×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



🔖



 まだ暖かいと思える日は少ないけれど、突き刺すような寒さは感じなくなってきた。
 春組の第六回公演『春ケ丘Quartet』の初日まであと少し。
 いづみさんに頼まれていた書類整理を終えた私は中庭で音楽を聴きながら休憩していた。

 最近、この場所を居心地よく感じる。
 始めに「親戚が“給料激安、職務内容は臨機応変、三食カレー付き”という条件で働いてくれる人を探してる」と聞いた時はどんな地雷バイトかと思ったけれど。
 法事以来会っていなかったいづみさんと久しぶりに会って、芝居に興味ないけどいいんですかと聞いたら構わないと言われた。
 私は学生だし、土日に雑務を手伝ってくれるだけでもいいというので、この気楽なバイトを引き受けた。

 MANKAIカンパニーにはいろんな人がいる。
 根っからの演劇バカと呼ぶべきストイックな人もいる。レッスンよりソシャゲ優先の廃人ゲーマーもいる。ストーカーすれすれのいづみさんマニアもいる。
 演劇に対して情熱を持たない私なんか、軽く受け入れる度量の広さがある。それが心地好くて、いつの間にか平日の午後に顔を出すことも増えていた。

 目を閉じて、うとうとしかけたところで影が射すのを感じた。
「ユリちゃん、風邪引くッスよ」
「七尾太一」
 密さんじゃあるまいし、中庭で眠って風邪を引くなんて御免だ。完全に眠ってしまう前に起こしてもらえてよかった。
 このBGMは良くない。春の陽射しを思い出してうとうとしてしまう。

 イヤホンを外した私を見て、七尾太一が「何聴いてたの?」と尋ねる。
 まだ第一楽章が終わっていない。イヤホンを差し出すと、それを耳に当てて彼は嬉しそうに笑った。
「春組がやってる曲だ!」
「練習聞いてたら原曲忘れちゃったから聴いて耳を戻してる」
「あー。脳内BGMたまに途中でずいずいずっころばしになっちゃうやつッスね」
「そうそう」

 シトロンさんのヴァイオリンは美しい音色を響かせながら途中でいきなりロックになったり演歌になったり、とてもカオスだ。
 春組のレッスン中、乗るに乗れない微妙な音楽が寮内に響いて困る。
 まあ、私も尋ねられるままヴァイオリンによるロック曲や変なアレンジしてる動画を教えてしまったので責任の一端はあるかもしれない。

 次回公演のテーマになっているのがモーツァルトの春という曲。
 カルテットのお話なので演奏シーンが豊富にある。そこで大雑把に“弾いたふり”をしては観客を白けさせる。
 たとえ本番では当て振りだとしても、一曲通して弾けるようになっておくのがベストだ。
 演奏をマスターすることで自然と指先の演技にまで集中できるから。……と、紬さんが言っていた。

 真澄くんはともかく、他の二人に指導しているシトロンさんの様子を見るとちゃんと練習できているのか不安になる。
 咲也くんと綴くんは本番までに春を弾けるようになるだろうか。

 中庭からリビングに移り、眠気覚ましにコーヒーを淹れる。なぜかついて来た七尾太一にもついでに淹れる。
「サンキュ! ユリちゃん、クラシック聴くんだ。オススメとかある?」
「特にない。集中するのにいいから適当に流してるだけ」
 とはいえ普段はもう少しアップテンポな曲を選ぶのだけれど。

「そっか〜。俺っちも幸ちゃん手伝ってる時とか流してみようかな」
「いいんじゃない。作業の邪魔にならないし、テンポ速い曲なら捗ると思うし。幸くんの中で七尾太一の株上がるかも」
「それ重要ッスね!」
 今回、四人が制服なので幸くんはいつもより楽だろう。七尾太一が衣装作りの手伝いに駆り出される回数も少ない。

 イヤホンを外し、スピーカーに切り替えたスマホから第二楽章が流れてくる。
 クラシックを聴きながらコーヒータイム。優雅だ。……紅茶にした方が気分が出たかな。
「ところで、なんでユリちゃんって俺っちのことフルネームで呼ぶの?」
「苗字と名前どっちで呼ぶか決められないだけ」
「なんだ。じゃあこれから太一って呼んでくれて全然オッケーッスよ!!」
「七尾って響きが可愛いよね」
「スルースキル高いッス……で、でも褒められたからいっか! ん? 誉めてるよね?」

