🔖ウォーム・ウェルカム
モンスターに遭遇して振り向いたらマッシュの姿がないとかいうハプニング。
弁解するわけじゃないけれど決して迷子になったわけではない。私に一人で戦わせるためにマッシュが身を隠したんだ。
死にそうになったらさすがに助けに来てくれるとは思う。
にしてもバルガスは鬼畜、マッシュはスパルタすぎる。こうなるとダンカン師匠も何かしら秘めていそうだな。
まっすぐ飛びかかってくるムーに対して身構える暇もなかったので、剣を鞘におさめたまま鈍器として使うことにした。
モンスターの急所ってどこだ。たぶん呼吸器官をどうにかすれば大抵の生き物は苦しいだろうと見当をつけてムーの鼻先をぶん殴る。
怯んだところへ駄目押しで顔面に突き、脳天めがけて振り下ろし、敵が脳震盪でフラフラしている隙に剣を抜いてとどめの一撃。
噴き出す血と右腕から伝わってくる感触が生々しくて思わず眉をひそめてしまう。
「……きっつ」
目の前には私が殺したモンスターの骸が転がっている。
こんなものいちいち精密に描写してたらそりゃあ処理落ちもするだろうよ。
ゲームで敵の死体を消すのは正しい判断だな。深く考えたら、戦えなくなってしまうもの。
刀身に絡んでいるものを振り払ってムーの血を拭う。
この死体は町に持って行く。皮は売れるし、肉はハーコート夫人への土産になるから。
私がげんなりしていると木の影に隠れていたらしいマッシュが戻ってきた。
「やっぱり速さも力も全然足りないな」
「全然っすか。百点満点ならどれくらい?」
「うーん……十点」
厳しい! でも当然か、敵は雑魚一匹だってのに三発も殴らなければ動きを止められなかった。
もしムーに仲間がいたら、一発でも避けられていたら、私が剣を持ってなかったら、とどめを刺せずに反撃で死んでいただろう。
肉と皮を手際よく処理しながらマッシュが呟く。
「ベルモーダー相手ならもうちょっといい動きをするのになあ。普通は逆じゃないか?」
「それは、たぶん敵の見た目が問題なんだよ」
ベルモーダーはゴツいし強そうだから恐怖心が先に立つ。必死になれば罪悪感に捕らわれず攻撃できるのだ。
まあ巨大リスのごときムーも怖いと言えば怖いのだけれども。あの牙とか、噛まれたら即死だよな。
「でも始めの頃を思えばマシになったでしょ?」
「今がマシになったというより、最初が弱すぎただけだろ」
ほんっと厳しいな。私がマッシュに誉められる日は来るのだろうか……。
本来なら修練小屋からサウスフィガロまで歩いて五時間というところなのだが、訓練に手頃なモンスターを探しながらだったので遅くなってしまった。
私たちがハーコート家に着いた時には、もう月が昇っていた。
「おかえりなさい、マッシュ、ユリ」
「あ、ただいま」
お邪魔しますと口にする前に夫人がおかえりと言うからただいまと返さざるを得ない。
家族扱いされるとむず痒くなる。自宅に帰ってきたような顔しているマッシュも最初は私みたいに戸惑ったんだろうかと不意に思う。
エレイン・ハーコート。格闘家ダンカンの妻。
ラッドの正体に気づいた時もそうだったけれど、彼らの名前を知って会話を交わしたりするのは今でも妙な感じ。
戸を閉める前に町の外へと目をやれば、これから酒場に行くらしいオッサンたちや家路を辿る親子連れの姿がちらほら見えた。
あの人たちにも名前があり人生がある。ティナやマッシュと同じように。ダンカンやバルガスと同じように。エレインやラッドと同じように。
当たり前のことが不思議で堪らない。この感覚を共有できる人は世界中を探しても見つからないだろう。
例の肉と皮を含めて荷物を降ろすと、マッシュはハーコート夫人に向かって頭を下げた。
「すみません。師匠とバルガスを引っ張って来られなくて」
しかし彼女はあっけらかんとしている。
「構いませんよ。あの二人なんてどうせごはんが目当てなんですからね」
「は、はあ……」
「あなたたちが顔を見せてくれたら、それで充分ですよ」
飯目当てというならマッシュも似たり寄ったりな気はする。でもここでは修練小屋よりずっと人間らしい食事にありつけるからね。気持ちは分かる。
師匠と兄弟子の反抗期に気を揉んでいるマッシュをひとまず放置して、夫人は私に向き直った。
