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🔖忘れないグリーフ



 コーリンゲンを発ってすぐにユリがオペラ座へ行こうと言い出した。
 甲板からオペラ座の屋根が見えるなり、着陸を待たずスカイアーマーに乗り込んだ。
 俺とユリとティナの三人で劇場に直行する。

 どうやら今日は休館日のようで客の姿は見当たらない。俺たちを見留めて受付の青年が駆け寄ってきた。
「ああ、あなたたちは! よ、よかった。ダンチョーのところへ行ってあげてください。大変なことになってるんですよ!」
 半ば引きずられるように扉の中へ押し込まれる。そこにあったのは衝撃的な光景だった。
 荘厳な音楽が鳴り響く中、舞台には一人の演者が立っている。……巨大なドラゴンだ。

 呆気にとられたような顔でティナが尋ねる。
「エドガー……、オペラって、モンスターがやることもあるの?」
「い、いや、あまり聞いたことはないな」
 唖然として立ち尽くす俺とティナをよそにユリは客席で頭を抱えていたダンチョーのもとに歩み寄った。

「ピンチですね、ダンチョー」
「本当だよ! せっかくお客を確保して首が繋がったっていうのに……これじゃあ開演できないじゃないか!」
 ドラゴンが現れたことそのものよりも、“観客を入れられない”ことの方が重大なのだな……。
 世界崩壊の危機も気に留めず、これこそが人のあるべき姿かもしれない。敵を倒すこと、平和を取り戻すこと以上に、明日の生活を心配するという。

 我が物顔で舞台を歩き回るドラゴンを見つめ、ふとユリが首を傾げる。
「ところで、なんで演奏してんの? 避難させた方がいいと思うんだけど」
「音楽を止めると暴れだすんだよ」
「お、おお。マジすか」
「頼む、報酬は出すから、あいつをなんとかしてくれ!」
「分かってるよ。まあ任せなさい」
 ユリがここに来たがったのはこの事態を察知していたからだろうか。

 世界で唯一、オペラを見られるのはここだけだ。
 絶望に塗れた世の中で人の心を癒す芝居を続けてもらうため、美しきマリア嬢に再び舞台へ立ってもらうため、ドラゴンには退場していただこう。

 俺とティナだけで倒せるのかという不安はあるが、ユリが戦力を充分としたのなら信じよう。
 その彼女は、鞄の中から取り出した指輪を俺に差し出した。
「はい、エドガー」
「ありがとうユリ。まさか君に指輪をもらうとは、感無量だよ」
「ふざけてないで早く装備して。それ、レビテトが常時発動する指輪だから」
 もう少し乗ってくれてもいいのになと思いつつその指輪を嵌める。小指にしか入らなかった。

 魔法が体を包み込むのを感じ、ふわりと足が宙に浮く。
「あいつ地面を揺らしてくるから、阻止できると思うけど念のためにね。ティナはトランスして、毒とスロウとスリプルを連打して切らさないように」
「分かったわ」
「寝かせつつ属性魔法で安全に倒せると思う」
「了解」

 単にあれを倒すだけではなく、舞台上で暴れさせてもいけないということだな。
 無論、演奏中のオーケストラも近くにいるのでそのつもりだ。
 劇場の経済的事情に理解を示すユリの言葉にダンチョーは涙目で何度も頷いた。

 遥かなる太古の時代、三闘神のエネルギーを八つに分割して封印したという古のドラゴンのうち一体。
 強敵ではあるがユリの指示があれば恐れる必要はなかった。ものの数分で片がつく。
 ……今にして思えば、フィガロを出たあの時にユリとティナを引き離さなくてよかった。もし彼女が敵に回っていたらと思うと甚だ恐ろしい。


