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🔖鼓動



 その真っ黒い空間には覚えがあった。
 モグやカッパが案内役として登場する、あの感じだ。そう理解した瞬間ザッと鳥肌が立った。
 慌てて自分の体を見下ろすもちゃんと人間の胴体に手足がくっついて安堵する。
 あーよかったー、カッパになってなくて!
 どうもカッパ状態になることを恐れすぎて体験してもいないのにトラウマとなっている気がしてならない。

 そんな挙動不審な私の耳に、苦笑する声が飛び込んでくる。
「何をやっとるんじゃ、お主」
「え……」
 光の射さない真っ暗闇。なのに目の前にいる相手がきちんと見えているのはどういうわけか。
 黒い空間を切り取ったかのごとくポツンとそこに立っていたのは、ゾゾで別れてから幻としてしか会えなくなったラムウだった。

「な、なんでここに?」
「私はずっとここにいた。むしろおぬしが突如として現れたのだがな」
 それもそうか。大体、思わず言っちゃったけどなんでここにも何も、まずここは一体どこなんだ。

 見下ろせば足元もただひたすら黒いだけの闇が広がっている。
 立っていられるのだから地面はあるのだろうが、一寸先が崖でも気づけないほど深い闇だ。
 いや、そもそも本当に私は“立っている”のか? そんな錯覚に惑わされているだけじゃないのだろうか。
 足の裏には地面と接している感触がない。といって宙に浮いているわけでもなく……。

 現実味の薄いこの空間は何なんだ。夢の世界か、でなければまさか。
「まさか霊界ってやつじゃないよね?」
 私の質問に対して、ラムウは曖昧に頷いた。
「人間の観点から言えば同じようなものだが、厳密には違うな。さしずめ、ここは霊界への入り口……その周囲に存在する空間とでも言おうか」

 単刀直入に、私は死んだのかと問えばラムウは首を振った。ならばあなたが生きているのかと問うてもやはり違うと言う。
「我ら幻獣が死すると肉体は魔力の粒子となって精神に溶け、ここに還る。その粒子を結晶化したものが魔石じゃな」
「ん……じゃあ魔石から召喚される幻獣は何なの?」
「魔力の粒子から肉体を再現したもの。我々は魔石を介して現世に干渉する」

 ラムウは死んだ直後に少し会話ができただけだが、マディンはラストダンジョンを脱出する時にもまだティナに語りかけることが可能だった。
 肉体は死を迎え魔石となっても、少なくともあの段階までマディンの精神は消滅していないということだ。
 そう……三闘神が滅びない限り、死した幻獣たちは、ここにいる。完全な死は訪れない。

 私の思考を感じ取ったらしく、ラムウが頷いた。
「我らはそもそも三闘神の力そのもの。死により肉体の枷から解き放たれた精神は、ここへ還って本来の力を取り戻す。そして魔石を介して他者にその力を与えることができる」
「ああ……魔石を持ってるだけで魔法を覚えたり、魔力や素早さが上がるのはそれ?」
「左様」
 肉体の枷、か。だから生身の幻獣から魔導の力を抽出するよりも魔石化した方が効果が高いんだな。

 幻獣とは、太古の昔に三闘神の力に触れたモノのことだ。
 彼らはその時に強大なエネルギーに侵食されて、生命としてのシステムを作り替えられた。一度死んで、違うモノとして生き返ったんだ。
 意思を持った魔力、精神生命体とでも言うべき存在と成り果てた。
 そして魔大戦の後にゲートを作り、幻獣界に移り住んでからは、これ以上の争いを生まないように自らの精神を肉の枷に封じ込めた。

 封魔壁を越えた幻獣たちが心に変調をきたして暴走するのは、エネルギーを抑えるプログラムがうまく働かなかったせいだという。
 肉体は魔導の暴走を防ぐため精神を制御しようとし、それに対し精神は本能のまま暴れようと肉体に抗う。
 ラムウや西の山でのユラたちのように、力の行使を徹底して禁じなければ、扉の外で理性を保てない。

「幻獣は精神生命体だ。だからこそ肉体を失っても活動できる。ではユリ、おぬしはなぜ“ここ”に存在するのだろう?」
「それは……」
 私も幻獣と似たような在り方でこの世界に立っているからではないだろうか。