「ユリ、随分と精悍になりましたね」
「うぐっ……そ、そりゃ修練小屋で暮らしてるとある程度は仕方ないでしょう」
「誉めているのですよ?」
嘘つけ。汗と埃と泥と返り血にまみれて服もボロボロの私に精悍ってそれはつまり“見た目ヤバいことになってるぞ”って指摘でしょうが。
一方でマッシュは心底から不思議そうに私を見下ろしている。
「どこが精悍になったって?」
言葉通りに受け取るんじゃないよ。エレインは「たとえ修行中でも女を捨てては駄目よ」と釘を刺しているのですよ。
もうめんどくさいから突っ込まないけどな。
「とりあえず、お風呂いいですか?」
「ええ。薪がもったいないから二人で一緒に入るのはどうかしら」
「は!? いやそれはさすがにちょっと!」
「あら、私とあなたの二人で、という意味だったのだけれど」
お望みならマッシュと一緒に入ってもいいわよと爆弾を投げつけて、彼女は優雅に笑いながら風呂場に向かった。
「遊ばれてるなあ、ユリ」
「うぬぬ……」
「お前が来てから標的が俺じゃなくなったんで助かるよ」
十年前、ここに居着いた頃はマッシュも大人しい元王子様だったわけだから弄ぶのはさぞ楽しかったことだろう。
今のマッシュは何事にも動じないので弄ってもつまらない。しかし夫人は私という新しい玩具を見つけたのだ。
だから私が町に来ると大袈裟に喜んでくれるのか……複雑な気持ちだ。
安全な家の中で風呂に入ってごはんを食べて清潔なベッドで眠る。こんな些細な幸せにも尊さを感じてしまう。
こっちの世界に来てから私、朝を迎えるのが苦痛じゃない。
窓から射し込む朝陽で目を覚まして、ああ今日も生きててよかった、なんて感謝する日が来るとは思ってもみなかった。
着替えて居間に行くと夫人は既に身支度を整えていた。
「おはよーございます」
「おはよう。ゆっくりした朝ですね、ユリ」
この一家の感覚だと七時起きは遅いのか……。
「マッシュは朝の鍛練に出かけましたよ。あなたへの伝言で、“朝食の前に素振り五十回”ですって」
「うへえ。お腹減ってんのにそんな動けるかっつの」
「そう言うと思っていましたよ」
腹ごなしにどうぞとカットしたリンゴを渡された。まあね、がっつり食べても逆に動けなくなるからね、ちょうどいいよね。
「おいしい朝食を作っておくから頑張りなさいね」
「……はい」
さすが格闘家の妻、いろいろ心得てるわ。
正面、右、左、足捌きも加えて三セットを五十回。
半分を越えた辺りからミスリルソードがだんだん重くなってくる。手の皮も剥けた。
それでも夫人が朝食の準備をしている間にノルマを達成することができた。
ポーションを飲めば剥けた皮は元通り。なぜか気分が萎える。
ダンカンとバルガスとマッシュが一堂に会することもあるのでハーコート家の食卓は皿数が多い。もちろん皿に乗ってる料理も山盛りだ。
彼らほどではないにせよ私も向こうの世界にいる時より大食いになったと思う。
動くから腹が減るのもあるけれど、そもそも食欲が旺盛になっている気がした。美味しいものを食べて素直に幸せを感じるのも久々だ。
マランダは土が肥えているのか農作物がよく育ち、牧畜も盛んだった。
このサウスフィガロは港が発展しているので他の土地から新鮮な果物がたくさん入ってくる。
「旅に出ちゃったらこういう食事は望めないだろうなあ」
できあがった料理を運びながら思わず漏れた言葉にハーコート夫人が反応する。
「旅に出るつもりなの?」
「ええ、たぶん近々」
「そう……残念だわ。あなたにはバルガスと結婚してほしかったのに」
「はい?」
「だってあの子ったら放っておくと誰も結婚してくれないくらい性格が悪いんだもの」
我が子に対してなんという言い種だ。否定できないけれども。
「……やっぱり孫の顔とか、見たいもんですか?」
「見たくないとは言えませんよ。でも、本人にその気がないのだから仕方ないでしょうね」
バルガスは自分が強くなる以外のことに興味がないようだった。
私も始めは正式に弟子入りしようと思っていたのに素っ気なく断られたのだ。他人を育てる気はない、と。
それならばと「せめて打たれ強くなりたいんで私を叩きのめしてください」と頼んだら例の訓練が始まった。
自分の強さを誰かに継いでゆく、ということに関心があるならそれが結婚願望にも繋がっただろうに。