 七尾。ななお。字面も響きも可愛らしい。尾という字が犬を連想させて七尾太一によく似合っている。
「しっぽが七つでふさふさ。可愛い。女の子の名前っぽいよね。娘が生まれたら『ななお』って名前にしようかな」
「気が早すぎッスよユリちゃん。てかそれ俺っちの場合『ななおななお』になっちゃうし」
「7070……電話番号の語呂合わせがやりやすい」
「どんどん話が変な方向に!」

 本当のことを言えば太一という名前も好きだ。
 踏みつけられても折れない太くて一本筋の通った強い心。
 たいち、という響きも、引っかかりなく呼びやすい……はずなのに。
 私には気安く呼べない理由があった。

 コーヒーカップを置いて目の前の彼をじっと見つめる。
「ど、どうしたッスか?」
「七尾は前に女の子の役もやってたな、って思い出してた」
「観たんだ!?」
「いづみさんに過去の公演いろいろ見せられてる」
 やる気なくても歓迎と言いつつ本音では私にも演劇に情熱を見出だしてほしいのだろう。
 私がMANKAIカンパニーの人たちを気に入っているので、いづみさんは彼らの演技から演劇の魅力を伝えようと頑張っているのだ。
 でも私は、本当は……。

「男が女役なんて、って思ったけどゼロ可愛かった。ちゃんと女の子に見えたし、七尾すごいね」
「あっ、なんかユリちゃんにマジで褒められるとめちゃ照れるッス……!」
 演劇ガチ勢ほどにはなれないだけで、私だってたとえば至さん程度には、お芝居に興味を持っている。
 ただ演じる側の彼らやいづみさんにはその興味を素直に伝えられないだけだ。
 だって熱量が違いすぎるもの。同じように熱くなれないのに好きだと言うのは悪い気がして、結局は興味がないと誤魔化している。

 本心を語ろうとすると途端に恥ずかしさを感じてしまう私と違い、七尾太一は根っから素直だった。
「ユリちゃん、いつも芝居に興味ないって言ってるから俺っちの演技観てもらえて嬉しいッス」
「そう。でも七尾の演技ならGOD座時代に一回観たことあるよ」
「えええっ!?」
 あの時はそう、確か友達と映画を見に行くはずだったのに、チケットが手に入ったからって急遽予定を変更してビロードウェイに連れて来られたんだ。

 春、第三楽章が始まった。アンダンテ・カンタービレ……ゆったりと歌うような。
 クラシック音楽も以前はただ聞き流しているだけだった。
 ここの人たちにあてられて、いちいち興味を持ち、細かく調べる癖がついてしまった。

 いい記憶がない劇団の話題が出て、彼は少し表情を曇らせた。
「名前付きの役なんかやったことないのに、よく覚えてたッスね」
「GOD座のお芝居ちょっと濃すぎて疲れたから、端役の方ばっかり見てた」
「そ、そうなんだ。なんか複雑な気持ち……」
 ほとんど出番もない、カーテンコールにも出て来ない、通行人の役。
 まるで本当に“舞台の上を通りかかった人”みたいで、それがむしろ印象に残っていた。

 いづみさんに頼まれてMANKAIカンパニーに来て、その通行人がいたから驚いた。
 尤もあの時はGOD座とMANKAIカンパニーが別の劇団だということさえ把握していなかったけれど。
 あの通行人がいる劇団でバイトするのか、偶然だな、なんて思ってたくらいだ。

 彼がMANKAIカンパニーに入る時、一悶着あったのはもう聞いている。
 でも私にとっては彼がどこに所属していようとあまり関係がなかった。
 七尾太一。最初から、彼はそれ以上でも以下でもない。彼だけの存在感を持って私の視界にいるのだった。

 冷める前にコーヒーを飲み干した。さっきより苦く感じるのは時間を置いたせいだろうか。
「ねえ、七尾ってさ」
「うん?」
「よくモテたいって言ってるけど、本当にモテたらどうするの?」
「そりゃあ、ドキワクなモテモテスクールライフを満喫するッスよ!」
 なんだそれ。あ、曲が途切れた。電波が悪かったかな。