 さて、あとはガレキの塔へ赴き三闘神を倒すばかりだが、ユリは未だやるべきことが残っているという。
 散り散りになっていた仲間は戻り、新たな者も加わった。それでもあの塔へ行くには心許ない。
 つまりは魔大陸の時と同じだ。ガレキの塔に突入すればおそらく容易には脱出できないだろう。
 後戻りできない場所へ行くからこそ、入念すぎるほどの準備が必要となる。

 ユリが「機械のメンテナンスをしておこう」と言うので、今度はフィガロ城に帰って来た。
 せっかくなので彼女に新しい武器をプレゼントする。矢のいらないオートボウガンだ。
 未だ試作段階なので威力は低いが、ユリにとってはその方がいいだろう。
 空気の塊を飛ばすため矢を装填する必要がなく、機械そのものもかなり軽くなっている。彼女は目を輝かせて喜んでくれた。
 記憶にある限り、機械を贈って喜ぶレディは彼女の他にいなかったな。

 ファルコン号に戻ろうとしたところで機関室からの報告を受け、城を一旦コーリンゲン方面に移動させることになった。
「先日から、移動中に砂漠のある地点で何かが引っかかるようになったらしい」
「地形が変わったから、どこかの洞窟とでも繋がったのかな?」
「かもしれない。迂闊に潜行してぶつかっては困るからね。足止めしてすまないが、少し調査をさせてくれ」
 快く頷いてくれたユリとティナと共に、穴を開けられたままの牢屋から地中に出る。

 ユリの予想通り、地下洞窟に繋がってしまったようだ。
 しかもその洞窟を抜けた先は地上ではなかった。砂に埋もれ、忘れ去られた古代の城だ。

「ここは……」
 悠久の時を砂中で過ごしたとは思えないほど美しい城だった。
 驚いたことに城のあちこちで明かりが灯されている。まるで未だ命が息づいているかのようだ。何らかの魔法が働いているのかもしれない。
 その滅びた城の広間に人の気配を感じて振り返る。
 襲撃を受け、剣を手に駆け回る兵士たちの姿が見えた。幻影……彼らが死んだ時間を繰り返しているのか?

『幻獣の攻撃だ! こちらも幻獣を出せ!』
『我が方にはもうオーディン殿しかおりませぬ!』
『怪我は治ったのか?』
 問われた兵士は苦々しげに首を振る。……幻獣を交えた戦争……これは千年前の幻か。
『致し方あるまい。ここが我らの分水嶺……、オーディン殿にすべてを託す』
 城を守るため、異形の馬に乗った騎士が現れる。あれが幻獣オーディンか。

 魔石による召喚ではなく生身の幻獣自身が戦争に加わっていた時代の光景に、目を奪われる。
 敵の魔導士が高位魔法を連続で放つが、魔法をも斬り伏せるオーディンが押していた。
 追いつめられた男は剣を抜き放つ。すれ違い様、男の肉体は両断されたが、その剣はオーディンに触れた。
 おそらくは魔法が籠められた剣だったのであろう。オーディンの体が足元から石と化していく。
『やるな……、この私を石化するとは……』
 動けなくなる間際、オーディンの瞳が何かを探すように辺りをさまよった。

「古い伝説の一幕だな。城の大広間で行われた魔導師と幻獣オーディンの戦い……」
 お伽噺としてならば聞いたことがある。
 その物語を自分の目で見ることになろうとは。正直なところ少し心が躍っている。

 しかし、千年前の記憶に魅入る俺たちの傍らでユリはしょんぼりして俯いていた。
「まただよ……魔力の幻影だから見えなかった……」
「ユリ、その本は?」
 消沈する彼女を気に留めるでもなくティナが指し示したのは、ユリが抱えていた本だ。俺たちが幻影を見ている間に物色していたらしい。
 表紙に美しい宝石が煌めく豪奢な装丁。時代を考えれば相当に貴重な品だろう。そして、普通の書物ではなさそうだ。