「後に何も残さずパッと消えちゃいたいって気持ちですかね」
「貴女もそうなのかしら?」
「あ、いや、そういうわけでは……ただ、親に孫を見せてやれなかったのは親不孝だと常々思っているもので」
結婚するのも子供を産むのも御免被りたかった。他人と関わることで生きていかなければならない理由を増やすのが嫌だったんだ。
ああもう、だからってこんな話をする必要はないだろうに。
家族とはこんな風に腹を割って話したことってなかったな。他人だからこそ気軽に打ち明けられるのかもしれない。
子供が欲しくないだなんて実の親には口が裂けても言えなかった。
だって私はこの血脈を残す必要性を感じないのだ。それは血の繋がった家族に対してあまりにも無礼な想いだった。
深く青い瞳が私を見つめている。彼女の目はローラと似ている。
「私はあなたが好きですよ。あなたが人生をどう考えていようと、あなたの存在が私を幸せにしているのよ」
他人の幸せを望むのは単なる自己満足なのよと意味深長な笑みを浮かべ、ハーコート夫人は大皿を両手に去っていった。
期待されると応えるのが辛い。私に何も望まないでほしい。そういう本音を見透かされた気がした。
……たまには他人に理解されるのも不快ではないもんだな。
ちょうどテーブルがいっぱいになったところでマッシュが帰宅した。
「おかえりなさい旦那様」
「ただいま……って気持ち悪いな。素振り、ちゃんとやったか?」
「おう。余裕だったね」
「じゃあ明日からは百回にしよう」
「あっ冗談です余裕じゃないですそんな増やしたら腕がもげます」
「もげても寝たら治るよ。それより早く飯食おうぜ」
「治るわけねーだろ、っていうか素振り五十回のままでいいんだよね、聞いてるのかオイこの食欲魔神!」
昔は考えられないくらい小柄だったというマッシュがこんな筋肉モリモリになったのは毎日の努力あってのこと。
やたらと私に厳しいのも、自分が昔に辿った道程をちんたら歩いてる私を見てるともどかしいってのもあるんだろう。
マッシュにだけは「こんなん辛い、無理、できるかボケ!」とは言えないんだよなぁ……。
空腹が限界を越えてた気がするのに、二枚目の皿で早くも満腹になってしまった。やはり朝からそうたくさんは食べられない。
テーブルを埋め尽くしていた料理のほとんどを平らげて「ちょうどいい量だった」なんて御満悦のマッシュが恐ろしい。
三人揃ってる時はこれを何往復も繰り返すんだもの、エレイン・ハーコートは偉大だよ、本当。
そういえば、とマッシュが口を開く。
「港で聞いたんだが、ナルシェの炭坑で何か変なものが発掘されたってさ」
唐突にそんなことを発表されて思わず真顔になった。
「氷漬けの幻獣?」
「ああそう、それそれ」
サウスフィガロに噂が届いたのならガストラも事実を掴んでいるだろう。ぐずぐずしていられない。
「ねえマッシュ、私一人でナルシェに行くのって厳しいと思う?」
「え、いや、どうだろう……。洞窟を越えるのがちょっと問題かもな」
町からサウスフィガロの洞窟まではチョコボに乗ればいいが、そこから先はどうしても徒歩になってしまう。
洞窟内は勝手が違うので、逃げるのも戦うのも私一人では難しいか。
「ナルシェに用でもあるのか? 俺が送ってもいいけど」
「それは悪いから遠慮する……と言いたいところだけど洞窟抜けるまで護衛を頼める?」
「何だよ、水くさいな。町まで送ってやるのに」
「いや、その先は自力で頑張るよ」
せっかくの家族団欒を邪魔したくない。マッシュも来年はハーコート夫人と過ごす時間がないし、この年末年始が最後かもしれないのだ。
それに考えてみればダンカンとバルガスは今、コルツ山で二人きりなのだった。
バルガスにとっては千載一遇のチャンス……。
ここでマッシュをナルシェに連れて行ってしまったら、ダンカンが本当に殺されてしまうかもしれない。
大体、現時点でサウスフィガロの洞窟からナルシェ程度の道程を一人で踏破できないようではお話にならない。
もう予兆が見えてしまったのだ。
これからは自分の足で歩いて行かなければ。
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