「急にどうしたッスか?」
「うーん。私の好きな人がモテたいモテたいってうるさいから参考までに」
「え!? ユリちゃん好きな人とかいたんだ! なんか安心したようなショックなような……」
「安心って何」
「いやあ、だってユリちゃん何にも『興味ない』って感じだから。監督先生も心配してるッスよ」
 似たようなことは親にも教師にも散々言われている。
 私は私なりの熱意でいろんなことに興味を持っているのだけれど、“ただひとつ”に懸ける人から見ればそれは興味と呼ぶレベルではないらしい。

「『夢』とか『やりたいこと』とか、無理に決めなきゃいけないのかな。のんびり生きていられたら私はそれでいいのに」
「マイペースに生きてくのがユリちゃんの『夢』ってことッスね!」
「あー……まあ、そういう風に言うこともできるね」
 今度からそう答えよう。誰にも指図されず自分のペースで生きるのが夢だと。

 もう一度“春”の再生ボタンを押しながら、何かが違う気がしていた。
「てか、その好きな人は『夢』にならないッスか?」
 彼に問われて動揺する。
 途中だった第三楽章を飛ばし、第四楽章が始まってしまった。

「さっき『本当にモテたらどうするの?』って聞いたでしょ」
「あ、そういや俺っち答えてなかったッスね。ユリちゃんに好きな人がいるってのが衝撃的すぎて!」
「モテたいっていうのが複数人から好意を寄せられたいってことだとしたら、私がその人と結ばれたら、その人はもうモテなくなっちゃうな、それは告白されたくないってことなのかな、って思った」
「な、なるほど……! 難しい問題ッス」

 第四楽章はモルト・アレグロ。急かされているみたいだ。
 私はもっとゆったりした人間だった。
 必死になるほどの興味なんて、情熱なんて、ないはずだったのに。

「もし、いづみさんと私から同時に告白されたら七尾はどうする?」
「ええっ!?」
「でも真面目な話、いづみさんに告白されるといろいろ気まずいよね。真澄くんとか古市さんのことがあるし」
「確かに……って、え? 左京にぃってそうだったんッスか!」
「そう見えるけど」
「し、知らなかった!!」

 モテたいとは。誰かに恋したいってこと? それとも自分が恋されたいってこと?
 私の問いに彼は頭を悩ませる。でも数分と経たず答えを出した。
「そんなちゃんと考えたことなかったッス。俺っちは……とにかく、今しかできない恋がしたい! 一緒に勉強したり、学校帰りに待ち合わせて制服デートしたり、同じ大学行きたいね、なんてったり……!」
「七尾は進学するんだ」
「あ、いや、まだ決めてないッス」
 でもそれは、いづみさんが相手じゃできないことだと思うけれど。

 学生らしい恋愛。青春。そういう曖昧で繊細な心の機微、よく分からない。
 つまり七尾は不特定多数にモテたいんじゃなくて、恋人がほしいんだということは理解できた。

 コーヒーを飲み終わり、音楽が止む。
 するとレッスンルームの方から、さっきよりもずっと拙いモーツァルトの春が流れてきた。
「……咲也くんたちも最初よりはマシになったね」
 まだ“ちゃんと演奏できてる”とまではいかないけれど、何の曲を奏でようとしているのか判別できるようになった。
 ふざけてるようで真剣なシトロンさんの指導のお陰だろうか。

 シトロンさんの音色に導かれて咲也くんと綴さんの音が重なる。
 たまに足を踏み外すような不安定な春を聴きながら、ぽつりと七尾が呟いた。
「俺っち、エニスがカルテットに戻ってくるシーン好きなんッス」
 自分は正規のメンバーではないと皆を突き放し、カルテットを去ろうとした孤独な皇帝。でも自分に足りない音に気づいて……。
 春ケ丘Quartetは、今までの春組らしい明るさ全開の芝居とは少し違う、青春のほろ苦さを感じるような雪融けの物語。

 ヴァイオリン一本では完成しない音楽か……。
「ねえ七尾、春になったら太一って呼びたい」
「え、いや大歓迎ッスけど、今すぐ呼ぶんじゃダメなの?」
「今は無理」
「無理ッスか!?」
 指示された速度に惑わされず、自分のペースで。
 春になったら、雪がとけるみたいに……私も少しは素直になってみようと思う。


🔖


 6/76 

back|menu|index