「王女様の日記だね」
 ユリが日記の中程にある文を読み上げた。
『私はオーディン様を愛している。それは許されぬこと……? けれど人の心は縛れぬもの。いと気高き心を持つ御方を想うこの心……、誰にも咎められぬはず。この戦いが終わったら、想いを打ち明けよう』
 では、最期にオーディンが探していたのは王女の姿だったのだろうか。
 悲劇で幕を閉じる恋物語……嫌なものだ。皆が幸せになればいいのに。そういう点で「マリアとドラクゥ」はとてもよかったな。

「想う、心……。あなたには伝わったの?」
 ティナが石像と化したオーディンに触れると、永き時を耐えた幻獣の体が砕け散る。
 その欠片は輝きを帯びながら魔石となってティナの手の中に落ちた。
「ユリ、王女の日記に続きはないのかい?」
「これで終わってる。たぶん、想いを告げることは……」
 戦いが終わるのを待たずオーディンは石と化した。彼がこのままここに放置されていたということは、王女や城の者たちの行く末も否応なしに知れる。

 王女の日記を手にユリはオーディンの石像があった場所に歩み寄った。
「石と化したオーディンに触れる。そして王女は立ち上がり……」
 彼女は振り向き、足を進めた。するとどこかで仕掛けの作動音がして、石壁の中に隠されていた扉が開く。奥には階段が続いているようだ。
 避難用に備えられた隠し部屋、といったところか。

「ティナ、王女のところへ行ってみる?」
 ユリの言葉にティナはこくりと頷いた。三人で薄暗い階段を降りていく。
 隠し部屋には……またドラゴンがいた。
「こんなところにも八竜がいるのか」
「隣をすり抜けられないかな」
「こっちを見つけたらさすがに襲ってくるのじゃないかね」
「戦ってみる?」
「そうだな……」

 海のように深い青色の鱗からすると水を司るドラゴンだろうか。それが砂漠の下に埋もれた城に座しているとは皮肉なものだ。
 千年前にはこの辺りも自然豊かな土地だったのかもしれない。フィガロの広大な砂漠とて、魔大戦で大地が枯れてできたものだというからな。

 気づかれる前に倒してしまおうとティナがサンダガを唱え始めたら、彼女の手の中にあった魔石がなにやら光を放ち始めた。
「オーディン……?」
「あっ、急いでドラゴンにバニシュを!」
 ユリの言葉に慌ててバニシュを唱える。

 魔石から異形の名馬スレイプニルに乗ったオーディンが出現し、バニシュを受けたブルードラゴンの横を駆け抜ける。
 巨大な刀を一閃すると伝説の八竜は呆気なく事切れた。
 ……さすが軍神として伝説に名を残した戦士だな。呆れるほど見事な一撃だ。

 オーディンはそのまま隠し部屋の奥まで馬を駆り、暗がりでスレイプニルから降りた。
 そこには祈りを捧げる王女の石像が……おそらく、オーディンの後に石化された王女が、立ち尽くしていた。
 彼は王女の前に跪く。そしてオーディンの姿は淡い光と共に消えていった。

「石像が……」
 消えた想い人を悼んでか、それとも千年の時を越えた束の間の逢瀬を喜んでのことか。
 石像の瞳から一筋の涙が零れ、オーディンの魔石がそれに応えるように煌めいた。

 悲しく美しい光景をぼんやりと眺め、ティナが呟く。
「人と幻獣の、恋……」
 モブリズの子供たちと出会い、ティナは愛を知り始めている。
 一方で身を焦がすような恋については無知だ。

 きっとティナは両親のことを思い出しているのだろう。
 人の世界に絶望して幻獣であるマディンに救われたマドリーヌ、そして己の世界に背を向けてでもマドリーヌと共にあることを選んだマディン。
 一人の男の欲望によって引き裂かれた恋物語。

