩いてくのがね。まあ精々頑張れば? 帝国に勝てるよう適当に応援しとくよ」
望み薄だけど。
帝国はしばらくの間ナルシェ侵攻とフィガロ王国の対処にかかりきりだろうから、身を隠すなら西の方が安全かな。
なんなら“竜の首”にでも仕事を探しに行くとしようか。
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