 このデータの世界に私の肉体は存在しない。私はここで生まれなかったのだから当然だ。
 私の体は今もっておそらく“外の世界”に存在している。
 ここにあるのはユリの精神、記憶、あるいは魂と呼ばれるものだけだった。
 そしてその精神が仮初めの肉体を構築・再現しているのだろう。
 つまり、私の肉体は魔石から召喚される幻獣と同じなのだ。実体はあるけれど、生きてはいない。

 意思の力のみで存在し続けている。魔力ではなく精神力、イマジネーション、もっと大雑把に言うなら“思い込み”の力で肉体を維持している。
――私はここにいる。こうして思考し、他者と関わりを持つことができるのだから、ここにいるのは間違いない、と。
 いわば自分の死に気づいていない幽霊のようなもの。
 改めて、あの時ナルシェでティナに出会っていなかったら、私はそのまま消滅していたんじゃないかと思えてならない。

 ここに至ってラムウがそれを話してくれる理由は何なのか。
 思い込みで存在が成り立っているのなら、その思い込みをなくした時に私は消滅する。
 誰にも名を呼ばれず、誰にも認識されず、私自身が己の存在なんてただの錯覚に過ぎないのだと気づいてしまったら……否応なしに魔法が解ける。
 この世界にいられなくなり、そして……そして?

 夢から覚めるように元の世界に戻れるとは限らない。
 よくあるだろう、トラックに跳ねられて死んだ拍子に異世界へ、という話。
 トラック転生なんてひとつのジャンルとして確立されるほど巷に満ち溢れていた。
 単なる妄想かもしれない。しかしそれだけ多くの人が同じことを考えるなら、現実に起こっていてもおかしくない気がしてくる。

 なぜ私はゲームの世界にいるのか。なぜ私は、ナルシェの炭坑に降り立つ直前の記憶がないのか。
 ほとんど荷物も持たずに私は向こうで何をしていて、何がきっかけでここに来たのか。
 ……あっちの世界で、私はもう死んでいるんじゃないのかな。あるいは死にかけて意識不明なんじゃないか。そんな風に考えたことがある。
 元の世界に戻ったとして何事もなく目覚めるとは思えない。
 少なくとも、魂だけが異世界に飛ばされるような“何か”が私の身に起きたのだから。

「元の世界に戻ると同時に、成仏するかもしれない」
「それでも戻りたいか?」
「うーん」
 戻った瞬間に死ぬというなら一体なんのために戻るのかと疑問を感じてしまう。
 しかしこのままこっちにいたところで私はちゃんと人間として生きていけるのか? という不安もあった。

「今こっちの世界にいる私って実体のある幽霊っていうか、アンデッドみたいなもんなのかな?」
「どう定義するかはおぬし次第だが、幽霊だと言うならば……そうじゃな。心音を鳴らし、呼吸し、あたたかな血を持つ生きた幽霊ということになるか」
「……うーん。幽霊っぽくないね」
 というかそれってつまり普通の人間なのでは?

 所詮は想像から成る仮初めの肉体ならばヒトとしての生を歩めないのではないか? 答えは、否。
 考えてみれば現状からして暑さ寒さに痛みといった感覚も働いており、空腹を感じれば食事もするし、もちろん排泄もある。
 私は生きているのと同じ時間を刻んでいる。時が経てば年をとり、何事もなければ平均的なヒトの寿命と同時期に死を迎えるだろう。
 現実世界で私の体がどうなっているとしても、こっちの精神としては生きているつもりでいるんだ。
 この、精神が作り出した器は、ヒトの生命活動を再現している。

「それで、どうする?」
 帰りたいかとラムウが尋ねる。
 もし本当にあっちの私が死んでいるなら帰る意味などないというのに、まだ迷う。
 多くのものを見捨てて見殺しにして苦しんで、すべては向こうに帰るためだった。
 平和なあちらの世界で癒えない傷を負わないために、殺すことも殺されることも避けてきた。
 でも……、元の世界に帰っても死に直すだけなら。この世界でなら生き続けていられるというのなら。私は……。