「この二人の恋も……結ばれなかったのね……やはり、人と幻獣は……」
 いいや、駄目だ。そんな結論を俺は認めない。
「それは違うよ、ティナ。二人は確かに結ばれていた。命を懸けても惜しくないほど大切な人がいるというのは、それだけでとても尊いことなんだ」
 俺の言葉にユリも同調する。
「王女はオーディンを待っていた。そしてオーディンも彼女を探した。二人の心が結ばれていたからこそ、今の再会がある。……それはティナも同じだよ」
「私も……?」
 彼らが恋をして、結ばれ、愛を育んだ過去があるからこそ彼女は今ここにいる。しかし……ティナはその感情を未だ知らなかった。



 その夜、ユリはファルコンの甲板でぼんやりと空を眺めていた。
 これで星空ならばロマンチックなのだが、ケフカのお陰でムードも何もない暗雲が立ち込めている。
 俺が隣に立つと彼女はちらりとこっちを見て、また空に視線を戻した。何か考え事をしていたというわけでもないらしい。

「次はどこに向かうんだい?」
「うん……ドマ城にでも行こうかな」
 カイエンのためか。彼をあそこへ連れて行くのがいいことかどうか俺には分からないが、いずれ故郷に戻る日も来るだろう。
 ならば早めに行って、家族の弔いを済ませてやるべきかもしれないな。

「そういえば、俺が流れ着いたのはドマだったよ。残念ながらまだ毒が抜けきっていないようだった」
「だ、大丈夫だったの?」
「ん? ああ、我々にはエスナもあるからね」
「そういう意味じゃないんだけど。まあ今ここにいるんだから平気だったってことか」
 毒以外に心配事でもあったのか、ユリは眉をひそめてじっと俺を見上げている。

 話がしたくなったのは、あの地底の城で報われない恋を嘆くティナを見るユリの目が、とても切なかったからだ。
「ユリ、恋人はいるのかい?」
 俺がそう尋ねた途端に彼女の表情が強張った。
「いなかったら悪いんですか」
「いや、そういう意味ではないんだが」
 故郷に残してきた人がいるかもしれないと考えただけなんだが、少なくともその反応を見る限り特定の相手はいないらしい。

「……君から見て、俺の歳で跡継ぎがいない国王を、どう思う?」
「まずいんじゃないのって思う」
「やはりそうか」
 まったく、憂鬱なことだ。
 フィガロには少し寄っただけだというのに神官長はまたしても膨大な量の見合いを用意していた。
 マッシュが船から降りて来なかったので、あいつの分まで俺に来たような気がするほどだ。
 飛空艇に帰らせてもらうまで悪戦苦闘する俺の姿を目撃していたらしく、ユリは苦笑を溢した。

「私はフィガロ国民じゃないから『結婚せずに養子縁組すれば?』なんて気軽に言えないけどさ。未だに独身でも許されるのはエドガー自身の努力の賜物でしょ。国のために自分の気持ちを犠牲にすることないよ」
 国のために。国のためには早く優秀な“王妃向き”の女性を娶って子を成し、民を安心させてやらねばならない。

 俺が王であるのは国民のためであり、国民のお陰だ。
 自分の意思、自分の欲望を優先させてはならない。ましてや愛だの恋だのという感情に振り回されることは許されない。
 この現実は都合のいい物語ではないんだ。きっと自由は悲劇を生む。だから、俺は……。

「自分よりも国を優先できない国王に何の価値がある?」
「国王一人さえ幸せになれない国が“いい国”かなぁ?」
 迂闊にも黙り込んでしまった俺を見て、ユリは慰めるように優しく続けた。
「エドガーが好き勝手やれてるのが、フィガロがいい国だって証だよ。図に乗ったらぶん殴って止めてくれる弟もいるし。安心して自由に……」
 そう途中まで言いかけて、ユリは何事かに気づいて頷いた。

「……ああそっか、むしろマッシュがいるからこそ、早く結婚しなきゃと思っちゃうわけだ」
 まあ、そういうことでもある。
 もし俺がこのまま結婚しなかったら、では国を出た王弟殿下を呼び戻して彼の御子を……という事態に陥らないとも限らない。
 現に極一部の貴族の間ではそのような話も出ているのだ。
 自分の子供を俺の養子に出すはめになっても、マッシュはきっと反対しないだろう。だから嫌なんだ。

 俺が結婚しないことでマッシュを巻き込みたくない。弟には自由に生きてほしい。
「マッシュには、王宮でしかめ面して政治に煩わされているよりも、一軒家で奥さんと子供とのんびり暮らす姿が似合う」
「んー、確かに。マッシュはいいおか、お父さんになりそうだもんね」
 今、お母さんと言いそうにならなかったか。

 どちらかがそれを負うのなら、マッシュではなく俺が。ずっとそのつもりで生きてきた。
 愛する弟を解き放つために選んだ道……しかし時々、自分が被害者面をしたかっただけなのではと思うことがある。
 必死になってマッシュを守ろうとすることで、あいつを縛っているのはフィガロの血ではなく俺自身なのかもしれない。

 自由であれというのも、それはそれで酷く難しいんだ。
 弟が俺のために犠牲になっても構わないと思うなら、それすらも彼の自由であるはずだ。俺の勝手な思いやりを押しつけてはいけない。
 ……俺はマッシュに“自由”という義務を負わせてしまったのか?

 レディの前でため息を吐くのは嫌いだ。
 胸につかえた重苦しいものを無理やり呑み込んで、俺は妙な顔をしていたと思う。
 だがユリは、強いてそのことに触れはしなかった。

「エドガーは、女好きなのになんで相手が見つからないの?」
「俺はすべてのレディを愛しているからさ」
「はあ、一人に絞れないってわけか」
 王には世継ぎが必要だ。俺の……エドガー・フィガロの妻になるのは、共に義務と責任を背負わねばならないということだ。
 恋をして、結ばれ、愛を育むために一緒になるわけでは決してない。
 そんなやり方で愛する女性に幸せを与えられるものか。

 ユリは星空を眺め、のんびりと言った。
「リルムとか、どうよ? エドガーの好みでしょ」
「確かに好みではあるが、リルムが相手では何年も待たなければならないな」
「まあねえ。ああ、やっぱ重要なのは世継ぎ問題なのか」
 年齢、身分、教養、能力。王妃候補として認められない理由をなんとか見つけ出しては見合い話を白紙にしている。
 俺が愛する女性を見つけたら、その人が何者であっても皆は喜んでくれるだろう。本当は分かっているのに。
 母上だって、結婚するまでは身分を持たない少女だった。

 俺は感情を知らないティナと違って自分の存在に両親の愛を感じられる。
 彼らが結ばれたからこそ俺はここにいるのだと、この血で理解している。
 しかし……両親の素敵な恋物語は、俺とマッシュが生まれて幕を閉じたんだ。

 俺の煩悶を無視し、ユリはめげずにまた別の名を挙げた。
「年齢が問題ならセリスはクリアしてる」
「いや、セリスは……駄目だろう」
「ロックがいるから? 結婚してるわけでもなし、恋人未満ならエドガーが手を出しても問題ないでしょ」
 長く苦しんできたロックがようやくレイチェルのことを乗り越えようとしているというのに、何を言い出すんだ。

「セリスは花盛りの十八歳で、たぶんあれが初恋。ロックだって昔の恋に傷ついたまま時間が止まってたようなもの」
「それは、まあ、そうだね」
「二人で幸せになるのもいいけど、そのために別の道を閉ざす必要もない」
 他の誰かと結ばれる可能性がゼロになったわけじゃないのだからと、ユリは言い切った。

 思いがけない言葉に絶句してしまった。
 確かに、俺もセリスのことを好ましく思っている。本気で口説いたって構わないくらい彼女は素晴らしい女性だ。
 だがそれは、ロックより先に俺と彼女が出会っていたらというもしもの話で……。