「……死にたくない」
 目を開けると暗い空が視界いっぱいに広がっていた。
 どうやらオペラ座へ向かう船の甲板で眠っていたようだ。
 体を起こすと横で丸まっていたインターセプターが身動ぎし、船縁に凭れたままシャドウがこっちを見る。
「大丈夫か?」
「うむ。とりあえず生きてるよ」
「そんなところで寝るから妙な夢を見るんだ」
 私は魘されてでもいたのだろうか。

 ラムウと交わした会話はハッキリ覚えているのに現実感が全然なくて、ただの夢だと言われたら納得してしまいそうだ。
 ……でも、あっちの世界で私は死んでいるかもしれないという、それは非常に納得のいく話だった。
 同じ荒唐無稽でも「ゲームの中に入っちゃった!」よりは「死後の世界は自分の好きなゲームの中だった!」の方がなんぼかリアリティーがあるものね。
 いや、そうでもないかな? どうだろう。
 とにかく、生身でデータの中に入り込んだというよりは肉体をなくした精神がこの世界に“私”を再構築したという方が……しっくりくる。

 先程のラムウが本物か、夢か、いずれにせよ私の脳はその可能性を考えた。だからあんなものを見たのだろう。
 現代日本じゃ『楽になりたい、死にたい、消えてしまいたい』なんて願いは結構ありふれていて。
 もちろん幸せになるために真面目に頑張っている人が大多数だったのは知っているけれども。
 私はそうではなかった。頑張る気力なんて、幸せになりたいと願うほどの心なんて、もう残ってはいなかった。

 こっちみたいにモンスターがいるわけじゃなし、日常生活に死の危険はなく、何もしなくても流れ作業で生きていけるような世の中。
 心ばかりが繊細になって、何のために生きているのかと答えのない疑問に苛まれて苦しかった。
 もう、終わりにしたかった。いつ終わってもいいと思っていた。そして、終わりが来たんだ。
 だから私は何も持たずに、この世界に現れた。
 ゲームの世界から現実に帰ろうとしていたつもりが、そもそも私は現実からこっちへ逃げて来たのか。

 好きだったはずのレオ将軍やシド博士に腹が立ったのは、私が彼らをキャラクターではなく一個の“人間”として見始めていたからだ。
 この世界はいずれ脱するべき“ゲームの中”ではなく私にとっての“現実”に変わりつつあった。そしてこちらの現実でなら、私は……。
「変な話。向こうじゃさっさと死にたいだけだったのに、いつでもうっかり死ねそうなこっちの世界では、なんとかして生きていたいと思ってる」

 不穏な言葉にシャドウが微かな反応を見せる。私は立ち上がり、彼の隣に立って水平線を眺めた。
 陸地が見える。もうじきマランダを通りすぎてオペラ座に着く頃か。
 甲板で寝転がってたせいで身体中が痛いな。……とても生きているって感じがするよ。

 ティナはどうしてるかな。もうモブリズに行っただろうか。セリスは今も眠っているはず。私が行って、起こすことはできるだろうか。
 彼女たちも、ここにいるシャドウも、心に暗いものを抱えている。
 あの二人はそれでも生きていたいと願ったが、シャドウは違った。ゲームの中では。

「あなたが、もう終わりにしたいっていう気持ちは、分かるよ。……でも……」
 生きてりゃいいことある、いつか幸せになれるなんて私には言えないみたいだ。その言葉がどれほど薄っぺらいかよく知っている。
 でも、それでも。私は今ここにいることを後悔していない。
 生きててよかったとも思わないけれど、少なくともまだ生きることを苦しむだけの心が残っている。

 ふう、と一息。何を伝えるべきかではなく、彼に何を伝えたいかを考える。
「本当にシナリオを変えたくないなら、私はたぶんバレンの滝で死んでたと思う」
 マッシュと一緒に行けば奇跡でも起きない限り滝から落ちて死んでいたはずだし、残って別行動をとっても一人で生きていく力はなかった。
 シナリオと関わりのないところで私はシャドウに命を救われていたんだ。
「私が生きてここにいるのはシャドウがいてくれたお陰なんだ。だから私はあなたに生きてほしい。あなたに、生きたいと思ってほしいよ……」


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