 いや、あり得ないな。帝国を抜け出したセリスと出会ったのがロックではなく俺だったら。
 ……おそらく、俺は彼女に手を差し伸べたりしなかっただろう。
 ロックだからこそ彼女の苦しみに気づき、手を差し伸べることができたんだ。
 彼らは互いの存在のお陰で、ようやく前へ踏み出す力を得た。
 たとえまだ恋として成就していなくても、横から奪い去りたいとは思わない。

 にもかかわらず、ユリは至極真面目な顔で話を続けた。
「決められた物語の登場人物じゃない。生きた感情を持つ人間なんだから、心が揺れ動いてもべつにいいんだよね」
「君は、その、もしかするとロックのことが……?」
「は? ……いや、べつにあの二人に別れてほしいんじゃないよ。ただ、もし誰かがセリスやロックを好きになってもそれは自由だと思うだけ」
 単なる可能性の話であり他意はないという彼女にホッとした。
 ユリがロックに惚れていて、だからあの二人に別れてほしいのかと思った。誤解で本当によかった。

 彼女の考え方は時に奇妙なほど冷淡で、人を道具のように見ているのではと感じることがある。不思議なものだ。

「でもさ、フィガロ国王の相手としてセリスは最適に近くない? 元将軍なら教養ばっちり、政治的な考え方もできて、エドガーも負い目を感じなくて済む」
「そのうえ彼女は元帝国兵だ」
「最高だね?」
「……かもしれない」

 かつて多くのフィガロ国民は帝国との同盟を歓迎していた。反対派との間に生じた軋轢も少なくない。
 多少の混乱はあるとしても、セリスが受け入れられる土壌はある。
 そして大破壊から今日まで行き場をなくしてしまった元帝国人は大勢いるのだ。
 どこかで妥協点を作り出すとしたら、フィガロの王と元帝国の将軍との結婚は世界にとって象徴的かつ重大な意味を持つだろう。
 もし俺が彼女と結婚したら? その夢想は心が躍る。あくまでも、夢想であればの話だが。やはり実行に移したいとは思わない。

 ユリは真顔で俺を見つめていたが、やがてその表情を和らげた。
「ま、リルムもセリスも、一例でしかないんだよ。王妃に相応しい理由なんて後からいくらでも作れる。だったらもう大事なのはエドガー自身の気持ちだけじゃん?」
「確かに。妻となる人に重圧を与えたくない、なんてのは、少し言い訳染みていたかもしれない」
「エドガーにも好きな人と一緒になる権利がある。もっと自分の気持ちを優先したら? 王様がそんなんじゃ、フィガロは気遣い屋ばっかの窮屈な国になっちゃうよ」
「耳が痛いな」

 権力に媚びず、しかしその重さを理解して、共に重責を担うことを承知のうえで……なおかつ俺の心を認めて愛してくれる人。
 言うは易いがそんな人材を探し出すのはなかなかに難しい。
 どれか一つ欠けたばかりに、愛した人を不幸にするのは嫌だから。

「あとね、さっきのマッシュの話だけど。私はエドガーも容易に想像つくよ? 子煩悩な父親としての姿」
 またそんな、一歩間違えば口説かれているのかと勘違いしてしまいそうなことを言う。
 正直に言ってこのファルコンに集った女性たちは皆とても魅力的で、自覚さえすれば恋に落ちることは容易い。
 それはユリも同じだ。だから、気軽にそんなことを言わないでくれないか。

「じゃあ、その一例に君を加えても構わないのかな?」
 かつてのユリならば俺は恋愛対象になり得ないと言い切った。しかし彼女は、悪戯っぽく笑う。
「生きてガレキの塔から帰れたら、私もまた恋をするかもね」

 一人の男として誰かを愛し、その人に手を伸ばしても、いいのかもしれない。
 振りかかる災いなど払いのけてしまえば済む。今こうして皆で戦っているように。
 結末を悲劇にしないと自信を持てる相手ならば、きっといつか結ばれることもある。今日は珍しく、そんな風に信じられた。


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